あなたの世界で #1

楢つばめ

第1話

「恵!」

遠くで聞きなじんだ声がする。誰の声だったか思い出せない。視界の端からどんどんぼやけて目の前が真っ暗になっていく。

 模擬試験会場はいろいろな地域から来た生徒でいっぱいだった。廊下から教室まで人がいないところは無く、少し所在ない感じがする。元々人が多いところは苦手だ。左腕の時計に目をやって時間を確認する。そろそろ最後のテストが終わる時間だ。避難先のトイレから出て、テスト中で静かな廊下を歩く。普通、自分が受けないテストの時間は待機室で過ごすのだが、そこも人が多く落ち着かなかった私はトイレまで避難してきたのだ。

いくつか試験中の教室の前を通って自分の教室まで移動する。同じく自分の教室に戻るのであろう生徒をちらほらと見かけてなんだか少しホッとする。長い廊下を歩き角を曲がる。教室についてドアを開くと中からガヤガヤと声が聞こえてくる。机の周りに集まっている人たちや、問題用紙を見せ合っている女の子たちの横を通って自分の席についた。

ふぅと一つ息をついて今日受けた試験にことを考える。

今日は公募推薦前の最後の模擬試験の日だった。いつも通り現代文は手ごたえがあったがほかの教科は散々だった。受験本番の日へ不安が募る。まだ夕方だ、帰ってから何をするか考え込んでいると、ふと前の席の人がこちらを振り返って私の席に肘をついて口を開いた。

「ねえ、きみ浪人生?」

 いかにもチャラそうな男の子だ。髪はミルクティー色でセンター分け。目はくりっとしていて大きい。耳にはたくさんのピアス、大人っぽくて到底同い年には見えなかった。一つか二つほど年上だろうか。

「えっと…?」

 初対面でいきなりよくわからない質問をされて戸惑う。人見知りな私は急に陽の雰囲気をまとう人に話しかけられて頭が真っ白になった。

「はは、ごめんごめん。制服着てなかったから俺と同じかと思って話しかけちゃった」

目の前の彼が困ったようにニコッと笑う。

「い、いえ…。今は高三です。」とりあえず質問に答える。

「そうなんだ。もう試験終わりだよね? 途中まで一緒に帰ろうよ」

 断って面倒なことになるのが怖かった私は二つ返事で頷いた。

「よかった。じゃあ行こう。」

 荷物をまとめて歩き出した背の高い彼の後ろをそそくさとついて歩く。ぐいぐい来る人だなあ…

 廊下や階段は帰る生徒でいっぱいだった。

「人多いね。大丈夫?」彼がこちらを振り返って私に尋ねる。

「あ、はい、大丈夫です…」急に話しかけられてびっくりした私は歯切れの悪い返事しかできなかった。

「はは、大丈夫じゃなさそうだね」困ったように微笑んだ彼は私の手をとってずんずんと歩き出す。

急に手をつながれて驚いた私は逆に冷静になった頭で彼の背中を見つめる。

(もてそうだな。)少々強引なところや、女の子の建前を見抜いて本音を掬ってくれるところを見てそんな風に感じた。

 彼に連れられてやっと会場の外に出た私は外の空気を吸って解放感を覚えた。

「ごめんちょっと強引だったね、帰りの方向どっち?」門に向かって歩きながら彼が聞く。

「あっちです。」私は左のほうを指さす。

「俺と同じだ。もう少し一緒に話せるね。」相変わらずにこにこと話す彼に小さく頷く。

「高三って言ってたよね。」

「あ、はい」

「じゃあさ、今度一緒に勉強しようよ。連絡先だけでも交換しない?」

「え、ええと…」男の人に、しかも今日が初対面の人にそう持ち掛けられて戸惑っていると、追い打ちをかけるように彼が口を開いて言う。

「下心とかなくてさ、ほんと勉強するだけ!だめかな?」そう押されてしまって気が弱い私は断れなくなり渋々了承した。安心したような顔をした目の前の男は「じゃあこれ」と言って、スマホを操作し、主に写真を投稿するSNSのアカウントが表示された画面をこちらに向けた。(行動が早いな…)そう思いながらも、私も自分のスマホを取り出しアプリを開く。彼のアカウントをフォローして「できましたよ」というと彼は「きたきた、ありがとね。恵ちゃんっていうんだ?」と私のアカウント名を見たのであろう彼がそう言う。彼のアカウント名は「将」だったのできっと彼の名前は将というのだろう。その言葉に私が頷くと満足そうな顔をしながら再びスマホを上着のポケットにしまう。

初対面の人に連絡先など聞かれたことがなかった私はまだ少しドキドキしている。対して将は慣れているのか平気そうだ。

門を出て左方向に話しながら歩く。私は緊張していてほとんど彼からの質問に答えるだけだった。そうしながら五分ほど歩いていると右側に信号が見えた。

「あ、俺ここ渡るけど恵ちゃんは?」

「私はこのまま真っ直ぐなのでここでさよならですね。」

「わかった。また連絡するからちゃんとDM確認してね。」そう言ってニヤッと笑うと「じゃあね」と信号を渡っていった。意外とあっけなく彼と別れた私は緊張が解けて息をついた。

そのあとは迎えに来てくれている母の車までいつもより早歩きで進んだ。

これが才谷将(さいたにしょう)、この男の子との出会いだった。

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あなたの世界で #1 楢つばめ @tubamenara

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