第3話 箱入りご令嬢の決断

 ミッシェルの「逃げる」という言葉を二人で逃げようと言っているのだと、わたしは解釈した。

「少し待ってください」

 家を出るなら、いろいろと用意しなければならないものがある。

 去年の夏に避暑で別荘へ出かけたときに持っていた大きな旅行カバンを引っ張り出す。

「ちょっと、なにしてるの?」

 ミッシェルが驚いたように聞いてくる。

「なにって。出かけるのでしたら、持っていかないといけないものがあるので準備をしているのです」

 わたしはクローゼットを開け、お気に入りの服を何着か取り出してはカバンに詰め込んだ。

「はあー。なんであんたが準備をしてるの?」

「家を出ると言われましたから」

「なにを言っているの。家出するのはあたし。あんたは関係ない」

「じゃあ、わたくしはどうすればいいのですか?」

 わたしは手を止めた。

「知らないわよ。修道院へでも行けばいいんじゃないの」

 頭の中は真っ白になる。

 知らない?

 知らないってどういうことだろう。

「これからも守ってくれるってわたくしに言いましたよね」

「そんなことを言った?」

 ミッシェルがプイと横を向いた。

「言いました。ずっと守ってくれるって」

「さあ、覚えていない」

「ひどい」

 目から涙がこぼれ落ちてくる。

 ミッシェルの言葉を信じていたのに

 ずっとそばにいてくれて、一生守ってくれると思っていた。

 それなのに忘れたなんて。あんなに固く約束したのに。

 信じていたのはわたしだけということなのだろうか。

 自分を置いて一人でどこかへ行くなんて絶対に許さない。

 悲しみとも怒りとも分からないものがフツフツとフランソワの中から湧き出してくる。

「分かりました。家の者を呼びます」

 覚悟を決めて息を吸い込んだ。

「ちょっと待ってよ」

 ミッシェルの顔が焦ったようになった。

「なんですか」

「あたしの話を聞いていなかったの。捕まったら、火炙りになるのよ。あたしが死んでもあんた平気なの」

「平気ではありません。でも、わたくしを見捨てて一人で逃げるというのなら、仕方ありません。あなたが火刑になったら、迷わずに魂が神のもとへ行けるように一生修道院で祈りを捧げます」

 冷ややかな目をミッシェルに向けて言い放った。

 わたしを捨てて出ていこうとしているミッシェルのことなんて知らない。

 火刑でもなんでもなればいい。

「冗談でしょ」

 ミッシェルが不安そうに言う。

「本気です」

 たとえ、ミッシェルが逃げのびられたとしても、修道院に入れらたらもう一生会えない。

 それならば、ミッシェルが生きていようと死んでいようと関係ない。

 ミッシェルが処刑されたら、一緒に過ごした日々を思い出しながら、魂が救われるように修道院で生涯をかけて祈り続よう。

 そうすれば、ミッシェルの肉体はなくとも魂だけはいつも身近に感じることができるかもしれない。

「仕方ない。一緒にくる?」

 わたしが本気であることがわかったのだろうか。

 ミッシェルがため息をついた。

「はい」

 気に入りのドレスをカバンの中に次々と入れていく。

 今は夏だが、きっと冬物も入れておいたほうがいいだろう。

 化粧品も入れなくては。カバンはみるみるうちに膨らんでいく。

「ちょっと、そんなにたくさん持っていけないわよ。旅行に行くんじゃないんだから」

 ミッシェルが呆れたように言う。

「でも、いつ帰って来られるか分からないのですから」

「帰ってくる? 一生帰ってなんか来られないわよ」

「えっ」

 わたしはびっくりしてミッシェルの顔を見た。

「当たり前でしょ。あたしたちがいなくなれば、大騒ぎよ。やっぱり、娘は魔女だったんだとパパやあんたのパパは思うでしょうね。使用人たちは教会に告発するに決まっている。そうなったら、どうなると思う?」

「捕まってしまう」

 家族でないものが、魔女を教会に告発すれば報奨金をもらえる。それもかなりの額を。

 だから、魔女と疑われたものは必ず誰かに密告される。

 密告された者は教会に捕まり、審問官による厳しい取り調べを受ける。

 今まで告発されて無罪になった者は誰もいない。

 全員が火炙りになっている。

 そんなことは誰でも知っている。

「告発されたら、あたしたちだけじゃない。お父さんや家族たちにも責任が及ぶ。あたしのところの商売は成り立たなくなるし、あんたのところも無事ではすまない」

「……」

 大陸のほとんどの人が信仰している教会の力は絶大。

 一国の王といえども教会の意向に逆らうことはできない。

 そんな強大な力を持つ教会の前では、貴族といえどもローラン家など吹けば飛ぶような存在。

 国王は教会ににらまれたくないから、わたしやミッシェル個人だけでなく、魔女を出したということで両方の家にもなんらかの処分をするだろう。

「心の弱さにつけ込まれて悪魔に体を乗っ取られ、娘は魔女になってしまった。もうあれは自分の娘ではない。勘当するってパパたちは教会に対して必ず言う」

「わたくしのお父様はそんなこと言いませんわ」

 あの優しく自分のことを大切に思っているお父様がそんなことをするなんて信じられないし、信じたくもなかった。

「お嬢さま育ちはこれだから困るのよね。よく考えなさいよ。あたしたちを切り捨てたら、ダメージは受けるかもしれないけれど、少なくとも家は守れる。うちは商売を続けられるし、あんたの家は貴族のままでいられる。パパたちがどうするかは明白でしょう」

 心は打ち砕かれた。

 ミッシェルの言うことは正しいだろう。

 ローラン家は下級とはいえ貴族。

 何よりも家の存続を一番に考える。

 魔女の疑いを一度かけかけられたものは絶対に逃れられない。

 それならば、どんなに可愛い娘でも家を守るためにお父様は見捨てるだろう、

 それが貴族の家に生まれたものの宿命。

「逃げましょう」

「逃げられるかどうか分からないよ」

「分かっています」

 一人残ったとしても修道院に入れられたら、二度と出られないし、教会関係者以外と会うことはできない。

 お父様たちと一生会えなくなるのは同じこと。

 それならば、大好きなミッシェルと逃げるほうがいい。

 たとえ、捕まって火炙りになるにしてもミッシェルと一緒なら地獄に堕ちても怖くない。

「そう。だったら、そのバッグの半分の荷物にして」

 ミッシェルは諦めたように言った。

 大きなカバンはあきらめて、クローゼットの一番奥に押し込んであった小さなバックに詰めれるだけのものをつめた。

「用意できましたわ」

 わたしはバッグを持って窓ぎわに立つ。

「じゃあ、降りるわよ」

 ミッシェルが後ろ向きにさがりながら、幹の方へと器用に動いていった。

「わたくしは玄関から出ます」

 わたしが扉のほうへ歩こうとした。

「馬鹿ね。玄関から出ようとしたら見つかるに決まっているでしょ」

 ミッシェルが呆れたように言う。

「じゃあどうすれば」

「わたしのようにして木から降りるのよ」

「そんなの無理です」

 ミッシェルのように木を登ったり降りたりする事などできない。

「そうよね」

 ミッシェルがなにか考えているような顔をする。

「服はまだある?」

「ありますわ」

「じゃあ、先に降りているから、あたしに向かってあるだけの服を全部落として。服がなくなったら、ベッドの布団とマットレスも。分かった?」

「はい」

 ミッシェルがなにをしたいのか分からなかったが、言われたとおりにする。

 服は軽かったが、フワフワの布団はかさばって持ちにくかったが、なんとか窓から落とすことができた。

 だが、マットレスには苦戦する。

 長くて重い。

 とても一人で持ち上げることは無理。

 だが、頼れる者はいない。

 自分でやるしかないかった。

 悪戦苦闘してなんとか窓ぎわまで引きずって持っていくと、窓から滑らすようにして落とした。

 ついでにカバンも投げ落とす。

 ミッシェルの影がしばらく下でゴソゴソ動き回っていたが、また木に登ってくる。

「その窓から下に飛び降りて」

「えっ。下に?」

「そうよ」

 わたしは窓から下を見た。

 かなり高い。

 死にはしないだろうが、ケガはするだろう。骨が折れるかもしれない。

「そんなこと無理です」

 首を激しく振って拒否した。

「大丈夫。あたしが下で受け止めてあげる。たとえ、失敗してもクッションを敷いてあるから死にはしないよ。ちょっとケガをするかもしれないけど」

 ミッシェルはなんでもないように言う。

 しかし、ミッシェルはかなり小柄。受け止められるかどうか心もとない。

「やっぱり怖いです」

「下で待っているから。でも、ちょっと待って飛び降りてこなかったら一人で逃げるから」

 そう言うと、ミッシェルはサッサと下りていく。

 ミッシェルの性格をよく知っている。グズグズしていたら、本当に見捨てて行ってしまうだろう。

 怖いが、ミッシェルと会えなくなるなんて絶対にイヤ。

 わたしは固く目をつぶると、窓から落ちた。

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