第2話 商家のお嬢さまの受難

 パパは温和で怒ることが滅多にない。

 唯一の例外が家族がダラダラしているとき。

 商売では、のんびりしているとほかの商人に出し抜かれでしまう。

 だから、たとえ家族の普段の動きであっても緩慢なのはパパには耐えられないらしい。

 でも、それ以外では家族を怒ったことは一度もない。

 そんなパパが怒るどころかあたしに手を上げるというのはよっぽどのことだ。

 部屋にいたあたしは男爵の話を聞いていない。

 何がなんだか分からず、「魔女」と罵られ、倉庫に閉じ込められた。

 翌朝には、教会へ連れて行くと言っていた。

 パパに倉庫に閉じ込められたのを弟のジュールがカギを持ってきてくれたから助かったが。

 絶対にこの箱入りお嬢様が何か言ったに決まっている。

 だが、いつまで待ってもフランソワは口を開かない。

 まるで夢を見ているような目をして、ときどき顔をしかめたり真っ赤になったりと忙しい。

 いったい何を考えているのだろう。

 フランソワはすべてがゆっくりとしている。

 よく言えばおっとりしている、悪く言えばのろい。

 ミッシェルが知っているほかの貴族の息女もだいたいみんなこんな感じ。

 どこか浮世離れしている。

 親友ではあるが、フランソワのこの性格だけには、なかなかれることができない。

 だんだん焦れてきた。

「ねえ、言ったの? どうなの」

 フランソワの目がようやくあたしを見た。

「言いましたわ」

「どう言ったの」

「エドワード伯爵のご子息と結婚しろみたいなことをお父さまがおしゃって……」

 フランソワが言葉を切った。

「うん」

 フランソワは美人。

 鼻筋がとおっており、切れ長の澄んだ目。色は綺麗なブルー。

 輝くような金髪が腰まである。

 子どものころはあたしと同じ背丈だったのに、今は頭ひとつ以上大きい。

 胸は大きく膨らみ、お尻はぷりっと上がった安産型。

 腰もしっかりと括れている。

 背が低く、ぺったんこの胸、お尻も小さい子ども体型のあたしとは大違い。

 所作は貴族の息女らしく優雅で、性格も控えめでおとなしい。

 同じ女なのに、こうも違うものかとため息が出そうになる。

 そんなフランソワを男たちが放っておくわけがない。

 数人の貴族の子息から結婚を申し込まれたと聞いている。

 うらやましい。

 同じ歳なのに、あたしなんか話すらない。

 お姉ちゃん二人はもう結婚してるし、妹のクリスチーヌまで結婚したというのに。

 それなのに、フランソワはなぜか全部断っているらしい。

 もったいない。

「それで、まだ結婚したくないとお父さまに言ったの」

「断ったの?」

 フランソワは理想が高いからなかなか結婚しないのだと、ずっと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 今、飛ぶ鳥も落とす勢いと言われているエドワード伯爵の子息。

 家柄は申し分なく、あたしは見たことはないが、本人も大変なハンサムという噂。

 これほどの良縁はそうない。

 なにが不満なんだろう。

「わたくしには知らない殿方と一緒に暮らすなんて無理です」

 フランソワはすごい人見知り。

 男爵や周りの人間はそのことに気づいていないだろうか。

 あたしとすぐに仲良くなったとフランソワの中では思い込んでいるようだが、実際は違う。


 取引をしようと思っている貴族の館に同じ歳ぐらいの息女がいるとパパは必ずあたしを連れて行った。

 どんなに偉い貴族でも娘はかわいい。

 その娘と仲のいい子の父親を拒絶することはないということをパパはよく知っている。

 だから、あたしを連れて行くのは商売のため。娘を使ってうまく商売につなげようという姑息な考え。

 でも、そのときのお嬢さまがたの反応はさまざま。

 ツンとすましてあたしをまったく相手にしないか、表面上だけは愛想はいいが内心は商人の娘を馬鹿にしているか、喜んで一緒に遊ぶかである。

 しかし、フランソワはそのどれでもなかった。

 少し離れてチラチラとあたしの様子を見ている。

 目が合うと恥ずかしそうに俯く。

 きっと、一緒に遊びたいんだろうなと思って、近づいたら離れていく。

 こんな子は初めてだったので、どうすればいいのか分からなかった。

 6回目ぐらいに会ったとき、「こんにちは。フランソワよ」と初めて喋ってきた。

 それも人形が人形に向かって言うようなかたちで。

 それから、お互いの人形を使って会話をした。

 フランソワとやっと話せたのが嬉しかったのに、とつぜん歳上に見える男の子がフランソワの人形を取り上げた。

 フランソワがしくしくと泣き出す。

 こんな横暴はいくら年上でもあたしは絶対に許せない。

 人形を持っている男の子の手を叩いて、はたき落としてやった。

「わあー」

 男の子が泣き出すと、メイドが飛んで来て、男爵やパパもやって来た。

 パパには、こっぴどく怒られた。

 あとで聞くと、男の子はフランソワの兄ピエール。

 妹が自分以外の子と遊んでいるのに嫉妬して意地悪をしたらしい。

 フランソワから事情を聞いたピエールも男爵に怒られていた。

 いい気味だ。

 怪我の功名というか、そのことがきっかけでフランソワとは仲良くなれた。

 あたしが館に行くと、フランソワはまるで仔猫のようにくっついて離れない。

 同性だが、これだけ懐かれると悪い気はしなかった。

 それからか親友になった。

 ピエールとは今では喧嘩友だち。


 フランソワはそれだけの人見知り。

 だから、結婚して知らない人と一緒に生活するのが嫌というのは理解はできる。

 でも、そのこととあたしが殴られたこととどう関係しているのか分からない。

「それとあたしとどういう関係があるの?」

「お父さまが好きな人がいるのかってお聞きになるから、『ミッシェルが好き。ミッシェルとなら一緒に暮らしたい』って言ったの。そうしたら、お父さまが怒り出して、わたくしを修道院に入れるって。どうしてかしら」

 フランソワは透き通るような白く細長い首を優雅に横へ傾げる。

 貴族にかぎらず結婚をしない、あるいはできない娘はだいたい修道院に入れられる。

 そういう娘がいると、よからぬ噂をいろいろたてられてしまう。

 だから、体裁を整えるために、その娘を修道女にして神の花嫁になったという体裁を取る。

 もちろん大半の修道女は信仰心から神に司えることを選んだ人ではあるが。

 だが、話しの流れからいって、フランソワの場合はそういう意味合いではない。

「あんた、自分がなにを言ったのか分かっているの?」

 あたしは大きなため息をついた。

「変なことを言ました?」

「あたしと結婚したいって言ったことになるのよ」

 頭が痛くなる。

 縁談の話をしているときに『好き』だと言えば、男女の恋愛と同じような感情だと誤解されるに決まっている。

 このお嬢さまはそんなことも分からないのかと舌打ちしたくなってしまう。

「そう」

 フランソワは別に驚いたり困ったりしている様子がない。

「男爵は誤解しているのよ。どうしてそんな平然としていられるの。早く誤解を解いて来て」

「どうしてですの」

 フランソワが不思議そうな顔をする。

「どうしてって。あんたの好きっていうのは友だちとしてでしょ。別にあたしと結婚したいとかそういうことじゃないでしょう」

「したいです」

「したい?」

 フランソワのことは好きだが、あくまでも友だちとしてだ。結婚したいとかそういう気持ちになったことはない。

 当然、フランソワも同じように思っていると、思っていた。

 それに女同士で結婚はできない。

 国教であるアッレシアス教の教義に反する。

 そもそも女と結婚するつもりはないけど。

「結婚は一緒に生活することでしょう。わたくしが一緒に暮らせるのはミッシェルだけよ」

 フランソワが真顔で言う。

「結婚ってそれだけじゃあないでしょう」

「ほかに何があるの?」

「子どもを作るためでしょ。女同士では子どもはできないわよ。それぐらい知っているわよね」

 アッレシアス教の教義では、結婚とは家を存続するための子どもをもうける儀式。

 できれば家を継げる男の子を。

 当り前のことだが、同性では子どもを作ることはできない。

 だから、同性婚をアッレシアス教では禁じている。

「女同士では子どもができないんですの?」

 フランソワの脳天気な言葉に、あたしはは枝から落ちそうになった。

「あんた馬鹿? どうやって子どもができるのか知らないの?」

「男性と女性が二人で一緒にベッドへ入って手を繋いで寝たら、できるのではないのですか?」

「はあー? なにを言っているの」

 あまりにも常識ハズレのことを言うフランソワにびっくりした。


 生理が初まると、子どもはどうやってできるのかを家庭教師が教えてくれた。

 さらに、店の荷物を運搬する人足には荒くれ者が多い。たとえ、店主のお嬢様が近くにいても下劣な話を平気でする。

 当然、フランソワもそれぐらいは知っていると思っていた。

「違いますの?」

 いつものおっとりした調子でフランソワが聞いてくる。

「違うわよ」

「じゃあ、子どもはどうしたらできるのですか」

「それはセッ……」

 その先を続けることができない。

 世間では跳ねっ返りと言われているあたしだが、まだ乙女。

 男女の営みを表わす言葉を人前で言うのは、いくら親友に対してでも恥ずかしい。

「セッなんですの?」

 フランソワが聞き返してくる。

「なんでもないわよ。とにかく、あんたがそんなこと本気で考ええているなら逃げないと」

「どうして逃げないといけないのですの?」

「火炙りになるからよ」

 同性愛はアッレシアス教では異端。

 異端者は男であれ女であれ悪魔と取引をした魔女とみなされる。

 なぜか、男でも魔女という。魔男ではないかと思うのだが。

 魔女の疑いをかけられたら者は教会で取り調べを受け、異端裁判にかけられ火刑に処せられる。

 取り調べでは、どんな言い訳をしても無駄。

 弱点を知り尽くした同性の魔女審問官により自分は魔女だと自白するまで恐ろしい拷問にかけられる。

 群衆の前に全裸で晒され火刑に処せられるときには、身も心もボロボロになっている。

 そんな異端者の姿を数えきれないぐらい見てきた。

 逃げるしかない。

「火刑」

 その言葉にフランソワは驚いている。

「そうよ。あんたは男爵の力で修道院行きぐらいで許されるかもしれないけど、あたしはそうはいかないわ」

 フランソワを助けるために「娘は魔女のミッシェルに誑かされただけで、本人はまだ魔女にはなっていない」と男爵は教会に告発するだろう。

 魔女から守るためにと言って、フランソワを修道院に入れ、すべてをあたしのせいにしようとしている。

 無実の罪を着せられたあたしは教会に捕らえられて火炙り。

 パパはあたしを助けようとはしないだろう。

 下手なことをして、家全体に再起不可能な損害を被らせるより、あたしを見捨てて被害を最小限にとどめた方がいいと考えるはずだ。

 魔女となったとして、あたしをサッサッと勘当して、自分の家とはもう何も関係ない女と言い張るに違いない。

 どうせ人間はいつか死ぬといっても焼き殺されるのはいやだ。

 あたしのことを誰も知らない遠くへ。

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