親友(♀)に恋する男爵令嬢とノンケの商家のお嬢さま
青山 忠義
第1話 幼馴染はおかんむり⁉︎
カツーン。カツーン。
何か固いものが窓に当っているような音がする。
(何かしら?)
わたしはベッドからゆっくり起き上がって、窓から下を見た。
フード付きの黒いコートを着た小柄な人影が今にも石を投げようとしている。
「どうしてそんなことをするんですの。窓が割れてしまいますわ」
窓を開けて、家族が起き出さないように小声でその人物に向かって言った。
「あんた、なにを言ったの」
人影が見上げるように頭を動かす。
フードが脱げブルーネットの長い髪が月明かりに照らし出された。
「なんのことですの? ミッシェル」
ミッシェル・マラーとは幼なじみ。
ミッシェルの父親は貿易商を手広くしていて、外国の珍しい品物などをわたしの父ジョルジュ・ローラン男爵によく売り込みにくる。
初めて館に来たときに、わたしと同じ歳のミッシェルを一緒に連れてきていた。
貴族の娘であるわたしは外に出るということがめったにない。
遊び相手といえば、3歳上の兄ピエールか家庭教師の中年女性ぐらいしかいなかった。
同じ歳で同性のミッシェルと話しているうちにすぐに仲良くなり、友だちになった。
それからは、父親が館に来るときはいつもミッシェルはついてくるようになった。
初めて会ってから10年以上経つ。
最近では、ミッシェルは一人でも館に遊びに来る。
でも、夜中に来ることは一度もなかった。
何か起きたのだろうか?
「なにが『なんのことですの』よ。男爵がとつぜんやって来て、ものすごい勢いで両親を怒鳴りつけたのよ」
ミッシェルの声には怒りがこもっている。
「まあー、お父さまがそんなことを」
朝食のあと、お父さまがお供の者も連れずに、すごい勢いで馬を走らせていくのが2階の部屋から見えた。
どこにいくのだろうと思っていたが、まさかミッシェルの家に行っているとは夢にも思っていなかった。
「男爵が帰ったあと、部屋にいたあたしを『この魔女め。いつの間に娘の体を乗っ取った。叩き出してやる』と言って、パパに死ぬほど棍棒で殴られたわ」
「まさか」
ミッシェルの父親は、いつもニコニコしていて愛想がよく怒った顔など一度も見たことがない。
そんな人がミッシェルにそんなひどいことをするとはとても信じられなかった。
「あたしが嘘をついているとでも言いたいの?」
ミッシェルの声がだんだん大きくなってくる。
「そんな大きな声を出さないで。誰かが起きてきたらどうするの?」
ミッシェルが近くにある大木にスルスルと登ってくる。
まだほんの子どものころから、ミッシェルはお転婆でピエールと木登りや取っ組み合いをしてはアンリおじさまに叱られていた。
小柄で見かけは14、5歳にしか見えないが、もう18歳。
木登りをするなど普通は考えられない歳だが、子どものころと性格は少しも変わっていない。
「これを見てよ」
ミッシェルが窓のすぐそばまで伸びている大きな枝に跨ると、袖を捲り上げた。
腕には、無数の青あざがついている。
「まあ、ひどい。どうしてこんなことを」
「それはこっちが聞きたいわよ。お父さんにあたしのことをなんか言ったでしょ?」
「あなたのお父さまに? なにも言っていないわ」
今日はミッシェルの父親には一度も会っていない。
「違うわよ。パパじゃない。男爵によ」
「お父さまに? ミッシェルのことを? なにも言ってないと思うけど」
わたしは首を捻った。
ミッシェルが殴られるようなことを言った記憶はない。
「じゃあ、どうしてあんたのお父さんが帰ったあとにパパがあたしを殴るの?」
それはそうだ。
なんの理由もないのに自分の娘を殴る父親などいないだろう。
わたしは朝からのことを思い出そうとした。
今日は朝起きてから顔を洗い、着替えをしてから食堂に行った。
お父さまやお母さま、お兄さまはもう食卓についていた。
いつものように女神さまへの感謝の祈りをして食事をする。
そのとき、お父さまに「来月、王宮で舞踏会があることは知っているな」と、言われた。
わたしたちが住むトゥール王国では、若い貴族たちの交流の場として定期的に舞踏会が開かれている。
互いの親交を深めたり、情報交換をするという面もあるが、男女にとっての出会いの場という意味合いもあった。
知らない人の多いところへ行くのはあまり好きではない。
だが、お父さまに強く言われて、毎回ではないが行ってはいる。
「エドワード伯爵のご子息がおまえと踊りたいそうだ」
「わたくしと?」
「そうだ」
「それはつまり……」
踊りたいということはわたくしに興味があるということだ。
「エドワード伯爵はおまえとご子息の結婚を望んでおられるようだ」
お父さまの顔にうれしそうな笑みが浮かんだ。
エドワード伯爵の祖先を辿れば国王と同じ一族に繋がると言われている名門貴族。
国王の信任も厚く、今は財務大臣をしているが、ゆくゆくは宰相になるのではないかという噂のある人物。
その子息とわたしが結婚するということは有力者と縁を持つことになり、下級貴族であるローラン家にとっては大変な利益に繋がる。
「でも、わたしは……」
「なんだ」
お父さまの声が不機嫌なものに変わった。
「結婚などまだ考えられません」
「なにを言う。おまえはもう18だ。結婚してもおかしくはない歳だ。いや、むしろ遅いぐらいだ」
お父さまが焦る気持ちも分からないではない。
トゥール王国の法律では男も女も16歳になると結婚できる。
大抵の貴族の息女は18歳までには結婚している。
もちろん、それよりも遅い人もいるし、結婚しない人もいる。
だが、そういう人たちは何か問題があるのではないかという目で見られてしまう。
そういう噂が立ってしまうと、その息女だけでなく家全体が上流階級から相手にされなくなる。
同じ歳のカミュー伯爵やラスコー子爵のお嬢さま方はすでに結婚している。
「それは分かっていますが……」
「いい加減にしなさい。何度も何度も断って済むと思うのか」
今までにも舞踏会の後に結婚を申し込まれたことが何度かあるが、そのたびに断っていた。
「でも、わたくしはよく知らない人と一緒に暮らすことなんてできません」
結婚とは、一緒に生活することを意味する。
一度や二度、舞踏会で会って踊ったぐらいでその人のことを好きかどうかわからない。
好きでもない人と一緒に生活をするなんて、苦痛としか思えない。
いくらローラン家のためになると言われても気の進まない結婚をしたくはなかった。
「気になる人でもいるのか」
お父さまがため息をついて言った。
「えっ、気になる人?」
「そうだ。誰か気になる人がいるから結婚に消極的なのだろう。誰だ」
こんなわたしでも一緒に暮らせる人がいる。
それはミッシェル。
わたしがずっと一緒に暮らしたいのはミッシェルだけだ。
数年前、親に内緒でミッシェルと二人だけで屋敷の近くにある市に出かけたことがある。
そのとき、数人のならず者に絡まれた。
二人の格好がいかにもお金持ちのお嬢様に見えたのだろう。誘拐して身代金でも取ろうとしていたに違いない。
震えているだけのわたくしを尻目にミッシェルは一人で戦った。
ならず者の股間を蹴り上げたり、大男を投げ飛ばしたり、振り回してくる相手のナイフを取り上げて逆に腕を切りつけたりする。
あとで知ったのだが、ミッシェルは店の隊商を護衛する女用心棒に体術やタガーの使い方を学んでいたらしい。
小柄なミッシェルが自分よりもはるかに体格のいい男たちを相手に恐れもせずに戦っている姿は頼もしく見えた。
体だけが大きくナヨナヨした貴族の子息たちなんかよりもずっとかっこいい。
ならず者たちは、ミッシェルにさんざんやられて逃げていった。
肩ぐらいまでしかない背丈のミッシェルは怖くて泣いて震えるわたくしをまるで男のように優しく抱きしめてくれた。
「もう大丈夫だよ。もう泣きやんで」
「怖かった。もう、いや。二度と外に出ない」
「そんなこと言っちゃあだめ。怖いこともあるけど楽しいこともあるのよ」
怯えるわたくしの背中を優しく撫でてくれる。
「でも、また襲われたら」
背中に回っているミッシェルの腕に力が入り、ギュッと強く抱きしめられた。
「大丈夫。そのときは、あたしがフランソワをまた守ってあげる」
ミッシェルからいい匂いがしてくる。
体が熱くなり、心臓がドキドキとものすごい音がしていた。
ミッシェルと二人ならどこへでも行ける。
「うん」
その後も二人で市を見て回った。
りんごを買って食べながら歩いたり、お揃いのアクセサリーを買ったりしてすごく楽しい。
また二人で来たいと思った。
お父さまやお母さまは許してくれないだろうが、ミッシェルが一緒なら叱られてもいい。
その夜、ミッシェルは家に泊まり、同じベッドで寝た。
ミッシェルは昼間の大暴れが嘘みたいに、可愛い顔をしてすやすやと寝ていた。
その姿がすごく愛しく、気づいたら頬にそっとキスをしてしまった。
ミッシェルはぐっすり寝ていたのでおそらく知らないだろう。
それでもいい。
ミッシェルのことが大好き。
一緒に生活できるとしたら、ミッシェルだけ。
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