第4話 頼みの綱は強欲師匠⁉︎

 フランソワがまさか足から落ちてくるとは、夢にも思っていなかった。

 どうやって受け止めたらいいのか分からない。

 でも、悩んでいるひまはない。

 なんとかして、落下の衝撃だけでも弱めなくては。

 決死の覚悟でフランソワの背中を抱き止めた。

 だが、落ちてくる勢いに負けて仰向けにひっくり返ってしまう。

「うーっ。重い」

 あたしより一回り以上大きい体に乗られて呻いた。

「あら、ごめんなさい」

 すぐ目の前にフランソワの顔がある。

 今にも唇と唇がくっつきそうな距離。

 細い腕が首に巻き付いてきて、顔が迫ってくる。

「ちょっと早くのいて」

 あたしはフランソワの顔を強引におしのけた。

「もう少しだったのに」

 フランソワが残念そうな声を出して体の上からおりていく。

 ファーストキスを奪われてたまるか。

 初めてはイケメンがいい。

 眠っていたときにキスをしたとかいうようなことをフランソワが言っていたようだが、意識のない間にされたことはノーカウント。

 あたしはゆっくりと立ち上がった。

 痛いところはとくにない。

 クッションの上にさらに衣服を敷いたのが功を奏したようだ。

「大丈夫? 痛いところない?」

 まだ不満そうな顔をしているフランソワに聞いた。

「ええ。大丈夫そうです」

 どこか破れたのだろうか。

 フランソワはスカートのすそを気にしている。

「おい。何か物音がしなかったか」

 家の中から声が聞こえてくる。

 そんなに大きな音はしなかったと思うが、耳ざとい従僕が起きてしまったらしい。

 このままでは見つかってしまう。

「行こう」

 あたしはまだスカートのすそを気にしているフランソワの手を引っ張った。

「破れている」

「えっ」

「ほら、ここ。破れているでしょう」

 フランソワがスカートの裏を見せた。

「そんなことどうでもいい。早く逃げないと」

 これだから貴族のお嬢さまは困る。

 今がどういう状況かまったく分かっていない。


「お嬢さまがいない」

「これはなんだ」

 男女の入り混じった声が聞こえ、複数の足音が聞こえてくる。

 まずい。

 ここで捕まったら元も子もない。

 フランソワの手を引っ張て駆け出す。

 運動が得意なあたしは塀をよじ登って中に入ってきたが、運動の苦手なフランソワではそれは無理だろう。

 門に向かうことにする。

 道は門まで一直線。左右には手入れのいきとどいた背の高い木が並び林のようになっている。

 貴族の庭は馬鹿みたいに広い。走っても走ってもなかなか門に着かない。

 後ろから足音が近づいてきているような気がする。

 もっとスピードを上げたいが、足が遅いうえに中身がいっぱい詰まった鞄を持っているフランソワの手を引っ張っていては、なかなか思うようにはいかない。

「おーい。こっちだ。誰かいるぞ」

「門だ。門に行け」

 声が間違いなく近くなってくる。

 後ろを見ると、ランタンの光が見えた。

 ダメだ。追いつかれる。

「こっち」

 とつぜんフランソワに手を引っ張っぱられ、左の林の中に飛び込んだ。

 木々の間に人一人がやっと通れるぐらいのすき間があった。

 それが道のようになっている。

 木を手入れするために作られたものだろうか。

 何度も来ていたが、林の中に入ったのは初めて。

 前を歩くフランソワは慣れているのか木をうまく避けながら、器用に進んでいく。

「どこへ行くの?」

 あたしはときどき木にぶつかりながら、どこへ向かっているのか不安になってくる。

「秘密の門です」

「そんなものがあるの?」

「子どものころ、お兄さまとお庭でよくかくれんぼをしていたんです。隠れるところを探し回っていたときに見つけました」

 木の間からわずかに漏れる月明かりの中をフランソワは迷いはなく歩いていく。

 どこをどう歩いたのか分からないが、いつの間にか林を抜けていた。目の前にツタに覆われた塀があった。

「ここです」

 フランソワが生い茂ったツタを払いのけると、木でできた小さな扉のようなものが出てくる。

 ツタの生え具合からみて長い間、使われていないみたいだ。

 たぶんこれは抜け道に通じるものだろう。

 昔は、よく隣国と戦争があった。

 貴族の館が敵の標的になることもあったようだ。

 窮地に陥ったときの緊急脱出用に作られたものではないだろうか。

 100年以上前に大陸全土の大多数を信者にもち、暴力を固く禁じているアッレシア教の創始者が仲介をして隣国と不戦条約が結ばれている。

 それからは、戦争は一度も起こっていない。

 だから、この門のことはすっかり忘れ去られてしまっていたのだろう。

 フランソワが閂をはずして、門を開ける。

 あたしたちは手を繋いで門を出ていった。


「これからどこへ行くのですか」

 門から出ると、フランソワが聞いてきた。

「どうしようかな」

 国を出ていかなければいけないということは考えていたが、その方法をいまだに思いついていない。

 各国の国境には警備隊がおり、国を出ていくにも入るにも名前や目的を書いた許可書がいる。

 当然、あたしもフランソワも許可書を持っていない。

 許可書がなければ、警備隊に捕まり家に連絡されてしまう。

 家に連れ戻されたら、万事休すだ。

 いくら考えてもいい方法が浮かばない。

 フランソワに相談してもいい知恵が出てくるとは思えない。

 許可書を持たずに国を出る方法を誰かに相談するしかない。

 しかし、それは信頼できる人間に限られる。

「行きましょう」

 あたしが信頼できる人間は一人しかいない。

「どこへ?」

「いいからついてきて」

 あたしたちは中心街を目指した。

 中心街にある一軒の居酒屋の前に立つと、フランソワを建物の死角に連れて行った。

「ここで待ってて」

「どうしてですか。私も一緒に行きます」

 フランソワが不満そうに目を細める。

「いいから言うことを聞いて」

 酔っ払いの男たちが大勢いる居酒屋の中に肌が透けている薄いワンピースしか着ていない美人のフランソワを連れて行くわけにはいかない。

 獰猛な野獣の中にお姫様を放り込むようなものだ。

 フランソワに動かないように何度も言い聞かせてから、居酒屋に入っていった。

 周りをキョロキョロしながら、目当ての人物を探しまわる。

「誰を探している?」

 カウンターの一番奥に座っている黒いマントを羽織りつば広の中折れ帽子を目深にかぶった人から声がかかった。

「師匠」

 あたしは駆け寄った。

 パパの店の用心棒であり、あたしの護身術の師匠ダニエル・ジラール。

 剣術や体術は相当腕の立つ男でもかなわない。

 女だが、なぜかいつも男装をして男のような言葉を使う。

「どうやって逃げた」

「ジュールが鍵を開けてくれた」

「いい弟を持ったな」

 きょうだいの中で一番年下で唯一の男である10歳のジュールはあたし以外のきょうだいには、あまり相手にしてもらえない。

 きょうだいの中では、もっとも女らしくないあたしだけがいつも遊び相手をしていた。

 だから、ジュールはあたしのことが大好き。

 あたしがピンチと知り、ジュールは両親が寝るのを待って、ひそかに倉のカギを持ち出しあたしを逃がしてくれた。

「フランソワと一緒に国を出ようと思ってるの」

「そうか」

 師匠は興味なさに言った。

「手を貸して」

 頼れるのは師匠しか思いつかない。断られたら終わりだ。

「お断り。厄介ごとはごめんだ」

 師匠が迷惑そうに言う。

「お金なら払います」

 師匠はお金に弱い。

 パパの店の用心棒になったのも多額の報酬に惹かれたからだ。

 あたしに体術を教えることを嫌がっていたが、かなりのお金を払うということで教えてもらっている。

「へえー。あの状況でよく金なんか持ってこれたな」

「あたしじゃありません。フランソワが払います」

 フランソワがお金を持っているかどうかは知らない。

 だが、神経質すぎると思えるぐらい身なりに気を使っているフランソワのことだからアクセサリーぐらいは持って出ているはず。

 師匠に渡せば、それをすぐにお金に替えるだろう。

「男爵令嬢も一緒か。だったら、金20枚だな」

「20枚? いくらなんでもぼったくりじゃない?」

 金1枚あれば贅沢さえしなければ、大人一人が半年は食べていける。

 金貨を見ないで一生を終わるという人も少なくない。

 それを20枚なんて。

 師匠はどこまで強欲なんだと、あたしは思った。

「妥当だと思うがな。教会を敵に回すような仕事だ。もし引き受けたら、おまえのオヤジの店の用心棒を続けるわけにはいからな。イヤならべつにいい。ほかを当たれ」

 まるで犬でも追い払うかのように師匠が手を振る。

「わかった。ちょっと待ってて」

 あたしはフランソワのところに戻った。

「どうだった?」

 フランソワが不安そうな顔をする。

「あんた、なんかアクセサリー持ってきた?」

 単刀直入に言った。

 男爵は頭がきれる。

 あたしとフランソワが一緒に逃げたと考えるだろう。

 あたしの家にも当然知らせが行っているはずだ。

 きっと男爵の家やあたしの家は追手をだしているだろう。

 時間がない。

 フランソワに詳しい説明なんかしているヒマはない。

「持ってきたけど……」

「出して」

「いいけど、何するの?」

 フランソワが鞄から宝石箱を取り出した。

 それをひったくるようにして奪い取り中を見る。

 さすが毛並みのいいお嬢さまの宝石箱。

 様々な宝石のついた指輪やネックレスがぎっしりと入っている。

 あたしもいちおう商人の娘。

 貿易商だからいろいろな商品を取り扱っている。小さいころからパパについてそれらを見てきたので宝石の大体の価値は分かる。

 もっとも女であるあたしが商売に興味を持っていることについてパパは渋い顔をしていたが。

「これとこれちょうだい」

 値の張りそうな真珠のネックレスとルビーの指輪を選んだ。

「ミッシェル、それが欲しいの?」

「欲しい」

「じゃあ、あげる」

 フランソワが即座に返事した。

「ありがとう」

 やっぱり貴族さまは庶民と感覚が違う。

 あたしの家も庶民の中では裕福なほうだが、なんのためらいもなくこんな高価なものを『あげる』なんてとても言いえない。

 お菓子一つでも人にあげるのをためらうのに。

 あたしは宝石を持って居酒屋の中に再び入っていった。

「いいものだ」

 師匠は宝石を見ると、満足そうに頷いた。

「ついてこい」

 師匠が立ち上がり歩き出す。

 あたしは安堵した。

 しかし、一抹の不安もある。

 異端者を捕まえた者に対しては教会が多額の褒賞金を出す。

 師匠が褒賞金に目がくらみあたしたちを裏切らないだろうか。



















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