何故かたまに意地を張る

 生き延びるため、過酷な環境に適応し続けてきたためだろうか。

 ジルは成長速度が速い。

 よく幼い子供は、その学習速度をスポンジのようだと例えられるが、ジルにも似たようなところがある。

 物心ついた時から奴隷であり、一年前までは文字にすら触れることの無かったジルだが、二十五歳という子供に比べて脳が情報を受け入れにくい年齢であるはずの彼は、日々与えられた大量の知識をほとんど溢すことなく取り込み、自分のものとしている。

 そのため、今では難しい文字が並んだ長い書物を読み、小難しい用語の並んだ報告書を書くことができるまでに成長している。

 数字にも強いため、事務の中でもミラが不得意としていた金銭の管理や薬などの在庫の把握といった細かな計算が必要な仕事を手伝っている。

 また、一般的な教養が身についてきたジルは次のステップとして少しずつ医学を学んでいる。

 とはいえ、ジルの場合はツイのように医者になりたいわけではない。

 ジルはあくまでもタルトの補助役として診療所で働くつもりだ。

 だが、いかに医者ではないとはいえ、医療という非常にデリケートな現場で働くのだから最低限以上の知識は身に着けるべきだろう。

 元はツイから勉強を教わっていたジルだが、恋人になってからはタルトに手伝ってもらっている。

 普段はスケベでしょうも無い雰囲気のタルトだが、医療に対しては真剣に向き合っている。

 ジルもタルトの仕事に対する姿勢は理解しているし、診療所の仕事を手伝うことが単に彼女のお手伝いをすること以上の意味合いを持っていることも理解しているので、二人の勉強をする雰囲気は非常に真面目だ。

 過去にジルに勉強を教えて欲しいと頼まれていた時には、

『手取り足取り教える秘密のレッスン!? 後ろからギュッと抱き着いて、正解したらご褒美を、間違えたら罰を……ああ! どちらにしろ私にとってはご褒美です!!』

 などという邪な事を考えていたタルトだが、そんな姿は見る影も無い。

 まあ、勉強中は、という留保付きだが。

 タルトはジルが大好きなスケベなので、イチャつくのに使えるものは何でも使っていくスタイルだ。

 ともかく、タルトに勉強を教わるようになって久しいジルだが、本日は珍しくツイに勉強を見てもらっていた。

 ジルが小さくため息を吐く。

「どうしたんだい? ジル。やっぱりタルト先生から教えてもらいたいのかい?」

 指でペンを回すツイがクスクスと揶揄うように笑う。

 ジルは慌てて「そんなこと無いですよ」と首を振った。

「ただ、俺、あんまりタルトに頼りにされていないみたいだから、ふと寂しくなったんです。すみません。せっかく勉強を見てもらっていたのに他のことを考えてしまって」

 タルトは今、夏風邪をひいている。

 過去に風邪を引いた時は散々タルトに甘えたジルだ。

 そのお返しもあってジルは彼女を甲斐甲斐しく世話しようとしていた。

 そのためジルは診療所での仕事を休み、一日つきっきりで面倒を見ていたのだが、予想以上にタルトの要求は控えめだった。

 お粥を食べさせてくれと願うことも無ければ抱き着いてくることも無い。

 タルトのお願いは食事の用意と毛布の追加だけだ。

「そりゃあ、俺が甘え過ぎだったって言うのはあると思いますけど、でも、タルトの性格を考えれば凄く甘えてくるかなって思ったんですよね」

 人前であるにもかかわらず、平気でジルに授乳して欲しいなどと言ってしまうのがタルトだ。

 プライベートな時間では大体ジルに引っ付いているし、抱き着いて、嗅いで……まあ、スケベな事をしてばかりである。

 病気なのだから、癒すことに専念してイチャつきを休むのも当然だろうと言われれば、その通りなのだが、正直こじらせていない夏風邪などたいしたものではない。

 喉は痛いし鼻水も出る。

 頭もボーッとして妙に怠いので普段通りに振舞うことは難しいだろうが、だからと言って生活の全てを放棄するほどのものでもない。

 実際、ジルに、

「診療所の先生が人に風邪をうつしてどうするの。休まなきゃだめだよ!」

 と、叱られなければタルトは診療所で仕事をするつもりだったのだ。

 頬は赤く目も少し潤んではいたが、呂律の回るハッキリとした口調で会話をできたし、ジルが、

「寒いなら抱っこしてあげようか?」

 と問えば、

「要りません」

 とハッキリ断るほどだった。

 起き上がることもできたし、体も利いたので甘えようと思えばいくらでもジルに甘えられたのだ。

 そうだというのに、ジルを部屋から追い出し、冷たい雰囲気で遠ざけていたタルトの態度は、普段のイチャつくことしか考えていない彼女からはあまりにかけ離れ過ぎていた。

『なんか、少しだけ前のタルトに戻ったみたい。俺に風邪をうつさないようにって言うのは分かるけど、でも、俺は凄く丈夫だし、ああいう時くらい頼ってくれてもいいのになぁ』

 気が付けば二度目のため息を吐いていた。

「俺、たまにツイさんがちょっと羨ましい時があるんですよね。憧れるというか」

「そうなの? どうしてだい?」

「だって、ツイさんは頼りになる感じですし。それに、女性の扱いも上手そうというか、積極性があるというか……」

 言いながら、ジルはしょぼんと落ち込んでガックリと項垂れた。

 少し前まではジルがタルトに抱き着くことも多かったのだが、最近ではケダモノなタルトに迫られるばかりである。

 なんだか格好悪いなぁ、とジルは沈んでいた。

 確かに被食者なジルと比べればツイは明らかに捕食者であるし、恋人のミラを襲ってばかりだ。

 真っ赤なミラを骨抜きにして隣でニコリロ微笑んでいるツイは、随分と余裕そうに見えるのだろう。

 時折、知り合いの男性から女性の扱いやモテの秘訣なんかについて問われることがあった。

 確かにツイは気遣うことが上手であるし、細かい事にも目がいく。

 例えばミラが前髪を切ればすぐに気が付くし、彼女が好むアクセサリーを見つけるのも得意だ。

 だが、ツイが付き合ったのはミラが初めてであるから恋愛経験は浅い方であるし、彼女には散々、

「ツイは鈍いよ!」

 と叱られてきた。

 何回もミラを怒らせたし困らせたのだ。

 ツイからしてみれば、余裕で彼女をあしらい、上手く扱ったことなど一度も無い。

 女心を読むのが上手! だなんて言われても、少しもピンとこない。

 ただ、それでも女性の扱いが、引いてはミラの扱いが上手だというのならば、その要因に一つだけ心当たりがある。

 ツイはミラをよく見ているのだ。

 日常会話で彼女が溢した好みの造形や色、アクセサリーの種類なんかを無意識に脳の中でメモしてピンで留めている。

 体調や細かな感情、外見の変化などについても同様だ。

 好きでたまらないものを観察し、特徴を捉えようとする癖のあるツイは特に意識せずともミラを見ていた。

 だからこそ、ミラに嫌がられない範囲で押すということが可能だったのだろう。

 ミラは乙女チックであるから恋愛物語のような恋に憧れているし、サプライズプレゼントにも花束にも喜ぶ。

 実際、女性全般が好きそうなものを好むことが多い。

 だが、それでも「女性」のミラを見ることよりも彼女本人を見ることの方がずっと大切だ。

 本人を見て、態度や表情を確認しながらやり取りをしなければ、それっぽい態度で女性を落とすことはできても本命の好きな子は落とせない、というのがツイの持論だった。

 また、ミラとケンカをしながらも彼女の心を射止め続けられているのは、自分自身が彼女のことを真直ぐ見つめているからだと思っている。

 そのように話せば、ジルはフムフムと真剣に聞いていた。

 素直な姿を見て、ツイがクスクスと笑う。

「ジルは僕のアドバイスなんて聞かなくても平気だと思うけどね」

「そうですか?」

 首を傾げるジルは苦笑いを浮かべていて半信半疑だ。

 それに対して、ツイは悪戯っぽく口角を上げる。

 眼鏡の奥の薄茶色の瞳は柔らかく微笑んでいる。

「だって、ジルはタルト先生の趣味嗜好とか、不機嫌になるタイミングを知ってるだろう? それにね、タルト先生は分かりにくいことで有名なんだよ。長年一緒にいた僕たちだって分からないことばかりだ。今回の夏風邪だって、診療所で先生を叱るジルを見て、ようやく僕とミラは先生が体調不良だったんだって気が付いたんだ」

 怒りながら自宅へタルトを引っ張っていくジルを見て、ツイとミラは彼の洞察力に随分と感心したものだった。

 また、タルトは「かわいいもの」が好きである。

 ツイから見れば、タルトの好みにピッタリな「かわいい」を生み出し続けるジルの性質は才能である。

 それを伝えればジルは不可解そうに首を傾げてから、

「なんか、素直に頷きたくないです。格好良い方が良いんですが」

 と、嫌そうな表情を浮かべていたが。

「とにかく、ジルは大丈夫だよ。でも、そうだな、先生の家族としてアドバイスがあるとすれば、先生は自分が苦しい時、助けて欲しい時、甘えたい時ほど無茶しちゃうってことかな。多分、今回の先生は夏風邪だから、大した病気でもないのに甘えちゃ駄目だって思ってるんじゃないかな? 本当は凄くジルに甘えたいし、昨日面倒を見てもらったのも嬉しかったんじゃないかな。こういう時は押しに弱いと思うよ、先生は」

 ジルの押しにだけね、と付け加えてツイがパチリとウィンクをする。

 すると、急にジルが時計を見てモジモジとし始めた、

「あ、その……」

 言い難そうに口を開くと、ツイが、

「タルト先生の所に行きたいんでしょ。いいよ、行っておいで。混んでないからね。今日も僕とミラだけで回せるし」

 虚を突かれるジルに、

「昨日も休んだし、タルト先生の体調もだいぶ回復してるから休みたいって言えなかったんでしょ」

 と付け加えると、彼は増々目を丸くした。

「好きなものを観察して、得た結果から特徴を探すのが好きなんだ。タルト先生には、分析されるのはちょっと……って嫌がられちゃうんだけどね。タルト先生は僕の大切な親で、ジルは可愛い弟分だからさ。まあ、ジルに関しては分かりやすいって言うのもあるんだけれどね」

 あまり人には言っていない彼の特技だ。

 圧倒されるジルに無言の拍手を送られると、ツイはドヤッと胸を張った。


 さて、ツイの激励を受けてタルトを構い……もとい、看病に帰ったジルだが、簡単に甘やかされてはくれないタルトに頭を悩ませていた。

「ジル、私は平気ですからスプーンをよこしてください。フーフー入りませんよ。大人ですから」

 ベッドの上で正座をするタルトは、ツンとそっぽを向いて顔を背けている。

 ジルは気がついていないが、彼に本心を隠すタルトの癖が再発していたのだ。

 本当はジルに甘えたくて甘えたくて仕方がないが、プライドが故か、弱っているからこそ素直に甘えられなかった。

 自分ですら理解できぬ行動に彼女も脳内で葛藤し、

『なんで、あ~んしないんですか! あんなにジルが期待に満ちた目でこちらを見てくださっているのに! あ~んどころかちゅ~したいですし、お粥じゃなくて雄っぱいが欲しいって、何で言えないんですか! 私の愚か者!!』

 と、自分自身を責め立てている。

 まあ、後半は伝えなくてもいい要求だが、それにしても素直になれぬ自分にタルトは少し泣きそうだった。

『目が潤むのは風邪のせいです! 風邪をひくと、人間情緒が不安定になりますから。ああ! ジルに抱き着きクンカクンカして、ちゅっちゅすれば、こんなものすぐに治るというのに! もどかしい! あ、でも私、昨日はお風呂に入っていないから抱き着くことは無理なんでした。うう、お風呂にだって入れて欲しいのに、言えません! うぅぅ……』

 ところで、ジルに隠したつもりになっているタルトの百面相は壁に置かれた鏡越しにシッカリと写っていて、隠していたはずの感情ごと彼にばれてしまっていた。

 だが、ジルはタルトに、

「本当は甘えたいんでしょう?」

 なんて言葉はかけない。

 なんとなくの勘で、逆効果になることを知っていたからだ。

 代わりにタルトを上からギュッと抱きしめた。

「コ、コラ、ジル! 苦しいですよ。暑いです!」

 肩に回される腕を撫でまわし、背中をガッツリとジルに預けておいて、それは無いだろう。

 ジルは行動と言葉があべこべなタルトの姿に少し笑うと、汗で少しベタつくつむじにキスを落とした。

「ジル、私の髪、今日は汚いですよ」

「別に汚くないよ。良い匂いがする。ねえ、タルト、タルトがベッドに座ってるから、俺、つむじが見れちゃった。もう少しこのままが良いな」

 駄目? と首を傾げられれば、ジルの姿が愛らしすぎてタルトは首を横に振れない。

 脳内のタルトに関しては、高速でコクンコクンコクン!!! と頷き続け、

『ああー! 勿論です、ジル!! 汗で汚れた身体をジルにくっつけてしまっているのは気が引けますが、それでも、それよりも、何よりも、ジルが大事!! ああっ、堪りません! 本当はジルの雄っぱいに顔を埋めて下からモヒンモヒンしたいですよぉ! 顎にキスがしたいですよ! ジル!!』

 と、いつも通りの気色が悪くてスケベな絶叫を挙げている。

 肉体は動けないからだろうか。

 精神が激しく暴れて今にも飛び出しそうなほどになっており、代わりに表情へ滲んだ。

 タルトがニマニマとしながら震えているのが、密着している体と鏡によって分かる。

『もう一押しかな? それにしても、何か押すのって楽しいや。ツイさんがミラさんを揶揄うの、ちょっと分かるな』

 数日後、ジルに「待て」ブームがやって来て、散々お預けを食らわされることをタルトはまだ知らない。

 そして、我慢が効かなくなったタルトに散々な目に遭わされることを、ジルもまだ知らない。

 ともかく、タルトの態度に光を見たジルはもう一度キスをして、

「俺、前にタルトに甘やかしてもらったから、今日はできるだけタルトを甘やかしたいんだ。どうかな? おかゆを食べさせてあげたいんだけれど」

 と、お願いするように問いかければ、ブルブルと震えた彼女がとうとうそっぽを向き続けられなくなる。

 タルトは腕の中で勢いよく体勢を変えると、ギュッとジルに抱き着いた。

「勿論ですよ、ジル!! 意地を張ってごめんなさい。どういう訳なのか、風邪をひくと甘えられなくなってしまって。本当は昨日から甘やかしてほしかったですし、お粥は食べさせて欲しかったですし、授乳されたかったですし、腕の中で眠りたかったです!! 変に我慢して一人で寝たら寂しくて泣いちゃったんですよ! 慰めてください! いい子いい子して!! 昨日の分もいっぱい甘やかされたいですよ~!! もっとヨシヨシして欲しいです! 今日はずっと抱っこされてたいですよ~! ジル~!!!」

 早速、好物の雄っぱいに顔を埋めてブンブンと首を振っている。

 ジルの背、というよりお尻の辺りに回された両手は邪な動きをしているし、嗅ぎまわす鼻は忙しない。

 少し前まで鼻炎だったといのに、タルトはジルを嗅ぐためならば自力で風邪を治せるのだろうか。

 元々、あまり看病が必要ない状態にまで回復していたタルトだが、今は完治すらしているようで甘やかす必要すらなさそうだ。

「今日だけは『駄目』を禁止にしたいです! 見えるところにも、いっぱい跡をつけて、それから……」

 雄っぱいとお尻から目に見えぬ栄養を摂取し、すっかり元気になったタルトが夢を溢れさせる。

 だが、甘やかしはしても体に無茶はさせたくないジルが、

「あ、病み上がりだから過度なスケベは駄目だよ」

 と、しっかり釘を刺す。

 すると、すっかり甘えモードに入っていたタルトが絶望した表情で顔を上げる。

「急に冷たくしないでください、ジル! 嫌です~! ジルを摂取しないと治りません! ジルにスケベして、いい子いい子されなきゃ病み上がりにすらなれないんです!」

 涙目で懇願し、胸元の衣服をギュッと掴む姿は可愛らしいが、ジルは再度首を横に振った。

 こういう時、ジルは頑固でキッパリとしている。

「駄目。本当に治ったら、いくらでも何でもしてあげるし、させてあげるから」

 現金なタルトは「なんでも」という言葉を聞いた瞬間、鼻血が飛び出しそうなほど鼻息を荒くした。

 真っ赤な顔は高熱を出したかのようだが、あいにく恋人へのスケベな期待で大興奮しているだけである。

「本当ですか!? 絶対ですよ! 約束ですからね!! 本当にその時は駄目禁止ですからね!!! えへへ、ジル、『なんでも』なんてドスケベワードを使って、本当に悪い子ですね……へへ……」

 タルトの脳は、普段はできない、させてもらえないアレコレに支配されて熱くなっている。

 吐息も熱く過呼吸気味だ。

 目なんてイッてしまっている。

 おバカな病人ははしゃぎ過ぎて熱を上げてしまい、ジルにシッカリと叱られた。

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