第2話 世界を超える方法

「……僕は、異世界人です。魔力が存在しない世界の人間です」


「そんなことって……。一応聞こう。あの女の人の肌、濡れてなかった?」


「……確か、濡れてましたね」


「うわ……まさか、あれがミミックスライムだったとはね」


 魔女は、響己の手を引っ張って起き上がらせた。さっきの女性はふらふらとこちらに歩いてきている。


「どういうことですか?」


「ミミックスライムは人間になりすまして、旅人を森に誘い込むんだ。そうして、森にいる人食いの魔物――マーダラーワームに胴体のはらわたを食ってもらうのさ。そうすると血を取り込みやすくなるからね。ヤツらは亡骸の皮を体液に浸して保存してるから、肌が濡れているはずなのだよ」


 響己の背筋は凍った。汗ばんだ肌着に吹き込む風の冷たさにも急かされて、ワイシャツのボタンを慌てて留めた。


「とりあえず、少年。ミミックスライムは単体では強くない。不幸中の幸いだね」


「……悪趣味な魔物ですね」


「まったくだね。さて、倒すとしよう」


 魔女は足を引きずりながらの方へ歩いて行った。今や件の女性の歩き方はゾンビのそれにしか見えない。魔女がその服をめくると、真っ赤な腹が浮き彫りになった。


「コアは……腹の奥か」


 赤い膜の奥にあるコアは、少し黒っぽく見える。魔女はコアに躊躇なく杖を突き刺した。響己は目を覆おうとしたが、体が硬直して手も動かせなかった。


「ぶちゅっ」


 何かがはじけるような音がして、かつて女性だったものは足から崩れ落ちた。赤い液体が体の穴という穴から噴き出してしぼんでいく様は、響己には目に毒だった。


「うえぇっ」


 ビチャビチャ音を立てて胃液を吐き散らしている響己の方へ、魔女は歩み寄っていく。


「全く、ホント甘ったるい匂いだよ……おやおや、流石に見た目がグロテスクすぎたかな?悪いね」


「はあ、はあ。あの赤い液体は、まさか……」


「そう、ヒトの血でできているのさ。ヤツらが血を取り込むのは栄養摂取の意味合いが強いけど、ヒトの皮を被ったときに自然な色味になるようにするためでもあるのだよ……ああごめん、忘れてくれたまえ」


「……あ、あなたは、一体」


「私は魔法使いのヒアリール。少年って呼ぶの飽きてきたし、君も名前教えてよ」


「僕は、時田 響己です」


「トキタ…ヒビキ?変わった名前だね。まあ、少年は異世界人だもんね」


「いや、結局少年って呼ぶんかい……」


「ひひひ。それで、少年はどうやってここに来たの?」


「分かりません。通学路を歩いてたら突然あそこの森に寝ていたんです」


「不運だね、少年。神話で言うところの『邂逅』だね、それは」


「カイコウ?」


「この世界の魔力の大部分を生み出すという世界樹――――数年に一度その膨大な魔力が溢れて、世界をつなげる穴ができると謳われているのだよ。君は、偶然そこに入ったんだろうさ」


「そんなことあり得るんですか?」


「実際、君はこの世のものではなさそうだからね。しかし、あの森に寝ていて襲われないって不思議だねえ」


 響己はぞっとして肩をふるわせた。そう、あの森はまさに食虫植物の腹の中だった。そんな場所で、あろうことかのんきに寝ていたのだ……!


「身体に魔力が流れていないおかげかな。獲物として認識されてないんだろうね。とりあえず、ヒビキ君。手荒なまねをしたお詫びに、君が元の世界に戻れるよう手助けしてやろう。なんたって、私は魔法使いだからね」


「ありがとうございます……僕、一文無しですけど大丈夫ですか?」


「安心したまえ。金ならたんまりあるさ」


「ありがとうございます、なんとお礼を言って良いか。ところでさっきから右足引きずってますけど、どうしたんですか?」


「ちょっと足をくじいちゃってね。悪いけど、隣町まで肩を持ってもらえるかい?」


「少し待って下さい。気持ちの整理が」


「そんなの歩きながらでもできるでしょ。いつまでも屈んでないで、早く行くぞ!」


「えっと……その……何でそんな肌の出た服を。防御力に難ありじゃないですか?」


 白いコートは数本の紐で頼りなく胸元を結ばれ、ふらふらとはためいている。肌着の一つもなく、腹が丸見えだ。紫色のミニスカートも、太もものほくろを隠すには短すぎる。情欲を煽る以外に、どんな意味があるというのか。


「いいかい少年。露出の多い服を着ないと、魔力の感度が鈍るんだ。危険察知には魔力感知が不可欠でね。敵を発見できなかったら、いくら防御力が高かろうと無意味なのさ」


「……それならそれで、何で右脚にタイツなんか履いてるんですか。肌を出した方が良いんでしょう?」


「これは、脚力を増強する『魔道具』なのだよ」


「足をくじいちゃ意味ありませんって」


「ひひひ、かたじけない……それにしても君、さっきから目つきがいやらしいぞ!」


「え、えっ。いや、そんなことは」


「まあ仕方ないか、そういうお年頃だもんね。安心したまえ少年。このヒアリール、男子のそういう事情には理解があるのだよ。収まるまでそのまま屈んでいたまえ」


「だ、だから違いますって。そんなんじゃないですよ」


「ふ~ん。じゃあ、歩けるよね?」


「……ところで、僕が地球に帰る手伝いをしてくれるんですよね、ヒアリールさん。どうやったら帰れそうですか?」


「ほう、話題をそらしたか…………帰る方法はただ一つ。世界樹の魔力を使って世界転移魔法を発動すること、それだけさ」


「世界転移魔法?」


「いわゆる、世界間ワープ魔法だね。空間転移魔法が実在するくらいだから、世界転移魔法も万が一作れるかもしれない」


「万が一!?」


「いや、ごめん。仮に作れたとて、必要な魔力が大きすぎるか。空間転移魔法でさえ膨大な魔力を要するからね。世界転移魔法なんて、世界樹の魔力を使っても発動できないかも……」


「その世界樹はどこですか?」


「それが、未だ見つかっていないんだ。有史以来数千年もだよ」


「え?」


「……ごめん。やっぱり帰る方法なんてないかも」


「でも、ここに僕がいるってことは、世界樹は実在するんじゃないですか?さっきの神話が正しければですけど」


「そうとは限らないでしょ。大体、数千年も探して見つからないんだよ?そんな大層な木が数千年も隠れおおせるなんて、あり得る?」


「さっきは偉そうに『神話でいうところの邂逅だね』とか言ってたくせに」


「だって……それ以外に、君がこの世界に来る術はないはずだもん。かと言って、世界樹が実在するとも思えない。この世ならざる者を目のあたりにして、私も気が動転してるのさ」


「……そもそも、どうして『世界樹で世界転移魔法を使う以外に帰る方法はない』って断言できるんですか?その自信は一体どこから?」


「私を見くびらないでくれたまえ少年!こう見えても、魔法のことなら何でも分かるのさ!そもそも魔法使いってのは、そう簡単になれるもんじゃないんだよ。魔法学校に入学することさえ難しいんだから」


「そうなんですか?意外にすごいんですね」


「とにかく!世界転移魔法が作れたとて、世界樹が見つからないことには無意味なのだよ。分かったかな?少年」


「言い分は分かりました。でも僕は諦めませんよ。来れたんだから帰れますよ、きっと」


「往生際が悪いね。ひひひ、なんでそんなに帰りたいのさ?」


「……母さんが、待ってますから」


「へえ、ママに会いたいんだ。甘えんぼさんだねえ」


「まさか。こんな所をそんな格好でほっつき歩いてるヒアリールさんとは違って、親に心配掛けたくないだけですよ。まあ、僕がいなくなったほうが生活は楽になるでしょうけどね」


「ははは……。悲しいことを言うね。ま、立ち話も何だ。とりあえず、隣町まで肩を持ってくれたまえ」


 響己はヒアリールの肩を担いだ。響己の意識は、再び甘い香りと温かな柔らかさに蝕まれていく。二人は隣町へ歩き始めた。固い獣道に、強く突かれた杖の跡と、引きずられたヒアリールの右足の跡を残して。

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