第3話 旅の始まり

 獣道は小高い丘の頂上に向かって伸びている。丘に隠れているのか、町はまだ見えない。横を向いても、背の高い岩山とスライムまみれの草原が遠くに見えるだけだ。歩けど歩けども景色は変わらない。

 景色に興味が沸かない以上、響己の注意はヒアリールの柔肌ばかりに向いてしまう。響己は煩悩から意識をそらすために、それっぽい質問をすることにした。


「ところで、ヒアリールさんは何でこんな所にいたんですか?」


「旅をしているのさ。荷物はコートの中に隠れてるから、旅人に見えないかもしれないけどね」


「へえ。何で旅してるんですか?」


「私は魔道士になりたいんだ。魔道士は国王陛下お抱えの魔法使いのことでね。国家機密の魔法を扱うから、一生国から出られない決まりなのさ。だから、その前に色々な国を見て回っておきたくてね」


「なるほど……」


「来月にはマギカ王国に帰って、しばらくのんびりしようと思ってるんだ。ずっと勉強詰めの人生だったからね」


「せめて、世界樹の手がかりを得るまでは一緒に旅してくれませんか?」


「やだね~。まっすぐ帰るもん。それまで生活の面倒は見てあげるから、いいでしょ?」


 ヒアリールがいなければ、この世界では生きていけない。響己はそう確信していた。さっきの魔物を見るに、この世界は初見に厳しい。一ヶ月そこらでこの世界の常識を獲得できるはずがない。そもそも初見の魔物でなくとも、身体能力に欠ける自分では相手にならないだろう。

 旅をしてくれる時間を少しでも伸ばしてもらえそうな方法を考えた彼は、やがて一つの可能性に行き着いた。


「ヒアリールさん。一つ聞いてもいいですか?」


「何だい?」


「この世界の科学って、どこまで進んでるんですか?」


「科学か……少年の世界はどのくらい進んでるの?」


「僕らは科学で全自動の乗り物を作れるし、太陽の光をエネルギーに変えられるし、宇宙にだって行けます」


「ほお!科学でそれができるのか!すごいね。私たちがやっているのは、物理法則の解明くらい。ものを投げたらどう動くかとか、そういう力学的理論の構築くらいさ」


「じゃあ、マギカ王国に帰る前に色々な国に寄り道しませんか?ヒアリールさんは魔法が使える。僕には、科学の知識がある。僕らが組めば、この世界のあらゆる問題が魔法と科学で解決できると思うんですよ。その旅の中で、世界樹の手がかりも掴めるかもしれません」


「……まあ、本当に世界樹なんてものがあるなら私も一度は見てみたいけどさ。しかし、この私に自分本位の提案をするとは。君、さっきから生意気だね!」


「魔道士になったらもう違う国の景色は見られないんですから、寄り道したって良いじゃないですかヒアリールさん……それとも、魔道士になれそうもない現実から逃げて放浪してるだけなんですか?」


「そんなんじゃないけどさ」


「じゃあ人には散々言っといて、自分も親に会いたくて仕方ないんですね。へえ~」


 ヒアリールはしばらく押し黙っていたが、やがて言葉を絞り出した。


「――――分かったよ、少年。私の負けだ。君が私に服従を誓うというなら、提案を飲もうじゃないか」


「え?服従?」


「君の体には魔力が流れていないから、魔法はまず間違いなく使えない。ということは、世界転移魔法を作っても少年には使えない。その上、そもそも君は私に頼らないと生きていくことすらできない」


「確かにそうですけど……負けを認めておいて服従を誓えとは」


「一番美しい勝利――――それは、痛み分けだと思わないかい?」


「僕は、圧倒的な力量差で押し切るのが美しいと思いますよ」


 ヒアリールは唐突に体重を響己に預け、杖を掲げた。


「スペル『リストリクション』」


 杖についた緑色の玉が淡く光ったかと思うと、腕が身体に押しつけられて全く動かせなくなった。脚さえピクリとも動かない。


「な、何するんですか!」


「これは拘束魔法。君があんまり生意気だから、いっぺん懲らしめてやろうと思ってさ。君ごときが圧倒的な力量差で勝てる相手なんて、この世界には存在しないよ?それに、圧倒的な力量差で君を負かす私を見て、一瞬でも美しいと思ったかい?」


「……いいえ。ごめんなさい」


「……改めて聞こう。君は、私と世界樹を探す旅をしたいんだよね。生殺与奪の権限を全て私に預けるというなら、構わないよ……ひひひ」


 響己は身震いした。この女性が、自分を危険な魔法の実験台にする可能性も大いにある。「生殺与奪の権限を全て私に預ける」という表現には、そういう含みがあってもおかしくはない。

 この女性を信用して良いのか。響己は逡巡しながらうつむいていたが、突然何かを決心したように顔を上げた。


「いずれにしても、この異世界ではヒアリールさんに頼るほかありません。煮るなり焼くなり、もう好きにして下さい。よろしくお願いします、ヒアリールさん」


「おお、潔いねえ」


 ヒアリールが杖から一瞬手を離すと、響己の拘束が解除された。


「いいだろう!この偉大なる魔法使いヒアリール様が、君と世界をまたにかけた旅を始めてやろうじゃないか。……さて、ヒビキ君。早速四つん這いになって、私のウマになってもらおうか!」


「……分かりました。ぼくはあなたのしもべです。馬にでも何でもなりましょう」


 地面に手を突いた響己の背中を、ヒアリールは軽くつついた。


「ひひひ、奴隷根性が染みついてるねえ。心意気や良し、合格だ。立ちたまえ」


「ありがとうございます!尊大なるヒアリール様!」


「お?何だって?」


「ああ、すみません、『寛大なる』って言おうとしました。こんな些細な間違い、寛大なるヒアリール様ならお許しいただけますよね?……痛たた、ごめんなさい!」


 つままれた二の腕の痛みが訴える。この世界は夢の産物などではない、と。 

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