第4話 見えないシールド

 響己とヒアリールはしばらく獣道を進み続け、ようやく丘の頂上にたどり着いた。響己は歩みを止め、目の前の光景を呆然と眺めた。むさ苦しい草原の中に欧州風の町があるものだと思い込んでいたが、それとは全く違う景色が広がっていたからだ。


 獣道の行き着く先は、がれきの山に囲まれた半球状の巨大構造物だった。様々な色の建物が無秩序に組み合わさって、全体として半球状に見えている。その周囲を鳥系の魔物が飛び交う様は、世紀末そのものだ。


「……な、何ですかあれは」


 ヒアリールは何食わぬ顔で伸びをして、気持ちよさそうに風を浴びている。どうやら、この光景に一切違和感を抱いていないらしい。


「あれが町だよ、少年」


 響己は今まで、この世界は現実世界に作られた一つの舞台装置であると思い込んでいた。そう思うことで、精神を落ち着かせていた。第一、ここが異世界なら日本語が通じるはずがない。

 だが、目の前の景色は舞台装置説を否定する。その町並みが、一般的な異世界のイメージとは一線を画しているからだ。


「……何でわざわざ半球状に作ったんでしょうね?建物の色にはこだわらないのに、形にはこだわるなんて」


「何を言ってるのさ。君の目は節穴かい?」


「え?」


「まさか、青いシールドが見えないの?」


「……見えませんね」


「ほー、おバカさんには見えないって本当だったんだね」


「……多分、僕に魔力が流れてないせいですよ」


「ひっひっひ。こんなところにも影響するとはね。ところで、なんでシールドが半球状なのか知りたい?」


「いや、別に。大体想像つくんで」


「知りたいよね?特別に教えてやろう。シールドは面積が大きいほど魔力消費が多くなるんだ。それで、表面積に対して容積が最大になる球状を採用したってわけだよ」


「へえ。想像通りの理由ですね」


「本当に分かってた?」


「僕はヒアリールさんと違って頭良いですから……痛たっ」


 痛みが癖になってきている。夢から覚めたいからなのか、ヒアリールのせいで”目覚めた”からなのかは響己にも分からない。


「ひひひ、相変わらず生意気だねえ……とりあえず、さっさと歩きたまえ。日が暮れるぞ!」



 歩きながら町並みを眺めていると、人がいるかどうかすら怪しく思えてくる。建物自体はきれいだが、まるで生活感がない。窓一つないのだ。


 冷や汗が額を伝い始めた。ここが本当に異世界だとしたら、重大な問題――『浦島太郎』問題が生じるからだ。


 すなわち、この世界と地球とで時間の進みが同じとは限らない。この世界から帰るころには、赤色巨星と化した太陽に地球が飲み込まれているかもしれない――少なくとも、母さんや兄さん、果ては友達、みんなが天寿を全うしている可能性がある。そうなったら、もはや帰る意味がないではないか。

 でも、それを確かめるにはやはり帰るしかない。結局、帰ろうとする他ないのだ。


 響己はうなだれて、思い出を懐古しながら歩いた。走馬灯のように巡る記憶の中で、友人と談話した時間ばかりが輝く。


 響己は思った。『勉強ばかりしてないでもっと遊んでおけばよかった。科学の勉強なんて無駄でしかなかった。僕は今まで何をしていたんだろう。』下り坂なのに、上りより歩みが遅くなった。



 坂道を下っている内に、喉が渇いてきた。ちょうど、下ったところに池があった。原子力発電所の燃料プールのように、不気味なほど青く澄み渡っている。


「ヒアリールさん。この池の水飲みたいんですけど、大丈夫ですかね」


「大丈夫でしょ。綺麗だし」


「毒が混ざってるとか、ないんですか。なんか毒物検知する魔法ないんですか?」


「もう使ったよ。毒物検知魔道具」


「流石ヒアリールさん。ありがとうございます」


「ふふん。君と違って気が利くでしょ?いやー、我ながら惚れ惚れしちゃうね」


「じゃあ、飲んできます。ヒアリールさんは大丈夫ですか?」


「私は水筒があるから」


 駆け足で池のたもとに向かった。両手で水をすくい上げてみると、透き通った冷たさが心地よい。一口飲んでみると、見た目に反してあまりおいしくはなかった。これは、理科室でこっそり飲んだ純水の味そのものだ(その後腹を下したから、絶対真似しないこと)。

 水をおいしくするのは、ミネラル分だ。天然の水には大抵ミネラル分が入っているものだが、なぜこの池の水には入っていないんだろう?異世界の水事情は不可解だが、とりあえず渇きを潤す程度だけ飲んでおくことにしよう。


 そう思ったのに、二、三回飲んでいる内に凄くおいしく感じられてきた。水をすくう手が止まらない。


「ちょっと、飲み過ぎだぞ少年。今焦って飲まなくても、水筒の水なら分けてあげるから。早く行こうよ」


「おいしいですよこの水。ヒアリールさんもどうですか?」


「今までどんな水を飲んできたっていうのさ……」


 ヒアリールは杖を突きながら、相変わらず水を飲み続ける響己の元へ歩んで腕を引っ張った。


「早く行こう!日が暮れる!」


「嫌です!この水で胃を満たしたい!おいし過ぎる!池に飛び込みたいくらいです!」


「……早く行くぞ!」


「止めないで下さい!僕はここに飛び込んで、この水になるんですから!」


「ま、まずい。待てってば……うわっ!」


 バッシャーン!!!ボチャン!


 響己が池に飛び込んだせいで、その腕を掴んでいたヒアリールも一緒に池に引きずり込まれた。響己はまだ知らなかった。この世界の、本当の厳しさを――――

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