魔法じかけの走馬灯

もすび

第1章 旅の始まり

第1話 この世ならざる者

 ビニールで縛られた科学雑誌を見つめては、肩を落とす。書店から帰ると制服のままベッドに寝転び、ネットサーフィンに明け暮れる。それが少年の日課だ。

 彼がいつも浮かない顔をしているのは、科学雑誌の一つすら買えないせいではない。心の中で、こう叫ばずにはいられないからだ――――


『科学は、どうしようもなく非力だ!』


 現代科学は社会問題を全て解決できるほど万能ではない。それは幼心にも分かっていた。だからこそ少年は科学者を志し、余暇も全て勉強に費やしてきた。全ては、理想の科学――あらゆる問題を解決できるような科学を実現するためだった。

 しかし、少年は科学の知識をため込む中で理解してしまった。彼の考える「理想の科学」とは、魔法そのものだったのだと。


『もし魔法があったなら、世界中の問題が一瞬で解決するのに。食糧危機も、遊ぶ金すらない貧しさも、夜勤あけの母親との口論も――全て消え失せるのに』


 そんなことを考えながら、少年は今日も書店帰りに通学路を歩いていた。彼の胸には、「時田ときた 響己ひびき」と書かれた名札が安全ピンで留められている。それを見つめながら歩く彼が、背後から迫り来る金属の塊に気づくはずなどなかった。


 バァン、ドーン!


 二つの音が街に響いた――――




「……あれ?ここ、どこ?」


 目を覚ました響己をとり囲むのは、妙に色濃い草と木々だった。響己は状況のおかしさに首をかしげながら立ち上がって、制服についた土を払い始めた。


『どうやったらこんなところで寝る羽目になるんだろう?……とりあえず、こんな反吐が出る場所――森なんてとっとと抜け出してしまおう』


 響己は、無我夢中で走った。とにかく、草が足下を埋め尽くす場所を早く離れたかった。少し先に見える光が太陽のものであることは確かだ。あとは、そこが森の外か否かにかかっている。


 暗い森を抜けると、あの灰色の街ではあり得ない永遠の緑が広がっていた。遠くの草原には、水色の物体がぽつぽつと見える。草が風になびく方向と逆に転がり、時たま飛び跳ねる。認めたくはなかったが、それらはどう見てもスライムそのものだった。


 目の前には一本の細い道がある。舗装されてはいないが、道があるならこの辺りには人がいるはずだ。


 その道に出ると、ようやく足下に草がなくなった。響己は一息ついて、夏用の制服が長ズボンであることに生まれて初めて感謝した。


 虫がまとわりついているような気がしてひたすらズボンをはたいていると、突然香水のような甘い香りが鼻をつんざいた。振り返ると、そこにはアウトドア用の服を着た真っ白な肌の女性が立っていた。


「あ、あの……どうしました?」


 響己が尋ねても、返事はない。気まずい一瞬の後、女性は手招きをした。手は傷だらけで、全体的に濡れているように見える。そのまま振り返って森の方へふらふらと歩いて行く女性に、響己はただついていった。


『森の中で何かあったのだろうか?なぜ無言なんだ?足取りもおぼつかないようだが、大丈夫だろうか?』響己の頭を、様々な疑問が駆け巡る。


「あの、何かあったんですか?」


 なおも女性は返事をしない。響己は内心焦り始めていた。現実感のない現実は、絶望と無力感に結びつくものだからだ。


 まもなく森に入ろうというところで、


「行っちゃダメ!!!」


 という声が後方から飛んできた。振り返ると、右脚を引きずりながらこちらに歩いてくる緑髪の女性がいた。彼女の出で立ちは魔女そのものだ。真っ白なとんがり帽子とコートを身につけ、緑色の大きな玉が付いた杖を握っている。魔女は杖を支えにしながら、少しずつこちらに歩み寄ってきていた。


 響己は何事かと思って、もう一度真っ白な肌の女性を見た。さっきまで目を合わせることすらできなかったから気づかなかったのだろう――振り向いた女性の両目は別々の方向を向いたまま、ぎょろぎょろとうごめいていた。


「う、うわあ!!」


 響己はひたすら白い魔女の方へ走った。魔女は近寄ってきた響己に容赦なく飛びかかって押し倒すと、手を太ももで押さえつけて馬乗りになった。響己には、背中の通学鞄を気に掛ける余裕はなかった。彼の意識は、香水とはまた別の甘い香りに蝕まれつつあるのだ。


「ちょ、何するんですか!」


「うるさい!魔物の分際で!コアはどこかな~?」


「ま、魔物?コア?何を言ってるんですか?」


 魔女は響己のワイシャツのボタンを外して肌着をめくると、手をつっこんできた。魔女の色々な部位が接触しているせいで、響己の顔は真っ赤に火照っていた。魔女が右脚にだけタイツをはいているせいで、左右の手に伝わる感触が違うのも余計に理性をむしばむ。


「あれ?腹に穴が開いてない。え?でも濡れてるしなあ……」


「あ、あの、濡れてるのはただの汗ですよ」


 魔女は慌てて響己のズボンに手をこすりつけ始めた。


「君は、魔物じゃないのかい?」


「もちろんですよ!」


「じゃあ、植物かい?」


「僕は人間です!」


 魔女は、怪訝そうにうずくまって響己とおでこを合わせた。響己の頭の中は、とうとう魔女の甘い香りで一杯になってしまった。おでこを離した魔女は、つばを大きく飲み込んだ。


「……なら、どうして魔力なしに生きてられるの?」


 響己の額には、未だにぬくもりが浮かんでいる。冷静さを欠いた頭では、魔女の発言も上の空だ。


「え、え?」


「植物と違って、動物は魔力を失えば命を失うことになるのだよ。魔物はコアに魔力が封じ込まれているから、体に魔力が流れていないように見えてもおかしくはないけどね。魔物でも植物でもないなら、君は一体なんなの?」


 響己はこのときようやく悟った。ここが、魔力の支配する異世界であるということを。


「……僕は、異世界人です。魔力という概念が存在しない世界の人間です」


「そんなことって……。一応聞いとこう。あの女の人の肌、濡れてなかった?」


「……確か、濡れてましたね」


「うわ……まさか、あの女がミミックスライムだったとはね」


 魔女は、響己の手を引っ張って起き上がらせた。女性はふらふらとこちらに歩いてきている。


「ミミックスライム?」


「ミミックスライムは人間になりすまして、旅人を森に誘い込むんだ。そうして、森にいる人食いの魔物――マーダラーワームに胴体のはらわたを食ってもらうのさ。そうすると、血を取り込みやすくなるからね。ヤツらは亡骸の皮を体液に浸して保存してるから、肌が濡れているはずなのだよ」


 響己の背筋は凍った。汗ばんだ肌着に吹き込む風の冷たさにも急かされて、ワイシャツのボタンを慌てて留めた。


「とりあえず、少年。ミミックスライムは単体では強くない。不幸中の幸いだね」


「それにしても、悪趣味な魔物ですね……」


「まったく、その通りさ。さて、倒すとしよう」


 魔女は足を引きずりながらの方へ歩いて行った。今や件の女性の歩き方はゾンビのそれのようにしか見えない。魔女は恐る恐る服をめくった。腹は、真っ赤だった。


「コアは……腹の奥か」


 赤い膜の奥にあるコアは、少し黒っぽく見える。魔女はコアに躊躇なく杖を突き刺した。響己は目を覆おうとしたが、体が硬直して手も動かせなかった。


「ぶちゅっ」


 何かがはじけるような音がして、かつて女性だったものは足から崩れ落ちた。赤い液体が体の穴という穴から噴き出してしぼんでいく様は、響己には目に毒だった。


「うえぇっ」


 ビチャビチャ音を立てて胃液を吐き散らしている響己の方へ、魔女は歩み寄っていく。


「全く、ホント甘ったるい匂いだよ……おやおや、流石に見た目がグロテスクすぎたかな?悪いね」


「はあ、はあ。あの赤い液体は、まさか……」


「そう、ヒトの血でできているのさ。ヤツらが血を取り込むのは栄養摂取の意味合いが強いけど、ヒトの皮を被ったときに自然な色味になるようにするためでもあるのだよ……ああごめん、忘れてくれたまえ」


「……あ、あなたは、一体」


「私は魔法使いのヒアリール。少年って呼ぶの飽きてきたし、君も名前教えてよ」


「僕は、時田 響己です」


「トキタ…ヒビキ?変わった名前だね。まあ、少年は異世界人だもんね」


「いや、結局少年って呼ぶんですかい……」


「ひひひ。それで、少年はどうやってここに来たの?」


「それが、分からないんですよ。通学路を歩いてたら突然あそこの森に寝ていたんです」


「……不運だね、少年。神話で言うところの『邂逅』だろうね、それは」


「カイコウ?」


「この世界の魔力の大部分を生み出すという世界樹――――数年に一度その膨大な魔力が溢れて、世界をつなげる穴ができると謳われているのだよ。君は、偶然そこに入ったんだろうさ」


「そんなことあり得るんですか?」


「実際、君はこの世のものではなさそうだからね。しかし、あの森に寝ていて襲われないって不思議だねえ」


 響己はぞっとして肩をふるわせた。そう、あの森はまさに食虫植物の腹の中だった。そんな場所で、あろうことかのんきに寝ていたのだ……!


「身体に魔力が流れていないおかげかな。獲物として認識されてないんだろうね、少年は。とりあえず、ヒビキ君。手荒なまねをしたお詫びに、君が元の世界に戻れるよう手助けしてやろう。なんたって、私は魔法使いだからね」


「ありがとうございます……僕、一文無しですけど大丈夫ですか?」


「心配することはない。貯金ならたんまりあるからね」


「ありがとうございます、なんとお礼を言って良いか。しかし、さっきから右足引きずってますけど、大丈夫ですか?」


「ちょっと足をくじいちゃってね。悪いけど、隣町まで肩を持ってもらえるかい?」


「少し待って下さい。気持ちの整理が」


「そんなの歩きながらでもできるでしょ。いつまでも屈んでないで、早く行くぞ!」


「えっと……その……何でそんな肌の出た服を。防御力に難ありじゃないですか?」


 白いコートは数本の紐で頼りなく胸元を結ばれ、ふらふらとはためいている。肌着の一つもなく、腹が丸見えだ。紫色のミニスカートも、太もものほくろを隠すには短すぎる。情欲を煽る以外に、どんな意味があるというのか。


「いいかい少年。露出の多い服を着ないと、魔力の感度が落ちるんだ。危険察知には魔力感知が不可欠でね。敵を発見できなかったら、いくら防御力が高かろうと無意味なのさ」


「……それならそれで、何で右脚にタイツなんか履いてるんですか。肌を出した方が良いんでしょう?」


「これは、脚力を増強する『魔道具』なのだよ」


「足をくじいちゃ意味ありませんって」


「ひひひ、かたじけない……それにしても少年、さっきから目つきがいやらしいぞ!」


「え、えっ。いや、そんなことは」


「まあ、仕方ないか、そういうお年頃だもんね。安心したまえ少年。このヒアリール、男子のそういう事情には理解があるのだよ。収まるまでそのまま屈んでればいいさ」


「だ、だから違いますって。そんなんじゃないですよ」


「ふ~ん。じゃあ、立てるよね?」


「……ところで、僕が地球に帰る手伝いをしてくれるんですよね、ヒアリールさん。どうやったら帰れそうですか?」


「ほう、話題をそらしたか…………帰る方法は、たった一つ。世界樹の魔力を使って世界転移魔法を発動すること、それだけさ」


「世界転移魔法?」


「いわゆる、世界間ワープ魔法だね。私の母国には空間転移魔法が実在するくらいだし、世界転移魔法だって万が一作れるかもしれない」


「万が一!?」


「いや、ごめん。仮に作れたとて、必要な魔力が大きすぎるか。空間転移魔法でさえ膨大な魔力を必要とするからね。世界転移魔法なんて、世界樹の魔力を使っても発動できないかもしれない……」


「その世界樹はどこにあるんですか?」


「それが、未だ見つかっていないんだ。有史以来数千年もだよ」


「え?」


「……ごめん。やっぱり、帰る方法なんてないかも」


「でも、ここに僕がいるってことは、世界樹は実在するんじゃないですか?さっきの神話が正しければですけど」


「そうとは限らないでしょ。大体、数千年も探して見つからないんだよ?そんな大層な木が数千年も隠れおおせるなんて、あり得る?」


「さっきは偉そうに『神話でいうところの邂逅だね』とか言ってたくせに」


「だって……仕方ないじゃないか。それ以外に、君がこの世界に来る術はないはずだもん。でも、世界樹が実在するとも思えない。この世ならざる者を目のあたりにして、私も気が動転してるのさ」


「……そもそも、どうして『世界樹で世界転移魔法を発動する以外に帰る方法はない』って断言できるんですか?どんな自信ですか、一体」


「私を見くびらないでくれたまえ、少年!こう見えても、魔法のことなら何でも分かるのさ!そもそも魔法使いってのは、そう簡単になれるもんじゃないんだよ。魔法学校に入学することさえ難しいんだから」


「そうなんですか?意外にすごいんですね」


「とにかく!世界樹が見つけられなければ、世界転移魔法を作れたとて発動できないのだよ!私が言うんだから間違いないさ」


「言い分は分かりました。でも僕は、帰れないとは思いませんよ。来れたんだから帰れますよ、きっと」


「諦めが悪いね。ひひひ、なんでそんなに帰りたいのさ?」


「……母さんが、待ってますから」


「へえ、ママに会いたいんだ。甘えんぼさんだねえ」


「まさか。こんな所をそんな格好でほっつき歩いてるヒアリールさんとは違って、親に心配掛けたくないだけですよ。まあ、僕がいなくなったほうが生活は楽になるかもしれませんけどね」


「ははは……。悲しいことを言うね。ま、立ち話も何だ。とりあえず、隣町まで肩を持ってくれたまえ」


 響己はヒアリールの肩を担いだ。響己の意識は、再び甘い香りと温かな柔らかさに蝕まれていく。二人は隣町へ歩き始めた。固い獣道に、強く突かれた杖の跡と、引きずられたヒアリールの右足の跡を残して。


 獣道は小高い丘の頂上に向かって伸びている。丘に隠れているのか、町はまだ見えない。横を向いても、背の高い岩山とスライムまみれの草原が遠くに見えるだけだ。歩けど歩けども景色は変わらない。

 景色に興味が沸かない以上、響己の注意はヒアリールの柔肌ばかりに向いてしまう。響己は、煩悩から意識をそらすためにそれっぽい質問をしてみることにした。


「ところで、ヒアリールさんは何でこんな所にいたんですか?」


「旅をしているのさ。荷物はコートの中に隠れてるから、旅人に見えないかもしれないけどね」


「へえ。何で旅してるんですか?」


「私は魔道士になりたいんだ。魔道士は国王陛下お抱えの魔法使いのことでね。国家機密の魔法を扱うから、一生国から出られない決まりなのさ。だから、その前に色々な国を見て回っておきたくてね」


「なるほど……」


「来月にはマギカ王国に帰って、しばらくのんびりしようと思ってるんだ。ずっと勉強詰めの人生だったからね」


「せめて、世界樹の手がかりを得るまでは一緒に旅してくれませんか?」


「やだね~。まっすぐ帰るもん。それまで生活の面倒は見てあげるから、いいでしょ?」


 ヒアリールがいなければ、この世界では生きていけない。響己はそう確信していた。さっきの魔物を見るに、この世界は初見に厳しい。世界の常識を一ヶ月そこらで獲得できるはずがないし、身体能力に欠ける自分が初見の魔物とまともにやり合えるはずもない。

 旅をしてくれる時間を少しでも伸ばしてもらえそうな方法を考えた彼は、やがて一つの可能性に行き着いた。


「ヒアリールさん。一つ聞いてもいいですか?」


「何だい?」


「この世界の科学って、どこまで進んでるんですか?」


「科学か……少年の世界はどのくらい進んでるの?」


「僕らは科学で全自動の乗り物を作れるし、宇宙へ進出しているし、太陽の光をエネルギーに変えることもできています」


「ほお!科学でそれができるのか!すごいね。私たちがやっているのは、物理法則の解明くらい。ものを投げたらどう動くかとか、そういう力学的理論の構築くらいさ」


「じゃあ……マギカ王国に帰る前に色々な国に寄り道しませんか?ヒアリールさんは魔法が使える。僕には、異世界の科学知識がある。僕らが組めば、この世界のあらゆる問題が魔法と科学で解決できると思うんですよ。その旅の中で、世界樹の手がかりも掴めるかもしれません」


「……まあ、本当に世界樹なんてものがあるなら私も一度は見てみたいけどさ。しかし、この私に自分本位の提案をするとは。君、さっきから随分生意気だね!」


「魔道士になったらもう違う国の景色は見られないんですから、寄り道したって良いじゃないですかヒアリールさん……それとも、魔道士になれそうもない現実から逃げて、ふらふら一人旅にふけってるだけなんですか?」


「そんなんじゃないけどさ」


「じゃあ人には散々言っといて、自分も親に会いたくて仕方ないんですか?へえ~」


 ヒアリールはしばらく押し黙っていたが、やがて言葉を絞り出した。


「――――分かったよ、少年。私の負けだ。君が私に服従を誓うというなら、提案を飲もうじゃないか」


「え?服従?」


「君の体には魔力が流れていないから、魔法はまず間違いなく使えない。ということは、世界転移魔法を作っても少年には使えない。その上、そもそも君は私に頼らないと生きていくことさえできない」


「確かにそうですけど……負けを認めておいて服従を誓えとは」


「一番美しい勝利――――それは、痛み分けだと思わないかい?」


「僕は、圧倒的な力量差で押し切るのが美しいと思いますよ」


 ヒアリールは唐突に体重を響己に預け、杖を掲げた。


「スペル『リストリクション』」


 杖についた緑色の玉がゆらゆらと光ったかと思うと、腕が身体に押しつけられて全く動かせなくなった。脚さえピクリとも動かない。


「な、何するんですか!」


「これは拘束魔法。君があんまり生意気だから、いっぺん懲らしめてやろうと思ってさ。君ごときが圧倒的な力量差で勝てる相手なんて、この世界には存在しないよ?それに、圧倒的な力量差で君を負かす私を見て、一瞬でも美しいと思ったかい?」


「……いいえ。ごめんなさい」


「……さて、改めて聞こうか。君は、私と世界樹を探す旅をしたいんだよね。生殺与奪の権限を全て私に預けるというなら、構わないよ……ひひひ」


 響己は身震いした。この女性が、自分を危険な魔法の実験台にする可能性も大いにある。「生殺与奪の権限を全て私に預ける」という表現には、そういう含みがあってもおかしくはない。


 まだ出会って少し話しただけのこの女性を簡単に信用して良いのか。響己は逡巡しながらうつむいていたが、突然何かを決心したように顔を上げた。


「いずれにしても、この異世界ではヒアリールさんに頼るほかありません。煮るなり焼くなり、もう好きにして下さい。よろしくお願いします、ヒアリールさん」


「おお、潔いねえ」


 ヒアリールが杖から一瞬手を離すと、響己の拘束が解除された。


「いいだろう!この偉大なる魔法使いヒアリール様が、君と世界をまたにかけた旅を始めてやろうじゃないか。……さて、ヒビキ君。早速四つん這いになって、私のウマになってもらおうか!」


「……分かりました。ぼくはあなたのしもべです。馬にでも何でもなりましょう」


 地面に手を突いた響己の背中を、ヒアリールは軽くつついた。


「ひひひ、奴隷根性が染みついてるねえ。心意気や良し。合格だ。立ちたまえ」


「ありがとうございます!尊大なるヒアリール様!」


「お?何だって?」


「ああ、すみません、『寛大なる』って言おうとしました。こんな些細な間違い、寛大なるヒアリール様ならお許しいただけますよね?……痛たた、ごめんなさい!」


 つままれた二の腕の痛みが訴える。この世界は夢の産物などではない、と。

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