『【短編】春の葬送』の感想
【短編】春の葬送
作者 紫波すい
https://kakuyomu.jp/works/16818093075314247648
愛読していたweb作家消失により、喪失感に見舞われたわたしは、次回作のコインロッカーになぞらえて、コインロッカー前で感謝と別れを告げる葬送の儀式を行った話。
別れと新たな始まり、希望を象徴する春のテーマを、好きなweb作家が突然作品を削除し消えたことに対する別れと悲しみ、いつか再び作品を書くことを願い、新たなはじまりに対する期待を描いている。
一時的にものを預けるコインロッカーに、作家への感謝を桜の花びらに託して送る場面は、春の美しさと切なさを感じさせてくれる。
web作家と読者という設定が、多くの読者に深い共感を引き出すだろう。
主人公は、とあるweb作家の作品のファンである大学二年の女子。一人称、わたしで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
恋愛ものでもあるので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の流れに準じている。
女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
タイトルからオチまで鮮明に覚えているのに、はじめて読んだのはいつのことだったか思い出せない。様々なジャンルの短編小説を、不定期に投稿するスタイルのweb作家だった。
他ユーザーと交流することはほとんどなく、創作日誌機能を用いて、次回作のテーマだけを告げる。
相性がよく、web作家の書く文章、表現、物語はよく馴染み、愛読してきた。
『次回作のテーマはコインロッカーです』
大学二年に進級する、ある春の日の朝。小説投稿サイト内の、主人公が愛読していたweb作家の作品がすべてなくなっていた。
桜色のカーテンの向こう、桜の名所して知られている駅近くの道。人通りも花見客もみえない。舞い落ちる花火rが、なにも書かれていない原稿用紙にみえる。
読めなくなる日が来るなんて、思ってもいなかった。
母から借りた黒のトレンチコートに、黒いヒールを履き、午後九時過ぎの住宅街を歩いていく。
駅前のコインロッカー前にたどり着く。電車が発着しない時間だからか、人の気配がない。ほとんどのコインロッカーはカラだった。
目線の高さにあった一つの扉を右手で撫で、次回予告されたコインロッカーという作品は、どんなジャンルで主人公はどんな存在なのかと想像する。これまで予告から想像しても、一度として当てたことはなかった。
空っぽのコインロッカーを前に、握っていた左手をひろげ、一枚だけ掴んだ花びらが、霞がかった空へ舞う。
「……ありがとうございました。さようなら」
小説投稿サイトに書いたのは、web作家への手紙。自身の行動をもとにした物語を掲載し、感謝とお礼、いつかまた出会える日が訪れたなら、鍵をかけたコインロッカーの中身を見せてくれると嬉しいと綴られていた。
三幕八場の構成で書かれている。
一幕一場の状況の説明、はじまりでは、明るい色を纏う春に母から借りた黒のトレンチコートを着て、コートのしたも黒。黒いハイヒールを履き、午後九時過ぎの住宅街を歩きながら葬送にいく。
二場の主人公の目的では、寝る目に既読作品を読み返し、朝起きて続きを読もうとしたら、愛読していたweb作家の作品がすべて消えていた。
二幕三場の最初の課題では、初めて読んだ作品のタイトルからオチまですべて覚えているのに、小説投稿サイトの中から作家を見つけたのはいつのことだったのか思い出せない。他の作家とのやり取りもほとんどなく、創作日誌機能に次回作のテーマだけ告知して、不定期で様々なジャンルの短編小説を投稿するスタイルの作家だった。文章や表現、物語がよく馴染み、文字の流れに安心して身を委ねることができた。
四場の重い課題では、窓際の桜色のカーテンの前に立ち、読めなくなる日が来るとは想像しておらず、息を漏らす。窓の向こう、駅に続く道に植えられた桜の名所には人の姿はなく、風に舞い落ちる花びらが、白紙の原稿用紙にみえる。自分の腕で抱きしめ内ビルを噛みしめる。
五場の状況の再整備、転換点では、ネットでは何度も経験してきた。続きを楽しみにしていた作品が、ある日を境に更新されなくなる。筆を折ると残して去っていたことは、これまでに幾つも経験してきた。作家には作家の人生があり、事情がある。
相手は読者である自分の存在を知らない。顔も名前も、存在すら知らない相手にサヨナラなど言えない。
春は出会いと別れの季節。変化の季節。大学二年に進級するように、春になれば春物のコートをまとって、街並みが色づくように何もかもが移ろい変わっていく。だからといって、読めなくなる日が来るなんて、思ってもみなかった。
六場の最大の課題では、駅前のコインロッカー前にたどり着く。目の高さ似合った一つを撫で、『次回作のテーマはコインロッカーです』という遺言を思い出す。
三幕七場のどんでん返し、最後の課題では、次回作を想像するのが、余暇の贅沢な使い方だった、一度として当たらなかった。作家がいなくなった世界に順応していくのが寂しい。握っていた左手から花びらを空に舞い、「……ありがとうございました。さようなら」別れを告げる。
八場のエピローグでは、自身の体験を元にした手紙を、小説投稿サイトへ掲載し、お礼といつかまた会える日を夢見て、コインロッカーの中身を見せてくれることを願い、葬送を終える。
春になると明るい色を纏う中、黒に身を包む謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どのように関わり合いながら、どんな春の葬送を迎えるのかに興味が注がれる。
現実の何処かで、実際に起こったことを切り取ったように描かれていると感じられるところが良かった。新しいはじまりと終わり、再生や希望という春のテーマを用いながら、他の人が描いていない題材を選んでいるところ、当たり前のようにスマホを持ち歩いて利用している世代を主人公にしているところ、カクヨム内の自主企画も考慮に入れても、共感を得やすい作品だと感じる。
冒頭の導入部分は、客観的な状況の説明からはじまり、本編では主人公の意見や考えなどが主観で密に描かれ、終わりはまた客観的な視点で粗く書かれている。
春に対する一般的な考え、「明るい色を纏うようになる」という状況説明をしながら、主人公の主観「わたしも普段はそう。寒さに縮んでいた心が弛んで、解き放たれたような気持ちになるから」と感想を述べることで、そうだよねと読者に納得させる書き方をしては共感させている。
そのうえで、「でも今日のわたしが羽織っているのは黒。身長も体型もほぼ同じ母から借りたトレンチコート」と、逆のことをしてみせて、どういうことなんだろうと読者に思わせ、興味を惹かせている。最初の書き出しが非常に上手い。
本編は、主人公の身になにが起きたのかを具体的に描いている。ときに比喩的に、五感を意識した書き方ををするなどして、密に描かれている。
結末では、主人公が作者に宛てた手紙文で書かれている。しかも、これまで語られていたことは、「わたしが自分の行動をもとにして書いた物語」であり、主人公が書いたノンフィクションみたいなものだったと明かされる。つまり、客観的視点に変わって、まとめられている。
主人公に共感しやすいよう、大学生という年齢であること、愛読していたweb作家の消失による喪失にあることがあげられる。そもそも、作家に対して感謝とお礼と、別れの言葉を告げるために、コインロッカーを葬儀の場とし、喪に服すための正装に身を包んで儀式を行うところに人間味を感じる。
なにより、主人公の行動や動作を示しているところがいい。
より強く共感してもらうべく、味や香りはないけれども、五感を意識した書き方をしている。
「カツ、カツ、カツ」と黒いヒールの靴音を響かせて歩いていたり、「まぶたを閉じれば容易く世界を描けたし、その中に溶け込めた」「自分の腕で自分の身体を抱くようにして、それまでより速い歩調で。唇を噛んだのは、涙が出そうになったから」「俄かにつよい風が吹いて、ダークブラウンに染めたばかりのロングヘアを揺さぶる。穏やかに降りそそいでいた花びらが翻弄される様を見て、吐息さえもふるえた」「春に冷やされた温度。微かな凹凸のある肌触り。耳の奥で響く、遺言」といった、触れた感覚を表現されていて、読みても自身の記憶を思い起こして追体験し、物語世界に引き込まれる。
作品の内容が葬送、つまり葬式なので、どうしても暗く重い。
暗い話は読みづらいけれども、口語的だと柔らかくなるし、一文を短く読みやすくして、セリフも自然な感じを意識している。
おかげで、幾分軽減でき、読み進めやすい。
本作は主人公の独白なので会話文はない。けれど、ラストのweb作家に対しての手紙は、ある意味、会話文とも言える。
それでいて、葬送なんて縁起が悪いとしながらも、「web小説の世界には『転生』がつきものでしょう?」と告げて、作者の転生、つまり、いつかまた会える日を切望していることを願っていることを書いている。
このあたりに、主人公の人間味ある性格を感じられるとともに、作品全体を湿っぽくせず、明るい雰囲気を醸し出して、読みやすくしているところが、いいなと感じる。
主人公を語り部にしていることで、どんな気持ちでいるのかがよくわかる。
比喩を使った、詩的な表現が素晴らしい。
「そよかぜに舞い落ちていく花びらが、何も書かれずに引き裂かれた原稿用紙に見えた」「右手で撫でてみる。死者のまぶたを閉じさせるように、そっと」「一枚だけ掴んだ桜の花びらが、風にさらわれて飛んでいく。風の行き先は、うっすらと霞がかった蒼だ」
本作には、読者との共通点があることが共感しやすく、感情移入しやすい作品だといえる。
読んでいた作品が読めなくなってしまう経験は、大なり小なりあると思う。小説でなくとも、インスタグラムやtiktok、利用していたSNSで仲良くなったけど、やめてしまって会えなくなった経験をしている人はいると思う。現実でも、あのとき一緒だったのに今では会うことも話すこともなく、手紙のやり取りすらなくなり、今頃どこでなにをしているのだろうと思いを馳せる相手がいるはず。
人生は、出会いと別れの連続。
今の時代の、すれちがうような希薄な出会いの中で、別れを自分の中でどのように消化し、心の整理をして、明日をまた生きていくのか。本作はそこを描いていると思うので、共感されやすいと考える。
話の展開はわかりやすい。
去った人に感謝とお礼を告げる儀式の過程が描かれているので、行動の予想がしやすく、感情移入しやすい。それだけでなく、予測を裏切るようなラストの展開が、さらに興味を引く。
web作家が書こうとしていた、コインロッカーをテーマにした作品とはどんな話だったのだろう。
読者の想像に委ねられているところもまた、本作の魅力の一つである。
本作は、パンドラの匣の話を参考にしていると考える。パンドラが匣を開けて最後に残ったのが希望だったのに対し、本作は花びらに再会の希望を託す形をとっている。
主人公の行動からは、再会を強く願っている思いが、微かな花の香りの如く感じられてる。
だから読者もつい、web作家が再び創作活動を再会して、コインロッカーの話が読める日がきますようにと願いたくなる。そんな日が来ますように。
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