第8話

『起きなさい、シェリル・バーンズ』


 そんな声が聞こえて、ハッと目を覚ます。

 周囲は暗い。遠くにロウソクの灯が見える気もする。


 そういえば、私は亀裂に落ちなかっただろうか。ここはどこだろう? 救出されたのかしら。起き上がる時に手をつくとおかしな感触がした。


 暗闇に目が慣れてくるまでしばらくかかった。私の下敷きになっているのはマティアスだった。


「冗談でしょ?」


 私はマティアスの手をつかみ損ねたはず。それなのに彼までなぜ亀裂の中に落ちたのか。見上げると、小さな隙間がはるか高くに見える。


「生きてるの?」


 私は無傷のようだ。どこも痛くない。

 気絶しているのか、死んでいるのか分からないマティアスの頬にそっと口付ける。淡い光が見えたので多分死んでいないはず。


「マティアス」


 彼の頬を軽く叩くが、目を開けない。

 何度か揺すって叩いていると、呆れたような声が降ってきた。


『癒しの力が効いたなら生きてるわよ。死んでる人には意味がないから光らないの』

「誰?」


 地震が起きたあたりからずっと頭に低い女性の声が響いている。その女性の声がさっきよりも大きく聞こえた。


『ここなら私の姿が見えるんじゃない?』


 私は周囲を見回して、ぼんやりと靄のように揺らめいている白いものを見つけた。


「そこに誰かいるの?」

『あそこから遠いからまだ見えないか』

「あなた、誰なのよ」

『聖女って言ったら分かるかしらね。私、建国まで生きてなかったのに建国の聖女とか呼ばれてるのよ。死んじゃった建国の聖女です。多分、建国に貢献した聖女って意味ね』


 靄が喋っているように大きく揺れた。妙に軽い口調だ。

 死んでいる聖女様が話しかけてきてるってことは幽霊ね。もしかして聖女なら歴代聖女と会話でもできるのかしら。歴代って一人しかいないけど。


「聖女様の幽霊が今更話しかけてきて何の用なの?」

『仕方ないじゃない。声が届かなかったんだから。というか聖女ってところ、もうちょっと驚いて?』

「今それどころじゃないわよ」

『確かにそれどころじゃないわね。あぁ、その子は大丈夫よ。気絶してるだけ』


 マティアスの胸に耳を当てると、鼓動が聞こえたので安心する。


「何がそれどころじゃないの?」

『もうちょっとあっちに行けば分かるわ。二人くらい先客がいるけど』

「一体何があるのよ。ここって神殿の地下? 泉でもあるの?」

『地震の発生源があるのよ。まぁ、行ってみましょう。ここまでうっかり落ちてきちゃったなら、行くでしょ?』

「あなた、さっき逃げろって私に言わなかった? 矛盾してない?」

『ここまで来ちゃったならもうダメよ。建国の伝説の通りにまたなっちゃうのかもしれないわ』


 私はマティアスを見下ろした。彼は私を庇って落ちたせいでまだ気絶している。


『ねぇ。まさか彼のこと好きになった?』

「そんなわけないでしょ。ただ、毎回毎回頼んでもないのに私を助けようとするから」

『いいわねぇ、懐かしいわ。勇者もそんな人だった』

「マティアスは私の婚約者なだけで勇者じゃないわ」


 靄がふいっと暗闇の奥へと動く。


『まずいわ、行きましょう』

「何が起きてるの。もうちょっと説明してよ」

『邪竜が復活するわ』

「邪竜? 建国の伝説に出てくる邪竜なら死んでるはずでしょ? もしかして子供でも生んでて成長したの? あなたみたいに邪竜の幽霊がさまよってるの?」

『まぁまぁ、私の後任聖女は妄想たくましいわね』


 靄はすいすいと浮きながら奥へと進んでいく。

 私はもう一度マティアスを振り返ったが、どうしても気になったので靄の後を追った。なぜかここは懐かしい感覚がする。同時に血が逆流するような感覚もある。シェリルだった頃に来たわけでもないのに、どうしてだろう。


『怖い?』

「そりゃあ視界も悪いし怖いわよ」

『ごめんなさいね、私の記憶に引きずられているところはあるかも』

「どういうこと?」


 靄は奥に進むにつれて段々人の形を取り始めた。髪の長い女性の形だ。


 角を曲がると、急に明るくなった。

 明かりがいくつも岩壁にかけられている。開けた場所には大きな黒い山。その山には見覚えのある鎖が淡い光を放ちながら巻き付いている。


 モゾモゾと黒い山が動いた。その振動であちこちが揺れる。まさかこれが地震の発生源?


『あれが建国の邪竜。おかしいと思わなかった? 伝説では勇者が邪竜を殺しているはずなのに、邪竜の呼び名が建国の邪竜だなんて』


 黒い山はよく見れば鱗でびっしり覆われている。折りたたまれた翼もある。大きな鼻息と唸り声も聞こえる。山ではなく、伏せて手足と翼を折りたたんだ大きな竜だった。


『まぁ、私の建国の聖女ってのもおかしいんだけど』

「なんで、邪竜がこんなところに?」

『ずっとここに封印してあったのよ。建国の時からずっとね。そろそろ私の封印の力が弱くなってきちゃって動き始めたから地震が頻発してたの』

「嘘……」

『目の前にあるなら信じるでしょ?』

「これはこれは、聖女様がおいでになるとは」


 建国の聖女と会話していたら、急に誰かの声が聞こえた。

 岩陰から姿を現したのは宰相であるイーライ・フリントだった。

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