第五章 建国の伝説
第1話
王都に戻れることになってから、私は癒しのお札と石を作る作業に追われた。聖女不在でも癒しの水ができるように樽に石を沈めるのだ。実験したところ、力を込める量をうまく調整すれば樽一つではなく何度か再利用できる優れもの。
散々働いて、建国記念日までに王都に到着するような日程で帰る。
建国記念日とは、邪竜を倒した勇者が国王になってヘーゼルダイン王国を建国した日だとされている。城では祝うためにパーティーで開かれ、城下では屋台がたくさん出てお祭りが行われるのだ。
家族としても、大臣たちとしても魔物の被害が落ち着いたのなら建国記念日までに聖女であるアデルが王都に戻ってくればより活気も出て、国民も喜ぶと考えているのだろう。
私も毎日お風呂に入れないのは堪えるから帰りたかった。食事も毎日同じようなものだった。シェリルだった頃はこれに何とも思わなかったのにね。
それに、このままカリスト領にいても聖女の護衛に人員が割かれるだけである。王都から定期的に癒しの水や石やお札を配達する方がいい。
マティアスの母親は辺境出身の騎士と仲良くなっていて、彼が辺境に戻る際についていくことになったようだ。
「いつの間にそんなことに」
衝撃だった。ある負傷兵と熱心に話しているな、神の教えでも説いているのかしらなんて思っていたがその人と良い仲になっていたなんて。
「死にたい」なんて喚いていた、私が勝手に手紙を奪い取って読んだあの負傷兵も食料を届けてくれる女性といい仲になっている。
私が必死に働いている中、みんないちゃついていたわけよ。羨ましいことね。
「あなたは母親が辺境に行ってもいいわけ?」
「母の人生ですし、父に狙われないならそれはそれで」
帰る馬車の中で疲れて私は横になったまま、護衛として乗り込んでいるマティアスに聞いた。あれだけマザコンだった割に淡泊な答えが返ってくる。
「辺境は大丈夫なの?」
「彼の家も働いている場所も父の息がかかりにくい場所です。それに、父は殿下の婚約者の座を狙うものたちに対応しなければいけませんから。母のことは後回しになるはずです」
ちゃんと相手のことは調べ上げているらしい。さすがマザコン、いや母を守るために生きてきた人。
「そうしたら、あなたは宰相の言うことを聞かなくなるんじゃない? 宰相だってそれは分かってるでしょ。あなたを便利な人形でいさせるために母親を狙うかもよ?」
「反旗を翻すタイミングというものがありますから。根回しをしなければ馬鹿を見るだけです。今は父がいるから王弟殿下を抑え込めていると見るべきでしょう。王弟まで相手にするのは得策ではありません」
「あの二人、手を組んでいるかもしれないじゃない」
「もし父が完全に王弟殿下を信用して手を組んでいるなら、私を殿下の婚約者にしなかったでしょう。殿下が聖女になる前から保険をかけていたのですから、完全には信用し合ってはいないはず。ということは水面下で何かやっているはずです」
「まぁ、あのカミーユ第二王子だもの。いやらしい目を向けてくるから私、あの人のこと嫌いなのよ」
うっかり、シェリルだった頃の第二王子を思い出してそう言ってしまった。それを頭のいいマティアスが聞き逃すはずがなかった。
「殿下と王弟殿下の接点はほぼなかったはずですが、まさか会議中にそんな目を向けられていたのですか? あの王弟殿下が姪である殿下をそんな目で?」
あー、まずかったわ。レグルスは私と一緒にいただけで浮気と断定できることはしていないんだけど、王弟は学園時代に女遊びを結構していたのよ。その延長でシェリルのことも見ていたんだと思うけど……それか兄であるレグルスの女として見られていたのかもしれない。
シェリルだったことを言えるはずもなく私が答えに詰まっていると、外が騒がしくなった。
「何?」
「魔物か賊でしょう。賊なら王弟殿下の依頼かもしれませんね」
窓の外に鋭い視線を向けながら、こともなげにマティアスが言う。
「賊って?」
「聖女がこの馬車にいることはわかっているのですから。癒しの石やお札でも奪うか、あるいは聖女を誘拐して他国に売り飛ばしたり、働かせたりするか、殺すか」
「嘘でしょ?」
「本当です。だからこそ先ほどから護衛騎士たちはピリピリしていたんです。お気づきではなかったですか? 今日は予定していた道が使えず迂回して予定を超過しており、今は夕暮れ時。絶好の襲撃の機会ではありませんか」
「大丈夫なのよね?」
「神殿騎士も王妃殿下がつけた護衛騎士もお飾りではありません。危なくなったら私も出ますが、そうなったら殿下は鍵をかけてこの座席の中に隠れていてください。決して外に出てはいけません」
剣同士を合わせる金属音と騎士たちの大きな声が遠くで聞こえる。私の乗っている馬車も急停止した。
横になっていた座席から落ちそうになってマティアスに支えられる。
「私も出た方が良さそうです」
馬車に何かが当たる音がして、マティアスは剣を抜いた。
「殿下、私が戻ったら扉をこう叩くので。これ以外の音が聞こえても開けないでください。馬車に火がつけられた、なんて賊が騒ぐ罠もあり得ますから注意してくださいね」
そう言いながらマティアスは扉に手をかける。
「私が出たらすぐに鍵を閉めてください」
急に襲ってきた賊と現実に私がなんとか頷くと、マティアスは私の手を勝手に取った。
魔物に追いかけられた体験があるせいか、私の手は知らないうちに小刻みに震えている。シェリルだった頃もこんな襲撃されるような恐怖は味わったことがない。陰口とかいじめをされたくらいで。
「すぐ戻ります」
なんの許可もしていないのに、マティアスは私の指先に口付けるとすぐに扉を開けて出て行った。外は怒号が響いている。
私はマティアスの勝手な行動に抗議する暇もなく、扉をすぐさま閉めて言われたように鍵をかける。
そっと窓の外をうかがうと、護衛騎士たちが戦っていた。放たれた矢が馬車に当たって音が響く。
何人くらい賊はいるのだろうと眺めていると、とうとう火矢が飛んでくるのが見えた。
え、マティアス。さすがに火矢が何本も当たれば馬車は燃えるわよね? そんな状態で座席の上部を開けた空間に隠れていたら私は丸焦げにならない? 馬車が燃えたら逃げていいわよね?
飛んでくる火矢をマティアスが跳躍して剣で叩き落とす。
「なんなの、あの動き」
騎士ってあんなに動けるもの? あんなに人間って跳ぶの?
マティアスは騎士じゃないけど。そんなことを考えていると、何本かの矢を叩き落としたマティアスがチラリとこちらを見た。
慌てて窓をのぞくのをやめて、座席の上部を開いて隠れる。後から「危ない真似はしないでください」なんてお小言をもらいたくないもの。
しばらく小さくなって隠れていると、周囲の声がだんだん聞こえなくなるほど小さくなっていった。
身を起こして周囲を確認したいのを我慢していると、トントントトンと扉が叩かれる。マティアスが決めた合図だ。
髪の毛がどこかに引っかかったが、そのままにして扉を開ける。
「終わりました」
マティアスの後ろには賊らしき者が何人か倒れている。そして見えるのは赤い血。マティアスの服にもあちこち散っていた。
マティアスは私の髪の毛が引っかかっているのに気付くとすぐ馬車に乗り込んで、なんとかしてくれる。
「取れないなら切っちゃって」
「小さな隙間に挟まっているだけです。殿下の髪は綺麗なんですから切るなどとおっしゃらないでください」
私の髪が綺麗なのは当たり前だけれども。髪以外だって綺麗だ。でも、マティアスにそう言われるとなんだか変な気分になる。居心地の悪さに話題を変えた。
「騎士たちの中に負傷者はいるの?」
「殿下が馬車の中で作ってくださったお札で足りますから大丈夫です」
やっと引っかかっていた髪の毛が取れた。元のように座席に座りながら、マティアスを眺める。思っていたよりも彼の服には返り血がついていた。
「私には怪我はありません」
「そう」
私はそこを心配したのではない。動きを見ればどこも庇っていないし、痛みもなさそうなのは分かる。
マティアスはついこの前まで魔物と戦ったこともなければ、賊と戦うこともなかったはずだ。今では前線にまで出て魔物を殺し、賊まで殺している。それはすべて私を守るためだ。
それでも私はマティアスを心から信頼できなかった。もちろん、感謝はしている。
でも、この人は誰かを守るために平気で誰かを殺せる人なのだ。それが私にとって最も怖かった。
マティアスと私がもし敵対したら、マティアスは私を簡単に殺すだろう。なぜかその恐怖がずっと拭えない。
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