第7話
「殿下。私は前線に少しの間行くことになりました」
「はい? どういうことよ」
「癒しの水の効果で魔物は弱体化するのですが……これまでの負傷者が多く、まだ復帰できない者も多いため、私も行くことになりました」
「あなたは私の護衛として付いて来たんでしょ。話が違うじゃない」
「そうですが、殿下には王妃殿下がつけた護衛騎士も派遣された神殿騎士もいますから大丈夫でしょう。王妃殿下がつけた騎士は信用がおけます。神殿騎士だって神殿に入っておりますから表立って王弟の味方はしません」
「それでも、わざわざあなたが前線にまで行かなくていいじゃない。断ることはできるんでしょ? あなたって一応、伯爵家の嫡男なのよ? 危ないわよ」
「一応、殿下の婚約者でもありますね」
マティアスとこんな会話をしたのはいつだっただろう。ストレスのたまる会話だった。
「それなら、前線に行かなくていいでしょ。魔物と戦ったのだってこの前の一回だけなんだし」
「この前の一件で行けるのではないかと声がかかりました。殿下の婚約者の座を守るために、少しばかり前線で活躍しておくといいかもしれません」
「ご苦労なことね。宰相の命令で婚約者の座を守るためにそんなことまでしなくちゃいけないなんて」
「母のいるここまで魔物がまた来ても困りますから」
「怖くないわけ?」
あーはいはい。母親のためが大きいわけね。でも、私は魔物を見ただけで怖かった。臭い息も獣っぽい息遣いも全部思い出せる。禍々しいあの空気も。思わず腕をさすった。
「殿下の癒しの水があるから大丈夫ですよ」
「死んだ人を生き返らせることはできないわよ。腕が千切れたって生やせないし」
「酷いですね、私に死んでほしいんですか」
「そんなわけないでしょ。あなたが死んだら私の公務の報告書を誰が書くのよ」
マティアスは珍しく笑った。そして「ちゃんと帰ってきますよ」と言った。
あれから七日は経ったわよね? 私はひたすら癒しの水ばかり作っていた。その都度、神官に舐められないように話も聞きに行った。
マティアスのことはいくら信頼しておらず好きでもないとはいえ、さすがに心配だった。
マティアスが死んだら、新しい婚約者を当てがわれるだろう。それは王弟の息がかかった者かもしれない。宰相の言いなりになった親戚かもしれない。絶対に私の味方ではないし、ここからまた信頼を築くのも面倒だ。マティアスは私に恩がある。信頼していなくてもそれだけは事実だ。
もしマティアスが私と明確に敵対する時が来たら、その恩がマティアスを鈍らせてくれる。
「ん?」
癒しの水を作っていたと思っていたら、なぜかベッドに寝かされていた。
さっきまで昼間だったはずなのに、今は外が暗い。いつの間に私は寝ていたのだろう。
「お目覚めですか?」
頭を動かすと、ベッドの側に約七日ぶりのマティアスがいた。
「夢?」
「現実ですね」
「前線からいつ帰ってきたの?」
「先ほどです」
「じゃあ、休んだら? なんでここにいるのよ」
起き上がると頭が少し痛い。
「殿下こそ休んでください。休憩中にイスに座ったまま気絶していたそうですよ。癒しの水をかけても意味がなかったそうです。あれは聖女の力を回復させるわけではないのですね」
なんで私、そんな柄でもない労働しているのかしら。
水の入った樽の量が倍になったのがいけないのよ。私って過労気味じゃない?
「私がここにいることがご不満ですか? カルヴァンの方が良かったですか」
労働に対する不服そうな私の表情を見て、マティアスはそんなことを聞いてくる。全身を眺めたが、彼はどこも怪我をしていないようだった。
「誰よ、カルヴァンって」
「銀髪の神殿騎士です」
「あぁ、あの人ね」
美形だけど、キラキラした目で話しかけてきてうざったいのよね。
あの目は私を見ているというよりも、私を通してあの人の理想の聖女を見ている。だって封印の力を使った翌日からやたらとうるさいもの。あの神殿騎士は聖女の力が好きなだけだ。
他国にも聖女はいるけれど、持っているのは癒しの力だけ。封印の力まで持っているのは我が国の建国の聖女だけなんだとか。そんな細かいこと言われてもね。癒しの力だって十分凄いじゃない。私は嫌だけど。
「あの人、聖女大好き人間でしょ。気持ち悪いのよ」
「殿下は聖女です」
「そうみたいだけど、あの神殿騎士は聖女の私が好きなだけでしょ。聖女の力を失ったらその辺の石みたいな対応になるはずよ」
私が聖女の自分を好きだったら、カルヴァンという神殿騎士の存在も許せただろう。でも、私は聖女と呼ばれる自分が嫌いだ。だから、特別な力を何も持っていない私じゃなくて、聖女の私が好きな人のことを私は大いに嫌う。
おかしいじゃない、聖女じゃなきゃ愛されないなんて。聖女じゃなくても愛されている人はいっぱいいる。何で私は聖女じゃなきゃ愛されないの。
「そういえば、以前魔物がここに現れたことに関与した貴族が捕まったそうですよ」
「へぇ、犯人は誰?」
「物資を援助した子爵です。魔物が好む香のラベルをわざと逆に張り替えたんだとか。あの子爵家は裕福で確かに可能でしょうが、トカゲの尻尾切りでしょうね」
「黒幕は野放しじゃないの」
「えぇ、ですが魔物の数はこの七日でかなり減ったので近々殿下は王都に戻れるでしょう。もうカリスト領だけで対応できるくらいの魔物の数です」
私は自分でも分かるくらい笑みをこぼした。やっぱり、毎日お風呂に入れる方がいいし、魔物に追われる心配のない王都がいい。何より、しばらく働きたくない。
「じゃあ、魔物のピークは過ぎたってことね」
「はい」
「前線は大変だったの?」
私の言葉にマティアスは驚いたようだった。失礼な。私だって心配くらいするわよ。
「大型の魔物が多かったですが、特に問題はありませんでした」
「まぁ、あなたが帰って来たなら良かったわ。約束はちゃんと守るわけね」
「殿下は私のことを心配されたんですか」
「死なれたら困るもの」
私は知らなかった。魔物との戦闘経験が圧倒的にないはずのマティアスが前線で異様に活躍していたなんて。
聖女と呼ばれる存在は他国にもいる。我が国では私だけという話だ。でも、勇者という存在は建国の伝説の中にしかいない。でも、マティアスがそうではないか、勇者の再来だなんて声が大きくなっていた。
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