第3話

 マティアスは私に与えられた部屋まで抱えて運んでくれた。騎士が数人後ろからついてきてくれたが、もう魔物は現れなかった。

 途中で神官に声をかけたり、声をかけられたりしながらようやく部屋に到着してイスに下ろされる。


「着替えを手伝うシスターを呼んできます」

「一人でできるわ」


 シェリルだった記憶があるのだから着替えなんて余裕である。なんなら家事だって一通りできる、やりたくはないが。

 マティアスは嘘だとでも思ったのか、マジマジと私を見てくる。


「殿下は不思議な方です」

「あのね、か弱い私は魔物も見たことなかったの。死にそうになってショックなんだからそういうこと言うのやめてくれる? 余裕ないの」

「それなら、シスターに手伝ってもらったらいいでしょう。お疲れなんですから」

「じゃあ、シスターを呼んで。あなただって血まみれで臭いわよ。着替えたら?」

「食事の時にまた来ます」

「来なくていいわよ」


 マティアスの母親が入って来て、着替えを手伝ってくれた。毎日お風呂に入れるわけではないが、今日は気を遣ってもらえたのか入らせてもらえた。

 一人でいたかったので彼女を返し、濡れた髪を自分で拭きながらイスでウトウトとしてしまった。魔物に追いかけられたのだ、王女になってからあんなに走ったことはない。


 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 目を開けると、誰かが髪の毛を拭いてくれていた。


「髪が濡れたままでは風邪をひきます」

「自分でやるわ。どうして許可なく入ってきたの」

「ノックしても返事がなかったので仕方なく。気絶して倒れていらっしゃっては大変ですから」


 食事の香りが鼻をくすぐる。もうそんな時間か。


「侍女を連れてくれば良かったのですよ」

「あの気に入らない侍女は置いて来たんだから仕方ないでしょ。王弟のスパイみたいだったし」


 そんな会話をしながら、マティアスは慣れた手つきで髪を拭き続けている。

 危なっかしい手つきであればすぐにタオルを取り上げたのに。強すぎたり、髪の毛が引っ張られたりすることもない。ぼうっとしながら、食事のトレイを見ると今日はオレンジが二個あった。


「なんでオレンジが二個あるの」

「今日は私がじゃんけんで勝ってもらえたので、良かったらどうぞ」

「あなたが食べたらいいでしょ。それか母親にあげるとか」

「殿下がそうおっしゃるなら」


 マティアスが髪を拭き終わって後ろから離れると、ホッとした。


「神官たちが今調べていますが、やはりあの光を放つ鎖は聖女様の力のようです」

「そうなの」


 今日の力もどうやって使えたのかさっぱり分からない。まぐれで使えたようなものだから、あまりにできないとまた「どうしてできないんですか」って非難されるのかもしれない。


 聖女になんてなりたくなかった。

 最初は癒しの力だって有難いでしょうよ。でも、それが普通になったら私は絶対に搾取される。それなのにまた扱いきれない新しい能力まで。

 使い方の説明書をつけてもくれないなんてどれだけ不親切なの。嫌がらせレベルじゃないの。


「嬉しくなさそうですね」

「当たり前でしょ」

「殿下は不思議な方です。聖女らしくないのに、とんでもないくらい聖女に見える時もあります」


 またマティアスの「不思議」が始まったので私は無視した。


「特別な力があるのが偉いとふんぞり返るわけでもなく、むしろ聖女であることを嫌がっている。それなのに母に気を遣ってくれますし、負傷兵には魔物と戦って偉いと声をかけている。今日はカリスト領に来たくなかった、なんておっしゃっていたのに。どれが本当の殿下ですか」

「そういう難しい話、やめてくれる? 全部私よ」

「殿下が震えて腰を抜かしていても、誰も馬鹿にしません。あなたは死ぬはずの者や、何カ月も苦しむはずだった者を救っているんですから。もっと周囲を頼ってくださっても大丈夫です」

「じゃあ、今度からあなた以外にするわ」


 あの時は余裕がなくて、マティアスに縋ったけどよく考えたら他にカッコいい騎士を探しても良かった。でも、さまざまな地域から騎士が集まっているから王弟の息がかかった者がいたら嫌なのよ。そんなのに隙を見せたら一体どうなるか。

 言ってしまえば、目の前のマティアスは宰相の息がかかってるんでしょうけど。分かりやすすぎて逆に縋ってしまったわ。


 もう、頭が痛い。どうして、シェリルじゃないのに命の危険ばかり感じなければいけないの。


「もしかして、殿下はこれまで誰かと本気で向き合ったことがないのでは。だから、誰も信頼できない」

「はぁ?」


 思わずそんな低い声が出た。


「あなた、失礼じゃない?」

「でも、そうではありませんか。殿下はワガママなようで実は一部の人以外を全く信じていません。信じているのはご家族と殿下の乳母くらいでしょう」


 マーサのことは信頼している。彼女はアデルに危害を加える人ではない。

 家族もまぁ……少しは信頼し始めている。聖女になったことに諸手を挙げて喜ばなかったから。でも、もうちょっとアデルと信頼は築いておいて欲しかったわよ。


「だったら何? あなたは私を信頼してるわけ? してないでしょ」

「記憶を失ってからの殿下のことは不思議と信頼しています。それまでの殿下は正直、信頼していませんでした」

「蔑んでいた癖に」


 そう返すと、マティアスは食事をしながら驚いている。

 私はそこまでバカじゃないのよ。


「母親にメリットがあったから私を信じただけでしょ。何かしてもらったから信頼するなんて。そういうギブアンドテイクは信頼って言わないんじゃないの?」


 オレンジを一つ、マティアスに突き返す。

 私だって誰かを信じたかったわよ。でも、お金しか信じられないんだから仕方ないでしょ。


 シェリルだった頃、王太子のレグルスとは一緒にいたけど対等ではなかった。だって、こっちが媚売ってるんだから対等になんてなれないでしょ。あれほど一緒にいたのはレグルスくらいよ。それでも信頼なんて築けないんだから。

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