第2話

「聖女様! こちらは危険です!」

「あっちにも魔物がいるのよ!」


 騎士にそう叫ばれたので、私も叫び返す。

 なんで今日に限って魔物がここにこんなに出るのよ!


「とにかく、お逃げください!」


 一体どこに逃げろって? 振り返ってもマティアスも警備兵も姿は見えない。しかも魔物は小型なだけあって動きが早い。これじゃあ騎士たちが気を引いている間に逃げるのも失敗しそうだ。背中から襲われるなんて嫌よ。


 一回毒殺されているとはいえ、また死ぬのはごめんだ。

 次はどうなるか分からない。王女に生まれ変われる保証もない。まだ全然贅沢してないのに。せめてふっかふかのベッドの上でお腹いっぱい食べて幸せにポックリ死にたいわよ。


 足元の石をいくつか拾う。他に投げられそうなものでもないかとポケットを漁るが、癒しの水を入れた瓶しかなかった。これって魔物に投げたらどうなるのかしら。魔物にまで癒しが効いたら困るわね。


 騎士たちがうまく私から離れた所へと魔物をおびき寄せてくれている。これなら走って逃げられるかもしれない。私はここにいたって足手まといなんだし。


 息がある程度整った私は隙を見て走り始めた。

 さっきまで走っていたはずなのに、足が冷たくて震えている。その冷たさは走っていても足からどんどん上へ上へと這い上って来た。


 これが死の恐怖か。

 毒殺された時は血を吐いて熱かったのに。今日は全身が酷く冷たい。


「聖女様! 危ない!」


 後ろからそんな叫び声が聞こえた。走りながら振り返ると、片目を潰されてあちこち傷を負った魔物がこちらを追って来ているではないか。


 冗談でしょ?

 何? 魔物は聖女を狙う習性でもあるわけ?

すぐに走る方向を斜めに切り替えて振り返ったが意味はなかった。凄いスピードで私の方に迷いなく魔物は向かってくる。


 絶対に追いつかれる。

 騎士たちは矢を射っているようだが、当たらずに私の走る向こうまで飛んでいく矢も視界に入った。


 後ろに魔物の息遣いまで感じ始めた時、私の足がもつれて盛大に転んだ。


「聖女様!」


 そんなに叫ばなくてもピンチであることは分かってるっつーの。ポケットに手を突っ込んで石をいくつか取り出す。


 魔物に食べられて死ぬくらいなら、最初からアデル王女に生まれ変わりなんてさせないでよ。痛い思いなんて毒殺だけで十分。こんな無駄に死ぬくらいなら、生まれ変わりなんていらなかったわよ。誰よ、生まれ変わりなんてさせた奴は。神様?


 起き上がって思い切り魔物に向かって石を投げた。

 当たったが、全く意味はない。魔物が大きく私に向かって口を開ける。臭い息がかかった。せめて好きなケーキの香りでも嗅ぎながら死にたいんだけど。


「ギャアア!」


 急に魔物が苦しみ始めた。叫び声を上げたついでにヨダレが盛大に私にかかる。


「殿下! 離れてください!」


 声が上から降って来る。見上げると、マティアスが魔物の背に剣を突き立てていた。私の口は驚きで少し開いた。


「早く!」


 立ち上がれなくてズリズリと後ろに下がる。

 そこで気付いた。魔物の足に淡い光を放つ鎖が巻き付いていることに。その鎖はスルスルと魔物の全身を覆い始めた。

 マティアスは気付いて魔物の背から飛び降りる。


「これは……殿下が?」

「知らないわよ」


 魔物はまだ絶命していなかったが、鎖に覆われて身動きが取れなくなった。


「癒しの力を使った時と光の色が同じです」

「そうなの?」

「はい、そして文献には建国の聖女様は封印の力を使えたと書いてありました。これはその封印の力では?」


 どんな文献よ、それ。おとぎ話じゃないでしょうね。


「聖女様が邪竜を封印して、勇者様が止めをさしたのです」


 おとぎ話じゃないのよ。神殿の正式資料なの?


「きっと聖女様の力でしょう。良かったです、間に合って」

「というか、あなたはなんで魔物と戦ったこともないのに……さっきの魔物はどうなったのよ」

「なんとか倒せました」

「血まみれじゃない」

「これは魔物の返り血です」


 マティアスは淡々と言いながら、追いついて来た騎士たちが突如出現した鎖に驚きながらも魔物を絶命させるのを見守った。


「立てますか」


 マティアスが手を差し出してくるが、私は腰を抜かしていた。


「立てないわよ」

「とりあえず、この現場は神官たちに見てもらった方がいいですね。私は血まみれなので他の者に殿下を運んでもらいましょう」

「待ちなさい」


 騎士に声をかけに行こうとしたマティアスを強く呼び止める。


「私は気にしないからあなたが運びなさい」

「あぁ、いえでも返り血が酷いので殿下が嫌でしょう」

「他の人はあなたより信用できない」


 マティアスは呆れたように私を見た。この期に及んでそんなことを言っているのか、という目だったがやっと私の震えに気付いたらしい。そう、私はさっきから震えが止まらないのだ、寒いし。


「殿下は、私に向かって目の前にいて欲しくないとおっしゃったじゃないですか」

「言ったわよ」

「仮病を使って会ってくださらないですし」

「疲れてたのよ。それに、今はそんなこと関係ない。聖女の私がこんなに震えているのがバレたら騎士たちの士気が下がるでしょ」


 寒い、とても。足からずっと冷たさが這い上がって来る。

 騎士の士気なんて私は気にしていないけれど、こんなに震えていることを他人に気取られたくなかった。


「そこまで考えていらっしゃるなら、僭越ながら」


 マティアスは私を抱え上げた。血の匂いが鼻をつくが、私は寒くてマティアスの首に両手を伸ばして縋りつく。マティアスは一瞬、体をこわばらせたがすぐに騎士たちに声をかけて歩き始めた。

 私の震えはずっと止まらなかった。

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