第10話

 さっきうっかり負傷兵に「あんた」って言った気がするわ。最近、シェリルだった時の癖が出ちゃうわね。頑張ってネコ被らなきゃいけないけど、神官とシスターはそんな細かいことは気にしていないからまぁいいか。


 部屋に案内されると、マティアスが盆にのせた食事を運んできてくれた。


「皆で食べると殿下のところに人が集まるので、休めないだろうという配慮のようです」

「あぁ、そうなの。ありがたいわね」

「あとは力を使ってお疲れだろうと」

「そうね、疲れたわね」


 さすがにここで気絶する演技は入れていないけど。

 マティアスも一緒に食べるらしく、私の前ではなく隅の方に自分の盆を置いている。不思議なことにマティアスの食事にフルーツはついていない。私の前の食事にはついている、オレンジだ。


「あなた、フルーツ嫌いなの?」

「あぁ、それは聖女様がお越しになるからと近隣住民がわざわざ届けてくれた物資だそうです。数量が限られていたので、殿下と他の兵士に回ったのではないでしょうか」

「わざわざ、魔物が出る地域まで届けにきたわけ?」

「前線は別ですが、ここまで魔物はやって来ません。だからこそ来れたのです」


 私は皮の剥かれていない、つやつやしたオレンジを手に取った。

 聖女だからこその特別扱いか。このオレンジが。


 多分、私は喜ぶべきなんだろう。「わぁ! ありがとう!」って近隣住民に感謝するべきなんだろう。でも、それをしてしまったら私は私でなくなる気がした。シェリルなのかアデルなのかも分かっていない今、私の存在なんて語れないかもしれないけど。

 それでも、私はこの特別扱いを喜んではいけない。もし、喜んでしまったら特別じゃなきゃ愛されないと認めることになってしまうから。私は特別じゃなくても生きてていいんだって、愛されていいんだって信じたいだけだから。


「城のような食事とはいきませんが」

「そんなことは分かっているわ。文句なんて言わないわよ」

「オレンジの剥き方、分かりますか。剥きましょうか」

「剥けるわよ」


 シェリルだった時の記憶があるんだから。王女は剥けないかもしれないけどね。

 その後は会話もなく、黙々と食事をする。


「私が何か気に障ることでもしましたか」


 オレンジを剥いていると、マティアスが聞いてきた。

 こいつ、私がオレンジを剥けないと思ってさっきから見てたわね。


「またその話? 毎日会うのが億劫だっただけよ、別にもういいでしょ」

「記憶は戻っておられないんですか?」

「記憶? 戻る気配なんてないわ」


 聖女になってからアデルの記憶がないことは全く変に思われていないし、私がおかしな行動を取っても今のところ大丈夫だ。


「何か気に障ることがあると、仮病を使って私に会わないのは以前の殿下のようだと思いまして。記憶が戻ったのかと」

「仮病じゃないわよ」

「神殿関係者から聞きました。殿下は大変お元気だったと」

「神官たちと癒しの力を訓練して疲れたんだから仮病じゃないわよ」


 アデルって、マティアスのこと苦手だったのかしら。蔑みの目で見られていたくらいだからそりゃあ会いたくないわよね。宰相の息子だし。私はまぁまぁ流せるけど、小言は多いし。アデルは私と考えがある程度似ているみたいで良かったわ。


「私が殿下に会いに行ったのは神官たちの前です」

「どうでもいいでしょ、そんなこと。あなたの母親の件が片付きそうなら、頑張って私と仲良くする必要ないでしょ」

「私は頑張って殿下と仲良くしているわけでは」

「宰相から言われてるんでしょ。適当に会ったって嘘ついておけばいいじゃない。まぁ、あなただって自分の身を宰相から守るためにある程度は頑張らなきゃいけないんでしょうけど。私だっていつ害してくるか分からない人の息子と仲良くする気はないわ」


 あまり纏わりつかれても面倒だ。若かりし日の宰相の様子を思い出して以来、マティアスが信用できない。どうにか距離を取ってもらわないと。


「……母を助けてくれた殿下にそんなことはしませんし、させないつもりです」

「どうだか。お兄様の足だって、私の記憶が喪失する前の高熱だって。お父様とお母様の狙われた回数だって数えきれないでしょ」

「ノワール王太子殿下の足について、父は関与していません」


 あまりにはっきり言い切るので、私はマティアスを探るように見た。


「父ならもっと確実に傷つけられる手を使います。興奮剤のようにどのような結果に分からないものに頼るなど」

「そんなの、証拠にもならないじゃない。誰かと手を組んでいるかもしれないんだし。とにかく、あなただって母親を助けてもう憂いはないでしょ? だったらこれからは適当に」

「父がこれまで本当に殺したのは一人だけです。平民は知りませんが、貴族は一人だけ。あとは脅迫したり、害したりして退けたようです。それに屈しなかった人は殺しました。現国王が王太子だった時に彼に侍っていた悪女シェリル・バーンズ」


 誰よ、悪女って。

 私は悪女じゃなかったわよ、失礼ね。


「ねぇ、今すぐ出て行って」


 マティアスはおそらく、私に信用させるためにこんなことを口にしたのだろう。宰相が馬に興奮剤を使うなど、死ぬか怪我をするか何ならピンピンしているか分からないような不安定な方法は取らないと言いたいのだ。必要であれば、シェリルのように殺すと。兄は王太子だからシェリルほど簡単に毒殺できないだろうが。


 でも、マティアスはシェリルのことを口にしてしまった。

 出ていけと言われて、意味も分からず彼は驚いている。


「出て行って、今すぐに。あんたに目の前にいて欲しくない。宰相の血が半分でも入ったあんたなんかに」


 机を叩くと、マティアスは肩を揺らした。

 私も恐らくその言葉は言ってはいけなかっただろう。マティアスは宰相の息子であることを恥じて生きているだろうから。でも、言わざるを得なかった。だって、宰相がシェリルを殺したんだから。

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