第5話
どうして思い出さなかったのか。宰相の銀髪は珍しいのに。
シェリルだった頃、敵はたくさんいた。その中に今の宰相イーライ・フリントもいたというだけ。接点なんてなかったのにあんな目で見られていたのは、シェリルが王太子の側にべったり侍っていたから。
というか、最悪よ。シェリルを殺したのが宰相の可能性だってあるじゃない。なんで考えもしなかったのかしら。
聖女になったのは誤算だけど、それ以外は王女の贅沢生活をせっかく楽しんでたのに。どうして今更思い出すのよ。
「姫様、マティアス様がいらっしゃっています」
「会いたくないから調子が悪いとでも言っておいて」
「え、姫様?」
「マーサ。私は気分がすぐれないの。会わないわ」
「は、はい」
歌劇場での件があったし、宰相のために自発的に動いているわけじゃなさそうだからマティアスとはよく会っていた。でも、それは間違いだったかもしれない。
歌劇場でマティアスが死にかけて、極限状態で嘘なんてつく必要がないなんて甘いことを考えたのがいけない。
私は頭が良くないんだから、より一層注意しないといけないのに。
マティアスは間違いなく特別な人間。頭も顔もいいし、抱き寄せられた時も鍛えている感触があった。あんな奴に心を許しちゃいけない。あいつは私とは違うんだから。
魔物の出る地域に行かされるのはもう少し経ってからだ。どうせあちらに行けば四六時中息が詰まるほど一緒にいるのだから、今わざわざ会う必要はないだろう。
マティアスの訪問を何度か断り続けていると、大変珍しく王妃イザベラから誘いを受けた。アデルの母だからもっと親交があっていいと思うけれど、私がこの体で動き始めてからお茶会は初めてだ。
癒しの力を兄の次に使った時も会ったが、あの時イザベラの顔色は体調が悪い中仕事をしていたので非常に悪かった。でも今は、私がシェリルだった時に見たのとあまり変わらない美貌だ。
もちろん年は取ったけど、それでもイザベラは綺麗だ。悔しいことに気品が増している。
「どうしたの、アデル」
「いえ、お元気になられて良かったです」
どうも距離感を掴みにくい。兄ノワールは平気だったのに。
イザベラはアデルの動揺を見抜いたように微かに笑った。
「マティアスを避けるようになったと聞いているけど、どうしたの?」
「毎日会う必要がないだけです」
「今までは会っていたのに。何かあった?」
ちょっと喧嘩しただけ、なんて嘘をついてみようか。
「彼の他に私の婚約者候補はいなかったのですか」
質問に質問で返してしまった。
学園時代のイザベラなら「私が質問しているの」と返答してきたが、今はどうだろうか。
「いたけれど、一人の家の横領が発覚したの。それでもう一人は怪我をして。そうしたら皆が辞退していってマティアス以外残らなかったわ」
宰相、こわぁ。
そこまでアデルの夫の座を狙っていたのか。あそこは娘もいたが、小さい頃に亡くなっていると聞いた。
「お兄様の婚約者はどうされるつもりですか」
「私もノワールもあなたのおかげで元気になったから、他国から探しているわ。でも、前の婚約者の子みたいに狙われたらと思うと……外交問題がね。ひとまず、宰相の縁者にしておくべきかしらね。そうすればアシュクロフト公爵もしばらく大人しいかしら」
宰相、こわぁ。ついでにイザベラもこわぁ。
だってこれ、宰相の縁者をノワールの婚約者にしておけば宰相からは狙われないし、王弟から狙われても問題ないということでしょう?
「宰相の縁者にしたら貴族がうるさいのではありませんか」
私の婚約者だって宰相の息子であるマティアスなのだ。宰相に権力集中どころの騒ぎではない。
「そうなのよ。そこよ、問題は。だから何とかしないとね。もしかしてそれを気にしてマティアスを避けているの? アデルもそんなことまで考えてしまうようになったのね。宰相は聖女であるアデルの婚約者の座を他には絶対譲らないわよ」
イザベラは王妃になっても子供を産んでも、やっぱり私の知るイザベラだ。
高貴で国のためになることを考えていて美しくて特別な人。何でも持っているのに、努力し続ける人。何の才もない凡人が追いつけるわけがない。そんなことは知っていた。だから、彼女を押しのけて王妃になるつもりはシェリルにはなかった。
イザベラはアデルの成長を喜んでいるようだけど、アデルは本当に見てくれだけの王女扱いだったのね。このくらいのことを答えて喜ばれるようではね。
「私がマティアスを避けているのは、シェリル・バーンズの件です」
もう、さっさと聞いてしまおう。
私はイザベラみたいに賢くないのだ。国のためにいろいろ考えることも嫌い。でも、シェリルだった私を殺したのが宰相だったら……その息子であるマティアスと普通に接することはもうできないだろう。
マティアスはあの時生まれてもなかったし、関係ないはずなのにね。でも、人間の心って複雑なのよ。マティアスが大事にしているのは母親だけなんだし。私のことはいつ放り投げるか分からない。
「どうして……誰からその名前を」
イザベラは初めて動揺した。
でも、私は深く安堵していた。あぁ、良かった。私はイザベラに忘れられていなかった。
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