第3話

 会議が終わってしばらくすると、マティアスと神官がやって来た。


「何か用?」


 神官は最近よく会っていたから分かるが、マティアスはなぜここにいるのか。

 この前痴女扱いされたというか、口付けが発動条件ではなどと衆目で言われたことを思い出したのでぶっきらぼうな対応になる。


「聖女様は口付けをしないと癒しの力が発動しないのですが、マティアス様が試してみたいことがあると」


 思わずマティアスを睨む。こいつって余計なことしかしないじゃない。


「殿下のためにもなることです」


 しれっと意味が分からないことを発言するマティアス。なぜか私の目の前には水を並々と入れた盥が差し出される。


「何よこれ。というかあなた、さっきの会議で魔物の出る地域に行かされることになったわよ。宰相が言い出して。私の護衛ですって」

「あぁ、そうでしょうね。父ならそう言うでしょう。殿下の婚約者の座を死守しないといけないですから」


 マーサ以外の侍女は部屋から出て行ってもらっている。マティアスはこともなげに頷いた。大丈夫なの? 婚約者の座じゃなくってあんたの母親は。

 私は訓練中ってことになってるから身内と使用人以外にまだ癒しの力を使ってないのよ。すぐ倒れる演技もしてるし。だから、あなたの母親のところまで行って力使うなんてできないわよ? そんなことしたら民衆押しかけてくるじゃないの。


「我々神殿関係者は人間にしか癒しの力が効かないと思っておりました」

「ネコやイヌにかけるの?」

「いえ、この水にかけていただけますか」


 意味が分からず、盥を凝視する。


「この水にもし癒しの力が宿るのなら、この水を皆に分け与えればいいでしょう。一人ずつに口付けしなくていいのです」

「あぁ、確かにそうね」


 水を癒しの水にしろってことね。それならいいわね。

 水面に身をかがめると、垂れて濡れそうになった私の髪をマティアスがさっとよけて束ねてくれる。ムカつくけど、気が利くわね。


 水面に唇が触れると、またあの私の嫌いな淡い光が放たれた。


「やった! これでたくさんの人に行き渡る!」


 神官は飛び上がって喜んでいる。

 私も一回でうまくいくとは思っていなかったので驚いた。意識したらできるものね。朝顔を洗った時はこんな風にならなかった。


「姫様、おかけください。ふらついたら大変です。眩暈などはございませんか」


 マーサが感動しながらもすぐに駆け寄って来るので、イスに腰掛ける。そうよね、こういう演技をこまめにしとかないとたくさん働かされそうだもの。


 マティアスと神官はどのくらいの分量が必要なのか、頭をつき合わせて話し合っているようだ。


「先に魔物の出現地域に送ってもいいのではないでしょうか」

「その前に腐るかどうか、日数が経ったら効果が落ちないかの実験も必要でしょう」

「傷・病の程度によってどのくらいの量が必要かもやってみなければ。重病人たちが神殿に困ってやってきているので……」

「では、こういうのはいかがでしょう。誰でも使えるように広場の噴水に……」

「それは名案です!」


 二人でかなり盛り上がってるじゃないのよ。私、当事者なのに部外者のような扱いなんだけど。やがて神官は盥に入った水を大事そうに抱えて帰って行った。あれはきっと途中でこぼすわね。


「あの水があるなら私、魔物の出る地域に行かなくていいかしら。こんなにか弱い私が行かなくてもいいわよね」


 そう口にしたらマティアスに呆れた目を向けられた。


「会議で決まったことでしょう。そもそも、殿下が行くからこそ他家からさらに金や人員を巻き上げることに成功したのです」

「はぁ、それもそうね。あなたは大丈夫な訳?」

「私の剣の腕を疑っていらっしゃるのでしょうか」

「違うわよ、長期不在にしたらあなたの母親どうなるのよ」


 声をひそめて話していると、マーサが「まぁまぁ姫様ったら」なんてこっそり笑いながら遠くの隅に行く。そんな親密な雰囲気じゃないってば。


「先ほどの水をもらおうとも考えましたが……その前に母を移動させないといけません」

「あぁ、完治したら宰相に狙われるの?」

「はい。私に言うことを聞かせる材料が一つなくなりますから。殺しはしないでしょうが……とりあえず避難先の目星はつけているのでこれからすぐ動きます。殿下のおかげで神殿とつながりができましたので」


 なるほど、神殿関係者と一緒にいたのはそれもあるわけね。


「水はまだまだ作れるから良いとして。水でもできたなら紙とかでもいいのかしら」


 適当に引き出しを開け、目についたイヤリングを唇に押し当てる。


「とりあえず、あなたの母親にはこれでいいかしら。他にもっとかさばらないものは」


 淡い光がまた見えたので大丈夫だろう。私、勉強嫌いだから紙がすぐ手元に出ないのよ。あぁ、レターセットならあったかな。盥の水は神官が全部持って行ってしまったし、ちょうどいい小瓶もこの部屋にはないのだし。


 引き出しをごそごそやっているとやけに視線を感じる。視線を上げると、マティアスが意外そうな顔をしていた。


「なによ。私のこともっとバカだとでも思ってたような顔ね」

「いえ、そうではなく。殿下は他人のことなんてどうでもいいと思っていらっしゃる方かと」

「どうでもいいわよ。私は私が一番大事よ」


 そうに決まってるでしょ。次はまぁ……アデルの家族よ。兄も母イザベラも悪い人じゃないみたいだし。


「でも母のことを心配していらっしゃいます。家族でもないのに」

「あなたが私を歌劇場で助けたからでしょうが。変なことばっかり死にかけながら言うし。本当に災難よ、私が聖女なんて。こんなにか弱くて何にもできないのに」

「確かに殿下は聖女らしくありません」


 結局レターセットが見つからず、イヤリングをワンセット渡すとマティアスは小声で礼を口にした。


「あぁ、あとはあの水を無断で売ったりしないようにさせなきゃね。あの水が聖女の水なんて言って高値で取引されたらムカつくわ」

「父を忙しくさせるために進言しておきましょう。売買した場合は処罰内容を考えなければ」

「本当よ、私が作ったものなのにそれで金儲けされたら腹が立つわ。私に使用料払えって話よ。さっきタダ働きだったのよ?」


 引き出しを閉めてからマティアスを見上げる。

 彼の目にはもう蔑んだ色はない。それになぜだか腹が立った。


「あなたって私が聖女って分かったら、会いに来るしよく喋るようになったわね」

「殿下は……私のことがお嫌いでしたから」

「そうなの? 記憶がないからそのあたりは分からないわ」


 以前のマティアスとの関係なんて蔑まれていた、くらいしか知らないわよ。私がそう感じたんだから。蔑んでいても歌劇場で真っ先に外に出してくれたけど、それはそれよ。

 マティアスのことだって信用し過ぎないようにしないと。どうせ、マティアスだって聖女を利用する気なんだし。


 不機嫌さが伝わったのか、マティアスが口を開く。


「殿下は聖女になったのが嬉しくないようですね」

「そりゃあ嬉しくないわよ。私はあのままのありのままで良かったんだから。それなのに聖女になったら魔物の出る地域に行けって言われるし、働かされるし。嫌だわ」

「聖女は特別な存在です。人の役にたつ素晴らしい存在ですし、普通嬉しいのではないですか」

「そんなわけないでしょ。特別じゃなくたって人の役に立たなくったって、平気で生きてていいはずよ」


 なんで、人の役に立たなくちゃいけないの。特別かどうかなんてどうでもいいでしょ。

 私はただ綺麗なドレス着て、美味しいもの食べて、ダラダラ楽しく過ごしたいだけよ。


「無能でも見てくれだけでも、地位が低くても流されてばっかりの人間でも。平気で生きてていいんだって私は胸を張りたいわ」


 マティアスはしばらく黙っていた。そしてイヤリングを丁重にポケットにしまう。


「殿下が聖女の力に覚醒した理由が分かった気がします」


 私は分からないわよ。

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