第4話

 私は家族の愛なんて信じていない。男女の愛はもっと信じていない。血のつながりさえ簡単に裏切るのに、なんでもともと他人と永遠の愛なんて誓えるのよ。あり得ない。頭がおかしくなったとしか思えない。


 兄はどういうつもりだろう。

 城に連日民衆が押しかけたらみんな仕事にならないから、あんな演説をしたに違いない。でも、大臣や側近に頼んだって良かったはずだ。


 いや、兄がわざわざ出てきたことは家族愛でも何でもない。民衆に言うことを聞かすために最も効果的だっただけ。あの頭のいい兄ならそうする。断じて、アデルが大切というわけじゃない。


 マティアスのところには神殿関係者も事情を詳しく聞くためにぞろぞろついてきたが、全員下がってもらってまずマティアスと私は小声で会話をした。


「あなたの母親、あんな説明じゃどこにいるか分からないわよ。私はバカなんだからちゃんと説明してよ」

「……母のことを口にした? 俺が?」


 開口一番文句を言うと、マティアスは意外そうにグリーンの目を大きくした。口調が乱れて独り言のようだ。


「言ったわよ。ノイシャとか。神殿の近くってどのくらい近くなの。どうすればいいわけ? 宰相にバレたらまずいんでしょ? 私の侍女の中にも手の者がいそうだから、たったあれっぽっちの情報じゃ困るのよ」


 周囲に聞かれないようにマティアスに顔を近付けてコソコソ喋る。マティアスも一度は大きく距離を取ろうと私から離れようとしたが、内容が内容だけに近付いてくれた。


「殿下は……そんな方だったのですか」

「はい?」


 至近距離でグリーンの目が探るように私を見ている。


「もっと諦めている人かと思っていました」

「あなたが死にそうになりながら変なこと言うからよ。もしあなたの母親が死んだら寝覚めが悪いわ」

「あの時、もし口にしてしまったのなら。私が死んだら母が困ると思ったからです。まだ猶予はありますし、薬は届けに行けば間に合いますので」

「あっそう。なら良かったわ」


 なんだ、死にかけてないんじゃない。ちょっと焦って文句を言った自分が恥ずかしいわ。恥ずかしくてぶっきらぼうな返しになってしまった。


「後ろの方々は神殿関係者ではないですか……しかも神殿長まで」

「私が聖女だって聞かないのよ。あれから祈っても何してもあなたに起きたのと同じことは起きないのに。あなたにも聞きたいことあるみたいよ。私が聖女じゃないって証明してちょうだい」

「あなたが聖女なら……」

「何よ、違うって言ってるでしょ」


 神殿関係者たちが待ってましたとばかりにマティアスに近付く。

 そして私はあの歌劇場前での体勢を再現させられた。


「殿下は胸に縋りつくような形で。心臓のあたりです」

「王女殿下、お願いします!」


 腕を火傷した使用人が同性で良かった。

 私は渋々、横たわった彼女の胸に縋るような体勢を取って祈ってみる。


「ダメね」


 マティアスから聞き取って何度も試し、神殿関係者たちの顔には落胆の色が濃くなっていく。マティアスも疲れてきたようで顔色が悪い。


 やっぱり、私は見てくれだけの王女なのよ。いいじゃない、それで。私は困らないわよ。


「あぁ、お待ちください。もしかすると」


 落胆と疲労の色が濃い中で、マティアスが思わずといった風に声を上げた。


「殿下の唇が私の体に触れていました」

「はぁ?」


 あんまりな暴露に、私は思わず疲れも忘れて元気に叫ぶ。


「姫様、緊急事態だったのですから。そういうこともあります、ですよね?」


 マーサが諫めてくれるが、なんだか空気が生温くなってきたのがいたたまれない。

 まるでマティアスは私が痴女であるような言いぐさじゃない。


「たまたま、殿下が私の心臓の音を確認した前後で唇が体に触れました。それか、殿下は涙を浮かべていらっしゃったので」

「ちょっと!」


 あんた、あの時目を閉じかけてたわりによく見てるじゃない!

 ますます、神殿関係者たちからの視線が生温くなる。これじゃあ、私がマティアスのことをものすごく好きみたいじゃないの!


「もしかすると口付けが発動条件かもしれません。以前、外国の書物でそのような聖女様がいると読んだ記憶が」


 マティアス、あんたいい加減黙りなさいよ。そんなのおとぎ話でしょ!

 そんなアバズレ聖女がいるなんてごめんよ。好きでもない男の体にどうしてキスしないといけないのよ。目の前にいるのは同性だけど!


「王女殿下! どうぞお願いします! 彼女の手に!」


 いや、絶対に違うから。

 火傷しているのは女性使用人なのでまぁ男よりは抵抗はないが……効率悪すぎるでしょ、そんな聖女いたら。


 心の中で完全に馬鹿にしながら、私は半ば自棄になって畏れ多いと震えている女性使用人の手の甲にキスを落とした。

 絶対に違う、あり得ないと思いながら。


 無情にも、あの時と同じ光が見えた。

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