第5話 買い物メモ《トイペ・パンツ》
皆様にたいせつなお知らせがあります。
わたくし、
やっとの思いでなんとかブラジャーを装着することができ、最低限の社会性を取り繕うことができましたので、無事に外出が叶う運びと
苦節15分、あまりにも長い道のりであった。
女の子ってこれを毎朝してんの。マジで?
せっかく装着できておいてなんだけど、もう既に外したい。ワイヤーが肉に食い込んでいて痛い。長時間の装着が身体にかける負担が大きいのは明白だった。
だが、いまは多くは望むまい。 苦節33年間の人生を歩む折、俺は「諦めが肝心」の真髄を心得ていた。
そう。ブラジャーなんてものは、バストトップをカバーして、みっともなく乳揺れしなければ、まずはそれでいい。
いいかい学生さん。ブラジャーをいつでも着けられるようになりなよ。それが人間、えらすぎも貧しすぎもしない。ちょうどいいくらいってとこなんだ。
乳ブレ防止機能がちゃんと作用しているかどうか、何度か試しにジャンプしてみたけど、あらまあ効果は歴然。明らかに揺れなくなっている。まさに動かざること山の如し。最低限の用は足している。それならまずまず上等じゃないか。
と、胸の前で腕組みをしながら、したり顔して喜んでいたら床が棒状の何かでつつかれる音がした。床ドンである。
――そういえばここはアパートの2階だった。下の階の人ごめん。
転生してから1日も経たずして、すでに隣人から一度
大学時代、友人のアパートで桃鉄やりながら盛り上がってたら、不動産屋からガチ説教を受けた経験を決して無駄にはするまい。自慢じゃないが俺もそれなりに多くの失敗を経て成長してきているからな。
いまはこうして可憐な小娘のナリをしてますが、それなりに人生経験は豊富ですからね。いまさらご近所トラブルなんかにつまずいたりなんかしませんよ。
★ ★ ★
何事も気の持ちようであると思うのだ。
考えようによっては、である。悪の手先の策謀に嵌り、人知れず呪いの刻印を埋め込まれ、その呪いのパワーによって突然体が疼くが、周囲に心配をかけまいと、痛みをひた隠しにしているヒーローの気持ちになれるのではないかと気がついた。
そう思うと、なんだかちょっとたのしいではないか。
繰り返す。何事も気の持ちようだ。みっともなくワタワタしてあのショタ神様がに笑われるくらいなら、ちょっと厨二を楽しむくらいがちょうどいい。
と、まあ。無理やりテンションをあげてみたものの。
痛いものはやっぱり痛い。
――この呪いを被ったまま活動できる限界は1時間というところだろうか。
ささっと用事を済ませてさっさとノーブラになりたい。もはや普通に拷問具。真夏のスーツ並みにさっさと脱いでしまいたい。
本当にブラジャーの正しい装着方法はどこかで学ばねばならないな。活動時間1時間で胸がズキズキズッキュンしていたら、日常生活に差し障りがありすぎる。
いつかデパートの下着売り場にでも行けばいいのだろうか。ブラジャーがこの一着しかないと、洗濯にも困るしね。この胸に汗腺がどれほど走っているのかはわからないが、さすがに毎日ずっとこのブラジャーを使っているわけにはいかないだろう。
洗濯が必要となれば、乾燥に困る。この代物はブラジャーという名前の厳めしさに恥じぬ厚手の布で出来ていて、当然ながら速乾性なぞ望むべくもない。浴室乾燥なんて小洒落たものは、あのワンルームにはついてないのである。
デパートの下着売り場なんて33歳のおっさんが最も近づいちゃいけない聖域な気もするが、然りとて同学年の子に聞くのはあまりにも忍びない。
もしこの世界が俺の知る18年前と同じだったとして、そういうことを聞けそうな異性がいないこともないのだが、今後の交友関係に影響が出そうなムーブは避けたい。
その点、下着売り場のお姉さんは仕事でやっているわけだし、ビシネスライクにやってくれるだろう。そしてなにより、
――そんなことを知人に聞くのは、俺が恥ずかしい。できれば避けたい。
一緒にしていいのかわからないが、俺以外の思春期の女の子たちも、きっとこうして悩んでいるんだろうね。
乳の悩みって、親父にはもちろん、おふくろにも相談しづらいもんな。
小六くらいのころだったか。親父にブリーフパンツを卒業したいって相談したときの気まずさったら、思い出すだけで死にたくなっちゃうもん。
閑話休題。
ブラジャーってのは何着くらい持ってるのが正解なんだろうね。
ブラジャーがおいくらするのかわからないが、そんなに安くもなさそうだから、せめてもう一着だな。
正直ブラジャーの値段なんてわからないが、所詮は下着なのだし、法外に高いなんてこともないだろう。まだ春で汗もかかないだろうし、最悪二つあればなんとか洗濯をローテーションできるだろう。
問題はパンツだ。今すぐにでもパンツは補充が必要だ。
上の肌着は汗とか皮脂意外に汚れる要素がないが、下となると話が別だ。
最悪、女性モノじゃなくてもいい。とにかく穿ければそれでいい。男物のボクサーパンツだっていいので、すぐさま替えが欲しかった。
あとトイレットペーパー。
とにかく女子はトイレットペーパーが入り用なのだ。
俺は見慣れない財布に1万円入っていることを確認し、ワンピースにポケットがないことに絶望しつつ、学生鞄で出かけるのも変なので、とりあえず財布を直接手に持ってそのままサッと外に出た。
可及的速やかに。トイペを手に入れよう。
★ ★ ★
歩くだけで息がすぐに切れる。若いくせに全然体力ないな、この体。
男のときより足も短いのと、どうも地面を蹴る力が弱いのだろう、男の自分と同じスピードで歩こうとすると、なかなかどうして消耗が激しい。
近くのスーパーは、アパートから3分ほどの距離にあった。
このスーパーは、かつての俺がバイトしていた思い出の場所だ。
住宅街の一角にむりやりねじ込んだような狭い敷地で、さほど大きな店舗ではない。
店舗手前の敷地は狭く、駐車場は屋上にあるのみ。店舗前にはときどき焼き鳥屋さんのキッチンカーやら、包丁研ぎのおじさんがテントを張っていることもあるが、何もない日はただの駐輪場となっている。
さっきアパートからも見えた桜の木は、近くに寄るとそれはそれは見事なまでに満開であった。この桜の木の下には、ベンチが2台用意されていて、バイト終わりによくここで廃棄のパンを頬張っていたことを思い出す。
そのときは、栗山理央も一緒のことが多かったっけな。彼女もかつてこのスーパーで働いていたはずだ。
もしかしたら、もうすでに働いているかもな、と思って彼女の面影を探したけれど、みつけられなかった。俺がここで働いたのは6月くらいで、その頃にはもう彼女も居たような気がするが、さすがに入学式前には働いていなかったということなのだろう。
というか俺は正しくタイムリープできてるんだろうな。全く違うパラレルワールドに飛んできてしまっていて、ここには栗山理央なんて跡形もないみたいなことがなければいいが。あの淫祠のことであるから安心はできない。
という疑いがアホらしくなるくらい、中のレイアウトは俺の記憶にある当時のまま再現されていて、神様パワーへの疑義は俺の中で少し晴れた。
俺はさっそく日用品コーナーに足を運んでいた。
(お、絆創膏があるじゃん)
思わず絆創膏に手が伸びかけた。ヌーブラがわりに使えるんじゃないかと咄嗟に思ったのだ。
実はかの大胸筋サポーターと悪戦苦闘していた際に、とりあえずバストトップの形さえ浮き出なければなんでもいいんじゃないかなと、真剣に絆創膏の購入を検討していたところであった。
――まあ、この重量だと垂れそう揺れそうで痛そうで、まず無理だし、なんかちょっと
それこそ、あのアホ神にバカにされることも請け合いだしね。
日用品コーナーを歩いていたら、女性用パンツもみつけた。
レディースショーツ(800円+税)は、薄ベージュ色で、いかにもお母さんが履いてそうな感じだ。周囲に人がいないことを確認してビニールに梱包されたそれを手に取ると「おなかをすっぽり包み込む、深め丈のショーツです」と書いてある。
それはちょっとJKとしてどうなんだ、となったが、ないよりはマシだろうか。
ええい。
すでにカゴに入れていたトイレットペーパーの下に、それをぶち込んだ。
別にかわいいパンツが欲しいとは思わないけど、さすがにちょっと萎えるよな。まあ、背に腹はかえられぬ。
陳列もレジ打ちもやった懐かしの古巣には、セルフレジなんてハイテク技術はない。
トイペ・パンツをはじめとした日用品と、ついでに潰れて半額になったメロンパンをカゴに入れて、会計を済ます。ショーツをバーコードに通す際も特になにか視線を感じることはなかったが、顔を知っているパートのおばちゃんだったので、相手が俺のことを認識できるわけもないのだが、一方的にちょっと緊張してしまったね。
袋が無料だったり、袋に商品を詰めてくれるサービスの良さに時代を感じる。よい時代である。手に持ちっぱなしだった財布をビニール袋に入れながら店内を後にすると、出口の自動ドアのところにバイト募集の張り紙があった。
時給はなんと八百円。やっすいなあ。
でも、あのときから何も変わらない。
俺はすっかり現代人の気分で衝動的にスマホを取り出し、すぐさま担当の山口さんに連絡しようと試みたが、あいにくとスマホどころかケータイもない。
そういえば18年前の俺はここでバイトして貯めたお金でケータイを買ったのだ。
というわけで、早いこと金を貯めてケータイを買わねばならない。
ネットに繋がらないと不安な気持ちになる程度には俺も現代人である。早いこと3G回線をつかみたい。
ぜんぜん関係ないけど俺は3Gってなんだかんだ名作だよな。異論は認める。あれがもう10年以上前のゲームってことにたった気づいて割と絶望したが、あのゲームの発売日は確か2011年だったから、実は現状ではまだ見ぬ未来である。てか俺ってこの世界だと未来人なんだよな。競馬にもっと興味を持っておけばよかった。
ベンチでメロンパンを頬張り、俺は桜を見上げていた。ベンチには俺一人だけだった。さっきは体を動かした後だったので熱っていたが、買い物終わりに腰をかけてゆっくりするには、やっぱりまだちょっと肌寒い。
当時見ていたアニメのヒロインの好物を思い出し、ついでにあんぱんも食べたくなったところで、とりあえず一旦撤退を決めた。どうもちょっとこの体、冷えやすい気がする。やたらと胸も疼くしね。
メロンパンの包装ビニールをワンピースのポケットに入れようとして、このワンピースには実はポケットがなかったことを思い出した。
悪態をつきながら、仕方なく心許ない握力でビニールを握り潰し、ビニール袋にゴミを入れて、そのまま俺は立ち上がった。
信号のない横断歩道をそそくさと渡ろうとすると、胸が揺れて痛かった。多少ジャンプするくらいではなんともないが、走ったりすると揺れてしまうらいしい。この乳揺れというのは、痛いし気まずいしで、本当にいいことがない。
――さっきからずっと自分のおっぱいのことばっかり考えていて嫌になる。
せっかくなら、もっと栗山理央のことを考えていたいんだけどな。
ため息混じりに、俺は自宅のワンルームに戻ることにした。
ラブコメ好きな神様は、今日もいじわる。 はるかぴ @pkt0107
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