第4話 ブラのホックが留められない。
俺は風呂に浸かりながら、シャンプーもボディーソープもないことに失望していた。バスチェアやら制服やらが最低限整えっているのだから、ついでに日用品も少しは融通を利かせてくれればいいのに。
まあそれはさておき。
我ながらうっとりするほどハリツヤのある肌である。
湯船に張ったお湯を両手で掬って顔をバシャバシャすると、皮脂が落ちてなお突っ張った感じのない感覚に、元33歳のおじさんはついつい感動してしまうなどした。
シャワーを浴びてショートヘアの髪を全体的に濡らし、両手で前髪を後ろに流す。いやなんとも髪質がいい。髪質がいいのは、正直ちょっとテンションが上がった。
湯船で太ももから、ふくらはぎまでをそっと撫でてみると、筋肉の少なさとすね毛の柔らかさに女性ホルモンの息吹を感じつつ、同時にスカートを穿くまでには毛の処理なんかも考えなきゃな、という出自不明の義務感を感じるなどした。
特段俺は女の人に体毛があることにどうこう思ったりはしないが、俺から体毛が生えているとなると話は別だ。せっかくなら小綺麗にしていたいじゃんか。
自分の身体の変化を手のひらで感じつつ、湯船でちゃぷんちゃぷんして体を温めていたが、そろそろ湯冷めが気になってきた。
先刻ちょろっと外に出たとき、アウターなしでは肌寒かったことを思い出す。スーパーの近くに桜が咲いていたから季節は春なのだろう。
追い焚き機能のない湯船に溜まったお湯は冷えるばかりで、長風呂派の俺もそろそろ潮時と思われた。そろそろあがるとしよう。
それにしても、だ。
せっかく過去に転生したのである。
性転換は余計なお世話だが、それはそれとして。
「まずは出かけるか」
長年の癖から、湯船から勢いよく身体を起こしてしまったせいで、体の随所がぷるんぷるんと品がなく揺れた。
(勢いよく体を動かせば揺れて嫌な気分になるってのに。学習しないね、俺も)
浴室の鏡の前で、全裸の自分をマジマジと見つめる。
出るところが出て、引っ込むところが引っ込んだ、まさに理想的なプロポーションだ。おっさんの夢を詰め込んだみたいな身体つきが、文字通り自分のものかと思うと薄ら寒い思いがする。男がどういう視線でスタイルのいい女を見るかなんて、あまりにも想像にたやすかった。そして生憎と、童顔気味ではあるものの、顔立ちも悪くなかった。
嫌すぎる。乳に寄ってくる男にロクな奴はいないのは火を見るよりも明らかで、俺は変な輩に絡まれたくない。あくまで平和に生きていたい。
神様がラブコメ好きで巨乳好きのせいで、えらい迷惑である。
ついでにここではっきり言っておくと。俺は胸がでかいのがあまり好きではないことも付言しておく。
乳揺れしたくない。
何も乳に限った話ではないのだが、体のどこかが柔らかく揺れるたびに、自分がいま女なのだという現実感がのしかかり、やたらと自己肯定感を下げてくるのだ。
体のどの部分が揺れてもメンタルにスリップダメージは生じるが、そのトップオブトップが乳揺れなのはまず間違いない。
あと乳が揺れると、物理的に痛い。ちぎり取りたくなってしまう。
(乳揺れするような激しい動きは自重しねえとな)
そしてあれだ、体型の出ない服を選ばねば。
(本当にまったく不便なもんだ、女の体ってのは)
と、俺はライトブルーのブラジャーを人生初装着しながら、阿呆な男の視線もケアせねばならぬ面倒さを憂いていた。
……。
……。
……。
え、ぜんぜんホックが結べないんだけど。
萎え。
気分は萎えも萎え萎え。サゲぽよである。
またしても自己肯定感が急降下していくのを感じる。
女の子みんな器用すぎかな?
逆に俺が不器用すぎるのかこれ。
ブラのホックが、バックベルトの穴にうまいこと入らない。
片方のホックが入ったとしても、もう片方のホックが入らないことが多発する。
それだけじゃない。カップに乳を上手に格納できないのである。
無理してホックを掛けようとしたら、ワイヤーが肉に突き刺さって痛かった。
あまりにも上手に入らないので「あのバカ神様が拵えてくださったこの
うーむ、確かにそうだ。あまり他責思考はよくないな。ばーか。
というわけで「ふんぬ、ふんぬ」と、人にも神にも到底見せられたもんではない格闘を5分ほど続けて、一旦諦めた。
そういえば神の調度品に、スマホはおろかガラケーもなかったので、Yahoo知恵袋に
(……ノーブラで出かけるか?)
(――先ほど乳揺れは自重せねばと誓ったばかりなのに?)
(……いや。コートなんかを上から羽織れば、なんとかなるかもしれない)
(――そうだ、ほかに下着はないのか? スポブラとか)
そうと思い立ち、パンツ一丁のまま押し入れを物色したものの、そこには学生鞄と制服一式が立てかけられているだけだった。
ほかに衣服といえば、さっきお仕着せられたワンピースと下着一式があるだけだ。
(――ってか、待て待て。下着っていま着てるやつだけか?)
学生証や制服一式など、通学の準備や、洗濯機・冷蔵庫・電子レンジ・テレビ・収納棚みたいな家具一式は取り揃えてあるくせに、下着の類が一切合切取り揃えられていないことに、神様の意地の悪さをビンビン感じる。
「あれー、もしかして困ってる?」
神様は押し入れを物色している俺の背後に音もなく現れた。
全裸は散々見られているのに、パンツ一丁のあられもない姿のほうが恥ずかしいのは何故だろうな。俺は思わず胸を隠してしまい、そういえばこういう反応がこいつは好きなんだったと思い直して、あえて開けっぴろげにして、神様に正対した。
「可愛くない反応も込みで愛いヤツだね茜音ちゃんは。君を見守ることにして良かったよ」
「俺はお前みたいなお下劣神に祈りを捧げたことを本当に後悔しているけどな…」
片手で尻に食い込んだ下着をひっそりと直しながら反論すると、なんとでも言いたまえ、と少年は右手で髪をさらっとたなびかせて笑った。
ええい腹立たしい。
「で、君はいま何に困っているのかな? 願いとあらば、聞き届けようぞ」
素直に言ったところで何が起こるかわからない。
――とはいえ、俺の恥じらいがこいつの養分なのはなんとなく分かる。恥ずかしがってはだめだ。絶対だめだ。
「乳がデカ過ぎてブラ装着がむずいんだが、どうすればいい」
「ふふ、あえて粗暴な物言いをしているのに、顔がちゃんと真っ赤なところがかわいいね」
「長風呂したんで血行がいいだけだ」
「
無意識に隠していた胸を再び解き放つ。
神様は膝を抱えて
「難しいならヌーブラやっほーする? それくらいならサービスしとくよ」
「お断りだバカ!!!!死ね!!!!」
思わずブラジャーを投げつけると、神様はご機嫌な笑い声と共に消失した。
「なんでもかんでも最初から用意されてたらつまらないだろう。それに下着は自分に合ったものを自分で選ばないとね」
去り際のドヤ顔は、くりくりとした黒目がちの双眸が細められて、いっそう黒目の存在感が際立っていた。
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