3月6日 音楽の街
サンアントニオを出て、日を跨ぐ頃にヒューストンで一度バスを乗り換え、ニューオリンズには朝の6時過ぎに着きました。
バス移動を開始して4日目。
どこまで行けるかわからないまま、とにかく東を目指した僕たち3人は、アメリカ大陸のほぼ中央、ルイジアナ州までやって来ました。
パスの残日数を考えると、ここで折り返してロサンゼルスへ戻らないといけません。
これでやっと半分ぐらいか
どんだけデカいねん
ニューオリンズはメキシコ湾に注ぐミシシッピ川河口に位置し、古くはアフリカからの奴隷船が着いた港で、かつて北米最大の奴隷市場がここにありました。
このアメリカという国には、アフリカなどから強制的に連れて来た多くの人たちに、綿花やサトウキビ農園などで過酷な労働を強いた、償い難い負の歴史があります。
ニューオリンズはジャズ発祥の地といわれていますが、そうした人々の怒りや嘆きを少しでも和らげる為の労働歌などが、そのルーツとされています。
謂わばこの街は、理不尽にも虐げられた多くの魂の叫びが重なって生まれた、悲しき音楽の街でもあるのです。
僕たちはフレンチ・クォーターと呼ばれる場所を目指し、バスディーポを後にしました。
そこは昔ながらの街並みが残る、アメリカ人にも人気の観光エリアです。
街の大通りであるキャナルストリートを進んでいくと、やがてその一画が見えてきました。
近代的なビルは1軒もありません。早い時期から保護地区とされた為、高くても3階建ての木造や漆喰の色とりどりの建物が並んでいます。中には19世紀のものも現存するとか。
どれもがフランス、スペイン植民地時代のヨーロッパ風建築物ばかり。
建物には鉄製のベランダやバルコニーがあり、一つひとつが凝った模様のレース装飾で、緑や草花が咲きこぼれています。
足を一歩踏み入れた時から魅了されました。
テーマパークのアトラクションエリアに迷い込んだ気分です。
しばらく行くと最も賑やかなバーボンストリートに出ました。
ジャズ、ロック、ブルース、カントリー、レゲエ。様々なジャンルの音楽が、軒を並べたライブハウスの開け放たれたドアからこぼれてきます。
朝だというのに、道を行く人々はビールやカクテルを片手にお祭り気分。
ガス灯を模した街灯の横では、黒人の子供たちがタップを踏んで小遣い稼ぎをし、ストリートミュージシャンたちもギターを手に、あちこちで人垣を作っています。
南に進んでジャクソンスクエアという広場に出ると、ここにも多くのパフォーマーたちの姿が。
ベテランのジャズ楽団を従え、ノリノリで歌うピンクのミニスカートを履いたおばあちゃんシンガー。
ベンチに座り込んでプレイするトロンボーンとバンジョーのじいさんコンビ。
バルーンパフォーマンスを見せる若い道化師。
観光客を座らせ、ささっと手を動かす似顔絵描き。
見上げれば、アメリカ最古だというそびえ立つセントルイス大聖堂の尖塔。
アイスクリームなどを売る派手な色のパラソルの列が並び、木陰では馬車馬たちがおとなしく観光客を待っている。
ミシシッピ川の土手に出てみると、老トランペッターが一人、古いジャズナンバーを吹いていました。
なんだこの街……
感動した。心が震えた。言葉にしようとすると、そんなありきたりの表現になってしまうのですが、あの時僕はそれまでに味わったことのない種類の興奮を覚えました。
と同時に抑えきれないほどの強い好奇心が、ムクムク頭をもたげてくるのがわかりました。
ツーソン、エルパソ、サンアントニオ、ニューオリンズ。バスで移動する度に目の前に現れる街々。
それはどの街も姿や趣きが大きく異なり、それぞれ個性的に輝いて見えました。
一体この先にはどんな街が、どんな世界がまだあるんだろう。もっともっと知りたい。それをこの目で見てみたい。そんな強い衝動が生まれました。
ですが、この日でロサンゼルスへ向けて引き返さなければなりません。
「東海岸に到達してないやないか」
「この先に一体何があんねん」
「他にどんな街があんねん」
「見たい、全部見たい」
「ニューヨークもナイアガラの滝もまだ見てへんぞ」
「見たいか」
「見たいわ」
「また来んとあかんな」
「も一回来たい」
「絶対な」
ミシシッピ川を遊覧するコットン・ブロッサム号に乗り、湿った川風に吹かれながらニシカワとそんな会話をしたことを記憶しています。
名残惜しさを感じつつ、夕方までフレンチ・クォーターを満喫してバスディーポへと戻りました。
「俺ちょっと一人でブラブラしてきてもええかな」
「ああ、ええよ」
「スーパードーム見に行きたい」
「うん、わかった。今晩は10時のバスやけど、暗なる前にディーポに戻って来いよ」
「うん、5時には戻るわ」
遊覧船から降りた時、ナガノが単独行動したいと言うので彼とは一旦別れていました。
約束の17時になりましたが、ナガノの姿はまだありません。
まあそのうち来るだろうと、待合室で日記を書いたりして待っていましたが、一向に現れません。
「迷子になったんちゃうか」
「ははは」
最初はニシカワと二人で軽口を交わしていました。
しかし戻って来ないまま時間だけが過ぎていきます。
18時を回りました。
約束の時間から1時間経過です。
「何しとんねん」
「ほんまに迷子になったんちゃうやろな」
心配になってきました。
携帯もスマホもない時代。連絡のつけようがありません。
19時を過ぎました。
外はとっくに暗くなっています。
冗談を言うのもやめていました。
お互い口にはしませんでしたが、いろんな想像が頭を過ぎっています。
ほんまに何かあったんちゃうか
迷子やったらまだええか
強盗にやられたとか
ケガでもして動かれへんとか
待合室入口の方を何度も見たり、もう居ても立ってもいられなくなったニシカワが、さっきからグルグルと歩き回っています。
やばいな
やっぱりアメリカやもんな
絶対に何かあったな
どうすればええんや
最悪のことも考えました。
最悪って最悪のことです。
ナガノの実家の連絡先はニシカワが知ってるかな……
いや、まさか、そんな……
時計の針が19時半になろうとした時。
待合室の入口にナガノの姿が。
片手を上げ、ヒョコヒョコと小走りしてきます。
「何しとったんじゃー!」
そう叫ぶや否や、ニシカワがナガノに飛びかかっていきました。
「お前なー!」
ナガノの胸ぐらを掴み上げて、ニシカワが今にも殴りかかろうとしたその時。
ビビビビビビーーッッ
響き渡ったホイッスルの音と、駆け寄った二人の白人警官。
二人ともプロレスラーのような巨体。一人がスタン・ハンセン、もう一人はディック・マードック。にそっくり。
ハンセンがニシカワを羽交い締めにし、マードックはナガノの首根っこを取り押さえ、二人をどこかに連行しようとしたように見えました。
ちょちょちょちょちょちょ、ちょっと待って!
僕は慌てて間に割って入り、ありったけの英単語をかき集めて叫びました。
「ソーリー、ソーリー!ウィ アー フレンド!ウィ アー フレンド!」
すいません!すいません!
僕たち仲間なんです!仲間なんです!
ケンカなんかじゃないんです!
ケンカなんかじゃありません!
それでも警官たちは二人をどこかに連行しようとしています。
「ノーノーノー!ソーリー、ソーリー!ウィ アー フレンド!ウィ アー フレンド!」
必死です。それ以上の言葉が出てきません。必死で訴えました。
二人を連れて行かないでください!お願いします!
マードックが立ち止まりました。
「You friend? You friend? Huh?」
ニシカワとナガノに確認してます。僕にも詰め寄ります。紅潮したその顔が怖い。
「イエス!イエス!ウィ アー フレンド、ウィ アー フレンド!」
はい仲間同士です!僕たち仲間同士です!
仲間うちのちょっとした揉め事なんです。
「ソーリー、ソーリー!ウィ アー フレンド!ウィ アー フレンド!」
すいません!
本当にすいません!
勘弁してください!
「Don’t fight!」
マードックがニシカワとナガノに念を押し、やっと二人を放してくれました。
はい!ケンカなんかしません!
焦ったー。
海外で警察なんかに連れて行かれてたら、もっと厄介なことになってたはず。
緊張と興奮覚めやらぬ“釈放”されたばかりの3人、椅子に座り込み、しばし無言で放心しました。
これがナガノ原因による「ポリスマン連行未遂事件」の顛末です。
しかしこんな程度の僕の英語力でも、必死に立ち向かえばなんとかなるということを、身を持って知りました。
そういう意味では貴重な体験だったと、今では思っています。
「ゴメンな、ゴメンな」と謝るナガノに一度だけ「何をしてた」かを聞きましたが、彼ははっきりとは答えずにモゴモゴと口を濁しました。
ナガノがなぜ2時間以上も遅れたかは、40年経った今も全く持って謎のままです。
今となっては旅の笑い話やけど……
ホンマに、まったくもお
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