3月5日 太陽の街
真夜中のフリーウェイを東に向かって走り続けるグレイハウンド。
やがて前方の空が白み始めたかと思うと、すぐに赤みがかった濃いオレンジ色に染め上がっていく。
それは今まで見たことがない空の色で、見事なサンライズのスペクタクルショーに僕は目が離せなくなり、前方の窓の外をじっと凝視していた。
バスは加速し、やがておぼろげだった街が次第にはっきりと姿を現してきた。
テキサス州は合衆国併合前には独立した共和国だった時代があり、グレートテキサン(偉大なるテキサス人)の異名通り、誇り高き人々が多い地域でもあります。
アメリカはどこの街でも、普段から街中に星条旗が掲げられていましたが、ここテキサスでは星条旗の数よりも州旗の方が多かったように思います。
“ローンスター”と呼ばれる、赤、青、白の三色旗に染め抜かれたひとつ星。
その旗が独立精神の象徴として、青い空によく映えていました。
テキサス州の面積は日本の約2倍。ひとつの州でこのサイズですから、小さな島国感覚では計り知れないものがありますね。
サイズ感の違いということで幾つか話をすると、まず出発前にニシカワが言ってた通り、スーパーのアイスクリームは確かにバケツサイズのものが売っていました。
まるで業務用サイズです。おそらくソファーやベッドでこれを小脇に抱えてテレビ観たりしてるんでしょう。こんなん食べてたらそら太るわ。
またそんなのが収まる家庭用冷蔵庫も、日本のものとはサイズがケタ違いなのでしょう。
同じくスーパーマーケットで、シリアル類の種類の多さを知った時は驚きました。
当時はシリアルなんてしゃれた言葉は一般的ではなく、コーンフレーク。見たこともない色や形やフレーバーの何十種類の色とりどりの箱が、長さ10メートル以上ありそうな陳列棚の端から端まで、ズララララーっと並んでいる光景は実に壮観でした。
おかんもそら忘れるわ。これだけあったら好きなコーンフレークの名前思い出されへん。
それとファストフードのドリンクサイズは、誰しも一度はやらかしたのでは。
喉が乾いているからとLサイズを注文してしまい、飲みきれないその量にギブアップ。
だいたいスーパーの牛乳もガロン容器だもんね。1ガロン=約3.7リットル。日本の飲料水の最大容器は2リットルぐらいか。ほぼ倍。
Lサイズ注文の際は心してください。
あとは何と言っても人間のサイズ。肥満大国の呼び名通り、オーバーカロリーの食生活を続けるとこうなるよという見本のような人たちがたくさん。
女性だって、ケンカしたらこっちが簡単に吹っ飛ばされるよなと、尻込みするような方がいっぱいいらっしゃいました。
まあ総てがデカい。デカいなあ。
それがアメリカ。
テキサスと聞いて思い浮かぶものは何でしょうか。
カウボーイにテンガロンハット。牛が放牧された大牧場。
物心ついた頃からのプロレスファンである僕の場合は、不沈艦スタン・ハンセン。
革のハットにベスト、チャップスという革ズボンにブーツ、手にしたカウベル付きのブルロープを振り回して入場し、牛の角を表すテキサスロングホーンというハンドサインを突き出して雄叫びを上げる姿。勇ましくて無骨なグレートテキサンそのものでした。
こんなことを言ってるからか、明日そのハンセン?に出くわすことになったのですが。
19:45にエルパソを出たバスは、7時前にサンアントニオに到着しました。
バスで寝るのも3日目。座席でぐっすり眠るのも板に付いてきた感じ。
サンアントニオは広いテキサス州のほぼ真ん中にあり、更に東へ進めばヒューストン、北に上るとダラスへとつながります。
ヒューストンにはNASAの宇宙センターがあり、ダラスはJFケネディ大統領が暗殺された街。
夜行便を使ってホテル代を浮かし、朝到着した街でまた夜まで過ごす。そんなパターンでこの日選んだサンアントニオの街は、冒頭に書いた自然の大景観が出迎えてくれました。
バスの中から目撃した朝焼けはこの旅一番の美しさで、それはこれまで通過してきた州とはまた違う、アメリカの雄大さを実感させるに充分な、見事なパノラマ映像として強く記憶に残っています。
バスディーポから一歩外に出ると、空の眩しさに目を細めました。まだ早い時間だというのに、昇り始めた太陽がジリジリと音を立て始めてるかのよう。
雲ひとつない快晴です。
ここまで旅の前半の悪天候や曇天からは一転し、まばゆいばかりの青空が頭上に広がっています。
気ん持ちええー
降り注ぐ太陽が気持ち良く、テンションが一気に上がって、街全体がきらめいて見えました。
まず目指したのがジ・アラモ(アラモの砦)。
ジ・アラモは元々スペインがキリスト教伝道所として建築した建物で、テキサスが共和国時代にメキシコと戦った際、激戦の場所となった歴史的建造物です。
白いレンガ造りのスペイン風建物は現在博物館となり、世界遺産にも登録されています。
博物館の中には入りませんでしたが、あの機械が置かれていたのを覚えています。
あの機械、正式名称がわかりませんが、アメリカの観光地などによく置かれていたのです。
1セント硬貨を投入すると、その地のオリジナルデザインのペンダントトップにプレスしてくれる機械。
機械というほど大袈裟なものではありませんが、硬貨をグニュッと楕円形に引き伸ばし、そこにアラモの砦や自由の女神を刻印するもの。
お金をそんなことしていいの?という疑問がありつつ、どこかで記念に1回やってみたように思います。その元1セント硬貨のペンダントトップは、今はもうどこにいったかわかりませんけど。
その後に行ったパセオ・デル・リオが美しい場所で、一番印象に残っています。
市内を流れるサンアントニオ川の川岸をリバーウォークに整備した一画で、石造りの遊歩道にカフェやショップが建ち並び、レンガ造りの壁には色とりどりの花が咲きこぼれ、川には遊覧ボートが行き交っています。
今ならインスタ映えするフォトスポット間違いなしで、デートする若者やファミリー連れや観光客が思い思いの時間を過ごしていました。
水兵の街サンディエゴ、ニョロニョロに驚いたツーソン、歩いて国境を越えたエルパソ。
どこも印象に残る街でしたが、ここサンアントニオが一番いい!と日記に書いてあります。
この街の記憶は原色に彩られています。
空の青、アラモの白、川岸に咲きこぼれる花々の赤や黄色。
それは目映いほどに燦々と輝いていた、でっかい太陽のせいだったのだと思います。
何年もの時間が過ぎましたが、もう一度ゆっくりと訪れてみたいなあと思う場所のひとつです。
気持ちのいい太陽を浴びて、夕方まで心地良く過ごした僕たちは、次の街ニューオリンズに向けて18:45発のバスに乗り込みました。
いや、しかし。
サンアントニオといえば書いとかないとな。
この街の記憶が目映いほどに彩られているのには、他の理由もありました。
正直に白状します。
「おいあれ見て」
「おほ、ええなあ」
「こっちは?」
「こっちもええがな」
「あれあれ」
「たまらんなあ」
快晴の青空と街の雰囲気に舞い上がってたのかも知れませんが、なぜか道行く若い女性の方々、きれいで可愛い人だらけに見えたんですよね。
それもボリューム満点のダイナマイト級ボンバーギャルたち。
はい、皆さん薄着です。
「うほー」
「はぁー」
「ふにゃあ」
目映かった。眩しかった。
鼻の下を伸ばした3人は、声をかける勇気など毛頭なく、夕方までたっぷりと目の保養に努めました。
サンアントニオといえば、真っ先にそれを思い出す。
まあ22歳の頭の中はそんなもんです。お許しを。
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