3月2日 バスディーポにて
バスディーポ。
アメリカでは長距離バスの発着場のことをバスディーポ(Bus Depot)という、と『歩き方』に書いてあった。
バスステーションとかではなく、バスディーポ、か。なんかカッコイイ。
そんなちょっとした些細なことを覚えただけで、すっかり“自由の旅人”気取りになっている自分がいました。
得意気に略して「ディーポでさ」とか言ってみたり、今思い出すとこっ恥ずかしい。
この日、不気味なホテルで一夜を明かした僕たちは、サンディエゴの街へと飛び出しました。
シーワールド、バルボアパーク、植物園。途中から降り出した雨にもめげず、夕方までの時間を過ごしました。
そしていよいよバスの旅を開始する為、ダウンタウンのバスディーポへと向かいました。
アメリカはその広い国土の隅々まで、長距離バス網が張り巡らされています。
ヨーロッパからの移民たちがこの地を“開拓”
していった時代には、移動手段は総て馬でした。
長い時間の流れを経て、やがてバスが馬車に取って代わり、駅馬車の発着場がバスディーポへとなりました。
長距離バスは飛行機や列車と比べて、一番安価ですから庶民の足です。
年齢職業人種様々な人たちと隣同士となり、上辺だけの駆け足ツアーでは絶対味わえない、生活感のあるリアルなアメリカを垣間見られたと思います。
一番大手のグレイハウンドバスがアメリパスという周遊券を発売していました。
7日間乗り放題のもので149ドル。海外向けにも発売していたので、日本出発前に入手していました。
バスの乗り方は、チケットカウンターで行き先を告げてパスにスタンプを押してもらってから、運転手にチェックしてもらう。座席はフリーで指定席はありません。
人気路線だと出発前に長い行列に並びます。利用者数に応じ、2台目3台目を準備するようで、乗り切れなかったことは一度もありませんでした。
「いよいよやな」
「ワクワクするな」
「さて何が待ってるかね」
この7日間の移動中は出費を抑える為、ホテルには泊まらず、総て夜行バスを使うことに決めていました。
この日は深夜0時過ぎのバスに乗る予定です。
思えば行く先々での長い時間をバスディーポで過ごしました。
そこにはドラマがあり、今でも覚えている幾つかのシーンが脳裏に浮かびます。
シーン①
「マミー ティービー マミー ティービー」
よちよち歩きの2歳ぐらいの黒人の女の子。
おぼつかない足取りで前の椅子に座りたそうにしている。
母親はその子に何かを言って、奥の席へ行こうとしている。
「マミー ティービー マミー ティービー」
女の子は諦めない。指さしてまだ母親に訴える。
待合室の椅子には小型テレビ付きの座席があった。椅子ひとつにテレビが1台。コインの投入口があって、25セントで何分間か視られる。
今のような薄型テレビではなくブラウン管式のものだから、画面は葉書サイズだが、大きさはトースターぐらいあった。映像は白黒。
そんな席がどこのディーポにも、必ず何席か並んでいた。
思えばスマホがない時代。
皆、思い思いの時間の潰し方をしていた。
新聞や本を読んでいる人。タイムテーブルを読み込んでいる旅行者。ウォークマンでカセットテープを聴いてる青年。ロトくじを眺めている老人。おしゃべりに夢中な老婦人。誰かに絵葉書を書いてる女子学生。編み物をしている女性。連れとトランプをしている若者たち。手持ち無沙汰にキョロキョロしている子供。
ただぼーっとしている人。床で寝ている人。
そんな時代には小型テレビ付き座席がニーズに合っていたのだ。
「マミー ティービー マミー ティービー」
母親は愚図る女の子を脇に抱えると、奥の席へと行ってしまった。
テレビはティービーと言えばいいのか。
いや、Vだからヴィーか。
唇の使い方が難しいな。
ティーヴィー。
シーン②
バスディーポにはバス利用者以外にも、いろんな人間が集まってくる。
中には良からぬ奴らも。
3、4人の見るからに不良グループが待合室に入ってきた。歳は20代、いや10代後半だろうか。
粋がるように、或いは自分たちを誇示するかのように大声でふざけ合っている。
しかしすぐにどこかへ行ってしまった。
しばらく時間が経ち、僕は尿意をもよおしたので席を立った。
広めの無人の男子トイレ。
洗面台の前を通り過ぎ、用を済まそうと歩を進めた時、奥の個室ドアがガチャリと音を立て人影が出てきた。
無人だとばかり思っていたので、突然人が出てきたことにまず驚いた。
さっきの不良グループの一人だ。頭からフードをすっぽり被り、僕の目を見てニヤリと笑った。
手にはチェーンを持っている。
事態を察した。
やばい。
金か。
財布を入れたバッグはニシカワに預けてきた。
強盗対策のため、20ドル札一枚は身に付けておけと『歩き方』に書かれてあった。20ドルで身を守れたら安いもんだと。
それは実践していなかった。ポケットには小銭しかない。
その不良。
やっぱり高校生ぐらいだろうか。
身長は僕より高い。
「フンフーン」
ニヤケ顔の鼻歌混じりで、チェーンを片手でクルクル回しやがった。
目は捕らえた僕から離さない。
やばい。
やられる。
暴力はやめてくれ。
一歩二歩と僕に近づいてくる。
僕は硬直して立ち尽くす。
ヘビににらまれたカエルだ。
不良が目の前まで来た時、僕の背中越しに後ろから声が聞こえた。
「Hey!」
不良はそちらに目をやると、瞬時に真顔になり、僕の横を黙って通り抜けていった。
振り向くと警官が一人立っていた。巡回に来たらしい。
不良は「何もしてないよ」とでも言いたげに首を横に振り、警官の横を通ってトイレから出ていく。
警官も慌てるでもなく、不良の後を追った。
間一髪。
僕は何かに守られている。
シーン③
待合室で隣りに座っていた青年が、聴いていたウォークマンのヘッドホンを外して話しかけてきた。
身振り手振りでなんとか会話を交わす。
ノースカロライナから一人で旅をしているという。痩せ型の赤毛の大学生。
「お前、ジャパニーズか。だったら、ラウドネス知ってるだろ」
青年がウォークマンを指差す。
彼が聴いていたのは、ラウドネスの曲らしい。
「こいつら最高だぜ」
ラウドネスは1981年に結成された日本のヘヴィメタルバンド。
この頃、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンのステージに日本人ミュージシャンとして初めて立ち、アルバム「THUNDER IN THE EAST」は全米ビルボードにチャートインした。
青年は嬉しげに首を振ってリズムを刻んでいる。
「イエス イエス アイ ノウ」
知ってる、知ってる。知ってるよ。
僕の返事に青年が笑顔を見せた。
こんな外国でその名前に出会うとは。
「アキラタカサキ イズ マイ フレンド」
教えてやった。
その言葉に、青年が「はあ?」って顔をした。
わかんないのか?もう一回言ってやった。
「アキラタカサキ イズ マイ オールド フレンド」
青年は僕の顔を何とも言えない顔でまじまじと見ると、笑えないジョークを言うくだらない奴とでも思ったのか、それっきり話しかけてこなくなった。
気まず……
ラウドネスを創ったギターの高崎晃は小学校の同級生。5年6年の頃は一緒によく遊んだ。
異国の地で見知らぬ人から同級生の話が出て嬉しかった。
いやあ、嘘でも冗談でもなかったんだけど。
あの時、どう言えばよかったかな。
シーン④
発車時刻が迫った夕刻。
バスに乗り込んでいた僕は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
若いカップルの姿に目が止まった。
ボストンバッグを肩に担いだ青年と、うつむき加減の若い女性。
二人黙り込んでうなだれ、しっかりと繋いだ手と手を離さないでいる。
少し離れた場所からそれを見守るように佇む中年夫婦。お互いの背中に手を回し合って、静かに二人を見守っている。夫婦は青年の両親か。
やがてやって来た黒人ドライバー。夫婦と二言三言言葉を交わすと、若者二人に目をやる。
ドライバーは女性に歩み寄り、優しく何か言葉をかけた。
「時間だから発車させてもらうよ」とでも言ったのか、女性が小さく頷いた。西陽の逆光の中一瞬見えたその横顔は、悲しみに暮れている。
ドライバーに促されるようにしてバスに乗り込んできた青年は、固い表情で前の方の席に座った。
事情は全くわからない。
町を出ていく青年と見送る彼女。見守る両親。ドライバーの心遣い。
まさに“愛と青春の旅立ち”やん
僕は思わずジーンときて、残された彼女の様子をずっと眺めていた。
パーン
乾いたクラクションを一度鳴らし、バスが普段よりもゆっくりと動き出す。
彼女は真っ直ぐに、彼が座る辺りを最後までじっと見ていた。
バスディーポにはまるで映画のような、数々のドラマが転がっていた。
その一つひとつが愛しくて今も美しい。
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