3月1日 地球の歩き方
“広いアメリカを実感するには、地平線が見える大地を突っ走るしかない”
僕たちが初渡米したその数年前に発刊されたばかりの『地球の歩き方』は、自由旅行を志す若者たちにとって、まさにバイブルでした。
その表紙に「アメリカを1ヶ月以上の期間、1日5,500円以内で旅するためのガイド」とのコピーが躍っているように、観光スポットの説明だけだったそれまでの旅行ガイドとは違い、個人旅行をする者が欲しい情報、“食う”“寝る”“移動する”ことについて書かれていたのが画期的でした。
向こうで出会った日本人バックパッカーたちは、大抵『歩き方』を小脇に挟んでいたように記憶してます。
冒頭に書いたのは、同書の序文に書かれていたコピー。
表紙を開いて目に飛び込んできたこの文章に、僕は大げさに言うとハートを射抜かれ、旅の面白さにのめり込んでいったように思います。
それだけインパクトがあったのと、頭の中に無限に広がっていく想像の世界にワクワクが止まらなくなったように覚えています。
ちなみに言葉が持つ力を実体験したという点では、僕が今こうしてモノを書く楽しさを体現するようになった、きっかけのコピー文章だったとも言えます。
出発前に貪るようにして読み、帰国するまで肌見離さず持ち歩き、その後も大事に保管してたのですが、何度かの引越の折に処分してしまったようで、今僕の手元には残っていません。
「あの最初の歩き方、まだ持ってる?持ってたら貸して」
今回の連載を始めるにあたり、ダメ元でニシカワに問い合わせてみました。
彼は持っていました。なんと、モノ持ちのいいヤツ。
ニシカワが郵送してくれたタイムカプセルのような同書を、何十年ぶりかで手に取りました。
今ではアメリカ版も都市別など20種類ほどが出版されていますが、この40年前の『地球の歩き方アメリカ編』は、500ページぽっちに全米とカナダ、メキシコの情報を詰め込んだ代物でした。
黒赤青の3色刷りで、カラー写真なんてありません。申し訳程度の白黒写真が僅かに載っています。
僕たちのこの時代は、せいぜいそんな程度の少ない情報を元に、後は想像力を駆使して、まだ見ぬ国や街の姿を思い描いていました。その妄想する行為や時間が、また楽しかったようにも思います。
現在は欲しい情報が、指先ひとつでいとも簡単に手に入る時代です。
文章だけでなく写真や動画までもが、ネット上に幾らでも溢れています。
はて、情報が多いことと限られていることとでは、一体どちらの方がいいんでしょうね。
この日からロサンゼルスを離れ、移動を開始した僕たちは、次はどんな街か、明日はどんな街か……と期待と想像を膨らませながら、バスや列車に揺られていたこと自体が、旅の楽しみ方のひとつだったように思います。
事前に知り過ぎてしまうことの不幸ってあるんじゃないかと、過去の時代を生きた者としては考えてしまいます。
この日は早朝、激しい暴風雨の音に目を覚まされました。
窓から外を覗くと、強い雨の中見たことがないほど大きな竜巻が、様々なものを巻き上げながら通り抜けていました。遠くでガラスが割れる音や何かが破壊されるような音が響いています。
「あらら」
「うおー」
「こわー」
しばらく為す術もなくベッドの中から眺めていましたが、やがて嵐は通り過ぎ、振り続いた雨も昼前にはすっかり止んでくれました。
これは今日から移動を開始する僕たちの前途を表す嵐の暗示か、或いは逆に嵐は通り過ぎたととらえるべきか。
さてさて、6日間滞在したブランドンホテルを後にし、出発の時。まだ見ぬ土地へ、アメリカ探訪“探険隊”の出陣です。
僕たちは雨上がりのダウンタウンをRTDバスで移動し、ユニオンステーション13:00発のアムトラックに乗り込みました。
「一週間後にまたお世話になります」
再び戻ってくることを決め、ナンシーさんに大きな荷物は預かってもらい、最低限の着替だけをバッグに詰め込みました。
「ちゃんと帰って来れるかな」
「大丈夫、大丈夫。何とかなるって」
「そやな、まあ何とかなるやろ」
全くライターが売れず経済的事情が急激に悪化している自覚はありましたが、それよりも今日から始まる新たな展開に、心は大きく躍っていました。
何しろ基本的楽観ポジティブ思考と、あまり深く考えない脳天気さは僕たちの最大の武器でしたから。
アムトラックはアメリカ全土を網羅している長距離列車です。
ニシカワがいわゆる“乗り鉄”で、この時も彼のたっての希望によりロサンゼルスからサンディエゴまで鉄道移動し、サンディエゴからバス利用をスタートさせる行程になりました。
ユニオンステーションはロサンゼルスの鉄道の玄関口。1939年開業の駅舎は外観が白壁のスペイン風建築で、立ち並ぶ背の高いパームツリーとのコントラストが美しい。
歴史と風格を感じさせる広い待合室は、幾何学模様を施した高い天井、吊るされたシャンデリア風照明、大理石やタイルを敷き詰めた床、ズラリ並んだなんとも立派な革張りの椅子。
ここだけ時間が止まったような、否が応でも旅情を掻き立てるゴージャスな空間でした。
ほぼ定刻通りに動き出した列車は空いていて、陽気なビールっ腹の白人車掌が、記念写真に気軽に応じてくれました。
「Have a nice trip!」
ところが今朝の嵐の影響か、列車は走り出して直ぐに徐行運転を繰り返します。
太平洋岸の海沿いを走る路線は、晴天なら絶景を望めたのでしょうが、灰色の海と空、所々崖崩れや洪水になったような場所もあり、景観は台無しです。残念。
結局予定より2時間ほど遅れ、18時過ぎにサンディエゴに到着しました。
乗車代16ドル45セント也。
もう既に薄暗くなり始めていたサンディエゴは、カリフォルニア州南端の港町。
海軍、海兵隊の基地があり、この3年後に公開された映画「トップガン」の舞台となった場所。トム・クルーズらが登場した数々のロケ地が近郊にあります。
終着駅のサンタフェ駅で降りた僕たちは、さっそく今夜の宿探しをしなければなりません。
明日からはホテル代を浮かすため夜行バスを使うつもりですが、この日はこの地で1泊です。
日が暮れてしまった駅前を3人で歩き出しました。
サンタフェ駅周辺は飲み屋などが建ち並び、ほろ酔い気分の制服姿の水兵たちが奇声を上げていたりして、少し危険な香りが漂っています。
「ちょっとヤバそうやで」
「はよどっか決めよ」
『歩き方』には3件のホテル情報がありましたが、どれも駅から離れています。
小心者トリオはビビりながら、手頃そうなホテルを求めて歩き続けました。
アジア人が物珍しいのか、からかい気味の声を飛ばす酔っ払いや、通り過ぎる僕たちをギロリとにらむ目に、お腹の辺りがキューっとなっています。
一番不気味なのは、何をするでもなく物陰にジッと立っている連中。
何者?
何してんの?
獲物探してるとか?
何かの売人?
その黄ばんでじっとり湿ったような眼が怖い。
大体、目の前に現れる外国人が皆、僕たちよりも体格的には勝っています。
生き物は自分より大きな相手を、本能的に警戒するのだということを、この時身を持って知りました。
こわ
やがてバーやパブが建ち並ぶ先に、やっと一軒のホテルを見つけました。
ASTER HOTEL
うらぶれた感じの看板は照明が薄暗く、不気味な雰囲気に躊躇しましたが、もうこれ以上外を歩くことよりは安全に思えました。
早く部屋に入りたい
もういい
ここでいい
カウンターにいたこれまた不気味なインド系?フロントマンと交渉。汗ばんだ浅黒い肌に愛想笑いひとつありません。
ツインの部屋でしたが大きめのソファがひとつあったのでもうそこに決めました。1泊25ドル。
看板だけでなく部屋の中まで薄暗いし、なんだかカビっぽい。
いや贅沢は言わん
寝れればいい
ロサンゼルスではなるべく日が暮れる前にホテルの部屋に戻っていました。
こっちに来て今日初めて、アメリカの夜の姿を垣間見た思いです。
深夜、廊下で言い争う男女の大声に目を覚まされました。
こっわー
この先大丈夫なんか?オレたち!
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