2月26日 そばかすの天使

「わからなかったら戻っておいで」


 天使はそう言って優しく微笑んだ。 

 肩までのブロンドの髪が、風にふわりと揺れた。




 午前3時の目覚ましで起床。

 さあ初めての出店だ。妙な緊張感か、ちゃんと寝たかどうかよくわからない。

 この日行くのは人気の大型スワップミートらしく、「早めに並ぶから6時までに来て」とトゥイさんに言われたので、4時にはホテルを出ました。

 初めての出店、イコール“ブツ”のお金への換金に3人とも気合いが入ってます。良い場所取りの為の早起きなら苦になりません。

 夜明け前のまだ真っ暗なダウンタウンを抜け、フリーウェイを南へ飛ばします。するとポツポツと雨が降り始めました。

 車が少ない広い道を快調に走りますが、ああ何ということでしょう。サンタアナに着く頃には本降りの雨になってきました。

 それでもトゥイさん夫婦の車と共に、そこからまたしばらく走った会場へ移動。

 ゲート前には早くも多くの出店希望者たちの車が行列をしており、僕たちもその列に並んで車を停めました。


 バラバラバラバラバラバラバラバラバラ


 眠気で会話もなくまどろむ車内に、屋根を叩く雨音だけが響き、その音が益々激しくなってきます。

 本降りどころかどしゃ降りです。


 バラバラバラバラバラララボンボンボン


「こりゃひどいな」

「どないなんねん」


 雨は一向に弱まりません。

 1時間ほど車中で待ちましたが、8時頃には雨天中止が発表されました。


 えー、中止か。

 ああ、無情。

 神様は僕たちに試練をお与えなさるのか。


 でも天候には勝てません。青空駐車場での開催ですから、この雨ではお客さんも来ません。本日は撤収です。

 まあ仕方ない。どんまい、どんまい。


 トゥイさんが僕たちを気遣ってくれて、ロングビーチの妹さんのお宅に連れていってくれました。

 前もって連絡してくれたらしく、妹さんは僕たち用に食事を用意して待ってくれていました。

 ベトナム風?ポークチョップに野菜の付け合わせと、多分僕たちの為に炊いてくれたのでしょう。炊きたての白いご飯。

 こっちに来てからはずっとハンバーガーやホットドッグばかりでしたから、久々のご飯におかずです。大変おいしくいただきました。


 すると食事が終わる頃には、さっきまでの大雨が嘘のように晴れ渡ってきました。快晴です。

 トゥイさん曰く「4、5日前にハリケーンが来てそれからずっと天候が乱れている」とのこと。

 確かにこの旅の前半は何度か雨が降ったのですが、カリフォルニアは雨が少ないと思っていたので全くの想定外です。

 でも結構な量の雨が降ってもそれが一日ずっと続くということはなく、しばらく経てば雨は止み青空が広がりました。

 列島のほとんどが温帯に属する日本とは、そもそも気候帯が違うのでしょう。


 車で少し走りビーチに出てみると、真っ青な空が広がり、Tシャツ1枚になってカリフォルニアの日差しをたっぷり味わいました。その気持ち良かったこと。

 ロングビーチは元豪華客船のクイーンメリー号が博物館として係留されており、遠くにその巨大な姿を拝みました。




「ガラスの教会知ってる?とってもきれいだよ。見に行ったら?」


 食事していた時、トゥイさんがそう言いました。

「ガラスの教会?」

「うん、ガラスの教会」

「どこにあるんですか?」

「うーんと、どこだっけ。アナハイムに戻る途中だよ」

「名前は?」

「名前?なんだったかな。おーい、あの教会名前なんだっけ?え?知らないか……

 うーん、行けばわかるよ。この間、日本の芸能人がそこで結婚式あげたってニュースにもなってたから。え?誰って?えーと、何て言ったかな、さあ覚えてないや。ははは」


 教会の名前や正確な場所がわかりませんでしたが、「だいたいこの辺りだ」というトゥイさんの言葉を頼りに、僕たちは行ってみることにしました。

 予定が変わってしまい、時間だけはたっぷりあります。


 トゥイさんが言った「だいたいこの辺り」に着きました。車で探しましたが、それらしき建物がなかなか見つかりません。

 おそらくそんな小ぢんまりした教会ではないでしょうから、目立つでしょうし、案内板が出ていても良さそうなものです。


「こっちか」

「いや、あっちか」


 ぐるぐる車で走るうちに、住宅街の迷路のようなところにまたまた入り込んでしまいました。

 昨日の再現やないか。

 教会は全然見つかりません。


「もう諦めよか」


 そんな会話をしていた時、歩道で自転車に乗って遊んでいる二人の女の子がいました。

 年の頃なら7~8歳ぐらいでしょうか。


「最後にあの子たちに聞いてみるか」


 車を路肩に寄せ、ニシカワが運転席から声を掛けました。


「Hi,Do you know “glass church”? Where?」


 女の子が近づいてきてくれました。


「“glass church”?」

「Yes! “glass church”」


 その金髪の女の子。質問の意味を理解してくれたのか、一旦両腕を胸の前で組むと小首をかしげ、右ほほに手をやりながら答えてくれました。


「I think ○▼☆♯◆……」


 肝心の「○▼☆♯◆」部分が僕たちには聞き取れなかったのですが、その演技くさいと言うか、絵に描いたようなアメリカンジェスチャーに思わず笑ってしまいました。

 と同時に、主語が曖昧でも会話が成立する日本語とそうではない英語の違いを教えられました。

 同じシチュエーションの質問で、日本の子供ならどう答えるでしょうね。

「えーと、あっち」とか「知らなーい」とか?

 それが英語表現だと「I think~」で始まり、「私はこう思うわ」と、こんな年頃の子供でもちゃんと自己主張しているように聞こえ、小さな彼女が精一杯大人ぶっているようにも見えて、それがなんとも微笑ましかったです。


「○▼☆♯◆ ……come back here」


 おまけに最後には「(わからなかったら)戻っておいで」と言ってくれたキャサリン。

 気合いを入れて挑んだスワップミート初日に出鼻をくじかれ、拍子抜けで沈む僕たちの気持ちを、ひとりの“天使”がほっこりさせてくれました。


 その後しばらく探しましたがガラスの教会は結局発見できず、僕たちは諦めてホテルに帰ることにしました。

 改めて調べてみると、トゥイさんが教えてくれたのは、多分ガーデングローブにある“クリスタル・カテドラル(大聖堂)”だったと思います。

 この2年ほど前に完成したばかりで、当時は“世界一高いガラスの建物”として話題になったようです。


 ロサンゼルスに向けてフリーウェイを走る車内に、傾き始めた西陽が眩しく射し込んでいます。

 教会を見つけられなかったのは残念でしたが、小さな愛を分けてくれた天使に救われた思いでした。


 どんまい、どんまい。

 明日がんばろ。



 え?キャサリン?

 キャサリンはイメージっていうか勝手な想像。というか妄想。

 きっと、そんな名前。多分。


 キャサリン。

 そばかす顔にブロンドヘア。

 天使たちの街に舞い降りた天使。

 こまっしゃくれてて可愛かったな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る