2月24日 夢の国へ

 異国の地で迎えた初日。僕たちはまずディズニーランドへ行くことにしました。

 日記を読み返して苦笑しました。さっそく行ったのがそこ?今考えれば随分ミーハーですね。まあそういう年頃だったのでしょう。


 出発前の日本ではいよいよこの年の4月に、東京ディズニーランドが開園することが連日報道されていました。

 誰もが知るこの世界的テーマパークは今でこそ日本以外にも、パリ、上海、香港に進出していますが、この時点ではここロサンゼルスとフロリダの2ヵ所にしかない、正真正銘の“夢の国”でした。

 早くミッキーに会いたかったというわけでもありません。きっと「俺たち本場の方へ行ってきたんだぜ」と自慢したい気持ちが、急き立てたのだと思います。


 入場料は12ドル。現在の東京ディズニーランドのワンデーパスポートが7900~10900円。この金額差にも時代を感じます。

 スペースマウンテン、カリビアン・パイレーツ、ジャングル・クルーズ、イッツ・ア・スモール・ワールド……さほど混みあってもおらず、12ドルぽっちで丸1日遊びました。


 僕たちもはしゃいでいましたが、それ以上に印象に残ったのが、アメリカ人たちの陽気さです。楽しむこと、エンジョイすることに積極的というか、子供はもちろん、いい大人も誰しもが人目も気にせず楽しみまくっていました。

 ミッキーの帽子や外じゃ絶対にかけないような派手派手サングラスをかけたオッサンやじいさんたちが、ポップコーン片手にお尻を振ってノリノリです。

「ハーイ、アーユーハッピー?何をすましてるんだい。こんな所に来たんだったら心底楽しまなきゃ。ユー、アンダースタン?ハッハー(総て妄想)」

 そう言われたような気がします。

 ホットドッグのかけらをつつきに来たスズメたちですら、日本のスズメとは違って人懐っこく陽気に見えました。


 国民性というものは普段全く意識していませんが、こうして外に出てみて他を見ることで初めて気づくものなのでしょう。

 お行儀よくとか、人様に迷惑をかけずとか、周囲と同調することや枠からはみ出さないことを重んじるよう教育を受けた日本とは違う、また別の価値観を垣間見ることも海外経験のひとつなのだと思います。


 一日たっぷりと遊び疲れ、夜になってホテルに戻ってから、やっとトゥイさんと連絡がつきました。昨夜電話をかけたのですが、つながらなかったのです。

 なにしろフリマ出店に関しては、トゥイさんなくしては何も始まりません。

 前もってニシカワが日本から葉書を送り、こちらの身勝手な要件は一方的に伝えてありましたが、電話の向こうのトゥイさんは快く迎え入れてくれ、明日お宅に伺うことになりました。日本語も上手に話せるようです。

 これで一安心です。いよいよライターたちの出番です。

 さあ、頑張って売るぞ。

 待っとけ、アメリカ。



 そうそう、実はディズニーランドに着く前、僕たちはのっぴきならない理由があって、もうひとつの“夢の国”に立ち寄っていました。


 現地までは市内交通のRTDバスを使うことにしましたが、バス停の場所と何行きに乗ればいいかがイマイチわかりません。

 現在のように手軽に調べられるツールなどもありません。

 見当をつけたバス停で、来たバスの運転手に「ディズニーランド?」と聞き、「これじゃない」「あっちのだ」とか何とか、何度もバス停を行ったり来たりの末、やっとのことでお目当てのバスに乗り込めました。


 あーやれやれと安堵し、バスが走り出して間もなく、ナガノがボソッと言いました。


「トイレ行きたい」


「は?」


「トイレ」


 はあ?


「今乗ったばっかりやないか」

「我慢しろ」


 やっとの思いで乗れたバスやないか

 何でこのタイミングで言うかな

 着くまで我慢しろ


「……」


 ナガノがモジモジしながら言いました。


「……ウ○コ」


「ええっ?」


「……ウ○コしたい」


「何で乗ってから言うねん!」


「ゴメン」


「マジ?」


「うん」


 うん、て

 しょーもない、シャレか


「ちょっと、ヤバイかも」


 ヤバイって、もーっ

 乗る前に言えよ


 知らない街で一人で降ろすわけにもいきません。

 仕方なく次のバス停で、せっかく乗ったばかりのバスを降りました。


 ナガノがお腹を押さえながら走り出します。しかしそんな都合良くトイレなどすぐには見つかりません。営業中のお店などもないような場所でした。

 ナガノが必死に探してます。真剣そのもののその顔から、地獄へのカウントダウンが始まっている深刻さが伝わってきます。

 私とニシカワもどこかにないかと小走りで探します。しかしなかなか見つかりません。


「あー、アレアレ!」


 ニシカワがガソリンスタンドを指さしました。

 もう既に顔面蒼白になっているナガノが一直線に走り出しました。お尻押さえてます。


 そこからはニシカワと二人で、まるで無声喜劇映画を観ているようでした。


 スタンド事務所に駆け込むナガノ。

 身振り手振りで何やら訴えているナガノ。

 スタンドのオヤジがコトを察したらしく、顔を歪めました。

 多分、オーマイガーと叫んでます。

 オヤジが飛び出てきて建物の裏を指さします。

 お尻を押さえて裏の扉に駆け込むナガノ。


 ・・・


 セーフ。

 間に合いました。


 窮地から脱出してみせた男。ナガノ。

 お前はチャップリンか。


 このナガノという男。私は旅立ち前日に初めて会いました。

 悪い人間ではないのですが、掴みきれないというか、どこか風変わりで、何を考えているかわからない雰囲気がありました。

 彼はこの「ウ○コ事件」を皮切りに、この旅の間中幾つかの事件を引き起こしてくれました。

 まあそれはそれで旅のアクセントにはなりましたけど。


 その場所で“夢の国”から戻ってきたナガノの写真を撮りました。

 バツ悪そうに照れ笑いを浮かべた男がそこに写っています。

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