2月23日 日本出国

 こうしてニシカワとの無謀なアメリカ行き極秘計画が始動しました。


 アメリカにライターを持ち込んで売る。

 とは言っても正規の手続きを踏むなんて、知識もないし、全く考えが及びませんでした。

 自力で運んで現地で売りさばく。

 深く考えもせず、ただ単純にそう考えました。

 酒の勢いも手伝った、そもそも飲み屋での戯言から出た話です。

 素面に戻ってからもそんな冗談のような話を、本当に実現に向けて突き進めてしまうとは、今考えると自分でも信じられません。

 やはり若さが故に為してしまった、怖いもの知らずの無鉄砲で無分別な行動だったと思います。


 では仮にライターを持って行けたとして、それをどんな方法で売るのか?

 これは二人で話すうちに、安易な発想ですが「フリマで売る」ということになりました。

 この時代、日本でも“フリーマーケット”という言葉が市民権を得始めていて、アメリカでは盛んに開かれていることをPOPEYE情報などで知っていました。

 とは言え、現地でどうすればフリマ出店できるかなんて、その具体的方法がわかりません。

 インターネットなどない時代です。ググって調べることもできません。

 これについてはニシカワが大学関係のつてをたどり、ロサンゼルスでフリーマーケット販売を生業としている人物を探し出してきました。

 日本留学経験のある、トゥイさんというベトナム系アメリカ人を紹介してもらったのです。


 ライター1000個を持ち込んで、フリーマーケットで売りさばく。

 時期はニシカワが春休みに入る2月下旬から1ヶ月間。

 行き先はトゥイさんがいるロサンゼルス。

 ニシカワの大学仲間のナガノが加わりメンバーは3名。

 人生初のパスポートを申請し、神戸のアメリカ領事館まで行って観光ビザを取得した。

 航空券は最安値の大韓航空ディスカウントチケットを購入。ソウル経由ロサンゼルス往復で13万円。

 1ヶ月も滞在するのだからと、グレイハウンドバスの7日間周遊券も手配。

 肝心の使い捨てライターは、ディスカウントショップで1個50円で1000個購入。


 2ドルで売って1個450円の儲け。1000個分を3人で山分けして一人15万円!

 航空券代が戻ってきてお釣が出る!

 獲らぬタヌキのなんとやら。頭の中にはハッピーな異国生活がきらめいていました。


 こうして夢のような“完璧な計画”を着々と進め、いよいよ旅立ちの日を迎えたのです。




 2月23日


 大阪伊丹空港を飛び立った大韓航空機は、ソウル金浦空港で乗り継ぎ、ロサンゼルス国際空港まで約10時間のフライト。

 エコノミーの狭い座席にもがきながらも、私にとっては飛行機初体験です。

 離陸時の体に受けるG圧に「うぉーっ」と声を上げ、ずっと落ち着かない高揚感と軽い興奮状態が続いていました。

 それに加えて最も大きな心配事である「入国審査をどう切り抜けるか」が、常に頭の中にありました。


 格安航空券を購入した旅行会社で、店のお兄さんに我々の極秘計画を漏らした時、

「兄ちゃんら、アホなことはやめとき」

「入国時に持ち物検査があるんやで」

「商売目的とばれたら査証虚偽。良くて没収、最悪、逮捕か強制送還になるで」

 そう脅されていました。

 しかし僕たちはこの親切な忠告を無視し、呑気にも「なんとかなるやろ」との根拠なき楽観思考で“強行”に走ったのです。


 ライターも1000個ともなると、それだけで大型スーツケースが満杯になりました。

 伊丹空港出国時にチェックインカウンターで預けましたが、何のお咎めもなくすんなりと手続きが完了しました。

 たまたまだったのだと思います。発火物には特に厳しい現在のセキュリティー体制では、大量の液体発火物は必ずX線検査で引っかかったことでしょう。

 現在なら「危険物発見!」「爆発物処理班出動!」「空港一時閉鎖!」を引き起こし、迷惑で間抜けな若者3人組としてニュースネタになっていたかもしれません。


 搭乗機は順調に飛行を続けました。

 到着が近づくにつれ、頭の中の心配事はいつ破裂するかわからない風船のように膨らんでいきました。




 そして日付変更線を跨ぎ、同じ2月23日の現地時間午前8時30分。


 3つの破裂寸前の風船を乗せた大韓航空機が、ロサンゼルス空港に降り立ちました。


 着陸時のやや強い衝撃を身体に受けましたが、外国に着いたという実感はまだ湧いてきません。

 湧いていませんが、緊張感で身体が強ばってきています。

 飛行機から降り、まずはイミグレーションのゲートに並びました。


 バクバク バクバク


 さっきから心臓が高鳴っています。

 そりゃそうでしょう。本性は根っからの小心者です。


 捕まったらどうしよう…… 


 バクバク バクバク


 止まりません。

 変な汗が出てきた。



 海外渡航の第一関門、入国審査。

 生まれて初めて外国人と1対1で向き合わねばなりません。


 まずニシカワが審査官の前に進みました。彼は二度目なので余裕ありそう。そう見えます。

 何やら質問されていますが、会話の内容までは聞き取れません。

 後ろで様子を伺っていた僕は隣の審査カウンターを指示され、メガネをかけた白人審査官の前に進み、おずおずとパスポートと入国カードを差し出しました。


 緊張。ものすごい緊張。


 意地悪そうな顔。鋭い視線でギロリと睨まれ、更に緊張が高まります。


「○▼☆♯◆」


 何か言われましたが、さっぱりわかりません。


「○▼☆♯◆」


 全然わかりません。


「サ、サ、サイトシーング」


 予習してきました。必死にそれだけ答えました。声ちっちゃ。


 フンッ


「○▼☆♯◆」


 メガネ審査官は鼻で笑って再び何か言いましたが、私には理解できません。

 あ、帰りのチケットか。

 慌てて帰国便の航空券を見せました。


「○▼☆♯◆」


 また何か言いましたが同じこと。

 固まっている私を見て諦めたように首を振り、面倒くさそうにパンパンとスタンプを押すと、パスポートを私に差し戻して、アゴで「行け」と言いました。


 え?

 いいの?

 滞在日数とかは?

 聞くんじゃないの?

 ちょっと肩透かし

 ほー、助かった


 僕の後のナガノがしばらく捕まっていましたが、間もなく合流しました。

 さて、次がいよいよ最大にして最後の関門。税関の荷物検査場へ。


 バゲイジレーンで順番に流れてくる預け入れ荷物を目で追いながら、検査ラインの方を遠目で見ると、総ての乗客がカバンやスーツケースを開けられて中身を調べられています。それもかなり念入りに。

 隣の列も、その向こうの列も、どの列も。


 うっそー

 あー、あかん

 うそやろ

 やっぱり無理かあ

 せっかくここまで来たのに

 俺たちどうなってまうんや

 やばい、やばい、やばい

 逮捕?強制送還?

 ち、ちびりそう


 レーンに僕たちのスーツケースが流れてきました。


 さあ、どうする

 どうするよ


 やり過ごすわけにもいきません。

 ええいっ、レーンから取り出しました。

 ずっしり重いスーツケース。

 ちらり検査場を見やります。


 ・・・


 ううっ……

 どうする……


 ・・・


 神様、見てますか

 神様、お願いします

 お願いします、なんとかなりませんか

 神様!

 お願い、お願いします!

 神様!

 神様ーっ!



 その時ふと横を見て、あるモノが目に飛び込んできました。


 !!!


 僕はすかさずニシカワとアイコンタクトを交わし、腹を決めました。



 自由の国の扉が、開かれました。

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