9月某日 旅の発端
友人にニシカワという男がいます。
彼とは高一で出会い、その夏に鳥取の海水浴場へキャンプに出かけた時からの長い付き合いです。
21歳の秋、そのニシカワから「久しぶりに飲もうや」と連絡がありました。
その頃の僕は、高校卒業後に通った専門学校を途中で辞めてしまい、さしたる目標も持たずにアルバイト生活一辺倒の日々を送っていました。
高校時代から独り暮らしに憧れていたので、実家を飛び出て六畳一間のアパート暮らしで自由を謳歌していました。
収入は飲食チェーンのアルバイト代だけでしたが、長時間勤務も厭わず働いていたので、独り暮らしを続けるだけなら充分に事足りていました。
ニシカワは大学三年になっており、久しぶりに会って話してみると、「ロサンゼルスに短期留学に行ってきた。めっちゃ良かった。一緒にアメリカへ行こうや」と言うのです。
「チーズバーガーがめっちゃ美味い」
「アメリカの女の子はめっちゃ可愛い」
「総てがでかい。フリーウェイは片側10車線や」
「スーパーのアイスクリームはバケツで売ってるんやぞ」
「カリフォルニアの空はほんまに青いねん」
とにかく興奮冷めやらぬ様子で、彼の口から次から次へとアメリカ賛辞の言葉が出てきました。
僕たち世代は戦後日本の高度成長時代に生まれ、物心つく頃から否応なくアメリカ文化に触れて育ってきました。
テレビ番組、映画、音楽、ファッション、フード……敗戦国として対等ではない関係性の中、同化政策として様々な刺激的なものを半ば強制的に押し付けられ、自然と憧れの感情が生まれていったのだと思います。
思春期真っ盛りの頃には雑誌「POPEYE」が創刊され、毎号届く西海岸を中心としたアメリカンポップカルチャーの情報に目を輝かせていました。
しかし現実的には、海外旅行そのものは今ほど手軽で身近なものにはまだなっておらず、簡単には手の届かない遠い存在でした。
事実、コロナ前には年間2000万人を超えた海外渡航者数は、この時期400万人程度でしかありません。
ですからいきなりそんな話を切り出されても、まさか自分が海外へ行くことなど考えたこともなかったし、すぐには現実的なこととして捉えられませんでした。
そら行ってみたいけどやなあ
ほんまに行けんの?
俺が?
まさか……
ニシカワも自分の目で見てきたアメリカにもう一度行きたいという思いは本心だったものの、僕に話した時点では本当に行くかどうかは半信半疑。軽いのりで話してみたのが本当のところと、後日かなり時間が経ってから話してくれました。
しかし二人での久々の酒の席。ビールの空き瓶がまた一本二本と増えていくに連れ、話は益々盛り上がっていきます。
アメリカのどこに行きたいとか、行って何をしたいかということよりも、大きな憧れの国にただ純粋に触れてみたい思いが、どんどん膨らんでいきました。
こうして僕の中の「行けるもんなら行ってみたい」、いやシンプルに「行きたい!」という衝動が抑え切れなくなっていきました。
では現実問題として一体幾らかかるのか。
「まず飛行機代にホテル代」
「パック旅行で行くんか」
「自由旅行っちゅうやつや」
「あと食事代か」
「移動はどうすんの?」
「電車走ってるんか?」
「車とか使うかな」
「買いもんもしたいやろ」
「何日ぐらい行くねん」
「せっかく行くんやったらなあ」
「1週間とか?」
「1ヶ月ぐらい行きたいな」
1ヶ月行くとして、航空券代に宿泊費と生活費でざっくり30~40万?うーん厳しいか、なら50万円見当か。
根拠ある計算ではありませんが、それ位の金額イメージでした。
「貯金あんの?」
「あるかいや」
「俺も」
「バイトで貯めなあかん」
「何ヶ月かかんねん」
そんな大金すぐにはありません。貯金なんてゼロです。それはニシカワも同様でした。
はー、やっぱり無理かあ。でも絶対行きたいなあと二人諦めきれず、ああだこうだと話を続けていました。
その時です。
ニシカワが口にした次の言葉に、二人のアンテナがおそらくほぼ同時にビビっと反応したのです。
「100円ライターが2ドルもしてた」
ビックの使い捨てライターが、現地で2ドルで売ってたと言うのです。
この当時の円の価値は現在よりも相当低く、1ドル=約250円でした。
日本で100円のものが、向こうでは500円……
「持って行って売ったら儲かるな」
「ほんまやな」
「売りに行くか?」
「あほか」
「はは」
・・・
「え?」
「え?」
二人顔を見合せました。
「1個で400円の儲け……か」
「てことは……100個で4万円……1000個で……えーと、40万円……」
一、十、百、千、万……指折り数えました。
「40万?」
「ええっ、40万?」
目をむいてもう一度顔を見合せました。
「40万っ!!」
「飛行機代ぐらいにはなるやん!!」
今となってはどちらが言い出したのかはっきりとしません。
おそらくほぼ同時に、二人の頭の中で悪巧みのスイッチがピカリと光ったのです。
「アメリカにライター売りに行こうや!」
手元のビールをゴクリと飲み干しました。
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