ブランドンホテル 402

コロガルネコ

旅の日記

 キュルキュル キュルキュル


 自動ドアが開くと視界が広がり、到着ロビーにスーツケースを押す乾いた音が響いた。

 名前を書いた紙を掲げる人や、多くの出迎えの人たちの姿が目に飛び込んできた。


 今すぐにでも喜びを爆発させたいが、ダメだ、まだダメだ。怪しまれる。

 最高潮に達していた胸の高鳴りは、まだ治まらずに続いている。

 引きつり気味だった顔から、笑いがこぼれそうになっていることが自分でもわかる。

 まずい、まだだ。

 平静を装え。装え。


 万事休す。

 一時は総てが終わったと観念しかけた。

 それは真っ暗闇の絶望の淵から、突然一筋の光明を見出だした思いだった。

 もうそれに賭けるしかなかった。


 そして道が開けた。


 逸る気持ちをこらえ、僕たちはそのまま足早にスーツケースを転がして、空港ビルの外まで一旦出る。


 もう喜びを抑えきれない。

 後ろを振り向く。

 誰も追いかけては来ていない。


「もうええか?」

「もうええやろ」

「もうええな!」


「やったー!!!」

「やったでー!!!」

「やったったでー!!!」


 3人、小躍りする。


 憧れのアメリカに無事入国を果たした。


「どんなもんじゃい!」

「やってみんとわからん言うたやろ!」

「さあ、始まりやー!」


 見上げればカリフォルニア・サンシャインの降り注ぐ、どこまでも青い空が広がっている。

 青い。本当に青い。青の濃さが日本のそれよりも数段に青い。


 すぐ目の前には、宇宙ステーションを思わせるような白いアーチ型のシンボルタワーがデンと建っている。

 これ、映画で観たことある!


 前から工事現場の作業員らしき二人が近づいてきた。

 長髪と口ヒゲ、二人とも黄色いヘルメットにサングラス。肩まで捲り上げた半袖Tシャツから剥き出た上腕は、プロレスラーのようにぶっとい。身長は190センチを超えていそうだ。

 その迫力に思わず道の真ん中を譲ったやせっぽちのジャパニーズ3人。

 打ち合わせか、単なる軽口か。二人何やら言葉を交わし、一人が指に挟んでいたタバコをひと吹かしすると、僕たちに目もくれずのっしのっしと大股で歩いていった。


「This  is  Americaやー」


 こうして人生初の海外旅がスタートした。




 ーーー 何十年も昔の旅の日記が手元にあります。キャンパスノートにボールペンで走り書いた代物で、所々汚れていたり、文字が滲んでいたり、紙の変色具合に時の流れを感じます。

 よく書いて残したもんだなあ、書き残しておいて良かったなあと、今となっては思います。こんなものを書き残しておいたから、薄れゆく記憶を掘り起こし、なんとかつなぎ合わせることができるようです。


 今回は過去の拙作群とは違って、エッセイ風の文章を綴っていきたいと思います。内容は旅に関する話です。

 僕はこれまで国内海外いろんな地を旅してきましたが、僕が旅好きとなるきっかけとなった人生初の海外渡航談を、書き残していた日記をたどる形で書き進めたいと思います。

 それは無謀で、怖いもの知らずで、出たとこ勝負の旅でした。


 旅とは何か?


 何度も旅に出て、その問いに対する僕なりの解釈がひとつあります。

 旅とはわざわざ「不」に出会いにいく行為であり、その出会う「不」に抗う時に心が感じる何かに、他には代えようのない価値を見出だす体験なのだと思います。

 ここでいう「不」とは、不便、不安、不快、不測、不都合、不条理など。旅は大抵の場合、計画通りには進みません。

 いつもと違う。勝手が違う。当たり前が通じない。そして必ずと言っていいほど、予定外のことやハプニングが起こります。

 また一方で、普段なら見過ごしてしまっているような有り難さや人の温かさに、気づかせてくれる幸運にも出会います。


 そんな旅の楽しさに目覚め、僕は20代前半、バックパッカーのような海外の旅を何度か続けることになりました。その都度書き記した旅の日記が4冊ほど残っています。

 ひとつの旅が次の旅への導火線となり、就職もせずにそんな生活を何年も続けていました。

 社会人になってからは、海外への長期間の旅は難しくなりましたが、短い期間でも可能な限りいろんな所へ出かけました。仕事の関係もあって、国内も様々な地へと足を向けました。


 感受性の豊かな若い時期に大いに刺激され、僕の中に湧き起こった「この目で見てやろう」という強い好奇心は、現在になっても衰えることはなさそうで、今後も旅を続けていきたいと思っています。

 まだまだ見ていないものや、もう一度見ておきたいものをしっかりと目に焼き付け、その非日常の空間に我が身を置いて、その時湧き上がってくる何かを味わいたいのです。


 旅の楽しみ方は人それぞれだと思いますし、普段とは違う環境変化に大きなストレスを感じてしまう方に、旅そのものを無理強いするつもりはありません。

 僕はたまたま僕なりの旅の楽しみ方に出会い、今もやめられずに続けているだけなのです。


 昨年ある人たちと台湾へ行き、価値観の違いを改めて実感したことがありました。

 旅先の食に関しては、その土地だからこそ味わえる“まだ食べたことがないもの”に、僕は強く興味がそそられます。

 例えそれが多くの人の声として「まずい」「くさい」「えぐい」など、ネガティブな評価であっても、一度自分の舌で実際に確認してみたいのです。

 しかしこの時は同行者に非常に保守的な味覚の人物がいて、「金まで払って損したくない」との強い主張に苦笑し、味わってみたかった“臭豆腐”を食べるチャンスを逃しました。

 決してどちらが良い悪いと言いたい訳ではありません。自分がどういう選択をしたいかです。

 毎日の過ごし慣れた居心地のいい日常から離れ、「不」が一杯の非日常の中に身を置くことを楽しめるかどうかが、旅好きかそうでないかの分かれ目なのかなと思います。



 冒頭の文章は、そんな僕にとって生まれて初めてとなる異国の地、ロサンゼルス国際空港に降り立った時の喜びと感動の瞬間です。 

 約40年前の話ですが、今でもその時の光景を鮮明に記憶しています。

「初めての海外旅行で興奮したのはわかるけど、ちょっと大袈裟な書き方だなあ」

 はい、確かにその通りです。そう思われても仕方ありません。

 しかしあの時の僕、いや僕を含む3人は過去経験したことのない緊張から解き放たれ、興奮の絶頂にあったと言っても過言ではありません。


 そんなにも興奮した訳は、初の海外旅行のスタートという意味以外に、実はもうひとつの理由がありました。

 決して自慢できるような話ではありません。若気の至りから仕出かした愚かな話です。


 昨今の風潮を鑑みて、本作は事実に基づき多少のフィクションを書き加えた内容だと言っておきます。

 遠い遠い昔の夢物語、大人のおとぎ話だと笑って読み流していただけると幸いです。


 話はロサンゼルス空港に降り立つ、その半年ほど前に遡ります。

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