ホットココアをあなたに

下東 良雄

ホットココアをあなたに

 目の前にはそこそこ交通量のある二車線の道路、そしてその向こう側にはたくさんのマンションが立ち並んでいる。

 私は歩道の端に立ち続け、毎日同じ景色を眺めていた。

 飽きないかって? 飽きるわけないよ。

 だって、毎日色々なひとたちと接しているからね。


 お金とチャリンと入れれば、お好きなドリンクをご提供。

 暑い夏にはつめた〜いジュースを、寒い冬にはあったか〜いコーヒーを。

 いつもアナタを見つめている、そんな私は『自動販売機』。


 もう街の景色の一部になってしまっていて、特別な存在ではないけれど、日本国内には私の仲間が二百万台以上、ドリンクに限らなければ二百七十万台近くの仲間が雨の日も、風の日も、二十四時間休むことなく働き続けているんだ。これって結構スゴいことだと思う。


 でも、私みたいに意識を持っている自動販売機って、何台くらいあるんだろう。寂しくないといったらウソになるよ。でも、私をいつも利用してくれるひとたちがいるからね! そんなひとたちを笑顔にすると、私もハッピーになるんだ! あっ、キタキタ。


「ママー、ジュースのみたーい」


 ふふふっ、ノンちゃんだ! こんにちは! ママと一緒に幼稚園の帰り道かな?


「ノンちゃん、どれがいい?」

「えーとぉ……」


 先週オレンジジュース飲んだよ。だからアップルジュースがいいんじゃない?

 私はいつものように念を送った。


「……アップルジュース!」

「はいはい、アップルジュースね」


 チャリン チャリン ピッ ガダンッ


 よしよし、アップルジュースも美味しいからね!

 それとママさんにも念を……


「最近便秘気味だし、ファイバードリンクでも飲んでみようかしら……」


 チャリン チャリン ピッ ガダンッ


 OK! 食物繊維をきちんと摂取すれば便秘も解消! 便秘は美容の大敵でもあるからね。こういうドリンクも上手に使って!


「ほら、ノンちゃん。おウチに帰ろうね」

「じはんきさん、バイバーイ」


 ノンちゃん、バイバーイ! 笑顔のふたりを見送り、私もハッピー♪

 おっと、次のお客さんだ!


「だぁー、ノド乾いたぁー」


 ヒトシくんだ! 今日もサッカー部の練習、頑張ってきたみたいだね!


「水、水っと……」


 あれ? ミネラルウォーター買おうとしてる……?

 ちょっと待ったー! 念、念、念……


「……あっ、スポドリの方がいいな」


 チャリン チャリン ピッ ガダンッ


「ウッメェー! ここのメーカーのスポドリ、さっぱり味で美味いんだよな!」


 ミネラルウォーターでもいいんだけど、たくさん運動して、たくさん汗かいた後なら、身体が水分を吸収しやすいスポーツドリンクの方がいい! エネルギー補給にもなるしね!


「ごっそーさん!」


 ちゃんと空のペットボトルを常設のゴミ箱に捨ててくれた! ちゃんとリサイクルするからね! ヒトシくん、またね!


 そんな穏やかな一日が終わり、すっかり夜もふけた。


「うぃ〜、コーヒーでも買うか……」


 あれ、トモユキさん? どうしたの、そんなに酔っ払って……


 チャリン チャリン ドバンッ ガダンッ


 そんなに乱暴にボタンを押さないで! 壊れちゃう!


「コーヒー……あ? なんでサイダーが出てくんだ?」


 それはサイダーのボタンを押したから……


 ガンッ


 やだ、なんで蹴飛ばすの!?

 もう! 仕返ししてやる! 念、念、念……


 プシュッ シュワワワワワワワワー


「うわっ! 炭酸が吹き出て……」


 どうだ、見たか! ざまぁみろ!


「……自販機まで俺を馬鹿にしやがって……ちくしょう!」


 ガンッ ガンッ ガンッ


 ちょ、ちょっと、トモユキさん、どうしちゃったの!?

 いつもはこんなことしないのに……


 ガンッ ガンッ ガンッ


 いい加減、目を覚ませ!


 ガダンッ


「……あれ? ミネラルウォーターが出てきた……」


 トモユキさんは、私が無理やり出したミネラルウォーターのペットボトルを持ったまま、何事か考えている。そして、そのままフラフラと立ち去っていった。


 後日、補充のお兄さんが来た時にトモユキさんもやってきて、何度も頭を下げていた。あの夜、補充のお兄さんの会社に電話をして、私を壊してしまったかもしれないことを正直に話したらしい。幸いちょっと汚れただけだったので(私は頑丈だからね!)、今回はお咎め無しで済んだみたい。補充のお兄さんもトモユキさんを責めることなく、正直に連絡してくれてありがとうって、大切に扱ってやってくださいって、笑顔で答えていた。


 トモユキさんが普段あんなことをするひとじゃないのは知ってる。でも、人間はとてもたくさんのストレスに晒されて生きている。色々なことがあるだろうことは、自動販売機の私にだって想像ができる。

 自分の心が壊れてしまうような、あんな苦しい思いを抱えているひとを癒やしてあげることはできないのかな……でも、私は自動販売機。ひとが望む飲み物を提供することしかできない。悔しいなぁ……悔しいなぁ……。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あれから数ヶ月が経った。その後は平穏な毎日を送っている。季節も移り変わり、私を利用する人たちもダウンジャケットやコートで寒さから身を守り、私自身もホットドリンクの提供を始めていた。


 そんな冬の深夜。人通りもなくなり、一日で一番寂しい時間帯になる。澄んだ冬の夜の空気に、マンション群を優しく照らす綺麗なお月様を眺めていた。

 そこに私の前をゆっくりと通り過ぎていった女の子。女子高生のユイちゃんだ。小さく嗚咽を漏らしながら、どこかへと歩いていく。

 ちょっと待って。こんな時間に女の子がひとりで、しかも泣いてるって……一体何があったの? お願い、待って。ユイちゃん、私の念に気付いて! お願い! 待って、ユイちゃん!


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 何でこんなことになったのか分からない。ケンカをしたわけではないし、お互いに不満だってなかったはずだ。でも、カズキは後輩のユリアと付き合い始めたらしい。カラオケでお楽しみ中の写真をユリアから見せられた。


「ユイ先輩、ごめんなさぁーい。カズキ先輩、私の方がイイみたいなんですぅー」


 ユリアのあの勝ち誇った顔が忘れられない。

 私を好きだと告白してくれたあの言葉はウソだったのだろうか。すぐに身体を許すユリアの方が魅力的だったのだろうか。身体を開かなかった私がいけないのだろうか。無数の『どうして』『なぜ』が心を埋めていく。

 スマホにはカズキからの電話がひっきりなしに来ているが、もう声も聞きたくない。私はスマホをベッドに放り投げ、そのまま家を飛び出した。

 深夜の住宅地をひとり彷徨う。あまりにも惨めで涙が止まらない。


 マンション群を抜け、住宅地の外れにある小さな公園。私はベンチに座って、月の光を浴びながらただ泣いていた。


「こんばんは」


 突然声を掛けられ、驚いて顔を上げると綺麗なお姉さんが微笑みながら立っていた。

 茶髪のシャギーショート、白いニットセーターに赤いロングスカート。シルバーの小さめなトートバッグを持ち、優しい眼差しを私に向けている美人さんだ。私よりも年上で、二十代前半くらいだろうか。


「ゴメンね、突然声かけて。ちょっと心配だったから」

「す、すみません……」


 私の隣に座ったお姉さん。


「話を聞く位ならできるよ?」


 微笑みながら言われたその言葉には、何か不思議な力を感じた。ちゃんと私の話を聞いてくれる。根拠はまったくないけれど、なぜかそう確信した。

 私はカズキのことをすべて打ち明ける。途中で泣きじゃくってしまい、言葉にならなかったが、お姉さんは何も言わずに私を抱き締めてくれた。


「カズキくんとは話をした?」


 首を左右に振る私。


「一度話をしてみたらどうかな?」


 お姉さんの言葉にうなだれる私。

 分かってる。カズキと話をしなければいけないことは。

 でも、私は怖い。本当に怖いのだ。


『オレと別れてくれないか?』

『オレ、ユリアと付き合うことにしたから』


 そんな言葉をカズキから聞きたくない。

 だって、私はカズキが好きだから。

 カズキのことを想い、瞳から涙が滲み出てくる。


 カコッ


 缶のプルタブを開けた音。

 そして、悲しみと不安を抱える私を優しく包み込む甘い香り。

 私は顔を上げた。


「はい、あったか〜いミルクココア!」


 お姉さんが缶のホットミルクココアを私に差し出していた。


「ほら、涙を拭いて」


 私はハンカチで涙をぬぐい、ココアの缶を手に取った。

 どこにしまっていたのか缶は熱々で、飲み口からは湯気がふわっと立っている。

 そっと飲んでみると、ココアの優しい甘さが私を落ち着かせ、悲しみに暮れる心を慰めてくれた。


「美味しい?」


 笑顔を浮かべるお姉さんに、私も微笑みながら頷く。

 そして――


「一度、カズキと話をしてみます。きちんと顔をあわせて、彼を責めるのではなく、まず彼の言い分を聞いてみます」


 ――ホットココアが私の頑なだった心を解かしてくれたのかもしれない。私はカズキと話をすることを決心した。


「それがいいよ。会話しなければ分からないことはたくさんあるからね」

「お姉さんがくれたホットココアのおかげです。ありがとうございました」


 立ち上がって頭を下げた私に、お姉さんは優しい笑顔を向けてくれた。


「がんばって、ユイちゃん!」

「はい! あっ、空き缶をくずかごに捨ててきますね」


 カラン


 くずかごに空き缶を捨てた私。

 ……あれ? なぜ私の名前を知っているのだろう。


「お姉さ……」


 振り向くと、お姉さんの姿はなかった。

 私の心が生み出した幻か、月の光の悪戯か。

 不思議なことに驚きはない。

 鼻孔に残ったミルクココアの甘い香りを感じながら、私はただベンチを見つめていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 今日も寒いので、ホットドリンクがよく売れている。

 あったか〜いカフェオレ、美味しいよねぇ♪

 おっと、またお客さんだ!


「ホットココア買っていこっと!」

「オレ、ホットコーヒーにしようかな。無糖……いや、微糖かな」


 ユイちゃん、こんにちは! 今日はカズキくんと一緒だね! 誤解が解けたようで良かった!

 いいかい、カズキくん。優しいのは美徳だけど、可愛い彼女がいる身で、女の後輩の相談にふたりきりでのったり、しかも相談を理由に閉鎖された空間へふたりで行くのは優しさじゃないよ! ぜーんぶユリアさんの策略だったんでしょ! 優しさだと思った自分の行動が、ユイちゃんを深く傷付けるかもしれないことを覚えておいてね!


 チャリン チャリン ピッ ガダンッ

 チャリン チャリン ピッ ガダンッ


 ホットココアとホットコーヒーを手に、ふたりは楽しそうに去っていった。ふふふっ、いつまでも仲良くね!


 あれっ、ユイちゃんが突然振り向いた。


(あ・り・が・と)


 私に向けて口パクでお礼。そして笑顔で小さく手を振ってくれた。

 あれが私だってバレちゃったか。


 あの夜、ユイちゃんを追い掛けたいって強く願ったら、私はひとの姿になっていた。きっと神様が私の願いを聞いてくれたのだろう。

 自分の意志でひとの姿にはなれないけど、本当に苦しんでいるひとがいれば、きっとまたひとの姿になれると思う。だって、ひとを笑顔にすること。それが私『自動販売機』の役目なのだから!


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 無謀な納期設定、急な仕様変更、猛烈なクレーム……何で俺がこんな目に合わなければいけないのか。真面目に働けば真面目に働くほど馬鹿を見るシステム。家族のために我慢を続けているけど、この我慢はいつまで続けなければいけないのだろう。もうどうしたらいいのか分からない。

 住宅地の外れにある公園のベンチに座り、頭を抱えた。


「トモユキさん、こんばんは」


 女性の声に顔を上げる。

 そこには綺麗な若い女性が微笑みを浮かべて立っていた。

 優しく甘い香りをまとわせながら。


「あったか〜いミルクココア、飲みませんか?」



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