邪悪な犬を罰してください

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 私の片割れを亡くして半年が経った。荒れた透明なゲージ。捨て忘れた餌。スマホのロック画面は彼の後ろ姿のままだ。

 未だに手のひらに感触が残っていた。ウシガエルを保冷剤で腐らないようにしていたこと。まるで、仕事の手作業のように指を動かした。葬式をあげたのに、まだ視界の横で生きているような気がする。


「おーい」


 私は記憶の殻から出て、現実に目を戻す。

 いま、私は外出していて、知り合いの家にいた。正面の男性が、私に器を渡してくれている。


「大丈夫か」


 男性の瑞山は昔から付き合いがある。彼は私がペットを亡くしたことを気にかけてくれていて、今日もご飯に誘ってくれた。

 瑞山は箸を動かしながら、近況を聞いてきた。


「林は仕事決めないの?」

「いやー……、どうですかね」

「おれ、お金は出せないからね。アイツ養わないといけないし」


 箸の先にさしたのは、小型犬だ。瑞山はポメラニアンを飼っていて、体毛が茶色だから、名前はチャコ。あの犬は自宅近くの公園で捨てられていて、拾ってからは育てている。


「もうチャコがすっごい可愛いんだよ。アイツを食わせるためなら仕事辞められないってな」

「あんなに仕事を嫌がっていたのに、人が変わったようですもんね。自分を優しくするぐらいだから」

「何だよ。もう飯奢ってやらないからな」

「ごめんなさい、冗談です。瑞山さんは、とんでもなく優しすぎて、彼女が出来ない素敵な人です」

「あー、お前。彼女のこと言うなよ」


 まーでも、彼女いなくてもいいかなって想うけどね。と、彼はひとチャコに目を配る。すると、破顔した。

 私も続いて横向く。

 チャコは片耳だけをあげて首を傾げていた。うつ伏せで寝ていたから、顔に寝癖がついていて、両目の上部が隠れている。まるで、困りごとがあるように垂れ下がっているような錯覚を覚えた。

 胸がきゅと締められた。可愛くて愛おしい。

 そのままの生き方が心をつかむ尊い存在だ。


「か、かわいっー!」


 隣からスマホのシャッター音がした。瑞山はチャコをよく撮影したり動画をとる。

 私は胸がほだされて浮き上がり、チャコを抱きしめようとした。すると、チャコは大声上げてキャンキャンと吠える。拒絶されたことに戸惑い、私は後ずさる。

 後ろで瑞山が息切れするほど笑った。

 瑞山はその場で動画を投稿する。


「林は犬派なんだな」


 瑞山のスマホから通知音が届く。おそらく、投稿した動画の反応だろう。


「今日ちょっと揺らぎましたね」

「もう飼っちゃえば」

「うーん……」


 通知がまた届く。速度は変わらず、スマホが揺れた。


「もう飼いたくない?」

「失うのが怖いです」


 電話でもかかってきたように通知が届いていた。何度も、繰り返しに瑞山のスマホが暴れる。まるで内側から誰か喚いているように。

 

「あー……」


 私はスマホを開き、瑞山のチャコ専門アカウントを覗いてみた。チャコの画像や動画はインスタに投稿していた。私もチャコが可愛くて見返すときもある。最新動画に何百といったハートが届いている。


「……林、どうしよ」


 動画は大規模に拡散された。



 あれから3日経つ。未だにチャコはタイムラインを賑わせていた。ファンアートや、チャコの吠える瞬間を切り抜いて、月曜に切れる私と文字入力され、ミームとして取り込まれる。


「林、今日はイクラ買ってきた」

「どうしたんですか」

「ほら、バズった記念?」

「浮かれすぎですよ」

「いや、浮かれさせろ! ささやかな喜びを受け取れないやつに、生活は送れねえよ!」


 私はまた瑞山とご飯を食べている。最近は、彼が友達いないから誘っているのではないかと感じるようになった。リアル限定のアカウントのフォロワーが私よりも少ないからだ。彼の孤独にタカっている。


「いやーでも、チャコの人気すごいですよね」


 チャコの愛くるしい仕草や、私の不器用な動き方が世間に喜ばれる。短い動画はファンのバブルを突き抜け、プラットフォームも取り替え、世界的に広がっていく。


「なんか、林のフォロー数も増えてたよね」

「増えたけどすぐ減るんだよね」


 瑞山はなにか思い出したように鼻で笑い、空を箸で描いた。


「『カエルなんて騙されました』って書いてるやついたな」

「ひど過ぎますよね。生物はありのままで可愛いのに」

「なー」


 彼は軽く同意した後、私に提案をしてきた。


「動画、まだ伸びてるじゃん」

「どうしたんですか。改まって」

「また、出てくれないか?」


 どうやら、チャコと私のやり取りを気に入られているらしい。普段の投稿も桁違いに拡散されているが、コメントで絡みを所望されているらしい。その数が無理できないほど来るから、願いに来たらしい。


「や、報酬は払う!」


 沈黙は抵抗と勘違いされた。訂正するよりも先に、報酬という言葉に引っかかる。


「チャコの動画に金が出るようになった。お前も、まだ仕事決まってないんだろ?」

「決まってないですけど……」

「だったら出てくれないか?」

「いいですよ」


 いくらは建前じゃないかと勘ぐった。そうひねくれてしまうほど傷ついていることが後になってわかる。


「何やるんですか?」


 彼は立ち上がり、玄関の棚を開ける。その音を聞きつけたチャコが駆け寄った。愛嬌ある吠えを一度して、おすわりしている。


「抱っこしてもらおうかな」


 チャコは瑞山の握っているものに集中している。それは、この犬がご飯よりも好きな食べ物だ。

 彼はリビングまで誘導し、ジャーキーを投げた。


「後ろから回って」

 

 私が抱っこしようと後ろから回る。チャコはジャーキーを噛み切ることに夢中で、犬歯を食い込ませていた。大好きなおやつに気を取られているうちに、目的を遂行する。


「いける。いける」


 私が手を回そうとしたとき、チャコの耳がピンと立つ。寝かせていた足を立たせ、振り返る。


「ぅうぁっあ!」


 チャコは驚いて私から脱出した。急加速するから足がもつれるけれど、転けずにカメラからも消える。

 撮影していた瑞山は落胆した。


「やっぱり駄目かー」

「嫌われすぎでしょ、自分」

「まあチャコは人見知りだからね」


 二人の雑談する下で、チャコが爪でリビングを鳴らしながらジャーキーだけを回収し、また一目散に逃げる。

 そのがめつい様子に二人で肩を揺さぶるほど笑った。犬はなんて可愛いのだろう。裏表ない仕草と無邪気な可愛さで、どうしても心を緩くさせてくる。


「これ、バズるんじゃないですか」

「おー」


 彼はスマホを操作する。撮影した動画を編集しているのだろうか。

 チャコはジャーキーを咥えながらとことこ歩く。不均等に捉えているから、片方を床に擦っている。瑞山の足元に到達すると、私をにらみながら食事を再開した。犬の可愛い咀嚼音が聞こえていることだろう。私は瑞山に伝えようとした。


「瑞山さん、足……」


 彼はそっと足をチャコから外した。


「動画投稿した。見てくれ」


 携帯を開く。ロックを解除し、SNSを開いた。早速、私の顔が写っている動画が出てくる。チャコの哀れな動きが可愛い。さっそく拡散されていた。

 動画のタイトルを彼に聞かせる。


「『社不後輩とチャコの戦い』ってなんですか」

「ほら、キャッチーな方がいいじゃん」


 その後、家に帰り私は布団の中でスマホを操作した。意識して、批判的なコメントを読む。ポメラニアンの毛並みが整えられていない。歯磨きはさせているのだろうか。そもそも、扱い方が可哀想じゃないか。

 スマホの背景は亡くなったウシガエルが写っている。


「……はぁ」


 瑞山はカエルのことを口に出して非難した。

 タイトルの付け方も、彼の本心から出た言葉だ。

 私は今日のことを箇条書きする。

 どうして、私は"嫌な思い"が遅れて分かるのだろう。

 傷ついたことがすぐに分かれば口に出せるのに。いや、口に出す勇気がないから、また淀むだけか。傷ついたことがすぐに分かりたい。



 生活が維持できるほど、収入を得るようになった。まさに、チャコの行動が私の懐を温めてくれていた。

 既にチャコは人気なインフルエンサーに上り詰めている。瑞山は、バズらせる構文や注目の集まる時間を調べた。チャコに絡めた案件が依頼されるようになり、また広告塔としても役割を果たしている。

 私のアカウントからも今回の動画を宣伝する。ハートの通知が届いていき、コメントも寄せられた。


「林。今日は仲良し動画とるぞ」


 私とチャコの仲違いが心配されるようになった。ネタを小出ししていたが、不穏な噂が立つようになったから、それを根本から絶ちたいらしい。


「どうするんですか?」

「簡単だよ。ふつうに遊んでいたらいい」


 最近はチャコと顔合わせることが多かった。単純に、犬が私に慣れたのだろう。以前ほどは吠えられない。

 道具を渡され、チャコと遊ぶ。犬の雑誌に乗っている仲の縮め方を実践する。それにしても、チャコは変貌した。

 毛並みは整っていない。齒も黄ばんでいる。目やにが毛並みにひっついて固まっていた。おそらく、肛門絞りもしばらくされていないかもしれない。


「瑞山さん。チャコって風呂に入れないんですか」

「それが嫌がるんだよな。だって犬だもんわかんないよな」

「でも、臭くないですか? 毛並みも整ってないですよね」

「それがコメントで綿菓子みたいで可愛いって人気なんだよ。これが、チャコの個性なんだよ」

「その個性は、チャコに選択肢があったんですか。自分らしさって自分が決めるもので、自己保身の言い訳に使うのは侮辱ですよね」


 痛い。

 ふと指先を見る。

 私の指先にチャコが噛みついていた。鼻先を盛り上げ、牙を立てている。


「林!大丈夫か」


 手を引くとチャコが口を離した。

 私の人差し指は4つの青い穴が空いている。徐々にしびれが来て、噛まれたことを身体が理解していく。

 瑞山は救急箱を用意して、私を手当する。消毒液を取り出しているとき、私はふと提案した。


「チャコ。風呂に入れていいですか。ほら、毛並みとか整えてあげたりとかしてあげたいです」

「え、うん。良いけど」


 私の指に消毒液がかかる。冷たくて、ウシガエルを亡くしてしまったことを思い出した。

 久しぶりに涙を流した。

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邪悪な犬を罰してください 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

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