ぼっちの旅、 のんびり旅行記
ひよこもち
ベルギーワッフル in ブリュッセル ~甘い思い出とビターな結末~
ぼくがベルギーで、一生忘れられないワッフルに出会った話は、もうしたっけ?
初耳?
それじゃあ、今日はその話をしよう。
ぼくが例のごとくフラッと思い立って、ベルギーを一人旅したときのことだ。
キミもご承知のとおり、ぼくには時折、そういうタイミングがやってくる。
唐突に旅に出たくなって、全身の血がざわざわして、居ても立ってもいられなくなって、趣味も仕事も手につかなくなる。
行き先は、国内でも国外でもいい。
その時は、鼻の奥に空港の匂いがよみがえってきた。
チェックインカウンターでスーツケースを預けた後、早朝の国際線ターミナルを歩きまわる、あの不安と、緊張と、張り裂けそうなワクワクがごちゃ混ぜになった独特の感覚。それが津波のように押し寄せてきて、僕をすっぽり呑み込んでしまった。
だから国外旅行にした。
まだ行ったことのない国の中からベルギーを選んだ理由は、じつに単純。
ワッフルだ。
本場のワッフルを、食べてみたくなったんだ。
あれ、変な顔をしてるね?
だけどキミ、ぼくがチョコレート一粒のためにドイツまで出かけるヘンタイだって、知ってるでしょ?
おや、まだ話してない?
じゃあ、その話は次の機会に。
今はワッフルだ。
ワッフル、と言って日本人が思い浮かべるワッフル、あれはアメリカ式。
ベーキングパウダーを使うからフワフワの軽い食感になる。
ベルギーのワッフルとは全然ちがう。
本場のはイースト菌で発酵させるんだ。
パンみたいにね。
だからずっしりしていて、食べ応えがある。お菓子じゃなくて食事なんだよ。
ちなみにベルギーワッフルとひとくちに言っても、さらにリエージュ風とブリュッセル風に分類される。
ややこしいって?
だけどキミ、お好み焼きにだって大阪風と広島風があるじゃないか。
リエージュ風は、キミも食べたことがあるよ。
ほら、キミがときどき買ってくるマネケンのワッフル。
あれはリエージュ風だね。
丸くて、ずっしり、しっとりしている。パールシュガーのザクザク感がたまらない。
マネケン自体は日本の会社だけど、創業者はベルギーで食べたワッフルに感激して、あの味を再現しようと試行錯誤したらしい。
ぼくもマネケンは大好き。
駅で見かけると、ふらふらっと引き寄せられて、つい買って帰っちゃう。
ちなみにリエージュっていうのはベルギー東部の大都市の名前だよ。工業と商業の中心地で、グルメの街でもある。
日本でいうと、そうだな、大阪かな。
対してベルギーの首都、ブリュッセル。
こちらのワッフルは、四角くてカリッとフワッとしている。
生地自体には、あまり味つけはされていない。
具材をトッピングして食べる前提なんだ。
ワッフル屋さんに行くと驚くよ。
街のあちこちにテイクアウト用の小さな窓がある。
あまーい匂いがただよってくる、キッチンカー並みに狭いカウンターに、生クリーム、アイスクリーム、キャラメルソースにイチゴシロップ、大きくカットされた色とりどりのフルーツを山盛りにして見本用のワッフルがぎっしり並べられている。
お客さんはそれを見て、自分だけの最強トッピングを注文する。
上手いやり方だ。
文字でずらずらメニューを書かれるより、目の前にならんでいる方が断然、食べたいトッピングが鮮明になる。
あっちにもこっちにも目移りして、行列の待ち時間なんてあっと言う間に過ぎていっちゃう。
ある店でぼくが選んだ生クリーム&チョコレートは、奥歯が痛くなるほどチョコレートソースが甘くて、ちょっと後悔した。
ぼくの隣のテーブルでは小さな子どもがバナナ&生クリームを食べていて、それがすごく美味しそうに見えた。
だから、次の店ではざく切りのバナナとバニラアイスをのせて粉糖をたっぷりかけてもらった。
どのお店のワッフルも美味しかったけど、ひとつだけ、本当に忘れられないワッフルがある。
メゾン・ダンドワのワッフルだ。
メゾン・ダンドワは、ブリュッセルの有名な焼き菓子店。
19世紀創業という老舗だ。
フランスの詩人ヴィクトル・ユゴーが「世界一美しい広場」と称賛したブリュッセルの中央広場・グランプラスのほど近くに店舗を構えている。
黒地に金で
ぼくは迷わず二階へあがった。
絶対にその店でワッフルを食べると、日本を発つ前から決めていたんだ。
どうしてその店を知ったんだか忘れてしまったけど、きっと旅行のプランを練るためにネットの大海原を泳いでいたとき、印象的な口コミを見たんだ。
人気店だと覚悟していたけど、
中途半端な時間帯をねらったのが功を奏したのかもしれない。
木のぬくもりを感じる使い込まれたテーブルに黒地のメニューブックを広げて、ぼくはブリュッセル風ワッフルを注文した。
ブリュッセル風とリエージュ風、どちらも選べるのがこの店の売りらしい。
けど、ぼくは今、ブリュッセルにいる。
日本から飛行機で12時間かけて、はるばるやってきたんだ。
ブリュッセル風を食べないなんて、馬鹿なことがあるもんか。
真っ白な平たい皿にのせられてきたワッフルは、ため息がもれるほど美しかった。
細部の凹凸までくっきり繊細に焼き上げられ、深窓のご令嬢みたいに色白の肌が、ほんのり狐色に色づいている。粉糖のパウダースノーがうっすら積もったワッフルは、ぼくの予想よりひと回り大きかった。
完食できるか、少々心配になった。
焼きたてで、熱々なのにちがいない。
どっさり絞られた生クリームがみるみる溶けていく。ソフトクリームかと疑うほど。
トッピングの種類はたくさんあったけど、ぼくはシンプルに生クリームと蜂蜜を選んだ。
焼き菓子の老舗なんだ。
原材料からこだわりぬかれた生地、その本来の味を楽しむべきじゃないか。
フォークを刺した瞬間、ぼくはおどろいた。
厚みがあるように見えた生地は、サクッと気持ちよく二つに分かれた。
あの瞬間の、感動と言ったら!
大きめに切り分けたひと切れに、溶けた生クリームをのせて、上から琥珀色にきらめく蜂蜜を垂らして、口へ運ぶ。
サクッと噛んだ途端、バニラの芳醇な香りが口いっぱいに広がった。
蜂蜜の甘みと、甘さを控えた生クリームの、溶けたバターのようなコクが追いかけてくる。
そのむこうから、新鮮な卵と小麦粉そのものの上品でやさしい甘みが顔を出し、春の野原をかけめぐるそよ風のように口のなかを満たして、次の瞬間、フォークから溢れるほど大きかったはずの一切れは、きれいに溶けてなくなっていた。
その軽い食感の、爽快さたるや!
フォークが止まらなくなった。
目の前に出された瞬間は胃袋の空きが不安になるほど巨大に見えたワッフルが、みるみる小さくなって、たちまちぼくのお腹におさまってしまった。
誇張なく、ペロリだった。
もう一皿おかわりしたいくらいだった。
ブリュッセルの一等地。
老舗の名店。
イートイン。
値が張るのは致し方なし、雰囲気も込みの観光料金だと、メニューを開いたときは覚悟を決めていた。
だけど今は、このワッフルを味わえるなら倍の金額を出してもいいと、ぼくは本気で思っていた。
極上の原材料と技術が揃えば、素材そのままの素朴な味は、ここまで奥深い芸術になるのだ。
ぼくは一緒に頼んだことをすっかり忘れていた紅茶を飲もうとしたが、感動のあまりもう味なんてわからなかった。口のなかのワッフルの余韻が紅茶で流れていってしまうのが悲しかった。
追加注文をするか、しばらく本気で迷っていた。
階段に行列ができ始めているのに気づいて、ぼくは後ろ髪をグイグイ引っぱられつつも、しぶしぶ会計をして席を立った。
さっき話したとおり、店舗の一階はショップになっている。
ワッフルの話ばかりしているけど、ダンドワはもともと焼き菓子の老舗だ。ガラスケースのなかには形も味もさまざまな量り売りのビスケットが並んでいる。
一番有名なのは、スペキュロス。
薄くて硬い、ベルギーの伝統的なビスケットクッキーで、シナモンやクローブなどのスパイスを利かせ、ブラウンシュガーとたっぷりのバターで茶色く焼き上げる。
元は12月6日の聖二コラ ――サンタクロースの元ネタのおじさんだね―― その聖ニコラの日のお祝いに、一年間よい子にしていた子どもだけが食べられる特別なお菓子だったらしい。
実は、ダンドワの本当の名物はスペキュロスなんだ。
何代も受け継いできた秘伝のレシピだと聞いて、ぼくは伝統的なスパイス入りと、横にならんでいた白い生地のバニラ味と、ふたつを買った。
自分用だから、お土産用のおしゃれなボックス入りではなく、小さいビニールの袋に10枚くらい入っているシンプルなものを選んだ。
次の街に到着してホテルで一息ついている時、ぼくはこのスペキュロスのことを思い出して、ひとくち齧ってみた。
夕食前のおやつ代わりだ。
スパイス入りはぼくには少々シナモンが強すぎたが、バニラの方は、とんでもなく美味しかった。
あのワッフルと、同じ味がした。
ワッフル型に流し込むはずの生地を、間違えてクッキーに焼いてしまったみたいだった。
こんなに早く再会できるなんて、不意打ちすぎた。
ああ、そんな。
もっと早く気づいていれば!
ダンドワのバニラスペキュロスより美味しいクッキーを、ぼくはいまだに食べたことがない。
なぜ大袋で買わなかったんだと、さんざん後悔しながら大切に大切に食べていたバニラ味のスペキュロスは、日本に帰りつくのを待たず、きれいさっぱり食べ尽くしてしまった。
空になった袋を見るたびに、ぼくは深く絶望した。
今すぐ飛行機を飛び降りて、脱出用パラシュートでブリュッセルに舞い戻りたかった。
大人しく日本に帰ってきて、自分の部屋で荷ほどきをしている間も、職場の仲間たちへのお土産用に買ったスペキュロスの大箱を今すぐ引きちぎって、ムシャムシャ食べてしまいたい衝動に何度も襲われた。
さいわい、お土産用のスペキュロスは無事だった。
ダメ元で調べてみたところ、なんと、日本でも手に入ることがわかったんだ!
ダンドワ唯一の海外支店が、どうやら日本にあるらしい。
東京駅の構内だ。
電車で行ける距離だ。信じられない。
ぼくは電車に飛び乗って、さっそく東京駅へむかった。
その支店は、本当にあった。
ダンドワだ!
夢じゃない!
ダンドワの日本支店は、こぢんまりしたテナントだった。
手土産用のお菓子を販売する並びにひっそり立っている。足をとめているお客さんはいない。
正直に言うと、あれ? と思った。
地味だった。
店頭のディスプレイが実にそっけない。はやっていないように見えた。
ブリュッセルのダンドワを知らなかったら、ちょっと大きなスーパーの地下に入っているパッとしないケーキ屋さんだと言われても、ぼくはたぶん信じてしまった。
飾り気のない冷蔵ケースに、ブリュッセル風とリエージュ風、二種類のワッフルがおさまっている。
隣の棚にはスペキュロスもいくつか並んでいた。そちらは贈答用で、きれいな箱にお行儀よく詰められて、包装代をだいぶ上乗せされた値段がついていた。
ぼくは迷わずブリュッセル風ワッフルと、一番小さなキューブ箱入りのバニラスペキュロスを購入した。
たくさん入っているスペキュロスがほしかったけど、家に持ち帰ってすぐ破り捨ててしまうのを思ったら、立派な化粧箱入りを選ぶのは気が引けた。
カウンターのお兄さんは愛想がよくて、ワッフルの温め方の説明書を手提げ袋に入れながら、口頭でも手順を丁寧に教えてくれた。
だけど、ワクワクしながら家に飛んで帰り、お気に入りのティーポットでとっておきの紅茶を淹れて、トースターで焼きあがったばかりのワッフルに齧りついた途端、ぼくはがっかりしてしまった。
しなしなで、モソモソしている。
味気ない。
バニラの香りは幽霊のように弱々しくて、おまけに変なニオイがした。焼き加減を失敗したパンケーキのような、酸っぱいニオイ。ぼくの温め方が下手くそだったのかもしれない。
ブリュッセルで食べたあの味とは雲泥の差があった。
残すのはもったいなくて完食したが、最後の方は紅茶で無理やり流し込んだ。
さいわいスペキュロスの方は、記憶にあるほぼそのままの味だった。
嬉しかったけど、五枚入りではあっという間になくなってしまった。
その後も何度かスペキュロスを買いにその支店へ行ったけど、いつ行っても閑散としていて、しばらく通えないでいるうちに閉店してしまった。
どう見ても、売り方が悪かった。
アピール不足だ。
ぼくにプロディースを任せてくれたら、東京どころか全国で大人気の有名店になっていたかもしれないのに!
本場ベルギーのブリュッセル風ワッフル&スペキュロスを一大ブームにして、日本中を席巻していたかもしれないのに!
ブリュッセルの店舗の賑わいと本場の味を知っているぼくからすると、すごくもったいなかったし、本当に残念だったよ。
実力はあるのに埋もれていくのは、どの界隈でもよくあることだけど。実にもどかしくて、悲しいことだね。
さて。話していたら、お腹が空いてきちゃった。
キミも?
あーあ、なんでぼく、ブリュッセルに生まれなかったんだろう。
今すぐあのワッフルと、スペキュロスが食べたいなあ!
(おまけ)
メゾン・ダンドワ公式サイト(の、ワッフルのページ)
https://maisondandoy.com/waffles
(の、スペキュロスのページ)
https://maisondandoy.com/speculoos
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