灰とコインが舞ったから 後

「まじであり得ないすよ」

 苛立ちを隠さず、赤眼鏡くんは怨嗟を吐いた。そのあだ名の由来に違わず、耳が先まで真っ赤になっている。

「どんな風に生活してたらこんなことしようと思うんすか? 気が知れないですほんとに」

 そう言って、彼はビニール袋に集めた灰皿を見下ろす。その様子に自分とゆきさんは苦笑いで同意した。

 クレーンゲームの下から出てきた黒い灰皿たちは、一つや二つでは無かった。自分たちが発見したところのさらに奥から、計11個の灰皿が出てきた。

 店内をうろつき、メダルを運んでいた赤眼鏡くんに灰皿の事を伝えると、彼は真っ赤になって飛んでいき、憤りながら昨日盗難被害に遭っていたと教えてくれた。

「最近、ほんとに民度が落ちてきてるんです」

「前からじゃない?」

「前よりも落ちてるんですよ」

 腰を掻きながら言うゆきさんに、彼はぴしゃりと語気を強める。不道徳な客が許せない。深くなった眉間の皺が、そう自分たちに語りかけてくるようだった。

「確かに前からと言われたらそうかも知らないですけど、最近はより酷いっすよ。チカシタさんもわかるでしょ、富高の」

「……あぁ、富高」

「富高は、ねえ…」

 名前を挙げられ、つい気まずさから苦笑いになる。ゆきさんはすぐそばの背の低いゲーム筐体の装飾を居心地の悪そうに弄った。

 富江田高校、通称富高はO2から少し離れた所にある私立高校である。

 夕方ごろになると、授業を終えた学生たちがこぞってO2にやってくる。同じ制服を纏った彼らが店内の人口密度を押し上げる様は、O2の住民に夕暮れを知らせる合図にもなっていた。

 そして、この富高生達は残念な事に、随分と素行がよろしくない事で有名だった。

 やれ筐体を壊した、やれ喧嘩騒ぎが起きた、やれ、やれ、やれ………。

 O2の住民から聞く呪詛は枚挙に暇がなく、耳にも届く事が日に日に増えていた。

「あー、あれですよ、ほら、受験終わった時期だから」

「鬱憤晴らすためにゲーセン来て、好き勝手やってるのがやばいんす」

「それはまあ…そうね」

「最近、学生服着たままずっと遅くまで店内で騒いでるんですよ。それでいてマナーも悪いし。昨日だって灰皿投げてる所を見た奴もいます」

 瞬間、ゆきさんがこちらをバッとに振り向く。嬉しそうな顔をしていた。

 自分は赤眼鏡くんに気が付かれないよう、ゆきさんを睨む。すぐにゆきさんは目を逸らしたが、にやにやとした口元を抑えられていなかった。

「帰るように言っても少し経つと駐輪場でたむろしてるし、マジで勘弁してほしいです。これで何か事件とか起きたらこっちも何言われるかわかんないし、学生たちだってまずいでしょ」

 そう言って彼は深くため息を吐いた。この真面目さが、O2で彼を知る人たちに好かれるところであり、同時に間を置かれるところでもある。まあ、店員と客の関係はそれくらいの方が健康的なのかもしれないが。

「昨日なんか、ヴァンスの台の上にジュースこぼして逃げたやついましたからね。まじで終わってますよ。ほんと」

 激しくは無い、しかし確実に、不満の炎がじくじく燃えているのが言葉の端々から伝わってくる。

 不満の矛先がいつ自分たちへ向けられるのかと、自分もゆきさんもひやひやする。自分の学生時代の先生に叱られていた頃を想起して、息苦しくなるほどだ。

「でも、なんでこんなことしたんですかね」

 なんとか息をする為、怒りの吐口を「客そのもの」から「行為の是非」へとすり替えようと話題を投げる。

 ありがたい事に、赤眼鏡くんは乗ってきた。

「これが面白いと思ってんでしょ」

「でも流石にそれだけでこんな事しますかね?」

「しますよ、沸いてますからあいつら」

 取りつく島もない、と言った風に断言する。確かに、ハイテンションになってそういった謎の悪事に手を染めることが決してないとは、残念ながら言い切れない。学生とはそういう生き物だからだ。

 だが、たとえ面白がっての行為だとしても、何の理屈もなく灰皿を筐体の下へ投げ入れる様なことをするだろうか。

「面白いがるとしても、何かしらの筋道がありそうじゃないですか? めちゃくちゃその日限りのノリから派生したとかだったらあれですけど」

「そんなこと」

「……何かしら、沢山灰皿を何個も必要になるようなことがあった、とか」

 にやつきを引っ込めたゆきさんが、真面目そうな顔で加勢してくれる。自分達の意見に、赤眼鏡くんは困惑の色を強めた。

「でも、そんな理屈付けて灰皿集めることなんて無くないすか」

「灰皿、集めて…」

「積み上げるくらいしかないと俺は思いますけどね」

「…だるま落としでもしてたとか」

「ゲーセンで?」

「一周回って慎ましいな」

 いざ考えてみると中々思い浮かばない。灰皿をたくさん集めて、一体何が出来るのだろう。

 頭の中で、黒い灰皿を手に持つイメージをする。イメージの自分は、手にした灰皿を見つめ、そして………。

 ぱんっ。

「分かった」

 横からそこそこ大きな柏手が聞こえ、ぼんやりとした思案がかき消された。見れば、ゆきさんがニンマリしながら手を合わせていた。

「分かっっった」

「聞こえてますよ」

「なんです?」

 赤眼鏡くんに急かされると、彼は口角を吊り上げたまま鼻を鳴らした。

「灰皿は目的じゃなくて、手段だったんだよ」

「手段?」

「もったいぶらないで下さい」

「だか、ああもう、焦るなって」

 せっつく自分たちに呆れたようにそう返す。しかし、こうも大見得を切られてしまっては期待もするものだ。自分も赤眼鏡くんも、ゆきさんの次の言葉を待った。

「いいか、まず灰皿があったのはどこだ」

「クレーンゲームの下ですね」

「そうだ。じゃあクレーンゲームの下に灰皿を入れようとすると、どうなる」

「どう、ってどういうことすか」

「お前が仮に高校生だとして、今手に灰皿を持ってる。ほれ」

 彼の手からビニール袋をひったくり、その中に手を突っ込んだ。そして先ほど集めた灰皿を一つ取り出すと、そのまま赤さを引いた顔で戸惑う彼にそれを押し付けた。

「その灰皿を、クレーンゲームの下に高校生みたくいれるとしたら、どうやっていれる、って聞いてんのよ」

「どうやってって……そりゃあこう、しゃがんで、スッ……あっ」

 突然、赤眼鏡くんが硬直する。どうしたのかと思っていると、首をこちらを向けて、ニンマリと笑った。

「なになになに」

「ゆきさん、天才すぎっすね」

「まあね」

「ちょっと、置いてかないで」

 自分をよそに通じ合う二人に抗議するが、二人は同じようににやつくばかりで一向に口を割ろうとしない。

「うぜ〜」

「チカシタさんもやれば分かりますよ」

 赤眼鏡くんはそう言って自分に灰皿を差し出す。二人の試すような視線に一瞬戸惑ったが、意を決してそれを受け取った。

 そして、彼と同じ様にしゃがみ込み、灰皿を筐体の下へと差し出す。

 …………。

 ……………………。

「いや全然分かんないです」

「…はあ」

「あーあ」

「マジでうざいですってそれ」

 煩わしい顔に声を出す。授業で指名され、問題に答えられなかった時のような焦りを覚える。こちらがしゃがんで二人が立っているために、見下ろされているこの状態も、それをより感じるのかもしれない。

「チカシタさん、意外と鈍いんすね」

「おいさっきまでこっち側だったでしょ」

「そういってやるな、チカシタも頑張ってる」

「あんたも情けを掛けてるみたいな顔するなよ」

「みたいじゃなくてかけてるんだよ」

 一度わざとらしくため息を吐かれる。その後、こちらのそばに寄ってしゃがみ、手に持っていた灰皿をするりとひったくられる。

「俺たちがゲーセンで筐体の下に手を突っ込むのってどんな時だ?」

「……小銭落とした時とか」

「なんだよ分かってるじゃん」

「いやそれと灰皿に」

 どういう関係があるんですか。

 そう続けようとして、ようやく気づいた。灰皿を使って、高校生たちが何をしていたのか。

 床とクレーンゲームの、腕がわずかに入るくらいの隙間を前にかがみ込み、灰皿を手にした彼らは。

「灰皿で、小銭を取ろうとしてたって事ですか?」

「そういうことー」

 ぱっと立ち上がり、ゆきさんは背筋を伸ばす。そこからあくびを繋ぎ、近づいてきた赤眼鏡くんの持つビニール袋へ灰皿を戻した。

「多分、取ろうとしてるうちにその灰皿も奥に行っちゃったんすね。それでその灰皿も取ろうとして、さらに他の灰皿を入れてって感じで」

「多分ねー」

 ビニール袋を見下ろして言う赤眼鏡くんの顔は、どこか晴れやかだ。疑問が解消された事で、幾らかガス抜きになったのだろう。

「はー……。なんで分かったんですか?」

「IQがね、違うのよ」

「めちゃくちゃIQ低そうな事言いますね」

「俺のTOEICは1000点満点です」

 聞き慣れた軽薄なやり取りが三人の間を飛び交うと、当初の不穏な空気は霧散していた。

 我々にとっての爆弾であった赤眼鏡くんも、一先ず笑みを浮かべている。

 とりあえず、解決して一安心である。

「まあ理屈が分かったのは良かったです。ただ」

 彼の顔から笑顔が薄れる。

「だからって灰皿持ってくのは意味わかんないですけどね」

 ビニール袋の口がくしゃしゃと音を立てて締まった。

 …やっぱり、当分は不穏かもしれない。

「まあとにかく、ありがとうございました」

「いえいえ」

「こちらこそ、見つかって良かったです」

 何処かぎこちない返答を口にして、掌を胸の前で振る。レポート提出前の教授にあった時のような緊張感で、息が詰まった。




****




「麺面倒、空いてるかなあ」

「うーん、ギリ混んでそうですね」

「よなあ」

 O2を出て、自分たちは昼飯を求めてぶらぶら歩いていた。さっきまで昼飯は家で食べるつもりでいたが、ゆきさんの勇姿を見て、せっかくだからとついてきたのだ。

 大きなあくびをするゆきさんを見ながら、先程の彼の様子を想起する。割と長い付き合いだが、こうも彼が切れ者だとは知らなかった。彼の頭脳が働くのは、キャラ対だけだと思っていた。

 考えているとまた話題にしたくなり、ゲーセン内で十分にした賞賛を、再び彼へ投げかけた。

「それにしても、名推理でしたね」

「あー?」

「さっきのですよ。カードの名前、名探偵ゆーきっどに変えたらいいんじゃないですか?」

「……」

「正直、誤魔化しのつもりで話題振ったんですよね、富高の話続くと気まずいし…」

「……」

「…ゆきさん?」

 無言のゆきさんに問いかけると、彼はゆっくりこちらを向いた。その顔を見て、眉を顰める。

 彼はなんとも言えない顔をしていた。面倒臭そうなとも、にやけているとも取れる顔だった。

 その顔は、自分が想定していたものではなかったから、何故だか置いて行かれたみたいに不安になった。数分前に二人に見下ろされていた時とも、似ている気がきた。

「……はあ〜〜」

 わざとらしいため息が、コンクリートを擦る足音だけの沈黙を割った。

 詰まった息を吐き出すように、応じて口を開く。

「ちょっと、なんですか」

「いやあ、察しが悪いなぁと」

 曖昧な表情が、明確にからかいを込めたものに変わり、こちらをにやにやと眺めてくる。

 抗議の声をあげようとして、それは突き出された指先に遮られた。

「これ、なんでしょう」

「え、あ、指?」

「違うわばか。こ、れ」

 そういって、中指と親指の先をトントンぶつける。自分はそれを怪訝に見つめたが、ややあって何を指しているのか察することが出来た。

「その白いの、なんです?」

 彼の指先には何か白い粉のようなものがくっついていた。指を縁取るように付いているそれは、まるで窓の桟を指でなぞったようだった。

「お前ほんとに…ちょっとは考えろよ」

「ぅ、いやあ……」

「灰だよ、煙草の」

「灰?」

「灰」

 そう言って、指先を吹く。緩く流れる風に白い粒子が舞った。

「これ、さっきのホッケーゲームのとこに付いてた」

「ホッケーゲーム?」

「あったろ? クレーンゲームの直ぐ近く」

「…ああ! ありましたありました」

「そのホッケーの台に、これが付いてた。あの灰皿がまとめてあった、あの台に」

「………」

「煙草吸ってるやつがホッケーなんかやるかって言うと…まあいるっちゃいるな。でも」

 しゅつ。

 手首のスナップで物を投げる動作をした。

「沢山の灰皿をホッケーの、あの丸いやつの代わりにしようとする高校生のが居そうじゃない?」

 目を見開き、想像する。

 ハイテンションになった高校生たちがゲームを楽しんだあと、自販機の前で一息つく。そんな彼らの目に、幾らか低年齢層をターゲットにしたホッケーゲームが目に入ったとして。

「ホッケーのあれって、100円入れないとあの平たいの落ちてこないじゃん。たぶん、俺が高校生だったら、あれに100円入れるのって渋ると思うんだよね」

 お前100円入れろよー。嫌だよ、お前入れろって。

 そんなやり取りが容易に想像できた。

「そうやってわちゃわちゃしてるときに、誰かが近くの筐体にある灰皿に気が付いて」

「パック代わりにしたってことですか」

「そうそう。たぶん最初は一つだけだったんだろうな。んで、そのまま盛り上がって、どちゃーっとね」

 まるで見てきたようにゆきさんが言う。確かに、そういうことも考えられるかもしれない。

 しかし、本当だろうか。

 まばらに走る車の音に埋もれる声を、頭の中で回転させる。するとふと。彼の仮説の問題点に気が付いた。

「で、も、あのホッケーゲームは、真ん中に仕切りなかったですか? あの灰皿だとパックの代わりにならないですよ」

 そうだ。ホッケーゲームをする以上、パックがそれぞれのプレイヤー間を行き来しなければ成立しない。

 ホッケーゲームの中央にはプラスチックの薄いボードがあり、両者の仕切りとして機能している。ボードの下にはぎりぎりパックが通れるだけの透き間があって、そこを高速で弾き合うのだ。

 そのボードがある限り、ゆきさんの仮説は通らない。

 はずなのだが。

「いや?」

 ゆきさんは上がった口角を下ろさない。しかしそれにしては、どこか達観したような、疲れたような顔をしていた。

「いや? じゃないですよ。それにホッケーしていた証拠なんてないですし」

「あったよ、証拠」

「え」

「そのホッケーゲーム、センターのプラ板割れてたもん」

「……は!?」

 声が出た。

「ちょ、ま、じですか」

「まじまじ、見て来いよ。きれーさっぱり割れてるから」

 梯子を外したみたいに重要な事をあっさりと告げられ、口を開けたまま固まってしまう。思わず足を止めると、ゆきさんも数歩先を進んでから足を止めて振り返った。

「ック、なにその顔」

「いや顔は良いでしょ別に。てかちょっと、なんでそんな重要なさっき言わなかったんですか。てかそれに気が付いてたんなら」

 さっきの話は何だったんですか。

 僕の問いは、何でもないように返された。

「だってめんどいじゃん」

「…はい?」

「腹減ってんのよ、こっちは。ホッケーゲームのこと、赤眼鏡に言ったら絶対帰してもらえないんだから」

 またも、開いた口が塞がらなくなる。しかし、すぐに思いなおし、顔に手をやって眉根を揉んだ。

「面倒だったからって……そういうのは言わなきゃダメでしょう」

「いいんだよ、そのうち向こうも気付くんだから」

「……えええ」

「お? なんだよ。お前も帰れてるんだからいいだろが。気遣ってやったんだから感謝しろよ」

「気遣って、って……」

 突然のことで、思考がうまくまとまらない。いや、混乱していると言った方が正確だろう。ゆきさんを含め、O2で自分がつるんでいた人の中で、人間性に問題のある行動はさして珍しくなかった。そして自分自身も、それを苦笑いして許容していた。

 しかし、これは……。

「じゃあチカシタが教えてあげなよ」

「えっ」

「まだ赤眼鏡もシフト交代してないでしょ。適当に、カード忘れて戻ってきたら割れてるの気づきました~って言えば、まあ普通に自然なんじゃね」

「………」

 黙る僕を置いて、ゆきさんは向き直って歩き始めた。

 …僕はどうするべきだろう。振り返って見れば、そう遠くない距離にO2が見えた。 

 きっと、戻るべきだ。そして、赤眼鏡君にホッケーゲームの事を伝えるべきである。僕は左足の先を後ろへ向ける。

 でも、どうだろう。僕の内側の、ゆきさんと同じ部分が揺り動かされる。

 ゆきさんの言っていることが事実である確証はない。喫煙者であるゆきさんの指先に灰が付いているのも、それほどおかしなことではない。ホッケーゲームのプラ板が割れているかも分からない。

 それだけ確証が無い事の為に、わざわざ戻るべきなのか?

 ゆきさんの背中を見る。もうそれなりに離れてしまった。

 腹も減っている。午後から授業もある。そして何より、ゆきさんと同じように面倒くさいという思いもあった。

 再び、O2を見る。なぜだか、さっきよりも酷く遠くに見えた。

 どうしたらいいんだろう

 どうするべきなんだろう。

 僕は、どうしたいんだろう。


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灰とコインが舞ったから 低田出なお @KiyositaRoretu

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