灰とコインが舞ったから

低田出なお

灰とコインが舞ったから 前

 ゲームセンター「O2」の客足は、営業時間によって大きく二分されている。

 一方は、夕方ごろに来る授業終わりの高校生だ。彼らは併設されているボウリング場や、カラオケといったアミューズメント施設と横並びでアーケードゲームを楽しんでいる。

 もう一方はいわゆるゲーマーと呼ばれる者たちだ。彼らは仕事終わりの社会人であったり、夕方から来店していた一部学生たちだったりで、彼らはジャケットや制服を丸め、慣れ親しんだゲームに心血を注ぐ。

 常連たちと駄弁りながら筐体の前に座る人もいれば、一人で黙々とプレイを重ねる人、ハイテンションで遊ぶ人など、ある種歓楽街のような、個別の小さな世界が沢山形成されている。

 そして、そのゲーマーたちにはもう一つの時間がある。

 朝である。

 開店時間になると、彼らは比較的静かな店内を勝手知ったる顔で進み、目当ての筐体へ一直線に向かう。そして、どっしりと席に座る。

 彼らが朝を狙うのは、カジュアルに遊ぶ層を気にせず、気兼ねなく連続プレイが出来るからである。

 朝であれば、その客足の少なさから順番待ちの交代も少ないし、ゲームによっては存在する乱入もそうそうされない。

 つまり、動画サイトで研究した高難度譜面への挑戦も、レバテクを要求される高難度なコンボの練習も、どれだけ遊んでも目くじらを立てる人はそうそういないのだ。

 故に彼ら、いや、僕たちは朝にゲーセンにやってくる。100円玉を握りしめて、各々の目的を果たすために。

「………んがっ…んん」

 ……。

 筐体手前のソファでがっつり眠っている人を見て、内で盛り上がったやる気が少しばかり鎮火する。溜め息にならない程度の息が漏れた。

「……ゆきさん」

 爆睡しているゆーきっど、通称ゆきさんに呆れを含んだ声を掛ける。声は聞こえているのか、ゆきさんもぞもぞと動き、目元に当てていた腕を除けた。

「あ? ああ、チカシタかよ………」

「赤眼鏡くんにまた言われますよ」

「起こすなよ…ねむいんだから……」

 そう言って、ゆきさんは背もたれに顔を埋めるように寝返りをうち、しばしもぞもぞしてから動かなくなった。

「…はあ」

 つい数日前、店員に小言を言われたことをもう忘れているらしい。

 ゲームセンターという場所は悲しいかな、治安の良い場所とは言い難い。

 O2は比較的マシな部類ではあるが、無防備に寝ている者の財布をこっそり……なんて人がいてもおかしくない。

 朝方の客入りを考えれば大丈夫、という判断なのだろうか。それとも朝方に来る奴は大体顔馴染みだから、そんなことされないと信用しているのか。

 彼の考えは不明だが、少なくともゲームしないなら家で寝ればいいのにと思った。

 まあいいか。

 僕はゲームをしに来たのだ。寝坊助の相手ではない。

 午後からしか講義を入れていない日は平日の内で2日だ。土日は朝でも流石に人が増えるから、こうしてゆっくり遊べる時間は貴重である。

 ソファから離れ、最近遊んでいる格闘ゲーム筐体の前に座る。ポケットから小銭入れを取り出し、一応周囲に待ち人がいないかを確認してから100円玉を何枚か積む。念の為もう一度、辺りを確認してから、硬貨の塔の上から一枚を取って筐体へ入れた。

 ピキーン。

 小気味良い音が、頭の中に響く。まだ眠気の残っていた意識がゆっくりと覚醒していくのがわかった。ボタンを連打して演出を飛ばし、手慣れた動きでトレーニングモードを選ず。そのまま各種設定を済ませてコンボ練習を始める。

 どうにもここ最近、勝率が芳しくない。

 対戦内容としては、優位を取れてい時間は長いと思う。しかし、勝てない。ワンタッチの火力差から巻き返されてしまい、そのまま押し切られてしまうのが負けパターンになってしまっている。

 とにかく火力の向上が必要だった。俺はスマホでコンボを改めて調べ、今まで安く済ませてしまっていたコンボの改善をしようとしていた。中央におけるコンボは真新しいものは見つかっていなかったが、画面端でのものは上位プレイヤーによって開発された新しいコンボをいくつか見つけることが出来た。

 これはいいやとメモアプリにコンボレシピを控えたのが、ちょうど一昨日のこと。実践に取り入れようとして、全く成功しなかったのが昨日のことだ。

 昔から、こうした器用なことが得意ではない。テクニカルなキャラを持ちキャラにしたことは無いし、なんやかんやでスタンダードキャラばかり選んでしまう。

 この手のキャラは異なるタイトルであってもその本懐が共通しがちだ。その為、素早く手に馴染む。

 また、スタンダードキャラは主人公に置かれる事が多く、ネット上に集まる情報も多くなる。キャラクターの攻略をサボリがちな自分としては、願ったりかなったりだった。

 モニター下に立て掛けたスマートフォンを見て目を細める。何度も確認して手を動かしているが、どうにも上手く完走出来ない。動画ではちゃんと繋がっていたはずなのだが・・・。

「なんでそんなムズそうなことしてんの?」

「うお」

 思っていたけど以上に集中していたらしく、後ろからの声にびっくりしてしまう。

 振り返れば、眠りから覚めたゆきさんが頭を掻きながら、こちらを覗き込んでいた。

「起きたんですか」

「そら起きるだろ」

「まあそうですけど」

「んで、それあれでしょ、トロ太郎さんが上げてたやつ」

「あ、そうですそうです。ちょっと、見かけたんでやってみようかと」

「でもこれ状況難しくない?」

「あー、まあ。でも最大取りたい時には使えますよ」

「ふーん」

 幾らかのやりとりの後、ゆきさんはポケットを弄って煙草の箱を取り出した。箱を叩き、一本を口に加えたところで視線を俺から筐体へ移す。

「……うん?」

「? どうしました」

「ん、灰皿がない」

「え」

 言われて自分も筐体を見る。確かにいつも左側に置いてあった黒い灰皿が見当たらない。そしてそれは、並んでいる他の筐体も同じだった。

「無いですね。他の台には」

「無い。…何処にも置いてないぞ」

 その場を少し離れ、辺りをキョロキョロ見渡すと、ゆきさんはそう返した。

 O2において灰皿の利用率は割と高い。いつもはそれなりの数の灰皿に灰が溜まり、誰もが「誰か捨ててこいよ…」と恨めしく思っている。

 その灰皿が、ない。

「はーうんこうんこ」

 ゆきさんは唇を尖らせながら、煙草の箱をポケットへと押し込む。しょっちゅう吸っている割に、彼の煙草への強迫は案外少ない。以前「かっこいいから吸ってるだけ」と言っていたのは、案外でたらめではないのかもしれない。

「掃除に持ってった…て、訳ではない、ですかね」

「うーん」

 いくつか無い程度であれば、店員さんが灰を捨てるために片付けているのだと想像できる。しかし、これだけまとまって無くなるとなると、なにかしらあったのかと邪推してしまうのが人間というものだった。

 うーん。

『Game Over!』

「あ」

 ぱっと振り返る。トレーニングモードの時間が終わり、画面に鋭角的なレタリングが施された文字列が並べられている。

 思わずため息を吐いた。

「うげ」

「ふ、あほ」

「……まあ、半分は遊んだんで」

「どんまい」

「…これってゆきさんのせいじゃないですか? 1クレ奢って下さいよ」

「なんでだよ。てか、んなもん言うて数秒でしょ」

「されど数秒ですよ。それに、これが対戦ならどれだけその数秒が大切なことか」

「ならその大切な数秒を溶かしたお前が悪いな」

 そう言って大きなあくびを見せる。それから「なんか食ってくるわ」と続けて、彼は少し離れたフードコートへ歩き始めた。

 遠ざかる背中を見ながら頭を掻く。

 たかが100円。されど100円。それがゲームセンターの中でなら、その重さは尚更だ。

 そして。

 ……ピキーン。

「まあ一回くらいはタダだな」

 それがゲームセンターの中でなら、その軽さも尚更である。




****




「お疲れ様です」

「んあ、奢らんぞ」

「何も言ってないじゃないですか」

 軽口を叩きながら、唐揚げをパクつくゆきさんの向かいに座る。

 結局あまり集中できず、早々に切り上げてしまった。

 もやもやとした頭は上手く指先を動かしてくれず、無為に100円玉を手放すだけだった。

 誤魔化すように、ゆきさんへ話題を振る。

「見つかりました?」

「? なにが」

「灰皿」

「ああ、二階の方にあったよ」

 爪楊枝で天井を指す。その様子から、すでに一服済ませてきたらしい。

「なんで無くなってたんですかね」

「そりゃあお前、あれでしょ」

 そう言って、彼は手から何かを素早く放る動作と共に「シュッ」っと自分で効果音を鳴らした。

 彼の言いたいことはすぐに分かった。

「まさかあ」

「いーや、絶対そうでしょ。昨日の夜にやった奴がいたんだよ」

 ゆきさんはもう一度「シュッ」投げる動作をした。

 「灰皿を投擲する」というシンプルな行為は、もはや都市伝説を超えて象徴になっている。

 有名格闘ゲームの技名になぞらえて「灰皿ソニック」などと呼ばれることの多いそれは、本来純粋な迷惑行為である。

 ゲームの中で沸き立つ怒りを抑えれず、すぐ手元にあった灰皿をつかみ取り、投げつける。かつてのゲームセンターの治安の悪さを体現するようなエピソードだ。

 その逸話は広く波及していて、普段格闘ゲームを遊ばない人間にすら認知されていることも珍しくない。

 しかしながら、同時にこの「灰皿ソニック」にまつわる話題として、「実際に見たことのある人は少ない」というものがある。

 当然と言えば当然で、ゲームセンターが隆盛を極めた頃から、すでにかなりの時間が経っている。全盛期を知っている歴戦のゲーマーなら兎も角、自分のような世代の人間から目撃情報や被害を語られるのはそう無いだろう。

 にもかかわらず、ここO2でも「灰皿ソニックをこの目で見た」と口にする者は珍しくない。

 あまりの多さに、「灰皿ソニックを見たという人を見た」という薄い目撃情報も聞くほどだ。

 かく言う自分も、灰皿ソニックを見たことがあるという人に会ったことがある。そして、友人にそのことを話したこともあった。

 冷静に考えれば、それはもうただの他人と言って差し支えないが、歴戦のゲームセンターを生き抜いた猛者の影に触れたようで、なんとなく嬉しかったのを覚えている。

 それほどまでに、灰皿ソニックは一迷惑行為の枠を超えた、ゲームセンターの仄暗さと愉快さの象徴だった。

 そんな行為をする者がこのO2に現れたと、ゆきさんは主張している。僕の表情から否定の感情を読み取ったらしく、彼はわざとらしく腕を広げて真剣そうな顔を作った。

「だってさ、わざわざ全部の灰皿を回収するってことは、何かしら灰皿でやらかした奴が出たのは確実だろ」

「まあ、そうですね」

「じゃあソニックだろ」

「じゃあじゃないですよ」

 シュッシュッシュッとエア灰皿を投げる彼を尻目にのっそりと席を立ち、背後に見える売店へと向かう。

 売店の食事は割高だ。先ほどゆきさんが食べていたカップ唐揚げも3つ入りで450円する。同じような唐揚げを食べようと探せば、半分以下の値段の売り場を探すことは容易だろう。

 そんな強気な値段設定でも問題ないのは、ひとえにゲームセンターの中で気軽に変えることのアドバンテージが大きすぎるからだろう。今でこそ朝方で客はいないが、夕方以降や土日にはそれなりの人数の列が出来ることもあるし、先のテーブルが埋まっていることも珍しくない。

 もっとも、自分も含め、一日で甚大な数の硬貨を筐体に投げ入れ続け、感覚のマヒしたゲーマーたちを都合よく引き込むものであるだけなのかもしれないが。

 カウンターの前に立ち、店員がこちらに気がつくのを待った。すぐに店員はこちらに気がつき、駆け寄ってくる。名前は知らないが、面識はある店員だった。

「すいません、Sポテト一つお願いします」

「ん、はーい」

 注文を受け、後ろで保温されているポテトを取り出す。そんな背中を見て、ふと思い立った。

 この人は何か知らないだろうか。

 そのまま、すぐにこちらへ向き直ったポテトを持った彼の顔を、じっと見てしまう。店員は怪訝な顔をした。

「えと、Sポテトでよかったですよね」

「あ、ああ、はい、大丈夫です。すいません」

「…300円ですね」

「500円で」

「はーい」

 ポテトを受け取り、テーブルに戻ろうとして体を捻る。しかしそれを途中で止め、再び体を戻した。

「……あの」

「? なんです」

「もし知ってたら教えて欲しいんですけど、昨日なんかトラブルとかありました?」

「トラブル?」

「あー、えっと、あの、灰皿、お、今筐体のとこないじゃないですか」

「…そうなんですか?」

「あなんも無かったならいいです。すいません」

 やらかした。慣れないことをするものじゃない。空いた左手を軽く振りながら、なんでもない事を主張する。

 耳が熱い。どうしてこうも、上がってしまうのだろうか。情けなさを痛感しながら、後ろへ駆け出そうとした時だった、

「ああ、そういえば須崎さんが灰皿泥棒が出たって言ってましたよ」

「え」

 店員は午後の予定でも答えるような気軽さで答えた。

「泥棒って」

「いや俺も詳しくは知んないですよ。けど昨日の夜に灰皿が結構な数無くなったーって須崎さんが騒いでました」

 もしかしたらそれでじゃないですか?

 そう言って、彼はポケットからスマートフォンを取り出すと弄り始める。

 何か見せるつもりなのかと構えていると、しばらくして「まだ何か?」と聞いてきた。シンプルに弄っていただけらしい。

 愛想笑いを浮かべながら「ああ、いえ」と返してテーブルへ戻る。ニヤニヤ笑うゆきさんを見ないようにしながら、腰を下ろして鼻を鳴らした。

「コミュ障にしては頑張っとるやん」

「煽ってるでしょ」

「んー実際そう」

「シンプルなカスじゃないですか」

 眉根を寄せながら抗議すると、ゆきさんはふへへと笑った。

「でもやっぱりソニックじゃないっぽいですよ」

「え~、その灰皿持ってった奴がソニックしてないって照明にはならないでしょ」

「そんな奴いたらもっと大事になるでしょ」

「あ~、じゃあソニックされまくった灰皿を誰かが持ってった可能性とか」

「無いでしょ」

「無いかー」

 あっさりと主張を放り、彼はその緩んだ口に唐揚げを運ぶ。彼自身も、別に本気でソニックした奴がいたとは思っていなかったのかもしれない。唐揚げは最後の一つだったらしく、爪楊枝をカップへ放り、くしゃりと潰した。

「飯食うか」

「今食ったばっかじゃないですか」

 こんなの誤差だろ、と言いながら、ゆきさんは立ち上がる。少し間を置き、自分も立ち上がった。

「僕もそろそろ上がりますかね」

「お、お前もなんか食う?」

「いや、家に米残ってるんで大丈夫です」

「あー実家住みはつええなあ」

「ゆきさん家の冷蔵庫が終わってるだけでしょ」

 雑談をしながら階段を降りれば、まばらな人が筐体に向かっている。正午にはまだ時間があり、まだ客足は少ないようだ。

 音楽ゲームでプレイを録画しながら遊ぶ人の後ろを通り抜け、出口へと向かう。

 ゆきさんの昼の誘いは断ったものの、本当に昨日の夜に炊いた米が残っているだけだ。これと言ったおかずは無い。帰り道に何処に寄ろうかとも思うが、何となく断った手前それも忍びなく感じた。

 仕方ない。ふりかけなりで食べることにしよう。バイト代も悉くO2に消えてしまっている事だし、節約はした方がいいだろう。

「……おい」

 ぼんやり考えながら足を動かしていると、突然、ゆきさんが立ち止まった。

「? なんかありました」

「あれ」

 そう言って彼は指を差す。

 その方向に目を向けると、ずらりと並んだクレーンゲームがあり、その奥は少し広めに取られたスペースがある。壁に備え付けられた自動販売機とベンチの近くに、横長のホッケーゲームとパンチングマシーンが見切れていた

「…?」

 彼のいう「あれ」が分からず首をひねる。そんな自分を置いて、ゆきさんはのしのしと進んでいく。

 とりあえずは彼の背中を追ってついていくと、その背中はちょうど端のクレーンゲーム筐体の前で止まった。

「……あ」

 半歩ズレて、自分にも見えるように体を捻ってくれたお陰で、ゆきさんのいう「あれ」の正体にようやく気がつく。

 立ち止まったクレーンゲームの足元から、黒い何かがはみ出ている。一瞬にも満たない思案の後、それが何かをすぐに理解する。

 黒くて光沢のある丸いそれは、間違いなくゲーセンの灰皿だった。


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