第37話 告白と決意

「先に寝ますね。おやすみなさい。あまり夜更かししないようにして下さいね」

「あ、私も先に失礼します。ミガディさん、サノさん。おやすみなさい」


女性陣が退席して、残るは男2人となった。僕は一応、ミガディさんにアイトさんとは恋人じゃないですよと訂正を入れておいた。ミガディさんは首をかしげていたけど、理解してもらえたと思う。


かつてのサギ女神に拉致されたときの思い出も、今は酒のつまみ。そんなこんなでお酒が無くなったので、明日に備えてお開きとなる。とても濃い一日だった。


さて、僕はスレンさんから寝室として用意された部屋にうきうき気分で向かう。なぜこんなに寝るのが楽しみなのか、それはこの次元の寝具が素晴らしいからだ。


地球より遥かに技術が進んだこの次元では、エアマットの上にシートを掛けて寝るスタイルが一般的だ。エアマットとは特殊な圧縮空気が厚みを持ったもので、まさに空気の敷布団なのだ。温度や大きさを自由に設定できる上、理想的な固さの空気が体を優しく支える事で、あっという間に眠れる素晴らしい寝具。子供時代に夢見た、雲の上で寝るかのような心地よさ。


また体に掛けるシートも見た目は薄い布一枚のようなのだが、エアマットから発せられる圧縮空気を受け止めて全身を包み込むようになっている。その結果、もう極上の寝心地になるのだ。


ポータルで人間の体に戻ったときに、このエアマットで睡眠を取るようになったけど、あまりの素晴らしさに僕は虜になってしまった。またあの究極の寝具に包まれて眠れるんだと、この次元に再び来た僕は実は楽しみで仕方なかったのだ。



わくわくしながら部屋に入るとエアマットとシートが2つ並んでいた。そして少し前に、先に寝ますと言って退室していたアイトさんは、すでに奥のエアマットで眠っている。あれ?アイトさんと同じ部屋で寝るの?え?いいの?


まぁ今日はあと寝るだけだし、ポータルではみんな適当に雑魚寝してたし、もし嫌だったらアイトさんが先にこの状態で寝てないだろうし。ちょっと僕の心の中にいる狼が起き出してしまったけど、静かに深呼吸して狼を宥めた。よし、余計な事を考えずに寝よう。


静かにエアマットに体を乗せ、寝ているアイトさんとは反対の向きで横になってシートを体に掛ける。ふわふわとした弾力が僕の体を宙に浮かせて、もうこれだけでアイトさんの事を忘れて脳がとろけそうになる。小さい頃にアニメで見たアルプスの屋根裏か雲のベッドを思い出す。そう、これ。地球では絶対に味わえないこの極上な寝心地。地球に戻ったらこのエアマットをいつか開発したいね。


そんな事を考えながら、横向きから天井に向き直した時だった。目の前にアイトさんの顔があった。正直驚いたし、ちょっと悲鳴が出た。


「サノさんに話があります」


はい、何でしょう。と上半身を起こすと、突然アイトさんが抱きついてきた。今日3回目の抱きつきだ。アメフトタックルと違って今回は僕の右肩の上にアイトさんの顔が乗っかる。お腹辺りに当たるアイトさんの胸は結構大きくて柔らかいし、背中に回った腕は細くて心地よいし、何よりとてもいい匂いがする…… って、ちょっとまって!眠りかけていた僕の狼が起きてしまう!下半身の狼の牙が……


「なんで私の事を忘れてたんですか?」


狼がシュンと項垂れた。


「いや、アイトさんの事は忘れてなかったよ。いろいろ助けてもらったし、忘れるわけ無い。ただ会いに行くのがちょっと躊躇われただけで……。だってアイトさんとは歳が違うし、学生さんだし」


「サノさんも恥ずかしかったんですか?」


「まぁそうだね。アイトさんは大学生で大人になったばかりで、これからいろんな楽しい事や新しい出会いが待ってるわけで、宇宙船のこととか僕のことなんて忘れるんだろうなって」


「忘れるわけ無いです!絶対に忘れません!」


僕に抱きつく力が強くなる。う、ちょっと息が苦しい。お互い薄着なので、アイトさんの少し大きめな膨らみが当たっているのが分かる。やばい、狼が元気になり始めた。


「アイトさん、酔ってるでしょ。ダメだよ。酔いにまかせちゃ。冷静になろう」


僕もちょっと酔っているので、天井を見つめながら自分の狼に待ったをかける。そんな僕の焦りに気づかないのか、アイトさんがぐいぐい体を押し付けてくる。あー、僕の中の狼、落ち着いてー!


「会いたかったです、サノさん。ずっと、ずっと待ってたんですからね。何で忘れるんですか!私絶対サノさん約束を忘れてると思ってました!やっぱり忘れてました。ひどいです!」


うう、それを責められるとつらい。会いに行くという約束は完全に忘れてたからな……


「ごめんねアイトさん。もう忘れないから」


心からお詫びの言葉が溢れると、僕の肩に顔をのせていたアイトさんが体を離して至近距離で僕を見つめる。口をとがらせて、軽く睨んでくる。かわいい。そして顔が近い、近すぎるよ。


「あ!やっと謝った!もう、サノさんいつも誤魔化そうとするから。ダメですよ。ちゃんと悪いことをしたら謝らないと」


はい、ごもっともです。反省してます。次から気をつけます。そんな小学生に戻ってしまったような気持ちでアイトさんに詫びると、可愛い顔で睨んでいた彼女もようやく笑顔に戻った。至近距離でのアイトさんの笑顔は強烈な破壊力だ。僕の中の狼が今にも飛び掛かっていきそうだ。やばい。なのにそんな事も知らずに、アイトさんは蕩けるような声で僕にささやく。


「次から気をつけましょー。大切な彼女を泣かせないようにね。もう約束を忘れちゃダメですよ」


もうアイトさんの顔は至近距離だ。こんな近くだと、アイトさんの息が肌にかかってやばいんです。ダメだ狼、おすわり、おすわりしろ!



……ダメだった。そのままつい、フラフラとアイトさんのおでこにキスしてしまった。


「なんでおでこなんですか?」


アイトさんがちょっと拗ねた。こんな可愛らしい拗ねられ方は初めてだ。


「いや、口にキスだと止まらなくなりそうだし、明日も有ることだし、早く寝た方がいいし」


なんだかアイトさんは物足りなそうな顔をしていたけど、酔った状態じゃなくちゃんとした時にね、と言うと納得したのか、ようやく心の中で狼が暴れ回っている僕から離れてくれた。そして今日一日いろいろあって疲れていたのか、自分のマットに戻ったアイトさんは、あっという間に眠ったようだった。危なかった、本当に危なかった。


僕も寝る直前までいろんな事を考えすぎたけど、エアマットのおかげで直ぐに眠気が襲ってきてぐっすり眠る事ができた。何だかんだ言って、僕も結構疲れていたのだ。僕の中にいる狼も起き出すこともなかった。



朝の支度を終えると、ミガディさんに連れられて出発する。「いってらっしゃ~い!」というフェニーちゃんの声が、たくさん元気をくれる。誰かに挨拶して家を出るのって、数年はしてなかったかなぁ。


「いってらっしゃいって、なんか良いですね」


アイトさんも嬉しそうだ。そっか、アイトさんも僕と同じ一人暮らしだから、家を出る時に誰かに声を掛けてもらうのは久しぶりなんだろう。



そんなこんなで集合住宅になっている建物からチューブを使って外に出ると、そこは昨晩と違って、周囲全体が明るく照らされていた。あれ?と思って天空を見上げると、やはり天井は真っ暗な宇宙が広がる。


「太陽の光をリーフの床が拾って増幅し、周囲に拡散させているんだ。だからこの明るいのは自然光なんだよ」


となると、リーフはマザーの自転周期に合わせて動いているのか。


「そうだ、本部ビルに行く前に、少し遠回りになるけどちょっと寄り道をしていこう。いい場所があるんだ」


そう言うと、昨日と異なる経路のチューブに乗り換える。ほとんどの移動用チューブは直線なのに、今乗っているものは大きなカーブを描きながら上に向かって進んでいる。


「このチューブはリーフ最外殻に沿って、天頂部付近まで行くんだ。ほら、リーフの外がよく見える」


僕たち3人しか乗っていないチューブの高度が増しながらビルの外側に移動すると、あっという間に景色が大きく変わった。それまでは高いビルを見上げる形で僅かに見える天井にしか宇宙が見えなかったのに、今はビルの屋上が見える形となり上にも横にも膨大な宇宙が広がって見える。


チューブはまだ上昇を続け、最も高い場所を目指して進む。ビルを見下ろす高度に到達する頃、マヌエアリーフの外に大きな惑星が見え始める。太陽の光を浴びているはずなのに、惑星の表面はガスで覆われ、まったく色彩がない。灰色に霞む星、この世界の母星『マザー』は、煙のような帳の中にその姿を沈めている。


僕に寄り添う形でアイトさんもマザーの姿を見ている。ふと、前回拉致された星のことを思い出す。あのポータルには地表に直結している軌道エレベータがあった。という事は衛星都市マヌエアリーフと惑星マザーの間にも、同じ様に軌道エレベータの建設計画があったのではないだろうか?


「もちろん。もともとリーフとマザーの行き来は軌道エレベータを介して行われる計画だった。今はマザーがこんな状態だから計画は凍結しているけどね。でも毎年、必ずその予算は確保されるんだ。このリーフに住むみんなは、マザーを諦めていないんだよ」


強い決意をもった目で、マザーを見下ろすミガディさん。顔つきもいつの間にか軍人さんになっている。



人工宇宙都市を見下ろせる最も高い場所に、公園のような円形の広い敷地がある。僕たちの乗ったチューブがそこに到着すると、早朝であろう時間なのに、結構な人で賑わっていた。


「なんだかプラネタリウムの中に置かれたガラス細工のような街なんですね」


ロマンチックな感想をアイトさんがこぼす。確かにそうだ。まるで水槽の中にいる気分だ。この場所からは天井だけでなく、周囲すべてが宇宙空間に囲まれている。地球とはぜんぜん星空が違うし、手を伸ばせば宇宙に触れそうなくらいにマヌエアリーフの天井が近い。そしてこの次元の太陽光が、マザーとこのリーフを青白く照らしている。自分が一つの天体になってしまったような、幻想的な景色だった。


「リーフは大きく4つの区画に分かれている。私が働いている軍部は中央から南、研究部は中央から東、政府部は北、そして居住区は西。さて、じゃあ昨日と同じ軍本部ビルに行こうか」


再びチューブに乗ると、宇宙都市の天頂付近から地面に向かって下がっていく。次第に昨日僕とアイトさんが転送されたビルが見えてくる。一晩過ごしたせいか今日は何となく周囲を観察する余裕があった。今この瞬間だけ、僕はマザーに起きている災厄を忘れる事ができた。しかしこの世界に住む人たちの事を思うと、心はまったく晴れなかった。

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惑星襲撃ラボラトリ/異次元に拉致されて死なない体で冒険します @miinagi

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