第7話 幸福だった日常への脱出

だめだ。

湊のお父さんとお母さんは「帰りなさい」って言ってばっかで、気づいてくれなかった。

脅されてて帰れないって言えばよかったのかな?

でも、あいつらもいる前で、直接「助けてください」って言うわけにもいかなかったし。


湊の両親の説得で家を出て、いったんは帰れるかに見えた順子だったが、また連れ戻されてしまった。


あたしがヤクザに狙われてるって本当?

ずっと前にしつこく付きまとってきた奴のことかな?

それと、あいつらも本当にヤクザなの?

でも本当だったら、住所も電話番号も知られてるからヤバい。

事故に見せかけて殺すの簡単って言ってたし、家に火をつけられるかもしんない。


両親や兄弟のことを思うと、自分が逃げた場合に彼らに報復が及ぶのが何より怖かったので、順子は湊の母親の「帰りなさい」という説得にうなずくわけにはいかずダンマリを決め込むしかなかったのだ。

彼らを怒らすわけには絶対にいかないから仲がいいふりをせざるを得ず、吸いたくもないタバコも勧められるままに吸ってしまった。


お母さん心配してたな。


11月30日、順子は宮野に公衆電話まで連れていかれ、実家に電話をかけさせられていた。

「私は家出したの。今友達の家にいるから。絶対に帰ってくるから心配しないで。捜索願は出さないでね。ごめん」と彼女の口から言わせ、家族に捜索願を出させないようにしていたのだ。


一方、順子の両親は25日の時点で愛娘が帰ってこないことに慌て、すでに捜索願を出し、学校にも相談。

父親は仕事を休んでまで娘の行方を捜し、母親からの連絡で失踪を知った順子の彼氏も独自に捜索していた。

そんな折にかかって来た娘からの電話だったのだが、その語り口は一方的で、大慌ての母親の質問にも答えず、一方的に切られたという。

すべて宮野の指図である。


お父さんお母さん、すごく会いたい。


電話をかけさせられた時、受話器の向こうより心から自分を心配する母親の声を聞いた順子は鼻の奥がツンとなったものだ。

まだ一週間も経ってないのにずっと昔のような気すらした。

あの当たり前だった世界が遠くになってしまったほどつらく悲しい目に遭っていたからだ。


いつかおウチに帰してくれるって言ってたけど、いつになるわけ?

また前みたいなコトされるのは絶対にイヤ!

あの小倉っていうキモい顔のいかついヤンキーは彼氏ヅラしてエッチなことしてくるし、あと宮野や湊も…、この前はあのドラクエばっかやってるネクラ男の渡邊にまでまた…。

いろんなヤンキーも来て怖いし、もう耐えられない!

このまま帰れるのおとなしく待ってたら、もっともっとひどいことされるに決まってる。


いろんな奴らに体をおもちゃにされて、彼氏にも合わせる顔がなかった。

もちろん両親にも。


しかし、好みでも何でもない男どもに犯されたり性的虐待を受けた順子の心は深く傷ついていたが、まだ壊れていなかった。


12月7日、監禁十二日目に順子は行動を起こす。


遊び疲れて昼寝を始めた宮野たちを見て、脱出を図ったのだ。

監禁初日に着せられた変なシャツを脱ぎ捨て、さらわれた時に着ていた学校の制服に着替え、荷物も持って階下に降り、玄関の扉を開ける。

久々の自由の空気、これからあのなつかしい幸福だった日常へと脱出するのだ。


あいつら、あたしをひどい目にあわせやがって、ぜったいにケーサツに…、いや、色々思い出したくないこと聞かれるかも…。

だめだめ!楽しいこと考えよう!


待ってて、お父さんお母さん、お兄ちゃん!心配かけてごめん、順子は今から本当に戻るから!

〇〇(弟の名)、お姉ちゃんクリスマスにはお母さんとケーキ作ってあげるからね!おいしいよ!みんなで食べよう!

あと、あと、お正月も、みんなにお雑煮作ってあげる!!

お父さん、お年玉期待してるよ!


早く学校へ行ってみんなに会いたいな、おしゃべしたいな、バイト先にも休んじゃって迷惑かけたから謝りに行かなきゃ。

春休みにみんなと旅行するためにまたがんばろう!

それより、△△(彼氏の名)にどんな顔で会えば…、ホントのことは言えない…、そういや他のみんなにも今まで何やってたって言えばいいんだろう?


あれ?ちょっと待って。

ここってどこ?


順子は方向音痴だった。

悪魔の巣である湊家の外に出たはいいが、自分の家がどの方向で、どちらに向かえばいいかわからないのだ。

ここに連れてこられた時、どの道を通ったかも覚えていない。


パニックになるあまり彼女はここで致命的なミスを犯すことになる。


やっぱりおまわりさんに電話しよう!


何と電話をかけようと湊家に戻ってしまったのだ。

もう二度と戻りたくなかった場所だが仕方がない、勝手知ったる家に入り、電話器から110番。


「はい、綾瀬署です」

「あ、もしもし、あの、あの、助けてくれませんか?」

「どうしました?」

「え…と、男の人たちに連れられて、家に閉じ込められてるんです」

「そちらの場所はどちらになるか分かりますか?」

「え…、場所?えとえと、場所は…」


ガチャン!


あれ?切れた…、あああ!!!


「順子、てめえ!何してんだよ!」


さっきまで寝ていた宮野が横から電話を切り、憤怒の形相で

立っていた。


脱出は失敗した。

順子は自分がこれからどうなるか、この瞬間凍り付いたはずだ。

だが、それは彼女の常識をはるかに超える、まさにこの世の地獄となることまでは予想していなかった。

傷ついた心はさらに傷を増やされ、粉々に壊されることになろうとも…。







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