海月
@universweet
第1話
水面に映る月の光を私は定期的に海辺に見に来る。
今度はそこに吸い込まれないように、海に映る月の光をすくうように見つめる。
あなたと過ごした幸せな時間を月の光を浴びて思い出す。
そう、海月が泳ぐこの海にかすかな希望と夢を乗せて今日も一人、私は海に足を運ぶ。
たとえそれが裏切りでも私はやめられない。
別の男と生きるという私を許してくれる?
なぜならそれが生きるということだから。
生きるためにはこの月の光のように美しいだけでは生きていけない。
ベートーベンの月光を少しスマートホンで検索して鳴らしてみる。奏でられたピアノが流れてくる。
そしてその時、海の中で光る海月を見つめる心に燃え上がる情熱がわいてくる。
生きるんだ、生きるんだと言い聞かせ私は、一人海辺で海月を見つめる。
揺れる水面は大丈夫あなたはまだ美しいというように優しく私の姿を映す。
ああ、あの時あなたと見た景色だね。
**********
小さな部屋の隅で電話が鳴った。
ロングヘアの女が隣にいる男を気遣いながら廊下に出て裸のままバイブにしてあったスマートフォンを取った。
「今電話していいか?」
と、ラインが来ていた。男をちらちら見ながら「いいよ」と返信をした。
電話を取ると、明るい声がした。
「咲花??今電話大丈夫?」
「あ・・・。うん。まなみ、久しぶりだね。どうしたの?」
「ああ、ごめん。驚かせたよね。もう卒業して5年もたつもんね私たち。チームK大頑張ったよね。今どうしてるの?」
「あ・・・、今ね、うん。好きな人がいて一緒に暮らしてるよ。」
「そうなの!!よかった。実は、私も、今日電話したのはね、修二覚えてるよね?大学時代よく一緒に勉強した。結婚することになったの。」
「あ、おめでとう。修二、覚えてるよ。K大付属高校で一緒だったからさ。二人、付き合ってたもんね。あ、そうか、結婚か。まなみなんて、K大付属小学校から一緒だから私たち本当にずっと一緒だったのにね。いつ、道それたっていうか、会わなくなったんだろうね。卒業してから、みんな忙しそうで、声かけられなかったよ。」
「咲花らしくないな。咲花って積極的で、いつも笑ってるイメージ。彼氏さん紹介してよね。あ、そうそう、それで、結婚式することになったんだけど、来てくれる?」
「あ、そっか。結婚すると結婚式するんだもんね。そういうもんか。結構同級生も来るの?私、フリーターだから、合わせる顔ないけど大丈夫かな。K大って言ったら、一応名門校じゃない?みんな、社会で活躍してるだろうし私と住む世界が違うんじゃないかな。でも、まなみのお祝いはしたいから行くよ。まなみが、主役だもんね。」
「ありがとう!!咲花はさ、卒業してから疎遠なってたけど、これを機会にまた会ったり話したりしたいなって思ってて。だって、学生の頃はあんなに仲良かったじゃない。」
「ん・・・。そうだね。」
しゃがみこむ咲花の後ろから男がバスタオルをかけてきた。
「電話?」と男が小声で話しかける。
うんと咲花はうなずき、「ごめん、まなみ、一回電話切るね。また会って詳しく教えて。」
そういって電話を切ると、咲花は男の体にバスタオルと一緒に巻き付いた。「誰と話してたの?」「学生時代の友達。結婚式誘われたの。行ってくるね。聡。」聡と呼ばれたその男は、細く筋肉質な体で咲花に深いキスをした。そのまま首元をなめまわし、両手は咲花を包み込み、再び二人はベッドに倒れこんだ。
二人は丁寧にお互いの存在を体で確認しながら「咲花」「聡」とそれも確認するようにまるで、平均台を最後まで渡りきるような不安定な声をお互いが絞り出し抱き合った。
*********
咲花が大学卒業後勤めだした風俗店に客としてきたのが聡だった。
聡は、当時26歳。咲花の2歳年上だった。初めて職場の先輩に連れてこられたと顔を真っ赤にして咲花のほうを見れずに下を向いていた。
咲花は普段業務として聡に接した。
聡は「君はどうしてこんな仕事ができるんだ?汚らわしくないのか?いろんな男が来るんだろう?俺は、仕事の付き合い上仕方なく来ただけで…」
そういうと聡は黙った。
「そういうお客様多いですよ。お名前なんて言うんですか?」
「教えられない。そんなの。こんな場所で。俺にはサービスしなくていい。君の話を聞かせてほしい。それだけで今日は帰る。」
「ん・・・。お金がいるんですよ。」
「どうして?」
「あなた、恵まれてるでしょう。だから、苦労したことないから私の話を好奇心で聞きたいんでしょう。性的サービスより、社会の底辺にいる私の話が聞きたいんでしょう。」
咲花はクスクスを笑いを止められなくなった。
「違う!!俺のほうが社会的底辺だ。成績が悪くて大学にも行けない自分は、毎日危険物を扱う工場勤務でこれが65歳まで続く。使われて終わるだけの人生だよ。」
「私の親は、生まれた人間全員に価値があって、全員が何かしらの使命があって生まれてきたって言ってましたよ。私は、脱落しましたが、あなたはがんばったらいいんじゃないかと思います。せっかく恵まれてるから。」
「あ、ありがとう。」聡は照れながら咲花を見つめた。「君は、その、こんな場所にふさわしくないよ。どうして?」
「家がないから、住み込みで働けるところを探したらこんなところしかなかったんです。」
少し悲しげに目をそらして言葉を放った。この時二人は惹かれあっていた。
初対面なのにまるで愛の駆け引きをするように言葉を選びながら目を何回もそらしたり合わせたりしながら・・・
二人は胸が高鳴るのを感じた。
咲花はこの仕事が長かったがそんなことは初めてだった。聡の同情のような憐みの瞳が自分をもしかしたらこの泥沼の中から助けてくれるかもしれないという期待もだめだだめだ人に期待してはだめだと思いながらもかすかにあふれた。
時間が終わると、聡は、メモ用紙に自分の連絡先を書いて渡した。「話をしようよ。金を払いたくないとかそんなんじゃない。君は僕に似てる気がするから。」そう言葉を添えた。
後で、聡は咲花にあの時は自分も自分の人生から逃げたくて寂しくて、話し相手が欲しいそれだけだったんだと思うと話してきた。
それから、咲花と聡は、半年ほど他愛もない電話での会話を重ねて、店の外で会うことになった。
昼間は公園を散歩し、たまたま入ったレストランで聡は白を基調にしたレザーでできたキーケースにカギをつけて「一緒に暮らさないか?」と、鍵を渡してきた。
咲花は店を完全にやめることはできなかったが、勤務日数を減らし、聡の部屋に暮らすことにした。咲花が24歳の時、聡が26歳の時だった。
*******
それから3年…今。
そんな出会いは人に言えるはずもなく、結婚式の招待状を受け取りにまなみと修二と3人でご飯を食べる日になった。
スーツ姿の修二と、OL風のアンサンブルにひざ丈のスカートをはいていたまなみの二人を見つけた時、咲花は派手な化粧とミニスカートに胸元の空いた服を着ている自分で声をかけるか戸惑った。
まなみから着信があり、お互いを見つけたが、修二とまなみが変わったねと一言言ったのが咲花の胸を苦しめた。
変わりたくて変わったんじゃない。咲花は、遠いところを見てそう思った。そして、昔のことをぼんやりと思い出した。
咲花と修二とまなみは地元ではお坊ちゃんお嬢ちゃん学校で知られる名門大学付属私立学校へ通っていた。親同士が仲良かったため、3人は一緒に遊ぶことも多かった。
しかし、人生というものは今日と明日は一緒でないことを思い知らされる現実もある。
小学校6年生の時咲花の家は火事にあい救急隊員は咲花しか救出できず、家を失った。親族が集まった時、咲花を施設に入れる話が出たが、咲花の父親の兄が引き取ることになった。
父親の兄は佐藤という。佐藤は独身だが、IT
企業を経営していて家には経済的余裕があり、我が家で育てるのは無理だと口をそろえていた親戚たちから、保護者として認められた。
咲花は、佐藤の家に住んで、K大付属にまた通うことになった。生命保険は入ったが、家を火災保険に入れてなかったこと、ローンの残債があったことから、財産は咲花には残らなかった。そのため、まったくの居候になることになった。
しかし、この日から咲花の地獄が始まった。
まずは、引っ越したその日、50歳の佐藤は、咲花が入浴中の風呂に突然入ってきた。
咲花は12歳。びっくりした。が、怖くて声も出なかった。
「お風呂には一緒に入ろうね、咲花ちゃん。家族でしょ。恥ずかしくないよ。」
なめまわすように体を見られるのが咲花はたまらなく気持ち悪かったが、恥ずかしくて誰にも言えなくなった。何より、施設に入ったらK大付属をやめないといけないと聞いていた。K大は両親が通っていた学校で、両親の希望で通っていた。受験の時の母親と父親が喜んだ顔や思い出が蘇る。咲花にとっては形見のような居場所だった。それを失うのが嫌だった。
でも、もしこのとき、そんなことをすれば余計に両親は悲しみ、そんなものにすがらないほうがいいと思える何かがあったら、逃げられたのだろうか?いや、子供の力では限界がある。どんなに振り返ってもその選択肢しかなかった。
咲花が成長すればするほど、佐藤の咲花への執着はエスカレートした。16歳になったとき、生理用品や下着を佐藤が触っている痕跡を見つけた。経済的にすべてを佐藤に頼っていた咲花は何も言えなかった。一人部屋はもらっていたが、鍵はなく、着替えをのぞかれていると感じることも多かった。
そして、風呂の時間は一番の苦痛だった。成長していく体を毎日チェックされてるようだった。
そして、そんな日々を過ごしながらも学校では楽しい日々を送っていた。それだけが救いだった。念願のK大にもエスカレーターでそのまま合格した。まなみと修二と航平という4人組で行動することが多く4人は同じ法学部を選んだ。咲花にとって学校は天国だった。
しかし、高校卒業前に恐れていたことが起こった。
咲花が布団に入り寝ようとすると、佐藤がそろりとドアを開けてベッドの中に入ってきた。
「一緒に寝よう咲花ちゃん。おじさんと過ごして長くなったね。」
咲花の服の中に佐藤は手を入れた。
咲花は声が出ない、体が動かない拒否できないことに驚いた。あまりの恐怖と嫌悪感で息が詰まりひゅーひゅー言葉が出なくなった。
咲花は、手足をバタバタさせ抵抗すると、「K大って学費高いんだよね。住むところとかも考えたら、今の生活手放せないよね。咲花ちゃんのお父さんとお母さんも喜んでるよ。咲花ちゃんは寝てるだけでいいんだ。僕に体を預けて。咲花ちゃんの体を触るだけでお金を払ってもらえる。いい関係でしょ。」そう言われ、佐藤が咲花の体を覆うように上に乗り手を抑え、口で口をふさぐと、咲花は身動きが取れなくなった。男の力にこんなにもかなわないものなのかと驚いた。
廃人のように目に光がなくなりぐったりとして佐藤のされるがままになった。
そんな咲花もそれだけは誰にも知られたくないと大学では勉強に集中しまなみと修二と航平の四人と進路について話したり他愛もない時間を過ごした。
その関係が崩れたのが19歳の夏。
咲花は、航平に告白された。航平は好青年風のまじめな学生で咲花も航平に好意を抱いていた。
付き合いたい。普通の恋愛がしたい。咲花の切実な思いは行動に走らせた。航平に咲花は、「少し待ってて。お願い。答えをちゃんと出すから。」と伝える。
咲花は、仲がいいと信じていた親戚の家に助けを乞いに行くことにした。
母方の親せきで母親の妹の和子おばちゃんを訪ねた。和子おばちゃんの家には二人娘がいて、いとことしても仲良くしていたので一人暮らしの保証人を頼みに行った。
そこで見たのは和子おばちゃんの咲花と同い年の娘の成人式の着物選びだった。たくさんのカタログにブランドの着物がたくさん載っていた。
「咲花ちゃん久しぶりー。」
と、挨拶をしたと思えば、カタログを広げて
「お母さんこれがいい。」
「これもいいかな。」
はしゃぐ娘を見て、和子は「もう、咲花ちゃん来てるんだからおとなしくしなさい。ごめんね。咲花ちゃんは成人式どうするの。」優しいまなざしで咲花を見た。
咲花は淡い期待を持って、「佐藤おじさん考えてないと思います。」心の中で和子の娘がうらやましいという気持ちを必死に隠して穏やかに答えた。
すると和子は「おばちゃんね、着付けもできるし、おばちゃんが成人式できた着物があるから咲花ちゃんそれ着てちょうだいよ。うちの娘が嫌だっているのよ。」咲花は背中が凍り付く思いがした。少しでも自分の成人式を考えてくれてるその淡い期待が裏切られたような気がした。和子は娘には上等な新品の着物を着せるのに、自分にはお古を着せるのだと格差を感じたからだ。
しかも、部屋を借りる保証人も佐藤に頼めと断られた。
住居一つ自分で準備することのできない無力さにうなだれた。
とぼとぼ歩く片道は千里の道より長く感じた。
佐藤に体をされるがままにされる毎日も変わりなかった。佐藤は出張も多かったので、咲花は佐藤が返らない日はほっとした。帰ってくると、佐藤の相手をしなければいけなかった。しかし、咲花は両親が死んでから周りの友達がうらやましいとかそういうどろどろとした感情によく支配されては、真っ暗闇にいるよな感覚を覚えていた。さとうがはじめて風呂に入ってきた日から、自分の人生はこういうものなのだというあきらめもあった。抗えない運命だと不幸を自分から求めるような感情も抱いていた。
大学3年生の冬、まなみが二人で内緒の話があると呼び出してきた。
「あのね、修二をキスしちゃった。」
一瞬氷のように固まった咲花は「えーすごいじゃん!!おめでとう!!キス、うらやましいー。」と話を合わせた。
その時咲花の心の中はどろどろと泥にまみれていった。「うらやましい。」「普通の暮らしがしたい。」「普通の恋がしたい。」「まなみのようにきれいに生きたい。」「そっち側に行きたい。どうして私は…。」まなみへの嫉妬心が芽生えた。しかし咲花にとって、学校でのまなみの存在は大きかった。家では地獄でもまなみはそんな咲花に何もなく笑い、友達だとはしゃいで側にいる。憎みたくても憎み切れない。この手を離したら蜘蛛の糸のように咲花は真っ逆さまに地獄に落ちる。
そして、自分の気持ちを切り替えるためにも、真奈美を好きでいるためにも航平と付き合いたい、逃げたいと航平に自分の思いを告げたが、佐藤に触られた体の感触がどうしても残り、航平とのキスの最中に航平のキスを拒否し、そのまま気まずくなり二人は連絡を取らなくなった。
重ねた唇から愛情と嫌悪感が同時に襲い掛かり、咲花は倒れそうになり航平を突き飛ばして逃げた。それから連絡も返せなくなった。なぜなら毎晩、佐藤に体を預けていてそんな気分にはなれなかった。
航平と疎遠になってからは咲花自身が佐藤を受け入れる幅が広がった。嫌悪感は亡くなり、これが自分の人生なんだと受け入れた。大学へほとんど通わなくなり就職活動もできなかった。卒業論文だけ何とか書ききり、将来のことを何も決めずに卒業の日が迫った。
航平からは時折連絡が来ていたのが返信をずっとしていなかったのでなくなった。返信はしていなかったが、咲花の心の支えになっていた。しかし、連絡をするというのもできなかった。
そして、大学卒業の日に卒業はせずに咲花は佐藤に出ていくと感情任せに言い放ち、繁華街でキャリーケースを担いで寝てると、ホスト風の男に風俗の仕事を紹介され住み込みで働くことになった。
その時咲花は、いろんな男に抱かれて生活するのも悪くないと自分を破壊したいと破滅的な気持ちで風俗店で働き始めた。
**********
まなみと修二が待ってるその席へ行くまで大学時代の苦い思い出、いや辛い思い出を思い出していた。胸が痛かった。それでも、咲花にとっては大切な友達だ。しかも会うのは5年ぶり。いつものように演技のように明るく席に着いた。
まなみは「あ、今日もう一人呼んであるんだ。」そのすぐ後、航平が現れた。
咲花は航平に自分の姿を見られたくなかった。最後にあった時と違い露出の多い服装をして変わり果てた自分を見られたくなかった。聡と住んでいるのに?
航平はスーツで現れた。
航平は咲花に余裕の笑みで「変わらないね。」と話しかけた。しかし内心は動悸がして普通を装うのが二人とも精いっぱいだった。
何の動悸かはお互いわからなかった。
そこから、まなみと修二が盛り上げてくれて、二人のなれそめを話してくれ、航平とも普通に話せた。
この時間が永遠に続けばいいのにという気持ちと自分だけが浮いている自分がここにいる感じがしないという現実が直視できない気持ちで咲花は揺れた。咲花の心の中はまた泥にまみれたように、輝きながら結婚の話をする修二とまなみをうらやましいと思い、素直に祝福できない自分がいた。しかし、その気持ちを支えてくれたのは航平だった。
航平は「いやー、お前ら順調でいいよな。俺なんか、社畜。いつも終電帰り、何なら泊りもあるし、彼女なんて結婚なんて夢のまた夢だよ。第一志望の就職先だったのに、社会って何なんだこの人生って思うくらい理不尽だわ。それにしてもおめでとう。」と、場を和ますよな発言を繰り返した。
まなみが「あ、でもね、咲花は今、ラブラブな彼氏と同棲中なんだよ。」というと咲花は凍り付いた。航平と咲花は、そのまなみの一言の後、目を合わせると、お互い下を向いてしまった。慌てて航平はまた自分の仕事の話に戻した。
最後別れ際は
「4人のグループライン作ろうよ。」と真奈美が幸せそうに言い、グループラインができた。
咲花は、帰りの電車一人でスマートフォンを
抱きしめ、何度もグループラインを見返した。
それから数日後、聡は咲花を水族館に誘った。
咲花は聡に依存していた。恋愛感情があるかどうかは正直わからなかった。ただ、人生から逃げたくて、その中で一番居心地のいい場所を提供してるから一緒にいるんだろうとも考えていた。なぜなら、人にもう期待するのが怖かったからなだけだったが。
いろんな魚を見た後、「海月」の水槽が並んだスペースに二人はいた。咲花は聡にべったりくっついた。幻想的に光る海月と薄暗いその特別スペースは二人を無言にさせた。
しばらく二人でもたれあっていると、聡が話し出した。
「咲花、大学の友達ってさ、職業何なの?」
「え?」
「俺たちって海月に似てると思わない?」
「・・・。」
「ほら、消えそうな透明みたいに見える儚い光。でも存在してる。それを美しいと思ってしまうんだ。おれ、咲花といるとき、そんな気持ちになる。ここへ一緒に来たかったんだ。今度海を見に行こう。
咲花、おれ、仕事辞めることにした。」
「え??!」
「実は、SNSで知り合った木野さんという同い年の人から、ビジネスに誘わせてて、こないだ、セミナーに行ったんだよ。咲花が大学の友達と会ってる時、たまたま暇だなと思って。すごかった。高卒の俺にもチャンスがある、起業して会社作って社長になって、学歴なんかなくても社会的成功者になれるって、年商10億で知られる実業家の清水社長に俺は見込みがあるからもったいない。挑戦しろって言われたんだ。仕事をやめることは前から考えていた。でも、勇気が出なかった。木野さんが僕のこと、親友だって言ってくれるんだ。」
「え?大丈夫なの?お金とかどうするの?一緒に暮らしていけるの?」
「咲花は世間知らずだから世の中にすごい人たちがいるのを知らないんだよ。俺は俺の人生にかけたい。今まで、くすぶってた気持ちを全部き起業して自分が作る会社に捧ぎたい。」
「・・・。」
咲花は無意識に航平と聡を比べていた。
航平が広告代理店で社畜のように働いていると現実に足をつけた発言をしていたのを思い出し、ふわふわした夢のような話をする聡を咲花は内心心配したが、聡を失うことが怖くて決して口に出せなかった。
「俺、海月のように海に移った月みたいにすくえなくていいんだ。もう存在しなくていいんだ。今のままなら。でも、生きたいんだ。だから、挑戦する。木野さんと清水社長もついてるし、退職金もそれなりに出ると思うし、貯金を500万円ほどしてる。1000万円は準備できる。俺、いい会社作るよ。」
夢を駆らる聡に咲花は本音を押し込み背中に手をまわして抱き着き、静かにうなずいた。
その3か月後、聡は仕事をやめて起業の準備に入った。
一回3万円のセミナーに聡は足しげく通った。
一流ホテルで開かれるセミナーには、目を輝かせた青年がたくさん集まっていた。女も男もいた。聡は、一流ホテルの清水社長が登壇するセミナーで夢を見た。
清水は、もともと子役タレントをしていた。そのせいでほかの子供よりかは大人びていたと思うとセミナーで話す。清水の話術は抑揚があり魅力があり、だれもが成功できる、そう思える勇気と励ましの言葉が羅列された。自身が最初は小さなバーから経営して、今は年商10億円をたたき上げる飲食店のチェーン店の社長であり、本もたくさん出しており、テレビに出演することもあった。参加者からはそのカリスマ性から「清水社長が言うなら。」と、清水の持ってる経営コンサルタントの会社に業務委託して起業するものが後を絶たなかった。
スタッフで付き人の木野は、聡と同じ29歳。木野も工場勤務をしていて将来のこと、やりがいのこと、自分のことで苦しんでた時に清水社長と出会ったと話してくれた。
セミナーで集まると、打ち上げをするのだが、そこにはたくさんの仲間に囲まれたような聡が輝いた顔でSNSの写真に写るようになった。
聡が忙しくなり、咲花も、まなみと修二の結婚式の準備を手伝うことになり、お互いすれ違いの生活が始まった。
余興で軽いダンスを集まる同期みんなですることになり、まなみと修二へのサプライズ企画を練るのも楽しかった。咲花はもう一度青春を味わうような気持で同期の集まりに参加するようになった。
そして、結婚式直前のある日、咲花は羽目を外して終電を乗り越してしまった。そのころ、聡は泊りで研修に行っていたのでビジネスホテルでも泊まろうかと思うと、航平が「朝まで飲まない?」と声をかけてきた。
二人は、こじゃれたバーに入り、カウンター席に座った。航平は「ここ、俺の隠れ家なんだ。内緒だぞ。」と笑顔でそっと教えてくれた。
咲花はすうっと深呼吸して動悸を沈めた。昔好きだった男の隣で静かにカクテルを口にした。航平は、主に仕事の話をしていた。
が、夜中3時ごろになると、二人とも酔いも回って本題に入った。
「俺じゃダメだったんだな。咲花、俺のどこがダメだった?後、今、幸せ?」
「違うの。航平がダメとかじゃなくて、あのとき、親も死んで頼れる人がいなくて余裕がなくて、今でも後悔してる。」
「何を?後悔してるの?」
「あの・・・、連絡しなかったこと。」
大学3年生の時、航平は何度も何度もメッセージした。しかし、佐藤に抱かれていた咲花は、それに応答するエネルギーはもうなかった。航平は、自分はもう駄目なんだと就職活動に打ち込んだ。そして、業界最大手の広告代理店の就職を勝ち取り、咲花のことを必死に忘れようと仕事に打ち込んだ。
二人はそれぞれの思いを胸に再会し、不思議な感じで二人で語らっていた。
「航平、海月って知ってる?」咲花は唐突に航平に聞いた。
「え??もちろん、知ってるよ。馬鹿にするなよ。」
「私はね、海月と同じなの。生きてるか死んでるかわからないくらい透明に近い薄い存在なの。だから、航平と一緒にいれなかったの。航平は、もっと大きくて大海を泳ぐクジラみたいな存在だから。今ね、一緒に住んでる人はね、海月みたいな人なの。つかもうとして夢を持っていて、航平みたいに堅実な成功した生き方じゃなくて、不器用なんだけど、必死に生きてる。助けてくれたの。」
「ごめん、ちょっとわかんない。俺から見たら咲花は、ひまわり。今、海月みたいに暗い海を泳いでるような気持なのかもしれないけど、K大付属からずっと一緒で咲花はひまわりみたいにいつも太陽のほうを見てたと思う。親がいないって大変なこのなのにさ、勉強もちゃんとして、友達も大切にしてて、俺は、咲花のそういうところが…。ごめん、これは俺の勝手な話かも。」
「私が本当にひまわりだったら、航平といたよ。航平は私のこと何も知らないじゃない。」
「咲花、今、フリーターって言ってるけど高校の時さ、自分みたいに親のいない子が苦労しないように法律で人を守りたいって法学部にしてたよな。俺は、消去法で決めたんだけど。そういうの咲花苦労してる分かっこいいなと思っててさ。そういう夢とかはもういいの?」
「無理だよ。お金もないし、一人で生きる自信なんてもうないよ。」
「咲花、まじめな話だけど、人間って俺もみんな一人だと思うんだ。俺だって孤独になるときお自信をなくす時もいろんなときあるけど、咲花、どうしてそんなに卑屈になったんだよ。俺がダメだった理由がそんなんじゃ納得いかないよ。でも俺、振られたんだよな。未練がましいこと言ってごめん。咲花は彼氏と結婚するの?」
「今…、私の彼実業家で有名な清水社長という人のところに弟子入りして会社を立ち上げてるの。だから、まなみと修二みたいに結婚するとかそういう話はないけど、会社が成功したら・・・。」
「え?清水社長ってワールドワイドの?」
「会社名は知らない。」
「いや、たぶん、そうだよ。だって俺らの業界では有名だからさ。飲食店経営が大赤字で、経営塾みたいなの開いて世間知らずな人たちから金ぼったくってるって。止めたほうがいいよ。」
咲花は下を向いて言葉に詰まった。
「咲花、お前、もしかして、うすうすお前の彼氏が騙されてるって気づいてるのか?それで一緒にいるのか?」
「私は、あの時助けてくれた彼を絶対見捨てない。そう決めてるの。」
「咲花、俺、咲花がひまわりでもひまわりじゃなくても海月でも何でもいいと思ってるよ。ごめん。」
つぶやくように言葉を吐いた。
バーの閉店の時間になり、咲花は逃げるように帰った。
どこでどうして、友達たちとすれ違って今ここにいるのかわからなくなった。
咲花はひたすら聡が帰ってくるのを待った。
数日後不動産運営の研修だったと明るい笑顔で聡は帰ってきた。
咲花は聡に飛びついた。
何もかも忘れたい。この胸の中を話したくない。咲花は聡に問うた。「ねえ、私たちまだ海月だよね。」「何変なこと言ってるんだよ。何かあったの?」ゆっくりと聡はいとおしそうに咲花を抱きしめた。
次の日聡は、不動産運営のパンフレットを見せてきて、「今、融資の審査中なんだ。昨日その場で契約してきた。法人化してカフェを一つ出すのと、今いい物件があると、紹介された不動産を買うことにしたんだ。投資用ならかなりいいのが買えるんだよ。だから、審査までの一週間はずっと二人で過ごせるよ。」と嬉しそうに話した。
咲花は、聡に寄り添い、不安をなくすようにぎゅっとしがみついた。
聡は佐藤のことを咲花から聞いていた。それで、トラウマをなくせればと、よく一緒に風呂に入っていた。
一緒に湯舟に入ると後ろから抱きしめてくる聡の胸の中で咲花は「安心する。」ともたれかかった。
いっしょに洗いっこをすることもあった。
咲花は、スマートフォンのSNSの写真をにやにやとよく見るようになった聡に不安を感じていた。SNSでは、起業仲間と楽しそうに写ってその中で笑っている聡がいくつも投稿され、それにコメントやいいねがたくさんついていた。
それでも、一週間の審査の期間、聡と咲花は何度も抱き合った。食事もままならないほど二人きりで何度も何度も抱きしめあった。
そして、審査の連絡が木野から来た。木野の紹介の銀行だったからだ。
「俺人生変わったよ。銀行の融資が下りた!!担保は購入する不動産だからすぐにおりたよ。賃貸マンションなんだけど、もうすでに入居者はいるし、これで毎月不労所得が発生する。工場で働いてた時の給料の比じゃないよ。」
聡はガッツポーズをした。
咲花は、何も言えなくなった。
「何?俺が離れていかないか不安?」
「ううん、そうじゃないの。もう、海月じゃなくなるの?」
「・・・。」
沈黙が少し続いた。咲花は言葉を発しようとしたが、聡が遮った。
「成功するまでは海月だよ。あの、深い海で揺れてる月のような光が大好きだ。でも最近は違うのかもと思ってきた。とにかく楽しいんだ。生きてる実感がするんだ。清水社長と木野さんのおかげだよ。俺に夢をくれたんだ。でも、咲花の言うとおりだよ。俺、水の中に浮かぶ海月になりたい。正直怖いんだ。昔の俺に戻るんじゃないかって。もう戻りたくない。何もかも逃げ出したくなる時もあるよ。でも、清水社長と木野さんと話すとそうじゃなくなるんだ。本当にあのSNSからの一本の連絡と出会いでこんなにも自分が変わるなんて。」
咲花を見ずにスマートフォンのSNSを見ながら話す聡と咲花は距離を感じた。
聡は、物件を見に行ってそれからこれから出す飲食店の打ち合わせもあるからしばらく遅くなると咲花に伝える。
咲花は孤独を胸にたくさん抱えていく。
それから、一か月後、まなみと修二の結婚式が行われた。
まなみのウェディングドレスは真っ白で華やかで周りの祝福にフラワーシャワーが盛大に行われ、咲花はまぶしすぎるその二人に複雑な感情でいたが、航平が披露宴では席が隣だったので救われた。航平は、咲花がうつむいていても、「おいしいもの食べろよ。こんなに高いお祝儀出してるんだから、元とれよ。」「あーあいつらこれから不幸になればいいのに。幸せそうな顔しやがって。」と、心が和む言葉を選んでいた。
同じテーブルの同期たちは航平に「本当に彼女できないひがみだね。」「だっさー。」とからかわれ、そのたびに航平は自虐と冗談を繰り返した。
咲花も思わず笑ってしまうほど、航平は「お祝儀高いぞー。うらやましいぞー。俺が結婚するときはよろしくね。」と、繰り返し冗談ばかりよっぱらって言った。
二次会では二人のなれそめやビデオレターなどが続き、「キース」「キース」「キース」と、キスコールが起こり修二がまなみを抱きしめてキスをしてお開きとなった。
寂しさと焦りでいっぱいだった咲花はすぐに聡に連絡した。聡は、「泊まり込みになる」と返信をしてきた。
二次会のレストランの入り口でしばらく立ち尽くした咲花が一人になってから航平が声をかけた。
「咲花、また、飲まない?あのバーで。時間あったら。」
寂しさで押しつぶされそうだった咲花は二つ返事をした。
バーのマスターは「お久しぶりです。」と、花を浮かべたかわいいカクテルをサービスで出した。
咲花は「わあ!!うれしい。」と思わず叫んだ。
航平は少し黙ってから、「咲花、幸せ?」と切り出した。
咲花の頬を涙が伝い、ぽろぽろと溢れてきた。涙をぬぐいながら「これは、違うの!!」と航平に背を向けた。
「見てられないよ。」
航平は咲花の背中を撫でた。
「なんで、泣いてるんだよ。本当は大学の時も一人で泣いてるんじゃないかって、心配でたまらなかったよ。俺ら、もう今年28歳なんだぜ。そんな咲花を一番に考えてくれない男と暮らさなきゃいけないってなんでだよ。清水社長に騙されて自己破産してるやつ何人もいるし、そんな甘い話信じるようなやつ咲花を幸せにしてくれんのかよ。咲花の幸せ考えたら今そんなことしてる場合じゃないんじゃないのか?結局そいつは、咲花のこと優越感を感じるためにそばに置いてるだけなんじゃないのか?」
咲花は否定しようと思ったが、話すこともできなくなった。聡からの愛情が本物なのかという不安。それを図星で言われてしまったことがどうしようもなく苦しかった。
「咲花、俺考えたんだけど、今からでも法律事務所アルバイトからでも始めるとかさ、そしたらそこで勉強もさせてもらえるし、男に依存して生きるのはやめろよ。咲花には自分で立つ力があるんだ。」
「怖いよ。航平にはわかんないんだよ。一人はやだよ。」
「咲花ならやれる。」
航平はまっすぐと咲花を見つめた。
それは愛なのか友情なのかわからないほど、澄んだ瞳をそらさなかった。
「優しくしないで。期待させないで。もう、私の人生終わってるの。元には戻れないよ。自分が幸せになれるなんて思ってないよ。」
「咲花…。ごめん。押し付ける気はなかったんだ。俺は、ただ、咲花が高校の時から法律で人を助けたいって夢持ってて。夢かなえてほしいなと思って。あとは、幸せでいてくれないと、俺、あきらめがつかないよ。」
咲花は「幸せなんて考えたことない…。」とつぶやいた。
そうこう話し込んでるうちに朝五時になった。
航平は咲花を駅まで送り、下を向いて歩く咲花をじっと見つめしばらく動けなかった。
航平は走った。咲花を抱きしめた。そして、「俺なら、すぐに結婚考える。咲花を路頭に迷わせたりしないよ。大学の時は俺も自信なかった。何もなくていい。俺のところに来いよ。」
そう絞り出すように言った。結婚式の高揚感が残っていたからなのか、雰囲気にもまれたからか、航平はしばらく咲花を抱きしめ、咲花はそれをふりはらうことができなかった。
航平を好きだからじゃない。ただ、不安だった。聡がスマホを触るたび、帰ってこない日があるたび、咲花はまだ佐藤の腕の中にいるような気がした。そこからとにかく逃げたかった。でも、聡と違い航平には咲花は過去は言いたくないと思っていた。人通りが多くなり、目も合わさずに二人はそれぞれの帰路に向かった。
航平から「ごめん。結婚式の後だから浮かれた。忘れて今まで通りにして。」と言われた。咲花は冗談ぽく「なんだ、本気にしたじゃん。確かに結婚式すごかったもんね。うん。ちょっと今、私たちおかしいだけだよ。私、彼が待ってるから帰るね。」とおどけてみせた。
友情を失いたくなかった。
10日ほどたった。
まなみから咲花に家に遊びにおいでと誘いがあった。
まなみの新居で咲花はまなみと二人で会うことになった。
まなみは手作りのケーキとティーセットを出した。リビングにはしゃれたテーブルが置いてあり、そこで二人はティーカップを持った。
まなみは、結婚式の写真を出しながら修二とのなれそめや今の生活について咲花に話し出した。卒業後から働いている商社の事務を続けてることや自分の話を楽しそうに話した。そして、今の彼はどんな人?と聞いてきた。
咲花は答えに詰まった。そして、まなみの結婚式の写真はあまりにまぶしすぎた。
また、咲花の心の奥底がざわめく。どろどろとした真っ黒な感情が渦巻く。
どうして、目の前にいる女は、自分とこんなに違うのか?
咲花は口には出さなかったが気づいていた。嫉妬すればこの友情は終わる。何か、何でもいい。何か自分にも誇れるものが欲しいと何かが芽生えた。
帰宅すると聡がもう帰っていた。聡のほうから海に誘われた。
「海月がよく出るらしいここから行ける海を見つけたんだ。少し、泳ぎに行かないか?今、オープンするカフェの内装工事してるから余裕あるんだ。前に、海に行こうって約束しただろ?」
「うん。」
咲花は少し動揺したように返事した。聡のそばに行こうとしたら、聡はまたスマートフォンを見てにやついていた。咲花は遠くに聡がいるように感じて聡のそばにはいかずにそのまま座り込んだ。
「何見てるの?」
と、聞くと、SNSで飲食店内装中と投稿したものにコメントがたくさんついているらしいものを見せてきた。
「すごいですね!」
「新たな挑戦がんばれ!!」
「僕も続きます!!」
等、清水社長の主催するセミナーメンバーからコメントがたくさんついていた。その数日前には飲み会の写真が投稿されていて、「俺たち仲間!!」と、人物同士がリンクするようにタグ付けをたくさんしての投稿があった。清水社長を囲んでの写真もあった。木野とガッツポーズと取り合う写真も投稿されていた。そこには「俺たち親友!!」と書かれていた。
聡は、SNSの投稿とコメントと仲間や親友ができたこと本当にうれしい、と咲花に話し出した。まるで、そこに咲花はいないような話し方だった。
翌日二人は海に出かけた。
咲花は、聡の心が欲しかったが、寂しくても以前のように聡は自分を見てくれなくなったことに気づいてもいた。
海で咲花は海月に刺された。聡は笑いながら抱きしめてきた。海の上で二人は濃厚なキスをした。
咲花は愛おしそうに海月に刺された傷をさすっていた。夕方になり二人は港の船乗り場に座った。
「この下に海月がたくさんいるんだね。」
そう咲花が話しかけると、聡は夕焼けをスマートフォンで撮影し、それを即座にSNSにアップした。
「仲間に見せなくちゃ。この景色。」
そう言って、咲花が隣にいるのにスマートフォンに夢中になっていた。
咲花は、航平のことを思い出していた。聡が離れていくような寂しさを日に日に感じた。
海から帰宅した次の日から、咲花は就職活動を始めた。アルバイトでもいいと人材派遣会社に登録したりネットの求人を隅々まで見た。
聡に法律系の仕事について勉強しようと思う。と話すと、興味なさげにへえといわれた。
咲花は毎日面接で疲れ切って帰宅することが増え二人の会話は少なくなった。
しかし、現実は厳しいものだった。
正社員では面接さえしてもらえない。
そして、一つの法律事務所からアルバイトで資格勉強可のところに合格した。「手取り月11万円でいいか?」という条件だった。それでも咲花には選ぶ余裕はなかった。もうここで働こう。そう決めた。
何か、一つでいい。自信が欲しい。一歩踏み出したい。
聡にラインしたが、既読にもならなかった。
まなみと航平のグループラインに報告した。すぐにお祝いしようと二人から返信が来た。
聡が帰宅してから、咲花は法律事務所に合格したことをもう一度話した。
咲花は聡の顔が明らかにゆがんだのを感じた。
「お、おめでとう。」目をそらしあまり祝福してるようではなかった。
聡は不安そうに立ったり座ったりを繰り返した。
咲花は聡が目を合わさずに話すことが気になった。仕事がうまくいってないんだろうか。やはり、だまされてるのだろうか。
そして、その夜、咲花は聡からの殺意を感じた。寝たふりをしていたが、聡が自分の首を後ろからしめようとしてるのに気づいた。後ろを振り向くと聡は寝たふりをした。
翌朝スーツで出かけようとする咲花は聡のよそよそしい態度が気になった。距離が開いている。もしかしたら自分のとった選択は間違っていただろうか。そう毎日不安に陥りそうなほど聡は動揺しているようだった。
家で咲花が勉強をすると聡は明らかに機嫌が悪くなったので咲花は仕事帰りにファーストフード店で勉強するようになった。
そんな咲花にあてつけるように聡は目の前で木野と大声で電話したり咲花をあからさまに無視したりした。咲花は葛藤した。聡を苦しめてるものはいったい何だろう。自分?航平の言葉が頭を巡った。
そんなある日、聡はふらふらに酔っぱらって帰ってきた。
「どうしたの?」
と咲花は駆け寄った。
聡は咲花を突き飛ばした。
「俺を馬鹿だと思うだろ。俺を馬鹿にしてるんだろう?」
「し、してないよ。なんで?」
「失敗したよ。挫折したよ。全部失ったよ。」
「え?」
「投資用のマンション。大がかりな孤独死が買う直前に出てたらしくてニュースにもなったらしくて借り手がいないんだよ。毎月の支払いができなくてとうとう差し押さえられたよ。そしたらオープン手前のカフェも差し押さえ。一生借金返済だよ。」
「だまされたの?それならうちの弁護士の先生に相談するから。お金は全部戻ってこないかもしれないけど、おかしいじゃん。孤独死が出たって公になってる事故物件を買わされたんでしょ?十分おかしいよ。」
「だまされたなんで言うな!!」
聡は声を荒げた。
咲花は聡の形相と大きな声に恐怖で凍り付き声が出なくなった。
「SNSになんて書いたらいいんだよ。仲間になんて報告したら・・・・・。」
座り込みスマートフォンを開く聡。
「SNSは助けてくれないよ。法律で助かる見込みはあるかも。自己破産申請しないといけないけど…。借金はいくら?」
「わかったようなこというな!!」
また声を荒げテーブルを蹴り飛ばした。
今まで咲花は聡に口出しをしてこなかった。しかし、法律事務所でアルバイトをしていくうちに咲花自身は自分が変わるのがわかった。言うべきことは言わないといけない。そう思えるようになった。
「別れよう。」
聡はぽつりと言った。
「え?何言ってるの?私、聡から離れないよ?」
「こんな俺といたって苦しいだけだろ。俺は全部失ったんだよ。全部終わったんだよ。」
咲花は聡の足にすがりついた。
「聡は私を地獄から助けてくれたじゃない。今度は私の番だよ。聡がいなかったら私今頃生きてなかった。聡を幸せにしたい。」
そのまま、ふたりはむさぼりあうように抱き合い愛し合いすべてを忘れるように激しく求めあった。
聡の自己破産手続きを終わらせた後、部屋で酒ばかり飲む聡のそばを離れられず仕事を休むことにした。
まなみと航平と修平4人のグループラインにまなみが心配の声を投稿した。
「咲花、今日様子見に咲花の勤める法律事務所に差し入れに行ったら休んでるって聞いたけどどうしたの?」
「うん。ごめん。他に大事なことができて。」
「会える?」
「ごめん。しばらく会えない。」
咲花はこのメッセージを送るときも聡を少しでも不安にさせたくないとすぐにスマホを閉じた。
*********
航平はその日の晩、修平とまなみの家に行った。
「なあ、咲花ってどうしたんだと思う?たまたま聞いた噂だけど、咲花の彼氏が騙されて自己破産したって人物と名前が一緒なんだよ。SNSによく名前があがっててうちの会社そういうの詳しいやつがいて。俺心配で。しばらく仕事忙しくてちゃんと祝ってやれない間にこんなこと…」
「変なことに巻き込まれてるのかな。」まなみが憂鬱そうに答えた。
しばらく沈黙が続いた。
「私、家に行ってくる。結婚式の招待状送った家にまだ住んでたら会えると思う。咲花のことだから一人で抱えてると思う。」
まなみがせきを切ったように言った。
航平と修二はうなづいて三人は目配せをした。
*********
咲花に和子おばちゃんから連絡があった。
「佐藤さんがお亡くなりになりました。咲花ちゃんお通夜とお葬式の日時を連絡します。」と。
咲花は自分を長年苦しめた佐藤の死にびっくりした。丁重に断り、忘れることにした。本当にすべて終わったのだと思った。
ピンポーン。インターホンが鳴り、咲花はテレビ付きモニターホンを見るとまなみがいた。聡は、酒を浴びるほど飲んで寝ていた。
咲花は聡を起こさないように慌てて下着姿に上着を羽織り扉を開けた。
「帰って。」
「咲花、どうしたの・・、法律事務所の先生、戻ってきてほしいって言ってたよ。今から謝りに行ったら戻れるよ。今何してるの?」
「わかったようなこと言わないで!!」
「それが咲花の幸せなの?男と毎日寝てるだけじゃん!!」
「幸せよ!!私の幸せはこれなのよ!!」声を荒げてしまい聡が起きそうになったので外に出た。
「まなみ、ごめん。わかって。彼が大事なの。まなみにはわかんないよ。寂しい人の気持ちが。彼には私が必要なの。」
「彼氏さん…。愛してるの?自分の人生棒に振ってまで何で一緒にいるの?」
「もう無理なの。戻れないの。」
「戻れるよ。航平も修二も心配してたよ。私たちいつでも待ってるよ。法律事務所の人、咲花のことほめてたよ。一生懸命仕事する子だって。」
咲花は黙り込んだ。
「ね、約束して。彼氏さんと離れなくていい。法律事務所も戻らなくていい。私との友情は捨てないで。お願い。」まなみは咲花の手をぎゅっと握った。咲花はたじろぎながらそのぬくもりを話すことができず握り返した。まなみのほうを見れなかった。
咲花は部屋に戻り、聡が起きてから、冷凍食品をチンして出した。二人で食事をしている時咲花は切り出した。
「聡、これからどうするの?毎日…。」
ゴミ箱いっぱいになった酒の瓶を見た。
「咲花、俺、成功したい。」
「地道に行こうよ。一緒にやり直そう。」
「一緒にやり直す?どこからどうやって?俺、失敗したんだよ。何もないんだよ。」
「私がいるじゃない!!」
「俺の気持ちなんてわかんないよお前には。」
「わかるよ。私も地獄を見たもの。」
沈黙になり、聡は何も言わず咲花を抱いた。
咲花はその日眠れなかった。
朝になり、スーツを着て法律事務所を訪れることにした。
まなみと聡の間で揺れていた。
そうっと法律事務所の入ったビルのインターホンを押すと、ノーアポにもかかわらず入れてくれた。
「君のお友達から聞いたよ。ずっと育ての親だった方が亡くなられて仕方なく休んでたんだって?言ってくれたらよかったのに。体調が悪いっていうから…。」
経営してる弁護士から唐突に言われて咲花は戸惑った。
「え、いえ。。。」
「こんなこと言っちゃなんだけど、最近は体調悪いだのなんだの言って仕事来なくなる人が多いからね。うちの待遇が悪かったかなとか、いろいろ考えたんだけどね。君のお友達が説明に来てくれて。待つことにしたんだよ。いいお友達だね。だから、落ち着いたら戻ってきてくれないか?君の仕事ぶりを見てたらわかる。うちで働きながら法律系の資格を取れる。君なら大丈夫だ。うちは、お給料はあまり出せないけど、できる限りのことはしたい。」
咲花は返事に迷いながら「また働かせてください!!。」と頭を下げた。
そして家に帰ると、酔っぱらった聡がいた。
咲花は恐る恐る部屋の中に入った。聡はウイスキーを持って歌を歌っていた。
「大丈夫?」
「お前も俺を捨てるんだろう?」
「そんなことしないよ。私のお給料は少ないから生活は苦しくなるけど、一緒にやり直そう。」
すると、聡はだん!!と床を殴り酒瓶をなげた。
咲花は「きゃ!!」と叫んだ。
咲花を乱暴に抱き咲花の服を脱がせて「俺はだめなんだ。俺なんてもうだめだ。」そうつぶやいて、咲花の上に覆いかぶさった聡は、何度もしめようと思った咲花の首に手を当てた。
咲花は恐怖などなかった。笑顔で、「聡。私がいなければいいんだね。」と頭をなでた。
それを振り払って聡は、台所に行き包丁を出して震えながら涙と鼻水にまみれて咲花に向けた。
咲花は何かを覚悟したような優しい笑顔で「いいよ。殺して。」と、手を広げた。
聡は突進し、咲花の隣にあった枕を包丁でめった刺しにした。
「咲花、お前何も悪くないじゃんか。なんでだよ。なんでこんなことに・・・。」
「私、いつ死んでもおかしくなかった。だから、聡は私を殺す権利がある。聡、私を殺して楽になるなら殺して。」
聡は、「いや、違う。」と一言言うと、「咲花を殺さないけど、明日別れよう。最後に海に行って海月を見たら、俺ら終わりにしよう。」
「いやよ!!納得いかない。」
「許してくれよ。一緒にいると俺、気が狂いそうなんだ。俺とお前は違いすぎるんだよ。」
「何が?」
「お前はたまたま不運に親を亡くして引き取った親戚がくずみたいなやつだっただけで、咲花には実力があるんだよ。咲花は俺にないもの全部持ってる。」
「持ってない!!私は聡に救われたの。聡がいなかったら今の私はいないよ。聡には聡にしかないいいとことがたくさんあるんだから、自分を信じてもう一回頑張ろうよ。」
「無理だよ。」
「私も、同じ気持ちになったことあるからわかる。一緒に幸せになろうよ。なれるよ。」
「俺の幸せって何だろう…。」
「私がいるから。ずっとそばにいるから。一緒に見つけよう。」
咲花は一晩中聡の背中を子供の背中をさするように丁寧に暖かくさすって一緒に寝てしまった。
咲花は仕事に通い勉強をした。聡は仕事を探し始めた。
お互いの時間が新しく始まったかのように見えた。
しかし、聡は、一か月たっても書類選考にさえ通ることはなかった。
幅を広げて200社にエントリーすると一つだけ面接してくれるという会社があった。
製造業の小さな会社だった。
しかし、その時の聡はやり直すんだという気持ちにあふれていたので一つでもあってくれるというその気持ちだけで面接に行けた。
面接では、入社動悸や実務経験等を聞かれた。
聡は精一杯答えた。面接官は老人が一人。聡が予想だにしない質問が出た。
「あの、君のことを少し調べまして、SNSに君よくアップされてますね。まだ、その…、そう言う経営塾的なものとお付き合いがあるのですか?」
「え?付き合い?」
聡はぎょっとして答えられずうつむいた。
もしかしたらほかでも書類にさえ引っかからないのはネットに永遠に残っている自分のSNSの記録だろうか。頭が真っ白になり混乱した。あの経営塾の参加者がアップした写真に実名でたくさんアップされてるので全部消すのは不可能だ。聡は背中が凍り付くように汗をかき、顔を上げ質問返しをした。
「あの…、そういうのって就職に不利になるんでしょうか?」
面接官の老人は下を向き、履歴書や聡のエントリーシートを見て少し黙ってからこう言った。
「僕も、従業員を抱えています。その従業員に給料を支払うのが僕の仕事です。そして、利益が上がる社内環境を作るために一人一人面接している次第です。君は、SNSの中で製造業や一般職を否定する発言を公開でしていました。自分はもっと上に上がると。その気持ちは整理がついてるんですか?今時、簡単に調べられることも多いですからね。印象はよくありませんね。どうですか?」
「僕は…、」
聡は答えられなかった。言葉を詰まらせた。あの華やかな日々を思い出した。整理がついてるか?そんなわけない。あんなに夢を見せられて諦められるわけがない。しかし、当面の生活をしないといけない。面接中であるにもかかわらず、その老人の前で聡は目を合わせられなくなり、清水を思い出した。
『君には見込みがある』
その一言が忘れられない。頭をかきむしる聡に老人は声をかけた。
「ここからは、面接ではなくなりますが君が楽になるならと私なりに話します。君はまだ若い。会社に入ってからやっぱり違ったといってすぐにやめられても困る。本当に弊社の仕事をやっていけるのか考えてください。会社も社会も一人で成り立ってはいない。助け合いです。自分一人で何かできると思ったら思い上がりだと私は思っています。生意気ですかね?私は今いる従業員を大切にしたい。それを継続できる人間を雇いたい。君から見たら小さい夢ですか?」
聡は、清水や木野が見せてくれた夢が蘇るような感覚になった。本当にもう一度会社員をやれるのか。自問自答してる間にいつの間にか面接は終わって帰りの電車の中にいた。
聡は、電車を降りると木野に思わず連絡をした。木野からはすぐに返信が来てメッセージには今から飲みに行こうおごると書いていた。
木野にはホテルのロビーを指定され美しく吹き抜けのホテルのロビーで二人は再会した。木野はシルク素材のアルマーニのスーツに100万円はするだろう時計をしていた。それだけで聡は木野が輝いて見えた。
焦りと不安でやつれ切った聡の姿を見て木野はねぎらい、優しい言葉をかけた。
「せっかく才能があるのにもったいない。」今日あった面接官の老人の話をするとそう言われた。
「聡さん、仕事を探してるならどうして僕にすぐに連絡をくれなかったんですか。僕たち親友でしょ?僕も何度も連絡しようと思ってた。でも、僕はマンション経営がうまくいかなかったことを知らなかったから、忙しくしてると思って連絡しなかった。そんなことがあったのならすぐに連絡をくれていたらよかったのに。」
「いや、木野さんがずっとかかわってくれてたので当然知ってるものかと。」
「僕は、仲介までしかかかわってないからその後のことを知りませんでした。本当にひどい話ですね。それでまた会社員…。清水社長もずっとあなたのことを目にかけているのに。経営で勝負しないなんてもったいない。あなたほどの人が。」
聡は胸に熱いものが流れるのを感じた。自分への自信と希望だ。
木野は、そんな聡の背中をさすりながらエレベーターに乗せて最上階にある鉄板焼き屋でステーキをふるまった。
聡はありがとうございますと何度も言いながらステーキを口にした。
木野は「あなたほどの人だ。家をオフェスにしてもいい。もう一度経営しましょう。独立しましょう。親や彼女は支援してくれないのですか?身内からお金を借りればいい。次は失敗しないようにフルサポートしますよ。そしたらすぐに返せる。頼れる人はいませんか?」とステーキをほおばりながら言った。
その鉄板焼き屋からは夜景が見えた。
「僕ね、今タワーマンションの27階に住んでるんですが。景色のいいところに住むと心が落ち着く。そういう生活をもう一度目指しましょうよ。」
夜景をうっとりと見ながら聡は「はい。はい。」と答えていた。
家に帰ると咲花はもう寝てしまっていた。
聡は「もう一度やるぞ。」と、家じゅうを物色した。咲花の預金通帳を探した。
預金通帳と印鑑を見つけ、「咲花、必ず返すから。」と、寝ている咲花にささやいた。
次の日から咲花は何も変わらず出勤した。
その間に、聡は銀行に行き木野の口座に咲花の口座から100万円の会社を作るのに必要な法人登記のための初期費用を振り込んだ。本人だと疑われないように、SNSで女性の便利屋を雇って咲花本人を装ってもらい銀行に行ってもらった。
それから一か月、冬になったが、木野の連絡先はなくなっていた。
清水に問い合わせたが、そんな人物はもともといなかったの一点張りで清水本人とも連絡を取る手段がなかった。
もしかして…騙された?
いや、そんなはずない。聡は家の中で足から崩れ落ちた。
それから、聡の生活はさらに荒れた。
眠れなくなり、精神科にかかることになった。睡眠薬を酒を一緒に口の中に放り込み独り言をぶつぶつというようになった。
咲花は「死んじゃうからやめて。」と、睡眠薬とアルコールの一気飲みをやめさせようと必死になった。
聡は窓を見てぶつぶつと独り言を言い咲花は話しかける元気もなくなっていった。
二人の生活は殺伐とした。
会話もなくなり、咲花は聡にかける言葉が見つからず、ベッドに入ると、時々機嫌がいい時は聡は咲花に甘い言葉で囁いた。「俺、咲花を愛してるよ。」
咲花の腕を押し付け甘いキスをして二人は抱き合う。「俺が死んだらいいんだ。」「死にたい。」そう聡が独り言を言うのも咲花は苦しかった。
咲花はいつか聡が立ち直ると信じて献身的に尽くしていたが、聡は絶望の方向へ向かっていた。
咲花は、いつものようにアルバイトから帰宅した。鍵を開けて部屋に上がると、聡の姿が見えないので「聡寝ちゃったの?」と小声で言った。ドアを開けて中に入ると、倒れこんでる聡が見えた。毛布を掛けようと近づくと、聡は泡を吹いて白目をむいて倒れていた。
「きゃあ!!」
咲花は驚き、脈を確認した。
「生きてる。」
すぐに救急車を呼んで咲花は付き添った。部屋は睡眠薬が大量に散らばっていた。
「いつの間にこんなにため込んで…。」
咲花は救急隊員が来た時もぼうぜんと立ち尽くしてた。
咲花は救急車の中で混乱した。手を握り聡の名前を呼び続けた。
病院で聡は胃洗浄をすることになり一週間の入院をすることになった。
泡を吹いて倒れていたから驚いたけれど、飲んだ薬の数はそんなに多くなく、アルコールで一気飲みした時のショックだろうと言われた。しかし、一歩間違うと危ないとも話された。
命に別状はないといわれほっとした。
咲花は病院代を支払うために自分の預金通帳を探した。100万円が引き出された跡があった。咲花は航平のことを思い出した。聡がまた騙されたのだと、察しがついた。
咲花は聡が入院中は仕事以外ずっと付き添い、退院後もかいがいしく看病した。
聡はベッドの上で一点を見つめて言葉を発することはなかった。たまに独り言を言っていた。
次は咲花が倒れた。朝から体が鉛のように重くなり、過呼吸を起こした。「苦しい。苦しい。」と、ベッドの上でうずくまり、高熱を出して横たわった。
咲花が目を覚ますと、聡はいつもの聡に戻っていて、「これ、食べなよ。」と、雑炊を出してきた。咲花に上着を着せて愛おしそうに咲花を看病し始めた。
咲花のアルバイト代ではとても二人の生活はできず、咲花の貯金を切り崩しての生活だった。聡が働きだすという雰囲気はみじんもなかった不安からか、咲花は体が悲鳴を上げた。
咲花は「ごめんね。ごめんね。」と、言いながら雑炊を食べた。何に謝ってるのか咲花自身もわからなかった。ただ、優しい聡。自分の隣にいる聡。自分の汚らわしい過去を唯一知ってそれを許してくれる聡。その聡のために頑張らないとという気持ちで咲花はプレッシャーにも襲われた。裏切れない。裏切らない。そんな言葉が頭をぐるぐると駆け巡った。
聡は、何かを感じ取ったのか、雑炊を食べてる咲花の背中をさすり、それでもなお聡は目が曇っていた。希望が持てず暗闇に二人はいた。
その日の晩は咲花が熱があるにもかかわらず、二人はお互いを確かめ合うように離れないように何度も抱きしめあいキスを繰り返した。
咲花は二日後には熱が下がり、仕事に行く準備をしていた。そんな咲花に聡は、いつかの夏に二人で海月を見たあの海へ行こうと誘ってきた。咲花はそこに行かないと二人の仲が壊れてしまうような気がして断れなかった。
聡は車を出し、リュックを背負い港まで走った。
車の中で嫌に聡は饒舌になり、咲花と出会ったこと、それからいろんな思い出があったこと話し始めた。その最中おかしなことを聡は口走った。「俺たちは、ずっと海月だったらよかったね。」咲花は理解できず、「ずっと私たちは海月だよ。月の光を浴びて海を照らす海月だよ。世の中から消えてしまっても、輝いてる。ずっとだよ。」と答え聡のほうを見つめたが、聡はもう咲花のほうを見ていなかった。
港に着き、寒い冬の海に向かいふぃたりはゆっくりと手をつないで歩いた。咲花は思わず「寒い!!」と口にした。聡は、咲花に寄り添いマフラーを二人で分けた。マフラーをかける聡の冷たい目にドキッとした。
あそこに座ろう。と、船着場から海が一望できるところに二人は座った。少し離れると、夜釣りをしている人たちもいた。
聡は、海を見ながら咲花に話しかけた。
「俺、木野さんが親友って言ってくれて本当にうれしかった。学校でも表面上の友達はいたけど浮かないように合わせるので精いっぱいですごく孤独だった。だから全部失っていいって思える出会いだった。清水社長が俺に見込みあるって言ってくれたのもうれしかったな。」
咲花は押し黙った。
「咲花は友達いる?家に来たり結婚式行ったりしてたもんな。俺とは違うよな。」
咲花は聡のその言葉に反論した。「違うよ。友達だけど、でも、聡みたいに全部の私を知ってるわけじゃない。」そう言いながら咲花は聡の孤独が心に流れてくるような感覚になり、泣き崩れた。
そのとき月が大きく海を照らした。海月のような透明な生き物が海を舞っているように見えた。
その時聡は「きれいだな。」と一言言うと、スマートホンを出し音楽をかけた。
「知ってる?月光って言う曲なんだ。第3楽章まであるんだけど、まるで、俺の人生みたいな曲なんだ。」
奏でられる音楽は第一楽章のまるでこの世の終わりのような悲壮感漂う静かな音楽から導入され、そして明るく警戒でどことなく悲しい第二楽章を奏でそして第三楽章は曲の解釈は人によるがこの時の二人には地球から転げ落ちるよなスピードのリズムに聞こえた。
リュックからペットボトルを出してぐびぐびぐびと一気飲みした。
目を閉じて曲を聴く咲花に聡はもたれかかった。
聡が重く咲花ののしかかり、咲花は聡に大丈夫?と声を変え起き上がろうとした。
咲花はそのまま聡に抱き着こうとしたが、聡は目を閉じてうつらうつらしてそのまま海に落ちた。
「聡!!」咲花は驚き立ち上がりそのまま水面を見て立ちつくした。
水面には白いダウンジャケットを着ていた聡の陰に月が海を照らしさながらミュージカルを見ているような賛歌が聞こえてきた。にわかに信じられないことが起こり美しく光る海月の舞とどこかから聞こえる。舞のための賛歌に心奪われた。水面を壊すように咲花も静かにその下へ身を投げた。ぽしゃんと小さな音が鳴った。
夢を見ているのか?海の中では光り輝く海月に包まれ白いダウンジャケットをまとう聡に月の光が差した。抱きしめあった…ような気がした。咲花はそのまま意識を失った。
白い天井が見える。
点滴が見える。
心電図の音がぴ、ぴ、ぴと単調に鳴る。
体は重だるく起き上がれない。見えるのは白い天井だけ。
しばらくすると点滴を取り換えに来た看護士が目を覚ました咲花の手を握り締めた。「よかったね。すぐに先生呼んでくるね。」
咲花は状況がわからなかった。
数時間後に和子おばちゃんとその娘が来た。
なぜだかその二人の顔を見ると嫌悪感と悲哀の心が湧き出てきて咲花は寝たふりをした。
「入院代は払ってもらわないとね。本当にびっくりしたわ。一緒におぼれた男の子は亡くなってもう葬儀も終わったらしいけどね。」和子おばちゃんは娘に小声でぐちぐちと話した。咲花は聞こえていたから目を開けなかった。二人が帰るのをじっと待った。
二人の声がしなくなってそっと目を開けた。
咲花は「ああ!」と叫んだ。
聡は本当に海を照らす月に連れていかれた。二度と会えない。
その絶望感で咲花は頭を抱え「あー!!」とまた叫んだ。病室に声が広がった。
廃人のようになった咲花は「あの時殺してくれたらよかったのに…。」と、退院し聡と暮らした家に帰った。
病院では聡は海に落ちるとき睡眠薬を多量に飲んでたので助からなかったと説明された。咲花は飛び込んだところを見た釣りをしていた釣り人が警察にすぐ通報し助かったと聞いた。
聡の両親は連絡が取れなかった。
聡の亡骸も見れず咲花は聡と抱き合ったベッドで何日も動けずにいた。
咲花は航平とまなみのグループラインに「死にたい。」とメッセージを送った。
まなみからはすぐに「電話かけていい?っていうか家に行く!!」と返信があり、数時間後まなみは家に来た。
咲花はドアの前でカギを開けるとそのまま泣き崩れた。一通り話をした。
「まなみ、まなみ、彼がいない世界で生きていくことなんて私には無理だよ。聡がいないと生きていけない。」
「咲花!!しっかりして!!!生きるのよ。咲花の気持ち全部わかってあげられないけど、生きよう。何もしなくていいから、生きてくれるだけでいいから。」
その晩まなみは泊っていった。咲花を抱きしめ食事をとらせてずっとそばにいた。
咲花が寝ている間にまなみは修二と航平に状況をメッセージした。
そしてまなみは仕事に行く前に咲花の職場に咲花が海で事故にあい休んでると連絡した。
「咲花、私仕事に行くけど、咲花は一人でも生きていけるからね。大丈夫だからね。仕事は回復する前休んでいいって言われたから、ちゃんと連絡するんだよ。そしていつでも私に連絡してね。」
そう咲花の頭を撫でてぱたんとドアを閉めてまなみは仕事へ行った。
咲花はぼーっとただ天井を見ていた。
枕元に置いてあるスマートフォンが鳴った。
航平から「クリスマス、食事でも行かない?」そうメッセージが返ってきた。
咲花は起き上がり聡のものを整理し始めた。驚くほど物は少なかった。二人の思い出の品とかそういうのは見つからなかった。
ため息をつき聡のことを思い出していた。
そしてクリスマスがやってきた。
イルミネーションを見ると最後に聡と抱き合った海を思い出した。
夜の街にたくさんのイルミネーション。
イルミネーションの間に茶色いダッフルコートを着た背の高い男が立っていた。イルミネーションに溶け込んで茶色のコートは少し光ったり照らされたりを繰り返していた。
咲花はその光をぼーっと見ていた。男はその視線に気づき咲花を見た。その男は待ち合わせをした航平だった。
航平は咲花に近づき「おかえり。待ってたよ。」と言った。咲花は航平の顔を見ると安堵の涙が流れた。「生きていける。」そう思えた。航平の胸に頭を置いた。航平はゆっくり咲花を抱きしめた。
そして、二人はキスをした。
それは前から決まっていたようなそんなキスだった。
人は光なしでは生きていけないのかもしれない。しかし、それが明るすぎても暗すぎてもきっとその人間にとって生きるだけの光が必要なのだろう。クリスマスイルミネーションは儚い光を木にまとい鈴鹿に二人を照らし、そして町中にいる人間たちを照らす。
でも生きていくには人間は海月のように月の光では少し苦しいのかもしれない。でもその息苦しさが傷を癒し、人間が人工的に作ったクリスマスイルミネーションのような幻想的な光に導いてくれるのかもしれない。これ以上まぶしくては生きていけない。でも、これ以上暗くても生きていけない。
明るい光がつらい時はまたあの海へ行けばいい。その水面に映る月の光はまた傷を癒すだろう。何度も何度も傷を抱えながら、そう、生きる光をただ求めてあるときは海の中に潜るように、あるときは海辺で遊ぶように。そっと、生きていく。
海月 @universweet
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