紫煙の向こうから聞えてくる音楽

よし ひろし

紫煙の向こうから聞えてくる音楽

「ふはぁ~~~」


 肺に吸い込んだタバコの煙を溜まったストレスと共に青空へと吐き出す。


 初夏と言うよりもう夏、といった暑い日、いつものように放課後の仕事の合間を見計らってこの屋上に休息に来た。


 教師になって六年、まさか人目を忍んで校舎の屋上でタバコを吸うことになるとは思っていなかったが、仕方ない。校内は全面禁煙なのだから。当然、ここも禁煙だが、と言うより、この場所自体立ち入り禁止で、生徒はもちろん教師だって自由に入っていい場所じゃない。

 かつては昼休みなどに開放されていたようだが、太陽光パネルをずらりと並べてからは、完全立ち入り禁止になった。

 俺は教師という立場を十二分に利用して、ここに入る扉の鍵をこっそりコピーし、好きな時に出入りしている。不良教師もいところだな。こうしていると学生時代に校内のあちこちで隠れてタバコを吸っていたのを思い出す。教師になった時に禁煙したのだが、去年からまた吸い出してしまった。ストレス解消の為ってやつさ。


 この高校に新任で入ってきた頃は、それなりに教育ってモノに情熱を持っていた。人に教えるのが好きで進んだ道だ。

 きっかけは十歳離れた妹の勉学の面倒をずうっと見ていたことで、どちらかと言うとおバカな妹が、俺の教えで僅かなりでも成績が上がり喜ぶ姿に、俺自身感動した。

 人に教える喜び――それを一生の仕事にできたら、そう思って当然のごとく教師の道に進んだのだが……


「はぁぁ~、テストの採点、めんどくせぇ…」


 もうすっかり、やる気をなくしていた。

 教えることは、今でも好きだ。だが、それ以外の雑事が多すぎる。

 それに、おバカでも、可愛い可愛い妹なら、どんな嫌味を言われてもニコニコしていられたが、赤の他人の生意気なクソガキども相手では、ただただストレスがたまるだけだ。


 そんなストレスの解消の為の屋上での一服だが、一本目のタバコを吸い終わるころに、渡り廊下で繋がる向かいの校舎から音楽が聞こえてきた。

 ピアノの音――第二音楽室からのものだ。


「お、今日も始まったな」


 二本目のタバコに火を点けながら、音に耳を傾ける。

 第二音楽室から流れるピアノの旋律――それがうまいのかどうか、俺にはわからない。だが、心を落ち着かせてくれる。好きな音だ。

 そのピアノを弾いているのは、三年生の女子生徒だ。この学校で恐らく一番の有名人で、ピアノのコンクールでいくつもの賞を取っている才女。彼女が今いる第二音楽室も彼女の為に作られたもので、そこのピアノも当然のごとく彼女専用なのだ。


「いいよな、楽器を弾けるって……」


 俺には音楽的才能は皆無だ。カラオケもできるなら行きたくない。でも、こうして聴くのは嫌いじゃない。


「ふはぁ~」


 綺麗な旋律を聞きながら紫煙を吐き出すと、一段とストレスが軽減されるようで、心地よい。

 まったりとした気分でピアノの音を聴いていると、その旋律に新たな音が加わってくる。


 アコースティックギターの音色だ。


 第二音楽室とは同じ階だが、少し離れた部屋から音が流れてくる。


「お、軽音部のもの好きも来たか」


 いつものセッションが始まった。

 ピアノの旋律に合わせて、ギターをかき鳴らす。その音を聴いて、ピアノの方も微妙にリズムを変えてくる。それに更についていくギター。


「うん、うまくなったな、軽音部」


 新年度が始まって間もなくから続くピアノとギターの競演。

 しかし、初めはこんなに息はあっていなかった。というより、ギターがド下手だった。完全に初心者だったんだと思う。それが、無謀にも天才と呼ばれるほどのピアノの演奏に合わせるようについていき、毎日毎日、失敗してもあきらめずに引き続けた結果、いまこの素晴らしいセッションとなった。


 うちの学校の軽音部は、文化祭のパフォーマンスをするためだけにあるような部活で、夏休み明けからしか活動しないようないい加減な部活だった。

 そこにどうやらやる気のある一年生が入部したようだ。努力家なのか、もの好きなのか――実は誰が弾いているのか俺は知らない。一か月以上、演奏は聴いているが、はて、誰が弾いているのやら。俺の担当は二年生なので、新入生のことはよく知らない。ピアノの方の生徒も有名人なので名前も、美人な顔も知っているが、詳しい人となりは知らない。


 更にその二人がどんな関係なのか――それも当たり前だが全然知らない。友人、ではないだろう。先輩後輩なのは確かだと思うが、顔見知りかどうか――いや、違うんじゃないかな。初めの頃の二人の演奏は、よそよそしい感じが漂っていた。今も離れた部屋で演奏を続けているのだ、知り合いでもないんじゃないかな……


 なんていうのは、すべては俺の妄想だ。事実がどうなのかは全くわからない。


 ただ知っているのは二人の紡ぐ旋律だけ――


 ま、それだけで十分だ。


「いいね、音楽は。それも生演奏だ。弾き手の心が伝わってくるようで…、和むなぁ……」


 ぷはぁ~~


 青空に向かって吐き出した紫煙も、心なしか楽しそうに揺れ躍っているようだ。


 そうして、タバコと音楽で、溜まりに溜まったストレスを少しずつ消し去っていたが、突然ピアノの音が止まった。あともう数小節で最後だろうってタイミングでだ。それにつられ、ギターの音もすぐに止まる。


「ん? どうしたんだ?」

 第二音楽室へと目を向けるが、そこからでは音は聞こえるが室内はよく見えない。


「うーん……」


 急用でも思い出したのか。何かアクシデントでも……


 想像はできるが、事実は確認できない。


 そうして、どれくらい経ったか、もう今日は終わりかな、そう思った頃、


 ポロロン……


 ピアノの音が再び鳴った。


「お、トイレでも行っていたのかな」


 そう呟いた直後、ギターの音も呼応するように鳴り出した。

 それも、同じ教室から――


「ん、むむむ…、これは――」


 どういう経緯かは、想像するしかない。が、おそらく、ピアノの彼女が軽音部を訪ね、一緒に傍で弾こう、そう誘ったに違いない。


 もし軽音部が男子生徒なら、そこから、あるいは新たな展開に――


 いや女の子同士もありか、友情以上の何かが……


 妄想が膨らむ。


「うーん、青春だね」


 再び始まったセッションに耳を傾けながら、俺は肺に吸い込んだタバコの煙を青空に思いっきり掃き出す。


「教師も、悪くないかな、こんな場面に出くわすなら」


 溜まっていたストレスがきれいさっぱり流れ出たような、すがすがしい気分に久々になった。

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