闇に囚われし天使たち

島原大知

本編

第1章 失踪


 ステージの照明が煌々と輝く中、5人の少女たちが息を合わせてダンスを踊っていた。カラフルな衣装に身を包み、キラキラと輝くヘアアクセサリーを身につけた彼女たちの姿は、まさに「アイドル」そのもの。観客たちのボルテージは最高潮に達し、歓声と拍手が鳴り止まない。

 ライブハウスの片隅で、一人の男性がステージ上の少女たちを見つめていた。速水真司、29歳。ワイシャツにジーンズという地味なスタイルが、この空間にはどこか場違いだ。

 ライブが終わり、笑顔で手を振る少女たちをステージ袖へと迎える。後方で踊っていたメンバーの一人、芹沢香織の笑顔が硬いことに、真司は気がついた。汗をかいたままのタオルで顔を隠し、足早にその場を立ち去る香織。真司は何かに急き立てられるように、彼女の後を追った。

 薄暗い廊下の先で、真司は香織の姿を見つける。

「香織、ちょっと待って」

 呼びかける真司に、香織はびくりと肩を震わせて振り返った。先ほどまでのステージ上の輝きから一変、青ざめた顔をしている。

「……どうしたの? 具合でも悪いのか?」

 そっと尋ねる真司に、香織は目を伏せて首を横に振る。

「ううん、なんでもないよ。ちょっと疲れただけ。心配かけてごめんね」

 そう言って香織は再び背を向け、タタタタとロッカールームへと小走りに去っていった。

 翌朝、真司は香織の自宅マンションを訪ねていた。昨夜の香織の様子が気がかりでならなかったのだ。インターホン越しに香織の名前を呼ぶが、応答はない。携帯電話にも出ない。

 不安に駆られた真司は、香織の実家へと電話をかけた。何度コールをしても誰も出ない。最後の手段として、真司は事務所に連絡を取った。

「昨日のライブ以降、香織ちゃんから連絡は取れていないんです。家にも寄っていないようで……」

 マネージャーからの言葉に、真司の頭の中が真っ白になった。香織が失踪したのだ。

 警察に相談するも、彼らの反応は芳しくない。

「未成年者の家出なんて日常茶飯事ですよ。うちも人手不足でねえ」

 そう投げやりに言う刑事に、真司は食ってかかった。

「日常茶飯事だって? いいですか、香織ちゃんはライブ終了後から既に行方不明なんですよ! もしものことがあったら……」

「わかった、わかった。とりあえずうちでも捜査はしますよ。ただ、正直見つかる保証はできませんからね」

 ため息をつきながら承諾する刑事。その様子に業を煮やした真司は、警察署を後にした。

 もう自分の手で香織を見つけるしかない。

 真司はかつてアイドルのマネージャーをしていた。表の顔だけでなく、裏の顔も知っている。

 その知識を総動員すれば、きっと香織のたどり着いた先がわかるはずだ。

 歌舞伎町の片隅で、真司はこれから始まる非日常へと足を踏み入れた。ネオンが路地裏の闇を穿つ。それは、まるで香織の心の闇を暴き出すかのようだった。


第2章 潜入


 新宿の歌舞伎町に初夏の陽が降り注ぐ。日中とは打って変わり、夜の歓楽街が目を覚ます頃だ。

 速水真司は、路地裏に佇んでいた。ネオンサインの赤や青、ピンクが網膜に焼きつく。耳をつんざくのは、客引きの怒号と、スピーカーから流れる安っぽいポップミュージック。通りすがりの男たちが、チラシを握りしめてキャッチの少女を物色している。

 まさに欲望渦巻く街──それが新宿・歌舞伎町だ。

 真司は分厚い封筒から写真を取り出した。地下アイドルグループ「ドリーム☆シスターズ」のメンバー、芹沢香織の写真だ。無邪気な笑顔で手を振る17歳の少女。その輝きは、この街の闇に飲み込まれてしまったのだろうか。

 真司は写真をしまい、裏通りの奥へと足を踏み入れる。そこは本当の意味での「闇」の領域だ。

 ホストクラブや風俗店が並ぶ通りを歩く。客引きたちが次々と声をかけてくるが、真司は何も聞こえないふりをして足早に歩き続ける。

 その目的はただ一つ、香織の手がかりを見つけること。

 ある風俗店の前で足を止めた。そこは過去に真司が摘発に協力した店だ。表向きはヘルスだが、本当は違法な売春をさせている。今でも店は健在らしい。

 意を決して店内に入る。薄暗い店内は甘ったるい芳香剤の匂いが充満している。年季の入ったソファに座り、痩せこけた店員を待つ。

 現れた店員は、目の下にクマを作った初老の男だ。口元を歪め、愛想笑いを浮かべる。ヤクザ者特有のたたずまいがある。

 「いらっしゃいませ。当店はアロマエステを──」

 「それはいい。俺はアイドルを探している」

 男の口上を遮り、真司は香織の写真を差し出した。一瞬、男の目が険しくなる。

 「知らねえな。ウチはマトモな店だ」

 男が投げ返すように言う。その瞳に、嘘を見抜かれまいとする必死さがにじんでいた。

 真司は写真を男の目の前に突きつける。

 「芹沢香織、17歳。行方不明になった地下アイドルだ。貴様のところの女に似ている奴がいるって聞いたんだが」

 男は唇を歪め、肩をすくめた。

 「ガキのことなんざ知らねえよ。……ただ、うちで働いているコの中に、似たような奴がいるのは確かだな」

 男が舌打ちをして言う。本当のことを言っているのか、真司にはわからない。

 その時だった。

 「お兄さん、私でよかったら……」

 甘い声が、真司の背後から聞こえた。振り返ると、華奢な少女が立っている。ロングのウェーブヘアに、スモーキーなアイメイク。確かに香織に似ていなくもない。だが、よく見ると別人だった。

 「あのコは新人だ。でも人気があるんだよね。アイドルっぽいルックスだからかな」

 男が意味ありげに笑う。真司は来た道を戻るように、店を後にした。空しさが胸を締め付ける。

 路地を歩きながら、真司は携帯電話を取り出した。かつての同僚だった編集者に連絡を取る。

 「悪いな、いきなり。例の地下アイドルの件、何か手がかりはないか?」

 無言の後に溜息が聞こえる。

 「……速水、まだそんなことで足掻いているのか。で、その子はタレントプロダクションの養成所の生徒だったんだろう? もしかしたら、あのプロデューサーが絡んでいるのかもな」

 「あのプロデューサー?」

 「表向きは地下アイドルのプロデュースをしているんだが、その実態は、アイドルを風俗に売り飛ばしているらしい。噂は前々から聞いていたが……」

 真司の背筋に冷たいものが走る。編集者の言う「プロデューサー」。それは真司がマネージャーをしていた頃、担当アイドルに食い入るように口説いていた男だ。結局、真司のアイドルは訳も分からずに失踪し、自殺したのだった。

 自分の過去を思い出し、真司は拳を握りしめる。今、自分が追っている事件も、あの「プロデューサー」が関わっているのだろうか。

 突然、背後から羽交い締めにされた。

 「うっ!」

 男たちに取り押さえられ、路地裏へと引きずり込まれる。口を塞がれ、身動きが取れない。

 「お前、ずいぶんと嗅ぎまわってるじゃねえか。女を探してるって噂は本当らしいな」

 不気味な声が耳元で囁く。

 「俺たちはな、プロデューサーの用心棒ってわけよ。お前みたいなのが入り込むのは歓迎しねえんだ」

 そういって男が真司の腹に拳を叩き込んだ。激痛が走る。意識が遠のきかける。

 これではいけない。香織を、助けられない──。

 霞む視界の先に、「プロデューサー」の邪悪な笑みが浮かぶ。

 次の瞬間、真司の意識は暗闇に沈んだ。


第3章 絶望


 真司が目を覚ますと、そこは薄暗い地下室だった。むわっとした腐敗臭が鼻をつく。古びたネオンと埃っぽい空気。不気味な薄明かりの中で、うめき声が聞こえてくる。

 「おい、目が覚めたか」

 気怠い男の声がする。見れば、先ほど真司を拉致した屈強な男が立っている。

 「ここ、どこだ……?」

 だるそうに尋ねる真司に、男は嘲笑した。

 「プロデューサーのアジトさ。お前もここで地獄を見るんだな」

 プロデューサー……。真司の記憶がよみがえる。そう、自分はあの男を追っていたのだ。

 「さあ、行くぞ。プロデューサーが会いたがってるんだ」

 そう言って男は真司の頭を鷲掴みにし、無理やり立たせる。よろめきながらも、真司は男に連れられるがまま、地下室を出た。

 目の前に広がるのは、異様な空間だった。

 調教部屋のような場所だ。天井から太いチェーンがぶら下がり、壁には手錠や鞭が並ぶ。そして部屋の中央で、十字架のようなものに縛り付けられた少女の姿があった。

 見覚えのある栗色の髪。まさか──

 「香織ちゃん!」

 思わず真司は叫ぶ。少女が顔を上げる。紛れもなく、行方不明になっていた芹沢香織だ。

 だが、その表情は生気を失っていた。うつろな瞳で、この状況をまるで受け入れているかのようだ。

 「香織ちゃん、俺だよ。助けに来たんだ!」

 真司が必死に呼びかける。しかし香織は虚ろな目で、首を振るだけだ。

 「無駄だよ、お兄さん。私はもう、自由になんてなれない。ずっとここにいるしかないの」

 あまりにも諦観に満ちた言葉に、真司は絶句する。一体香織に何があったというのだ。

 「ようこそ、我が砦へ」

 不気味な声が部屋に響く。振り返ると、そこにはあの「プロデューサー」が立っていた。

 「君が例の元マネージャーくんだね。君の担当したアイドル、確か自殺したんだっけ? まあ、あれは失敗作だったけどね」

 「てめえ、香織ちゃんに何をした!」

 怒りに震える真司に、プロデューサーは面白そうに笑う。

 「彼女は素晴らしい素材だよ。この街のどこにでもいる、夢見る少女。そんな子を集めて、私は新しいビジネスを始めたんだ」

 プロデューサーが指を鳴らすと、別の部屋の扉が開いた。中から現れたのは、十数人の少女たちだ。

 どの子も、香織と同じような虚ろな目をしている。明らかに正気を失った様子だ。

 「アイドルを夢見る少女を集め、徹底的に調教する。彼女たちは私の命令なら何でも聞く。そして、この街の富豪どもの性奴隷として高値で売られていく。まさに一石二鳥のビジネスだ」

 あまりにも残酷な話に、真司は言葉を失う。世の中にこんな悪魔のような男がいたとは。

 プロデューサーが香織に近づき、その髪をなで回す。香織は嫌悪感を露わにしながらも、抵抗はしない。

 「芹沢香織。きっと私の商品の中で、一番の値打ちがつくだろうね」

 そう言ってプロデューサーが笑う。真司は激しく首を振った。

 「ふざけるな! 香織ちゃんは商品なんかじゃない! こんなことが許されるわけがないだろ!」

 叫ぶ真司に、プロデューサーは鼻で笑う。

 「正義感の強い君には耐えられないかもしれないが、これが現実なんだよ。この街は欲望にまみれている。金と權力を持つ者が、弱い者を食い物にする。それが当たり前なんだよ」

 歪んだ価値観を口にするプロデューサー。真司は拳を握りしめ、怒りに震えた。

 「黙れ、この外道が! 人を商品だと思ってるその価値観こそ、ゆがんでるんだ!」

 真司が叫び、プロデューサーに殴りかかる。しかし屈強な用心棒たちに羽交い絞めにされ、あっけなく押さえ込まれてしまう。

 「君のような男には、私の偉大なビジョンは理解できないだろう。ならば眠っていてもらおう。永遠にね」

 冷たい笑みを浮かべ、プロデューサーが部下たちに命じた。

 「地下の独房にぶち込め。二度と外に出すな」

 ずるずると引きずられながら、真司は叫んだ。

 「待て! 待ってくれ! 香織ちゃんを、あの子たちを助けなきゃいけないんだ!」

 しかし真司の声は虚しく響くだけだった。冷酷な笑い声を背に、真司は地下の闇へと引きずり込まれていく。

 薄暗い独房に放り込まれ、重い扉が閉ざされる。

 冷たいコンクリートの床に座り込み、真司は頭を抱えた。無力感と絶望感が全身を支配する。

 「くそっ……! こんなところで終わるわけには……」

 歯を食いしばり、泣きそうになる自分を必死でこらえる。

 この先に待つものは、地獄のような絶望だけなのだろうか。

 真司はひたすらに、希望の光を探し続けるしかなかった。


第4章 再起


 重い金属の扉が開く音で、真司は目を覚ました。

 薄暗い独房の中、ドアの隙間から差し込む光が眩しい。そこに浮かび上がったのは、痩せこけた少女の姿だった。

 「あなたが、香織ちゃんを助けに来た人……?」

 おずおずと尋ねる少女に、真司は瞬きをした。

 「君は……?」

 「私は蘭世。香織ちゃんと同じグループのアイドルよ」

 少女は自分の胸に手を当てて言った。その細い腕には、無数の注射の痕が残っている。

 「アイドル……? じゃあ君も、ここに囚われていたのか」

 そう言って真司が立ち上がると、蘭世は小さく頷いた。

 「ええ。もう、どれくらいここにいるのかわからないわ。……香織ちゃんを、助けてあげてください」

 涙ぐむ蘭世の瞳に、真司は胸を打たれた。

 「わかった。必ず助ける。君も一緒に逃げよう」

 真司が差し出した手を、蘭世は躊躇いがちに取った。冷たく震える手のひらを、真司は優しく包み込む。

 「君が協力してくれるなら、きっと何とかなる。信じて付いて来てくれ」

 力強く言い切る真司に、蘭世は小さく微笑んだ。

 「……ええ、信じる。一緒に這い上がりましょう、この地獄から」

 二人は談合した。真司は蘭世から、プロデューサーのアジトの間取りを聞き出す。警備の隙を突いて脱出するチャンスは、わずかしかない。

 夜が更けるのを待ち、二人は行動を開始した。

 わずかな灯りを頼りに、薄暗い廊下を這うように進む。背後では重々しい靴音が響いている。用心棒だ。

 「あっちよ、倉庫に繋がる裏口がある」

 そう囁く蘭世を先頭に、倉庫へと向かう。倉庫は薄汚れた戸棚や机が無造作に置かれ、埃の匂いが充満している。背後の靴音が、近づいてくる。

 「くそっ、見つかるか……!」

 歯噛みする真司の前に、蘭世が戸棚を指差した。

 「ここに隠れるの。私が目くらましをするわ」

 「何を言ってるんだ。君まで危険に晒すわけには──」

 真司の言葉を遮り、蘭世は微笑んだ。

 「私はもう、外の世界に戻る勇気はないの。お願い、香織ちゃんを……」

 そう言い残し、蘭世は倉庫を駆け出していった。間も無く、悲鳴と怒号が入り混じる騒々しい物音が響く。

 唇を噛み、真司は戸棚へと潜り込んだ。見つからないよう、息を殺す。

 やがて物音は遠ざかり、辺りは静寂に包まれた。おそるおそる戸棚から出ると、倉庫の隅で蘭世の姿が倒れている。

 「蘭世! しっかりしろ!」

 真司が駆け寄り、蘭世を抱き起こす。頬に赤い痕が残る。殴られたのだろう。

 「……ごめんなさい。私、もう……これ以上は……」

 掠れた声で呟く蘭世。その瞳からは、光が消えかけていた。

 真司は唇を噛み締め、蘭世をそっと床に横たえる。

 「……待っててくれ。絶対に、助けに来る。だから……生きててくれ」

 約束の言葉を残し、真司は蘭世の手を握りしめた。そして、倉庫を抜け出す。

 アジトの中枢──そこにプロデューサーと香織がいるはずだ。

 まっすぐ、その場所へと向かう。途中の部屋からは、少女たちの虚ろな歌声が聞こえる。洗脳されたアイドルたちだ。

 心が張り裂けそうになるのをこらえ、真司は歯を食いしばる。

 プロデューサーの部屋に辿り着いた。異様なほど静かだ。覚悟を決め、扉を開ける。

 「プロデューサー、貴様の好き勝手は終わりだ!」

 部屋に飛び込み、真司が叫ぶ。しかし返事はない。部屋の中央で、一人の少女がぐったりと椅子に座っている。

 「……香織ちゃん!」

 駆け寄り、真司は香織を抱き起こす。しかし香織の目は虚ろで、反応がない。

 「どうした香織ちゃん、しっかりしろ! 俺だ、助けに来たんだ!」

 必死に呼びかける真司。しかし香織は、微動だにしない。

 不気味な笑い声が、部屋に響いた。

 「無駄だよ、彼女の心は完全に壊れている。私だけが、彼女を操ることができるんだ」

 音もなく現れたプロデューサーが、悪魔のように笑う。

 「貴様……! 許せない、絶対に許せない!」

 怒りに震える真司に、プロデューサーは肩をすくめた。

 「ならば殺せばいい。……だが、彼女も道連れにしてあげるよ」

 そう言ってプロデューサーが指を鳴らすと、香織の手に握られていた小瓶から、赤い液体が零れ落ちた。

 「それは、毒薬だ。私の命令一つで、彼女はそれを飲む。……さあ、どうする?」

 「くっ……卑怯な……!」

 歯噛みしながら、真司は拳を握りしめる。激しい怒りと、痛みを伴う葛藤。

 「……香織ちゃんには、死んでもらう訳にはいかないんだ。彼女には、自由に生きる権利がある」

 そう言って真司は、ゆっくりと拳を解いた。

 「……降参だ。俺の負けだ。だから、頼む……香織ちゃんを、解放してくれ」

 真司の言葉に、プロデューサーが意地の悪い笑みを浮かべる。

 「いいだろう。ただし、君はここに残ってもらう。私のコレクションの一部としてね」

 「……構わない」

 真司はうなだれ、目を閉じた。これが、自分にできる精一杯のことだった。

 プロデューサーに引き立てられ、真司は部屋を後にする。香織を置いて、地下の牢獄へと向かう───

 その時、背後で硝子の砕ける音がした。

 「……この人は、私のために命を懸けてくれた。私は、自由のために戦う……!」

 振り返った真司の目に飛び込んできたのは、香織の凛々しい姿だった。

 毒の小瓶を投げ捨て、香織はよろめきながら立ち上がる。

 「な、なんだと……!?」

 予想外の事態に、プロデューサーが狼狽える。

 「香織ちゃん……!」

 思わず真司が駆け寄り、よろめく香織の体を支える。香織の瞳は、輝きを取り戻していた。

 「お兄さん……私、もう大丈夫。一緒に、ここから逃げましょう」

 涙を浮かべて微笑む香織に、真司も笑顔で頷いた。

 「ああ、帰ろう。みんなの元へ」

 追いすがるプロデューサーを振り切り、二人は部屋を駆け出した。まるで暗闇から光が差し込むように、廃墟のアジトに希望が芽生える。

 しかし、過酷な現実が二人の前に立ちはだかった。立ち塞がる用心棒たちを、どう切り抜けていけばいいのか。

 真司は香織の手を強く握り締める。

 「一緒に戦おう。君の、私たちの自由のために──」

 希望を胸に、二人は闇夜を駆け抜けていく。再起を懸けた戦いの火蓋は、切られた。


第5章 再生


 廃ビルの屋上で、夜風が髪を揺らしていた。

 「止まれ、逃がさない……!」

 背後で、プロデューサーの怒号が響く。真司と香織は必死で駆け抜ける。

 ようやく屋上にたどり着いた二人。しかし、もう逃げ場はない。

 「……終わりだな。観念するんだね」

 不敵に笑うプロデューサー。その手には、黒光りした銃が握られている。

 背後は、がけっぷちの崖だ。目の前に広がるのは、歌舞伎町のネオンだらけの夜景。色とりどりの光が、二人を嘲笑うかのようだ。

 「お前らは、私から逃げられない。私の商品なんだからね」

 プロデューサーが銃を構える。真っ直ぐ、香織に向けて───

 その時、真司が香織を庇うように立ちはだかった。

 「やめろ! 香織ちゃんには、もう何もするな!」

 「お兄さん……!」

 身を挺して守ろうとする真司に、香織が小さく息を呑む。

 「ふん、感動的だね。だが無駄だ。私の邪魔になる者は、消してしまう」

 冷酷にほくそ笑むプロデューサー。引き金に指がかかる。

 その瞬間、不意に銃声が響いた。

 「がはっ……!?」

 よろめきながら、プロデューサーがうめく。横っ腹を押さえ、その指の間から血がにじんでいる。

 「た、助けは……いらねぇ……私は……這い上がって……見せる……」

 そう呻きながら、プロデューサーはビルの淵へと倒れこんだ。そのまま、闇の中へと消えていく。

 どうやら屋上への階段で、用心棒とプロデューサーの間で銃撃戦があったらしい。巻き添えを食らったのだろう。

 突然の展開に、真司と香織は呆然と立ち尽くす。

 やがて遠くで、サイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。

 「……終わった、のね」

 つぶやく香織に、真司が優しく微笑む。

 「ああ、終わったんだ。もう、誰にも君の自由は奪わせない」

 空は、徐々に白み始めていた。夜明けが近い。

 苦しみと絶望の連続だった日々に、ようやく終止符が打たれる。

 だが真司は知っている。本当の戦いは、これからなのだと。

 香織の心に深く刻まれた傷。自分自身の中にも渦巻く罪悪感。

 立ち直るには、長い時間がかかるだろう。それでも、真司は香織と共に歩んでいくことを誓った。

 二人の手が、そっと重なり合う。

 「……お兄さん、ありがとう。私、必ず夢を叶えてみせる。アイドルになって、みんなを笑顔にするの」

 はにかむように微笑む香織に、真司は頷いた。

 「その時は、俺が一番の応援団長になる。約束だ」

 歌舞伎町に、夜明けの光が差し込み始めた。

 苦難を乗り越え、二人はまだ見ぬ未来へと歩み始める。

 それは、再生の物語の始まりであった───


                ★


 ステージの光が眩しい。

 真司は、客席から香織を見つめていた。

 まばゆいばかりの笑顔で、香織が歌っている。

 あの日から3年───。香織は見事に夢を叶え、トップアイドルへと駆け上がった。

 歌舞伎町の一角に、児童養護施設も設立した。自らと同じように、苦しみの中にいる子供たちを助けるために。

 時折、香織は真司と一緒に、その施設を訪れる。そこで過ごす時間が、香織の心の支えになっているのだろう。

 トップアイドルとして、そして一人の人間として、香織は日々成長を続けている。

 ステージ上で、香織と真司の目が合う。

 香織が、満面の笑みを浮かべて手を振った。

 真司も、大きく手を振り返す。

 傷ついた心を癒やしながら、ゆっくりと前に進んでいく。

 苦しみを乗り越え、新たな一歩を踏み出す。

 それが、二人の選んだ生き方だった。

 輝かしい未来を信じて───。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

闇に囚われし天使たち 島原大知 @SHIMAHARA_DAICHI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る