第10話 名前を呼んでもいいですか(終)

 フィオリーネ曰く、彼女の聖光魔法は言い方こそ悪いが、もっとショボいものらしい。

 それがどうしてあんな力を発揮したのか、本人もよくわかっていないようだった。

 俺が知っている聖光魔法は、あんな感じに聖なる光を相手にぶつける感じのものだったから、ショボい、というのが想像できない。


 まあ、終わり良ければ全てよしという言葉があるように、ワイバーンを倒すことができたんだから、結果的には上々だろう。

 そんな具合に、討伐の証として鱗を剥ぎ取ってから、俺たちは「風鳴りの羽」で学園に帰還していた。

 本来なら寮に戻るべきところだが、事の顛末は報告しなきゃならない。


 学生課は、一応夜でも開いている。

 なにかあったときのために緊急事態宣言の発令だとか、そういう機能も兼ねているかららしい。

 そんな事情はともかくとして、こんな時間まで残業している人たちには頭が下がる思いだった。


「すみません、討伐依頼の件で来たんですが」

「ああ、よかった! 無事に帰還されたんですね!」


 どうやらワイバーンの情報は学生課にも伝わっていたらしい。

 受付の女性は胸の前で手を合わせて、俺たちの帰還を心から喜んでいた。

 それもそうだ。学生、しかもろくに実戦経験もない新入生がワイバーンを相手にした時点で死んだと見ていいからな。


「アレス・アイゼンブルクさん、フィオリーネ・フローレンシアさん。よく戻ってきてくれました、私たちにとってはそれだけで十分です!」

「いや、その、依頼の件なんですが」

「失敗だとしても仕方ありませんよ、まさか巣立ったばかりのワイバーンがこちらに飛んできていたなんてことがあれば……」

「いえ、討伐してきましたよ」


 ごとり、と机の上に剥ぎ取った鱗を置くと、受付の女性は笑顔のまま固まった。

 本当なら甲殻とかそういう「討伐したこと」がわかりやすい素材を持って帰ってくるべきだったんだろう。

 ただ、若いとはいえそれなりにデカいワイバーンの甲殻は学生鞄に入り切らないから、泣く泣く鱗にしただけで。


「え、ええええっ!? まさか、倒してしまったんですか!? ワイバーンを!?」


 机から身を乗り出して、受付の女性は目を白黒させる。


「はい、俺とフィオリーネで討伐しました。死体も残ってるんで恐らく騎士団か冒険者ギルドが回収にかかってると思います」

「まさか、そんなことが……でも、その返り血を見る限り、本当みたいですね……」


 そういえば制服に返り血がついたままだったか。

 これ洗って落ちるレベルじゃないんだよなあ。

 替えの制服もあるにはあるが、早めにもう一着ぐらいは買っておいた方がいいのかもしれない。


「報酬の内訳ってどうなりますか?」


 一応、討伐依頼の対象外である魔物に関しても、介入してきたなら倒してもいいという規則が定められている。

 だから、ワイバーンを倒したという証明をこうして持ってきた以上、当然追加報酬も発生するわけだった。

 ただ、自由討伐報酬に関して、学生価格でどれだけ割り引かれるのかが気になったから聞いてみたのだ。


「ええ、と……今回のケースだと、そうですね。死体の回収及び事後処理等の諸経費を差し引いて、大体このくらいでしょうか……?」


 さらさらと手元の紙に計算式を書き綴って、受付の女性は俺たちに提示してくる。

 それは諸経費による減少を差し引いても、この学園に四年間通えるだけの学費を賄えるぐらいの額だった。

 流石は冒険者たちの多くが最終目標に掲げる魔物、といったところだろう。


 俺は事態についていけず、おどおどしているフィオリーネに目配せをすると、躊躇いなく用意していたことを言い放つ。


「なら、報酬は全部フィオリーネに渡してやってください」

「え、ええっ……!? そんな、ダメです! ダメです、こんな額……申し訳なくて受け取れませんっ!」

「いや、全然申し訳なくないよ。フィオリーネの魔法がなかったら俺は多分ここにいなかったしな」


 泡を食ったように受け取りを拒否するフィオリーネに対して、諭すようにそう語る。

 実際、最推しに幸せになってほしいから、学費問題にここでケリをつけられるならそれに越したことはないと思っているところはある。

 ただ、そういう私欲を除いてもフィオリーネに助けられたのは事実だから、報酬を受け取る権利は彼女にあると思っているのも本当だ。


「で、でも……ワイバーンを倒したのはアイゼンブルクさんの剣です。わたしは、ただお手伝いをしただけで……」


 それなのにアイゼンブルクさんの利益がなくなるのはダメです、と、フィオリーネは主張してやまない。

 利益……利益なあ。

 それならもう十分すぎるくらいもらってるんだよな。


 最推しと一緒の学園に通って、一緒に勉強したり昼飯を食べたり、果ては冒険までしたりして。

 だから、俺は今でも十分満ち足りているんだよな。

 問題はこれを話しても、多分通じないことであって。


 それなら、どうしたものかな。

 俺は少しの間沈黙して、返答を考える。

 お互いの利益に繋がるようなこと、嘘だとまではいかなくとも、真実が混ざっていること。


 ──これだ。


「それなら、今度フィオリーネが参考書を買いに行くとき、俺も一緒に行かせてもらっていいか?」

「えっ……? そ、そんな。たったそれだけのことで、いいんですか……?」

「ほら、俺はあんまり魔法が得意じゃないだろ? 今回もフィオリーネの魔法がなかったら死んでたとこだったし、今度色々教えてもらえたら十分俺にとってのメリットにもなるよ。なによりもフィオリーネに教えてもらえることがさ」


 将来のための投資ってやつだな。

 そう語ると、フィオリーネは顔を真っ赤にして、もじもじと俯いてしまう。


「えっ、あっ、その……えへ、えへへ……照れちゃい、ます……」

「そんなわけで報酬は全額フィオリーネに渡して、代わりに今度の休日、一緒に参考書を買いに行こう!」

「は、はいっ! 一緒に……えへ、えへ……」


 なんだか勢いで押し切ったところもあるが、話が無事に着地してくれてなによりだった。


 呆れたように俺たちを見つめていた受付係の女性に、話し合いが決まった旨を伝えて、俺たちは学生課を後にする。


 フィオリーネは学費の問題が解決したこともあってか、しばらくえへえへしていた。可愛い。




◇◆◇




「わぁ……まるで、夢みたいです」


 後日。ワイバーン討伐の報酬を受け取って学費を無事に返済したフィオリーネと共に、俺は書店を訪れていた。

 書店といえば古本屋といった常識が染みついているであろうフィオリーネにとって、新品の本が山ほど並んでいるのは、それこそ夢のようなんだろうな。

 最新の魔法に関する教本や、果ては娯楽小説まで、交易が活発な城塞都市の店はよりどりみどりだ。


「へえ、剣術に関する本もあるのか」


 「元王国騎士団長直筆!」とかいう宣伝文句が謳われているそれを一瞥して、俺はそう呟く。

 それが本当かどうかはともかくとして、有名人が書くと箔がつくというのは前世とそう変わりないんだな、とぼんやり考えながら。


「はいっ。じょ、城塞都市の書店は城下町と変わりないぐらいの品揃えだって……お父様が言ってました」

「なるほどな……それにしても、フィオリーネは本が好きなんだな」


 生まれて初めて玩具をもらった子供のように、フィオリーネは買える範囲の本を山積みにして持ち運んでいた。

 流石はワイバーンだ。

 四年分の学費を納めて尚、これだけの本が買えるぐらいの報酬をくれたんだから経済的な生き物だな。


「はいっ、大好き……ですっ」


 フィオリーネは、俺の言葉に満面の笑みでそう答える。

 その百万点の笑顔を見られただけで、最推しが心の底から幸せそうにしているのを見ているだけで、俺もまた幸せな気分だった。


「え、えっと……アイゼンブルク、さん」

「どうした、フィオリーネ?」


 もじもじと俯きながら、なにか言いたそうにしているフィオリーネへと、続きを促すように問いかける。


「こ、これからは。そのっ! な、なま……名前っ、『アレスさん』って呼んでも、いい……ですか……?」


 うるうると、大きな琥珀色の瞳を潤ませながらフィオリーネはそう問い返してきた。

 俺はその予想外の返しに、つい目を見開いてしまう。

 いかんいかん。幸せがキャパオーバーして、限界オタクが漏れ出るところだった。


「……ダメ、ですか?」

「いやいや、全然! なんなら呼び捨てにしてくれても構わない!」

「そ、それは……恥ずかしいです……っ!」


 なんにしても最推しにファーストネームで呼んでもらえるというご褒美をくれるなんて、神様だか女神様だかは知らないがなかなか憎いやつだ。


「こ、これからもっ! よろしくお願いします……アレス、さん……!」


 それだけ告げると、顔を真っ赤にしてフィオリーネは会計列へと駆け出していった。

 全く、可愛いがすぎるぜこの最推しは。

 最推しの笑顔もそうだが、恥じらう顔もまた乙なものだ、と、俺は命をかけた末に勝ち取った幸せを噛み締めていた。

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転生した学園ファンタジーでヒロインの「三大美少女」が主人公の俺にだけデレデレしてくるが、クラスメイトのモブ女子が一番可愛いと思う 守次 奏 @kanade_mrtg

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