第8話 はじめての冒険

 城塞都市を抜けて踏み出した街道に、春の心地よいそよ風が吹き抜ける。

 思えば入試のときにもここまできたのに、学校を出たというだけでなんだか新鮮な気持ちがしてくるから不思議なものだった。

 だが、感慨に浸っている暇はない。


 俺たちは学生の身分でこそあるが、依頼を受けた以上は騎士団や冒険者と変わらないのだから。

 依頼が出されたということは、困っている人たちがいるということだ。

 だから、一分一秒でも早くそれを片付けなきゃならなんだよな。


「さて……依頼があったのは街道外れの薬草畑だったよな?」

「あっ、はい、確か……」

「それならここから歩いて大体夕方になるかならないかぐらいの時間だな」


 あまり遠くまで行く依頼は学生課に回ってこないから当然ではあるのだが、学園から近いところなのはありがたい。

 依頼があった薬草畑は学生たちへの支給品の供給源になっているところでもある。

 だから、あまりゴブリン共に好き勝手されるわけにはいかないんだが。


「気持ちいい風、ですね……」


 腰まで伸びた真っ直ぐで艶やかな茶髪を風に靡かせながら、フィオリーネがどこかうっとりしたようにそう呟く。

 ああ、うん。

 今、俺は冒険をしているんだな。最推しと二人きりで。


 なるべく意識はしないようにしていたが、ふわりと春風に乗って香ってくるフレグランスの甘い匂いに、どきりとしてしまう。

 もう本当に、なにもかもが可愛すぎる。

 どれだけ美少女具合を俺に見せつけてくれるんだ、フィオリーネ・フローレンシアは!


「ああ、いい風だ。討伐依頼なんかじゃなければ、ピクニック日和だな」

「そうですね……っ、あの小高い丘に登ってお弁当を食べられたら、素敵ですね……」


 うっとりした表情で、フィオリーネは呟く。

 本当にな。

 これが討伐依頼じゃなければな、とは俺も思う。


 だが、本来ピクニックなんかしてられるのは貴族階級か、そうでなければやむを得ず野営をしている旅人だけだ。

 街の外は基本的には恐ろしい場所で、子供が出歩くようなところじゃない。

 それは平民の俺が口酸っぱく聞かされてきた言葉であり、事実だった。


 騎士団や冒険者、自警団といった武力組織の庇護に置かれた場所じゃなければ、とてもじゃないが普通の人間は生きていけない。

 俺の育った村でも、いたずら心から同年代の子供たちが冒険ごっこと称して外に飛び出していったことはある。

 だが、結果は想像する通りだ。


 全員が全員人喰い熊の餌食になって、まともに遺体すら残っていなかったとは、そいつを仕留めた俺の師匠の言葉だった。

 だから、魔物というのは基本的には憎むべきものだ。

 それが例え俺の剣で撫で切りにできるような存在であったとしても、等しく人類の敵として扱っている。


 だが、フィオリーネにこの話をするのは酷だろう。

 戦いがどんなものなのかを知るつもりなら、俺の後ろに隠れていればそれで済む。

 まあ、知りたくなくても結果は似たようなものだろうが。


 薬草畑に着くまでの道中でも、敵の監視と退路の確保を絶やさずに、俺はフィオリーネと共に安全なルートを進んだ。

 決して油断せず慢心せず、細心を払って。

 そして、目論見通りに陽が傾き始めてきた頃、俺たちは件の畑に辿り着いていた。


『グゲギャギャギャッ!』


 すると、醜悪な笑い声を上げながら薬草を踏み荒らしていく緑色の肌をした小鬼──ゴブリンが、事前情報通りに三匹いるのが見えた。


「ど、どうしましょう……アイゼンブルクさん」

「そうだな……向こうはこっちに気づいてない、奇襲も十分できるな」


 ゴブリン共は薬草を踏み荒らすのに夢中で、納屋の影に身を隠した俺たちに気づいた様子はない。

 ここから奇襲をかけてまずあいつらの頭であろう存在、粗末な石の帽子を被ったゴブリンキャップを討ち取るのが丸いだろうか。

 そうすれば、奴らが連携を失ったところを各個撃破に持ち込める。


 やるしかない。

 この好機を逃すものかと、俺が剣の柄に手をかけた、まさにそのときだった。

 突然空が、暗くなった。


 陽が沈むにはまだ早い。

 ならば一体、なにが起きたのか。

 それを飲み込むのには、僅かな時間がかかった。


 だが、次の瞬間に俺たちは否が応でも思い知らされることとなった。

 今さっきなにが起きたのか、そしてこれからなにが起きようとしているのか、その答え合わせだ。


『グギャォオオオオオッ!!!』


 耳をつんざくような咆哮が轟く。

 その咆哮に、ゴブリン共は恐れをなしたかのように腰を抜かしていた。

 だが、「それ」は決して救世主の類でもなければ、正義の心でこの薬草畑を護りにきたわけでもない。


「……あ、ああっ……!」


 フィオリーネが恐れをなすのも当然だ。

 俺だってその威圧感に気圧されないようにしているのが精一杯なのだから。

 舞い降りた「それ」は、ワイバーンと呼ばれる飛竜は、鋭い爪で恐れをなしていたゴブリン共を引き裂いて、その亡骸を放り投げる。


 食用には適さないと判断したのだろう。

 しかし、まずいことになった。

 このワイバーンは、恐らく生息地を離れて巣立ったばかりの個体だろう。


 だが、若い個体とはいえ飛竜は飛竜だ。

 魔物を討伐することを生業とする冒険者の多くにとっては、「最後の花道」を飾る相手として挑むような存在に違いない。

 そんなやつと出くわすなんて、イレギュラー中のイレギュラーだとしか言いようがない。


 だが、こいつに気づけなかったのは、俺がゴブリン共に斬りかかろうとする前に、周囲への警戒を解いてしまったのが原因だ。


 ──どうする。


 ワイバーンは既に俺たちのことも上空から視認しているだろう。

 そうなると、逃げようがない。

 逃げる手段はあるにはある。だが、屈強な飛竜の攻撃をいなしながらその手段を行使するには、申し訳ないがフィオリーネの存在が足枷となる。


「ど、どうしましょう!? どうしましょう、アイゼンブルクさんっ!?」

「落ち着け、フィオリーネ! クソッ……逃げるにしたって、陽が沈みかけてやがる……!」


 これが真っ昼間の出来事であったのなら、まだ救いはあった。

 だが、夜の闇の中で一目散にどこかへ逃げても、魔物の生息領域に突入してしまいました、という最悪の事態になりかねない。

 ならば、どうする。


 どうするんだ、アレス・アイゼンブルク。

 飛竜はひくひくと鼻を動かして、食い物の気配を探っている。

 恐らく俺たちがどう打って出るのかで、目の前に置かれた餌なのか、狩りの獲物なのかを判断しようとしているのだろう。


 そうだな、考えを一度ひっくり返そう。

 俺は剣の柄に手をかけたまま、のそのそと旋回したワイバーンを睨みつける。

 どうせ逃げられないのなら、これは大きなチャンスになる。


 なんせ、ワイバーンは中型とはいえこの世界の最強種と恐れられているドラゴンの系譜だ。

 多くの冒険者たちがワイバーンを倒して自らの最後の功績とするように、こいつの素材を売り払えば、古書どころか新品で参考書を買っても大量のお釣りが来る。

 それには、フィオリーネを巻き込まなきゃならないのが大きなリスクだが、彼女一人では逃げるのもままならない以上、やるしかあるまい。


「……戦うぞ、フィオリーネ」

「ほ、本気ですか……!? あ、相手は、ワイバーンなんですよ……!?」

「本気も本気、大マジだ。その代わり、絶対に勝つ」


 俺は剣を鞘から抜き放って、未だに警戒状態といった様子の飛竜と相対した。

 勝てる見込みがあるとするなら、それは俺とフィオリーネの魔法に全てがかかっている。

 だったら見せてやろうじゃないか、人間の底力というやつを。


 どっちが獲物なのかを、教えてやろうじゃないか。

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