第6話 君のいいところ
四限を終えた昼休みの食堂は、当たり前だが生徒たちで賑わっていた。
隣にいるフィオリーネは、相変わらずご機嫌斜めというか、なにか抱え込んでいる様子だ。
座学の授業は一限だけで、あとは実技がメインという時間割だったせいもあって、俺は結局フィオリーネに謝る機会を逃していたのだ。
謝るなら、今しかあるまい。
トレイを二枚手に取って、フィオリーネにそのうち一枚を差し出す。
「ごめん、フィオリーネ」
「えっ、な、なにがですか……?」
しかし、返ってきたのは予想外の答えだった。
フィオリーネは自分がなにかしてしまったのかとばかりにきょとんと目を見開いて、小首を傾げている。
うーん、可愛い。いや、そうじゃなくてだな。
「一限のとき、怒らせちゃったからさ」
よくよく考えたら当然のことではあった。
向こうに悪気があったわけではないから、シュテルたちを責めるのは筋違いだ。
ただ、一緒に勉強することを楽しみにしていたフィオリーネにとっては、水を差されたような気分になってしまったのだろう。
「あ、あの……その件については、わたしも悪いというか、その、あの」
あわあわと身振り手振りを交えながら、フィオリーネは何事かを釈明しようと試みていた。
別に彼女が悪いというわけでもない。
この話で落ち度があるやつがいるとしたら、それは気づけなかった俺だけだろう。
「落ち着いてくれ、俺はフィオリーネを責めたり困らせたりしたいわけじゃないんだ」
「は、はいっ。その、わたしも……悪いんです。あ、あんな風に皆と仲良くできる、エストレヤさんが。羨ましく思えて……」
なるほど。
言い方はあまりよくないが、フィオリーネはコミュニケーションが苦手だと言い切っていい。
だから、シュテルと違ってよくいえばすんなりと、悪くいえばずけずけと輪の中に踏み込んでいけない自己嫌悪も入っていたわけか。
「全然悪くないって。シュテルにはシュテルの良さがあるし、フィオリーネにはフィオリーネの良さがあって、それは比べられるものじゃない」
前世で百万回ぐらいは聞いたような綺麗事だが、事実ではある。
じゃなければ、世の中同じような性格や同じような生き方をする人間で溢れかえっているからな。
それにしても、良さ、か。
フィオリーネの良さについてなら無限に語れる自信がある。
問題は本人の前でそんなマシンガントークを繰り広げたところでドン引きされるのが関の山だというところだろうか。
さり気なく、それでいて凡庸じゃない言葉で相手の良さを伝える。中々難しいところだ。
「た、例えばですけど。あ、アイゼンブルクさんから見たわたしの、その、いいところ、って……」
言ってしまった以上、聞かれるのも当然だ。
あまり回答に時間をかけるとさっき言ったことがただのおべんちゃらだと思われる。
ここはマシンガントークにならない範囲でパッと気の利いた答えをなんとか返したいものだが、さて。
「俺は……フィオリーネの頑張り屋なところがいいと思う。初めて会ったときも言ったろ?
真っ直ぐに努力し続けるっていうのはとてつもない長所なんだよ」
同じことを繰り返して言ったようではあるが、嘘偽りはなに一つない。
なんなら神に誓ったっていい。
俺にとっては前世じゃ知ることができなかった、フィオリーネの頑張り屋な一面は美点だと思うし、それを知れて嬉しかったからな。
「がっ、がんばり屋です、か……!? わたし、頑張れてます、か……?」
「フィオリーネのレベルで頑張ってないって言ったら、俺なんかなにもしてないようなもんだよ」
「あっ、ありがとうございます……えへ」
そう言って、上機嫌そうにフィオリーネは微笑んだ。
うん、やっぱり最推しには涙よりも笑顔が似合う。
アンジェリカが自分の頭脳は世界にとっても重要なものだとか言ってたが、フィオリーネの可愛さだってそれに負けていないだろう。
今すぐ彼女を人間国宝に認定した方がいいんじゃないか、この国は?
いや、国どころじゃない。
天地神明、全世界にフィオリーネの可愛さは轟き渡って然るべきなのだ──と、興奮しすぎたな。
実際全世界に彼女の魅力が知れ渡ったら知れ渡ったで、前世から推し続けてきた身としては若干複雑なところがあるのは否定できない。
推し活というのは極めれば極めるほどに厄介な限界オタクに近づいていくのだ。
だから気をつけよう、と、結論を出したところで、俺はビュッフェ形式の昼食から適当なものをチョイスしてトレイに乗せていく。
クロワッサンに厚切りのベーコンに、葉物野菜のサラダ。
栄養バランスも考えてそこに牛乳も加えれば、ランチメニューの完成だ。
あとは空いている席を探して座るだけなのだが──
「ど、どこも埋まってます……」
「そうだな、どうしようか」
かくなる上は、相席を申し出るしかあるまい。
大体三本も塔を建設する暇があるなら食堂の席数も確保しておいてほしかったものだ。
我が学園に対する文句を脳内で垂れつつ、相席できそうなところを探していたときだった。
「アレスくん、フローレンシアさん!」
「シュテルか」
ちょうどよかったとばかりに、いつも通りアンジェリカを隣に座らせているシュテルが、前の席が二つ空いていることをアピールしてくる。
「俺だけじゃなく、フィオリーネも相席して大丈夫か?」
「もちろん。早く座って! 埋まっちゃうかもよ?」
「それもそうだな、ありがとう。シュテル」
俺はシュテルに礼を言って、フィオリーネと二人で空いていたその席に腰掛けた。
渡りに船とはこのことだな。
今はひたすら、シュテルの委員長気質がありがたかった。
「ほ、本当にいいんですか……? わたしも……」
「フローレンシアさんも同じクラスメイトでしょう? 遠慮する必要なんてどこにもないわ。あ、そうだ! フローレンシアさん、名字で呼ぶのもなんだかよそよそしいし、私も名前で呼んでいいかな?」
ナチュラルに距離を詰めてくる辺りは流石の、というか圧倒的な陽キャだ。
そのあまりにも全身から溢れ出る陽のオーラに、当の本人ことフィオリーネは溶けそうになっているぞ。
良くも悪くもシュテルは委員長だな、本当。
「わ、わたしなんかでよければ……その。り、リーゼシュテル、さん」
だが、フィオリーネはただ溶けているだけで終わらなかった。
腰こそ引けているが、シュテルから差し伸べられた手をとって、彼女のことをちゃんとファーストネームで呼んでいる。
その事実に俺は、思わずぐっ、と拳を握りしめていた。
自ら踏み出して握手を交わすという確かな成長。
これが、いわゆる「尊い」という感覚なのか。
圧倒的な「光」を全身に浴びたような、そうでなければ木漏れ日の中に佇んでいるかのような錯覚。
それが、波濤の如く押し寄せてくる。
だが、決して表情を緩めるな。限界オタクにはなるんじゃない。
気を引き締めることで精一杯だが、俺はただただ平静を装ってクロワッサンを口に運ぶ。
「おや、いたのかい。アレス・アイゼンブルクくん、そしてフィオリーネ・フローレンシアくん」
サンドイッチをちまちまと口に運んでいたアンジェリカがマイペースにそんなことを宣う。
いたのかいもなにも、お前の友達が相席に誘ってくれたばかりだろうが。
というか、俺はともかくフィオリーネの名前まで覚えていたのか。
他人に興味なさそうな顔をしておいて意外だな。
ますますアンジェリカがわからなくなる。
だが、本人に聞いたところで曖昧にはぐらかされるだけだろう。
「よかったな、フィオリーネ」
「は、はいっ。えへ、えへ……」
二人に名前を覚えてもらっただけではなく、シュテルからは名前で呼んでもらったのもあって、フィオリーネはすっかりご満悦といった様子だった。
まあ、なんにせよ、だ。
推しが喜んでくれるのは健康にいい。
推しが勇気を出したその瞬間は最高に尊い。
俺にとってはそれが全てだった。
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