第5話 隣の席のフィオリーネ
「お、おはようございますっ。アイゼンブルクさん」
洗顔食事歯磨きを終えて寮を出ると、分岐路の真ん中にちょこんとフィオリーネが佇んでいた。
その顔つきや雰囲気は、昨日より心なしか柔らかくなっているような気がした。
寮でなにかいいことでもあったんだろうか。
なんにしても、最推しが元気になってくれたのなら俺は嬉しい。
「おはよう、フィオリーネ。待っててくれたのか?」
「は、はいっ……初めての、授業ですから。えっと、その。ご同席する……えへ、えへ」
「そうだったな」
なんでフィオリーネがえへえへしているのかはよくわからなかったが、俺としては身が引き締まる思いだった。
まさか最推しと隣の席に座って授業を受けられるなんて、今朝まで夢かどうかを疑っていたぐらいだ。
だからこそ、失礼があってはならない。
天然な癖っ毛はどうしようもないとしても、寝癖は櫛で念入りに梳かしたし、ネクタイも緩んでないか何度も確認した。
自分では大丈夫だと思うんだが、こうして隣に立つと少し不安になってくるな。
手鏡の類を持ってないのが悔やまれる。
今度、購買かどこかで買ってくるべきか。
そんなことを真剣に悩みながら、俺は相変わらずえへえへしているフィオリーネと共に、校舎までの道を歩く。
「それにしても上機嫌だな、フィオリーネは」
「そ、そうですか?」
「なんか嬉しそうだしさ、いいことでもあったのか?」
俺の問いかけに、フィオリーネはなにかを考え込むようにきょとんと目を丸くしたのち、火がついたかのように顔を真っ赤にした。
「え、えっと。その……えへ、えへへ……お、お友達……」
「友達?」
寮で友達ができたんだろうか。
だとしたら喜ばしい。
原作のフィオリーネはモブキャラなのもあって交友関係とかは隅々までプレイしててもわからなかったからな。
「……ご、ごめんなさい。調子に乗りました……」
「いや、ごめん。話が見えてこないんだが」
「え、そ、その。その……あ、アイゼンブルクさんにとって、わたしはっ、お、お友達……ですかっ!?」
今度はあわあわとパニクった様子で、身振り手振りを交えながらそんなことを問いかけてくる。
友達、か。
難しい質問だな……俺にとってフィオリーネは「最推し」であって、基本的には遠くから見守りたい存在だ。
だが、それは、前世のことを口に出すのは憚られる。
言ったとしても理解してもらえない可能性も大きいからな。
そういう話を抜きにして見るなら、俺とフィオリーネは同じ学校に通っていて、同じクラスに所属していて、言葉を交わした仲だ。
そう、学友。
客観的に見ればその言葉こそが相応しい。
だから俺とフィオリーネは学友同士……最推しと対等の立場だと考えると恐れ多いが、嬉しくもある。
「そうだな。俺とフィオリーネは友達だ」
「っ! そう、ですよね……よかった、です。えへ、えへへ……その、わたし、お友達同士で一緒に授業を受けるの、初めてで」
「ああ、そういうことか……なら俺と一緒だな」
ここに入るまでは基本的に独学だったからな。
そこそこ交易で栄えていた村だから参考書の類には困らなかったが、この学園に通おうなんて考えているやつは皆無に等しかった。
だから、勉強は独学で、剣術や魔法の類は元々騎士団に所属していた衛兵の人に教えてもらったのだ。
「い、一緒……なんだか、嬉しい。です」
「そう言ってくれるとありがたいよ、ところで一時間目の授業ってなんだっけ」
心なしか熱のこもった視線を向けてくるフィオリーネに向けて、俺はそう問いかける。
昨日は両親への手紙を書いて風呂に入ったあとに力尽きてしまったからな。
朝も自分の身だしなみチェックで忙しかった以上、当然、時間割の確認なんてしてる暇がない。
「えっと、魔導基礎理論……ですね」
「魔法の座学か、フィオリーネは得意分野だな」
「そ、そうですか……? えへ、その、困ったことがあったら、いつでも聞いてくださいっ」
「ああ、そのときは頼りにさせてもらうよ」
ちょっとニチャっとしてるが、楚々と微笑んでいるフィオリーネは相変わらず可愛くて仕方がなかった。
いくらなんでも天使すぎんか?
彼女の前では冷静でいるよう努めているが、いつ俺の中に眠る限界オタクが目を覚ますかわからん。
校舎に続々と集まっていた新入生たちの背中を追いながら、呼吸を整えて気を引き締める。
魔導基礎理論の教室は確か二階だったか。
階段を上りながら、隣を歩くフィオリーネに目を配ると、教科書を読んでいる姿が映る。
なるほど、予習も欠かさないというわけか。
前世じゃ死ぬほど予習復習という言葉が嫌いだったが、最推しが頑張っているんだから、俺も頑張ってみようかな。
……明日からとか。
そんな言い訳じみたことを考えつつ、魔導基礎理論の教室に入った俺たちは、人が少なそうな最前列に陣取ることにした。
最後列では堂々と居眠りをかましているやつがいて、図太いやつだと一周回って感心する。
なんかこう見ると、四年制なこともあって、大学みたいだな。
「隣同士……えへへ」
「教科書は……あったあった、流石に忘れてたら洒落にならないからな」
ぽわぽわと夢心地なフィオリーネを横目に、俺は鞄の中から新品の教科書を取り出して、長机の上に置いた。
昨日は読む暇がなかったが、俺も今日の範囲ぐらいは予習しておいた方がいいだろう。
と、ページを捲っていたそのときだった。
「おはよう、アレスくん。今日の予習?」
「くぁ……シュテル、どうしてきみはわざわざ最前列なんて面倒なところに座るんだい? そもそもきみとぼくの学力ならこんな授業、そもそも受けなくてもいいだろうに……」
俺の右側にフィオリーネが座っていて、左側が空いていたからか、そこにアンジェリカを連れたシュテルがインターセプトしてきた。
流石はメインヒロインというべきか、隣に座ってくることに躊躇がない。
一方のアンジェリカは朝に弱いのか、欠伸をしながらぼやいていたが。
「もう、何度も言わせないでよ、アンジェ。授業は受けるんじゃなくて、受けさせていただくものなの。それに、あなたの研究している魔導科学だって、基礎が一番大事でしょう?」
「いやはや、それを言い出されるとぐうの音も出ないね。しかし有史以来正論が人を幸せにしたことはないよ。きみもそう思うだろう? アレス・アイゼンブルクくん」
いきなり俺に話を振らないでくれ。
確かに正論パンチは人を幸せにしない。
だが堂々と授業をサボりたい宣言してるんだから、正論で殴られても仕方ないだろう。
「おやおや。きみもぼくに冷たいねえ」
「なんでそこで被害者面できるんだよあんたは」
「被害者だからだよ」
えっへん、とアンジェリカは胸を張る。
どう考えても張るべき場面じゃないだろう。
こいつどうにかなりませんか、という意を込めてシュテルを見遣れば、気まずそうに引き攣った笑みを浮かべていた。
まるでヤンチャな子を持った親のようだ。
不憫な。
そんなことを考えつつ、予習に戻ろうとしたら。
「……むぅ」
隣のフィオリーネが一転して、ちょっと不機嫌そうな表情を浮かべ、頬を膨らませているのが目に映る。
なんだろう、なにか怒らせるようなことをしてしまったんだろうか。
考えてみるが、心当たりがまるでない。
前世にも女心と秋の空、なんて言葉があったように、世界は違えど乙女心というのは複雑難解なものなのだな。
そう結論づけて、俺は授業の開始まで、教科書を読み続けていた。
あとでフィオリーネには不機嫌にさせてしまったお詫びをしよう、と、ぼんやり考えながら。
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