第3話 ここでは「対等」だ

「やめて、ください……おねがい、します……やめて……」

「だからさぁ、その言い方俺らが悪いことしてるみたいじゃん? 俺らは君と遊びたいだけなんだよ、わかる? そんで、ここどうなってんだっけ?」


 フィオリーネが必死に懇願しているのにもかかわらず、名前もわからんやからは参考書を下から斜め読みして、からかい続けていた。

 呆れたやつだ、生かしちゃおけないと有名な小説な主人公が激怒したのもよくわかる。

 人を人とも思わない行為ほど暴虐という言葉にふさわしいものはないからな。


「やだなあ、俺らがわかるわけないじゃないですか、ダリルさん」

「それもそうか。なあ、フローレンシアだっけ? だから俺らはさっきからここに書いてあるのがどういうことなのかって聞いてるんだけどさあ」

「……ひぐっ、ぐすっ……」

「泣いてちゃわかんねえって、ほら、答えてくれよ!」


 頭を下げ倒しているフィオリーネの髪の毛を引っ掴んで、ダリルと呼ばれた男は参考書に書いてある文章を彼女に読ませようとする。


 ──だが。


「やめとけよ、馬鹿には読めたとしても理解できない文章だからな」


 俺はわざとらしく両肩を竦めて、ダリルのことを鼻で笑い飛ばす。

 人が一番怒るのは、決まって事実や正論をぶつけられたときだ。

 恐らく、というか十中八九このダリルという男は馬鹿だ。


 そうでなければこんな目立つところでわざわざイジメなんて後ろ暗いことには及ばないはずだからな。

 そもそもイジメという名の犯罪に手を出すなといわれればその通りなのだが、それが理解できる頭だったら事に及んでいないだろう。

 そういうところも含めて愚か者だ。親の顔が見てみたいぜ、全く。


「なんだと?」


 その証拠に、打って変わって冷え切った威圧的な声を向けてきたんだから、語るに落ちている。


「お前は馬鹿だって言ってんだよ、それすら理解できないレベルで馬鹿なのか?」

「貴様……! 俺が誰だかわかって舐めた口をきいてんのか!?」

「知らねえよ。ここの学則じゃ貴族の家系だろうが平民だろうが平等に『生徒』として扱われるんだぜ? そんなこともわからん時点で相当な馬鹿だな、お前」


 俺は、これ見よがしに溜息をつく。

 すると、ダリルは全身に怒気を漲らせ、大股で近づいてくる。

 恐らくは衝動的に殴ろうとでもしているんだろう。どこまでも短絡的なやつだな。


「教えてやるよ平民、俺はなぁ、辺境伯のブレイラッグ家の御曹司で──大人にも喧嘩で負けたことは一度もねぇんだよ!」


 ダリルはそんな肩書きを並び立てて、思い切り参考書の角を振り下ろしてくる。

 俺はその一撃をあえて避けることなく受け止めて、参考書を掴んでいた手首を握り締めていた。

 頭がそれなりに痛むが仕方ない。必要経費だ。


「フィオリーネの参考書は返してもらうぞ」

「こいつ……! ぐっ……!」


 思い切りダリルの手首を捻って、俺はあいつが手放したフィオリーネの参考書を回収する。

 さて、ここからどうしたものか。

 既に取り巻きたちも拳を固めて臨戦態勢に入っている以上、当然だが話し合いによる平和的な解決は望めないだろう。


 だとしても、だ。


「おい、忘れるなよ鳥頭」

「貴様、まだ舐めた口を……!」

「殴ってきたのはそっちが先だからな」


 俺は空いた左手で思い切り、ダリルの鳩尾をぶん殴った。

 一応、これでも手加減している。

 付与魔法を使わなかっただけ感謝してもらいたいものだ。


 決闘と授業以外の目的で学内で魔法を使ってはいけない。

 学則にそう書いてあるからな。

 それはさておくとして、鳩尾にぶち込んだボディブローが効いたのか、かはっ、と乾いた声を上げてダリルはその場に倒れ込む。


「だ、ダリル様!?」

「お、お前! 平民風情がこんなことをして許されると思ってるのか!?」


 取り巻きが語気を荒らげて俺の行為を非難してくるが、どう考えても非があるのはそっちだろうよ。

 暴力という手段に訴えかけた俺も悪いといえば悪いが、あくまでも先に殴ってきたのはダリルの方だ。

 あくまで正当防衛だよ正当防衛。


 それに、お前らがやってたことの方がよっぽど悪辣で許されないだろうが。


「おいおい、なにを勘違いしてるんだ? 俺は別に喧嘩なんかするつもりはなかったんだぜ」

「嘘をつけ!」

「先に殴ってきたのはそこでくたばってる鳥頭の方だろうが、しかも参考書の角でだぞ? 結構痛かったんだからな」

「だとしても……」

「ああ、学則に則って決闘を申し込むべきだったか? そいつは申し訳ないな。ヴィルマフレア伯爵令嬢と同じ目に遭いたいってんなら、今からでも引き受けるぜ」


 クリスティーナの名前を出したことでこの鳥頭の取り巻きどもは、ようやく俺が誰なのかを理解したようだった。

 それに、やっていたのがイジメである以上、決闘になったとしても双方が賭ける条件が成立しないだろう。

 まさか「フィオリーネをイジメる権利を認めろ」なんて公衆の面前で宣うわけにはいかないだろうからな。


「ぐっ……」

「今すぐそこで倒れてる鳥頭に代わって彼女に非礼を詫びろ、そして二度と近寄らないと誓え」

「冗談じゃない、なんで平民風情の言うことを……!」

「何度も同じことを言わせんじゃねえよ、ここじゃ貴族の家系だろうが平民だろうが平等に生徒なんだよ。それともお前らもそこの鳥頭と同じ目に遭いたいか!?」


 最後までデカい声を上げていたやつが勝ちだとは思いたくない。

 しかし、少なくとも子供の喧嘩で暴力まで持ち出してきた相手にならこの理屈は通用する。

 ドスを効かせた声で凄んでみせるだけで、取り巻きたちは倒れているダリルを背負って、捨て台詞を吐くこともなく去っていった。


 なんというか……どっと疲れた。

 俺は、アドレナリンで誤魔化されていたところを、思い出したかのように鈍痛を訴える頭を押さえる。

 大人にも喧嘩で負けたことがないと自称しているだけあって、腕力だけは結構あったな、あいつ。


「もう大丈夫だぞ、フィオリーネ」

「ごめん、なさい……」

「謝るなよ、あいつらが許せなくて、俺が勝手にやったことなんだからさ」


 踊り場の隅っこで泣きじゃくっていたフィオリーネに参考書を手渡して、俺は小さく苦笑した。


「で、でも……わたしなんかのために。わたしなんかのために、アイゼンブルクさんが……」

「だから言ったろ? やりたくてやったことだってさ」

「だ、だからです。だから……なんの価値もないわたしなんかのために、怪我までして……なんの利益にも、ならないのに」


 利益、か。

 こういうのは損得とかそういう話を抜いたものだと思っていたが、フィオリーネにとっては違うようだった。

 なんとなくではあるが、その言葉が口をついて出てきた背景にも想像はつく。


 しかし、今はそういう問題じゃないだろう。


「ごめん、なさい。わたしなんか……っ……!」

「なんか、じゃない!」

「ひぅっ……!?」


 どこまでも自分を卑下するフィオリーネに対して、俺は力強くそう断言する。


「少なくとも、目の前でクラスメイトがイジメられてるっていうのに、それをはいそうですかって見過ごすことは俺にはできないし、そういうことをするやつらが許せない。でもさ、なによりも」

「な、なによりも……?」

「フィオリーネ、君を大事に思ってるやつはちゃんとここにいるって証明してやりたかったんだよ」


 君は俺の最推しだから、とは言えないが。

 それを抜きにしたって、理不尽に怯えて、震えている誰かの味方になりたいと思うのは、不自然なことじゃないだろう。

 俺はフィオリーネに手を差し伸べて、痛みを堪えながら笑いかける。


「あ、ありがとうございます……っ! えへへ……」


 そうして微笑み返してくれた彼女の笑顔を見て、俺は再び確信を得る。

 ああ、この子が最推しでよかったと。

 そして、この子のこういう笑顔が見たかったんだと。

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