第2話 リーゼシュテルとアンジェリカ

 入学式のあとに決闘が起こるとは思っていなかったのか、生徒たちは未だに俺とクリスティーナとの決闘談義に花を咲かせている。

 そのせいもあって、俺は教室じゃちょっとした有名人みたいになっていた。

 ヴィルマフレア伯爵令嬢を負かせたのはどんな手品を使ったんだとか、果ては今日なに食べた、だとか好きな本は、だとか、とにかく質問攻めでぐったりしている。


 ようやく解放されたのはホームルームが終わってしばらく経ってからという始末だった。

 また俺なんかやっちゃいましたか、なんてフレーズが前世じゃ流行ってたが、いざ出来事の当事者になると気苦労しかない。


「お疲れ様、アイゼンブルクくん」


 ぐったりと机にうなだれている俺の頭上から、甘い声が降り注いだ。

 顔を上げて声の主をよく見れば、肩口までで切り揃えた銀髪に赤い瞳の美少女こと、リーゼシュテル・エストレヤが、にこやかな笑みを浮かべていた。


「君は……」

「リーゼシュテル・エストレヤ。公爵家の出ではあるけど、あんまり気にしないで。ここでは皆が平等に生徒だから」


 胸に手を当てて、リーゼシュテルは言う。

 いかにも優等生といった具合の言葉だ。

 ただ、自分が公爵家の出身だから特別気にかけられる存在だとナチュラルに思い込んでいるのは良くも悪くも貴族だな。


「エストレヤ、でいいか?」

「リーゼシュテル、って呼んでほしいかな」


 できれば、「シュテル」でもいいけど。

 快活な笑みを浮かべて、エストレヤ改めシュテルはそう言った。

 初対面にしては妙に距離感が近いと思うところはあるが、シュテルはいわばこの世界におけるメインヒロインだ。


「わかった。これからよろしく、シュテル。俺のこともアレスでいいよ」

「こちらこそ! よろしくね。アレスくん!」


 シュテルはぎゅっ、と俺の手を包み込むように握る。

 彼女の立ち位置を考えれば、主人公との距離は近い方がいいということなのだろう。

 実際、原作をプレイするにあたって一番最初に攻略するのを推奨されてるのがシュテルだからな。


 まあ、俺の最推しはフィオリーネなんだが。

 前世じゃ、プレイアブルの壁に阻まれてどう頑張っても攻略できなかったけどな!

 と、心の中で悔し涙を流しながら、俺はフィオリーネの姿を探すべく、教室を一望した。


「どうしたの、アイゼンブルクくん?」

「ああ、いや。フィオリーネはもう帰ったのかなって」

「フローレンシアさんのこと? それならもう帰ったと思うけど……」


 初日でクラスメイトの名前を覚えているのは流石の優等生だ。

 俺も一応覚えていることは覚えているが、前世の知識由来のものだしな。

 それはさておき、シュテルの言葉通り、フィオリーネの姿は教室になかった。


 その代わりといったらなんだが、分厚い参考書、というか恐らく辞典らしきものを自分の席でうっとりしながら眺めている赤毛の美少女が目に映る。


 不躾な視線を向けてしまったが、それすら意に介することなく、赤毛の美少女──アンジェリカ・オルドマキナは辞典を読み続けていた。


「ちょっとアンジェ、もうホームルームは終わったでしょ! あなたも早く帰りなさい!」

「……ん、ああ。シュテルかい。いいじゃあないか、別に。ぼく以外にも帰ってない生徒はいるみたいだしさ」


 シュテルに呼び止められて初めて、アンジェリカは辞典から目を離す。

 そして、片目を茶目っ気たっぷりに瞑って、俺に向き直る。

 こっちは別に帰りたくないんじゃなくて、帰ろうにも帰れないだけだったんだが。


「そういうことじゃなくて……!」

「わかっているよ、学則の問題と言いたいんだろう? 相変わらず頭が硬いねえ、シュテルは。アレス・アイゼンブルクくん。きみもそう思うだろう?」

「いや、入学初日から寮に戻らない方がヤバいと思うけど」


 同意を求めてきたアンジェリカに対して俺は素っ気ない態度でそう返した。

 だが、大して気にした様子もなく、アンジェリカは「おや、そうかい」と肩を竦めるだけだった。

 それでいいのか。発言したの俺だけどさ。


「全く、きみたちはぼくの頭脳と魔導科学の価値をなにもわかっちゃあいない。こうして神代文明の書物と向き合う時間さえ、世界にとっては有益なことだというのに」


 話のスケールが大分デカいな。

 まあ、それに関してはアンジェリカというヒロインの性質を考えれば仕方がないことだ。

 自由奔放、捉えどころがなく、常にマイペースな天才美少女。


 それこそがアンジェリカ・オルドマキナというキャラクターを表すフレーバーテキストなのだから。

 一見すると大言壮語に聞こえるが、実際のところアンジェリカの言葉に一切の間違いはないのが困ったところだった。


「しかしきみもやるねぇ、アレス・アイゼンブルクくん。ほとんど日用魔法レベルの『付与』魔法であのクリスティーナ・ヴィルマフレアを倒してしまうなんて」

「単純な初見殺しだよ、長期戦になったらどうなるかわかったもんじゃない」


 アンジェリカが言う通り、俺が得意としている「付与」魔法は日用魔法としても使われている。

 例えばちょっと包丁の切れ味をよくしたりだとか、木材を頑丈にしたりだとか、そんなレベルだ。

 流石にそのレベルよりは上だとは思いたいが、クリスティーナの慢心を突かなければ、勝ち目がなかったのもまた事実だった。


「果たしてそうかな?」


 だが、アンジェリカは興味深いものを見つけたかのように目を輝かせて食い下がってくる。


「なにが言いたいんだ?」

「物事というのは見方によって姿を変える、ということさ。つまりきみの存在はぼくにとってはユニークに映った、ということでもある」


 ふふっ、と含み笑いをしながら、先程とは打って変わって、熱を帯びた視線が俺を捉える。


 まあ、そうだよな。

 そもそも「クリスティーナを倒すこと」がヒロインたちに──当のクリスティーナも含めた「三大美少女」が俺に好意を持つきっかけになるんだから。


「機会があればまた語らおうじゃないか、アレス・アイゼンブルクくん? そのときはぜひ、魔導科学について存分にその魅力を教えてあげたいものだがね」


 面白い玩具を見つけたときのような笑みを崩さないまま、アンジェリカは辞典を閉じて席を立った。

 さっきまではテコでも動かないといった雰囲気だったのに、いざ帰るとなったら足早になるんだから、不思議なものだ。


 俺もまた、彼女に倣って席を立つ。

 単純に疲れたからな。

 さっさと寮に戻って風呂に入って寝たい、その一心だった。


「それじゃまた明日、アレスくん!」

「ああ、また明日」


 原作だとリーゼシュテルとアンゼリカ、二人のヒロインに挟まれた下校イベントになるのだが、今はそれをやるほど体力が残っていない。


 だから、あえて二人とは反対方向に教室を出たのだが、そういう身構えてないときに限ってトラブルというのはやってくるものなのだ。


 原作とは異なる行動をとったからかどうかはわからない。

 だが、ちょうど階段の踊り場の辺りでその光景は繰り広げられていた。


「や、やめ……やめて、くださいっ、謝ります、から……謝りますから……っ!」

「おいおい、俺らがなんかしたっていうのかよ? ただ一緒に遊んでただけだろ? それじゃあ俺らが悪人みたいじゃないか、なあ?」


 いかにも権力を笠にきた悪徳貴族みたいな格好をしたそいつが、フィオリーネの参考書を彼女の身長では届かないところに掲げていたのは。

 当人は悪意などないかのようにゲラゲラと笑っていたが、なまじ悪意がない分タチが悪い。

 イジリという名を借りただけのイジメ。そんなこの世で最も醜い行為の被害が、よりにもよって最推しに降りかかっていたのだ。

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