オバケが映っていないビデオ(2/2)
リビングに置かれた四角いダイニングテーブル、その長辺の一辺に家族が並んで座っている。
背景には、電気がついていない薄暗いオープンキッチンが映っていた。冷蔵庫、食器棚、そして炊飯器や電子レンジが上下段に置かれたレンジ台が横並びで配置されている。
席の中央に座る女の子が、ラベルに記されていたコトちゃんだろう。スカイブルーのドレスに同系色のティアラを合わせた格好で着飾っている。
コトちゃんの右隣に座る女性は、小さな主役に優しい視線を向けていた。どうやらコトちゃんのお母さんのようだ。ピンクのベビー服を着た赤ちゃんを両手で抱きかかえている。
赤ちゃんは邪気の無い笑みを浮かべてご機嫌な様子だ。
お母さんの右隣には、グレイヘアにパーマを当てた老年の女性が並んでいた。親しげに会話を交わしており、その口ぶりからコトちゃんのお祖母さんであることが分かった。
共に涼しげな服装をしていることから、映像の撮影時期をなんとなく予想できる。
「コトちゃーん。楽しいですかー?」
撮影者である男性の声。
恐らくコトちゃんのお父さんだ。
コトちゃんはカメラに目線を合わせて、ハキハキと言葉を発する。
「あのね、あのね、ナギサちゃんもね、おうちで誕生日パーティしたって言ってた」
「そうなんだ。コトちゃんもパーティできて嬉しい?」
「うん。コトちゃんもね、パーティやってすっごい嬉しい」
一生懸命に言葉を選んで自分の考えを伝えるコトちゃんの姿に、家族全員が優しい笑い声を
古ぼけたブラウン管の向こう側には、暖かい家族の光景が広がっていた。
「お待たせー」
しわがれた声と共に、画面の外から老いた男性が登場する。オールバックの白髪にフレームの太い眼鏡、コトちゃんのお祖父さんだだろう。
その手には白いケーキ箱を持っている。
「お祖父ちゃんが持ってきてくれたから、ありがとうして?」
お母さんがそう促すと、コトちゃんは素直に感謝の言葉を口にした。
「お祖父ちゃんありがとう。
これさー、お祖父ちゃんが作ったの?」
「作ったのはケーキ屋さんだよ」
「なーんだ。お祖父ちゃんが作ったかと思った」
コトちゃんはぶっきらぼうに返事をする。
その可愛らしい勘違いに、家族の間に再び温かい笑い声が上がった。
お祖父さんはケーキ箱をテーブルに乗せ、コトちゃんの左隣の椅子に座る。
そして箱を開けると、中にはショートケーキの四号ホールが堂々と鎮座していた。
ホイップクリームとストロベリーで
コトちゃんは椅子から大きく身を乗り出し、ケーキに熱い視線を送る。
「美味しそうだねコトちゃん」
お父さんに声をかけられたコトちゃんは、カメラに満面の笑みを見せる。
「あのね、コトちゃんイチゴのケーキが一番大好き!」
「コトちゃんが好きなやつ、ママが選んでくれたからね」
「じゃあ蝋燭に火つけるよー。コトちゃん、危ないからちゃんと座って」
お祖父さんが先の長い着火器具を用いて、五本のカラーキャンドルに火を灯す。
お祖母さんが席から立ち上がり、壁のスイッチを押して部屋の電気を消す。
真っ暗な画面には、暖色の明かりに照らし出されるコトちゃんの顔が目立っていた。
「じゃ、お歌を歌おっか?」
お父さんが音頭を取り、家族全員でバースデーソングを歌う。
歌が終わると家族全員が拍手を打ち鳴らし、祝いの言葉を口々に発した。
「コトちゃん、蝋燭フーって消して」
お父さんの指示を受けて、コトちゃんは肺いっぱいに空気を取り込んだ。そして口を尖らせ、勢いよく息を吹きかける。
唯一の光源は呆気なく消えてしまった。画面は正真正銘の真っ暗闇に塗り潰される。
ただ、何も見えないというわけではない。複数の黒い人影が動いていることはかろうじて分かった。
「ママもパパも見えなーい」
コトちゃんがころころと笑う。
「電気付けてくるね」
お祖母さんだと思われる人影が席を立ち、壁のスイッチに向かう様子が伺える。
やがて部屋の奥から、ぼんやりと縦筋の光が浮かんだ。
それは部屋の照明とは色が異なる、清潔感のあるパールホワイトの光だった。
「あれ? 冷蔵庫が
カメラを回しているお父さんが真っ先に気付く。
その声に反応して、皆が一斉に振り向いた。
「えー。私、ちゃんと閉めなかったかも」
お母さんの声、そして壁の電源スイッチを弾く音。部屋の照明が点灯し、画面は明るくなった。
再び映し出される家族の姿に変わった素振りはない。蝋燭から立ち上る白煙が空気に煽られ揺らいでいる。
皆の視線の先では、確かに冷蔵庫の片側ドアが開いていた。顔を近付けると中を覗き見出来る、半開き程度の隙間だった。
「あ、ついでに包丁とお皿、あとフォークお願い」
冷蔵庫の扉を閉めるために台所に向かったお祖母さんに、お母さんが声をかける。
「あのね、ケーキ食べたいんだって」
「このままじゃ食べ過ぎだよ~。分けるから待ってね」
お母さんは赤ちゃんをお祖母さんに預ける、そして交換するようにお祖母さんから包丁を受け取った。お母さんは椅子から立ち上がると、躊躇なくホールケーキに刃を入れた。
カットされたケーキをやはり慣れた手付きでお皿に分け、コトちゃんのケーキにはチョコプレートを乗せる。
「これさー、コトちゃんのやつ?」
「そう。コトちゃんが食べていいよ」
「やったー!」
いただきますを言い終わると同時に、コトちゃんはフォークをケーキに突き刺した。そして欲望のままに、ケーキをどんどん口に運び入れる。
「美味しい?」
「すっごい美味しい!」
カメラに向けられた顔は、口の周りがクリームにまみれていた。お母さんは苦笑を浮かべつつコトちゃんの顔を拭う。
「コトちゃーん。パパにもアーンして」
カメラにケーキが迫る。
それぞれが舌鼓を打ち、ホールケーキはあっという間に家族の胃袋の中に消えた。
片付けられたテーブルの上には、続けて青の包装紙でラッピングされた立方体の箱が登場した。
「ねー、これ今開けていいの?」
開封の許可を得たコトちゃんは両手をせわしなく動かし、ビリビリと包装紙を剥いでいく。
その中身は、有名女児アニメのキャラクターを模したドールだった。コトちゃんと同じ青い衣装を纏い、ファイティングポーズを構えている。
「あああぁー!」歓喜がこもった、幼児特有の金切り声が上がる。「これね、これね、コトちゃんが欲しかったやつ!」
その声に重なるように、軽い落下音が部屋に響いた。
その音色から、ティッシュの空き箱のような軽い物が落ちたことが想像できた。
「あれ、なんか落ちた? 台所」
お父さんがいち早く落下物に気付く。
「えー?」
お母さんが赤ちゃんを抱いたまま椅子から立ち上がった。音の正体を確認するためにキッチンへと向かう。
愛娘の誕生日という、母親にとっての想い出の一日。それまで微笑みの絶えなかった表情に僅かな亀裂が走る。
「……何これ?」
お母さんが腰を落とす。
その右手で拾い上げた物は、黒いワニ柄の丸筒……賞状や卒業証書を収納するために用いられる、賞状筒だった。
「パパ、こんなところに置いてないよね?」
「うん。そもそも俺のやつ、実家に置いてあるし……」
「あのね、返してーって言ってるよ」
「誰の物でもないの?」
お母さんが全員に問いかける。
冷蔵庫の扉が、再びゆっくりと開いた。まるで質問に返事をするかのようだった。
「やだ、なんか気持ち悪い」
お母さんはひきつった顔のまま、カウンターに賞状筒を置く。
そして視線を落としながらリビングに戻った。冷蔵庫の扉は開いたままだ。
視界に入れること、触れることすら遠ざけたいようだった。
「……冷蔵庫、もう寿命かな?」
自分に言い聞かせるように、お父さんが呟いた。
その言葉に同調する者はいなかった。
和やかだった誕生日パーティーは、一転して沈黙に支配される。
勝手に開く冷蔵庫、どこからか落下してきた賞状筒……なにか不気味な現象が起こっているということを、コトちゃん以外の皆が薄々感じ取っているようだった。
やがて開きっぱなしの冷蔵庫からアラーム音が鳴る。しかし誰も席を立たなかった。
甲高い機械音がピーピーと規則的に繰り返される。
「ねーねーパパぁー。コトちゃんのお話聞いてーぇ。返してって言ってるのぉー」
賞状筒の所在が明らかにならないまま、新たな問題が発生する。
誰にも話を聞いてもらえなかったコトちゃんが駄々をこね始めたのだ。
冷蔵庫のアラーム音と幼児のぐずりが混じり合う。画面越しに見ていても耳を塞ぎたくなるような騒音の寄せ算だった。
お母さんは伏し目がちに、小さく溜め息を漏らした。突然の出来事の連続に精神が疲労しているように見えた。
「コトちゃんコトちゃん。誰が、返してーって言ってるの?」
コトちゃんを宥めるように、お父さんが言葉を返す。
家族の誰も「返して」など言っていない。コトちゃんは一体、誰の声を聞いたのだろう。
家族全員が耳をそばだてて、少女の発言を待つ。
「えっとね、台所にいる子」
そう言うとコトちゃんはカメラを指差した。
「あとパパの後ろに立ってる子」
「えっ?」
刹那、部屋の照明がひとりでに消えた。
一斉に悲鳴が上がる。黒い画面の中で慌てふためく家族の姿が見える。
家族が叫んだ理由は、突然の停電に驚いたことが理由だろうか?
それとも"パパの後ろに立ってる子"を目撃してしまったのだろうか?
未だ絶叫が続くなか、唐突に映像は終了した。
ミステカミステリ @hujirujurujuru
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