オバケが映っていないビデオ(1/2)

「極上の逸品を手に入れたよ」


出勤して自分の席に座ると同時に、じめじめとした笑い声が私の鼓膜を揺さぶった。

声の主は隣の席の川畑さんだ。机に積まれた大量の資料の間から顔を覗かせ、眠そうな目を細めている。

川畑さんにとっての極上の逸品……すなわち私にとっては最悪の代物ということに違いないはずだ。

川畑さんが差し出してきた長方形のプラスチックケースは、そんな私の懸念を具現化したかのような黒色だった。自然と眉間に皺が集まる。


「なんですか? それ」


「これはVHSケースだ。中にビデオテープが収納されている」


「へー、初めて見ましたよ」


「このテープは『オバケが映っていないビデオ』と呼ばれており、好事家の間では垂涎の的だ。

パートナーのよしみで山田にも視聴させてやる」


私が物心ついた頃には、映像記録媒体は既にDVDが普及していた。

ビデオテープの物珍しさに、つい視線を奪われる。


しかしその中身には、まるで興味を持てなかった。

『オバケが映っていないビデオ』。

その通称を知った上でも、私の警戒心が拭えることは無かった。

なにせ川畑さんが喉から手を伸ばすほどのアイテムだ。オバケが映っておらずとも、オカルトマニアが喜ぶ内容であることは容易に想像がつく。


「いや、私は遠慮しておきます」


言葉だけの抵抗は虚しく空を切る。

ビデオを観賞するため、私は社内の第一資料室まで川畑さんに連行されてしまった。


扉を開けると冷えた空気が身体に纏わりつく。三階に位置するこの部屋は、まさしく物置といった様相だった。


横に連結された八段組のスチール書架が、室内に四列並んでいる。そのそれぞれの段には編集部の名前がテプラで記されていた。

資料の収納方法によって各編集部の性格が見て取れる。サイズ別に背表紙を揃えて綺麗に収納されている段もあれば、向きもバラバラに平積みされている段もあった。

『ミステカミステリ』のスペースは、意外にも整理整頓がなされていた。バックナンバーの他にはコラムをまとめた出版本、『川畑専用』と背表紙に書かれたハードファイル、古書と呼べるほどに年季の入った書籍などがカテゴリーごとに並べられている。その一冊一冊が近寄りがたいオーラを放っており、手を伸ばそうとはとても思えない。


部屋の奥のひらけた空間に配置されたソファと木製のセンターテーブルは、放置されているという表現の方が正しいかもしれない。

ソファは座面の合皮が破れ、黄色いウレタンスポンジが露出してしまっていた。蛍光灯の明かりが、テーブルの表面に薄く積もる埃を暴露ばくろしている。


そのテーブルの上に、シルバーカラーのアナログテレビが置かれていた。両手で容易に抱えることができる、小ぢんまりとしたサイズだ。こちらも同じく埃を被っている。

テレビは液晶画面のすぐ下に、縦二センチ横十二センチほどの長方形の挿入口があった。

川畑さんに聞くと、この電化製品はテレビデオだと回答が返ってきた。名前の通り、テレビ画面とビデオデッキがドッキングされているのだという。

これもまた、生まれて初めて見る物だった。

川畑さんは慣れた手つきで配線の準備を進める。そしてテレビデオの電源が付くことを確認すると、ソファの真ん中を陣取り肘を膝についた。


「山田よ、早急に着席したまえ」


「いや、見たくないんですって……」


口では抵抗の意思を示しつつ、私は大人しく空いたスペースに腰かけた。今さら訴えを繰り返したところで、この場所から逃げられるはずがないということは分かっている。

これも異動の為の第一歩だと自分に言い聞かせる。

……そもそも、これは仕事なのだろうか?

川畑さんの趣味に付き合っているだけのような……。


川畑さんは両開きのケースを開封し、丁寧な手付きでVHSテープを取り出した。側面に貼られたラベルシールには、黒のマジックペンで『コトちゃん五歳の誕生日』と書かれている。


川畑さんはテープの全体を舐めるように繰り返し眺める。ようやくテレビデオのデッキ部分にテープを挿入した。読み込み音がキュルキュルと唸る。

『ビデオ2』と緑色の文字が右上に表示されているだけの暗転した画面に、やがて映像が映し出される。


アナログ映像特有の荒い解像度と色調は、私の人生の記憶に存在しない。

しかし胸の内からは、不思議な懐かしさが込み上げてきていた。

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