第5話 大団円
そんな魔法使いの話を考えていると、つかさは、自分のことを徐々に思い出してきたような感じがした。
「きっとこれが、普通の人であれば、思い出すことは不可能かも知れない」
と感じた。
それだけ、相手の組織も本気になって、つかさに対して警戒心を持っていることだろう。
だから、この記憶喪失になる薬を注入させるには、かなりの気を遣ったはずだ。
つかさも、諜報員としては、実は、アメリカで訓練を受けていた。そのことは本人くらいしか、出版社では知らなかっただろう。だから、彼女の行動の奇抜さに、出版社の人も分かるわけはなかった。
それを思うと、
「彼女は、どこか不可解なところがあるが、仕事だけは、いつも最後にはキチンと行っている」
ということから、どうしても、
「彼女の力にすがる」
ということを上の方はしていた。
それは、彼女にも分かっていることで、
「お互いに利用しあえばいいんだ」
とばかりに、彼女には、この出版社において、探ることができるものがあったのだろう。
そして、だんだんといろいろなことを思い出していくと、
「自分の役目が分かってきた気がする」
と感じた。
風俗で、
「いちか」
として働くのも、その一環であったが、実はそれだけではなかったかのように思えるのだった。
そのことをもし知っている人がいるとすれば、
「自分をここに連れてきてくれた、この人、三十郎さんだわ」
と感じた。
ある程度思い出してくれば、目の前にいるのが、自分の顧客である。
「三十郎」
というのも分かっているのだ。
しかし、ここで、明かしてしまうと、
「非常にまずいのではないか?」
と思うのだ。
それが何かということであるが、
「ああ、もう一つ何か、思い出せないことがあるのだが、それの関連ではないか?」
と感じたのだ。
それをハッキリと思い出さなければいけないのだが、それを思い出すためには、
「何がまずいのか?」
ということと、
「思い出さなければいけないことを、思い出すには、彼の力が必要だが、それは、自分の正体がバレないということが大前提だ」
と言えるだろう。
そうではないということになると、
「一つ思い出すたびに、何か大切なことを一つずつ忘れてしまうのではないか?」
という懸念と、もう一つには、
「思い出そうとすることに、何かの教訓が含まれているのではないか?」
ということであったが、それが何なのかということは分かっているような気がした。
それは。
「卑怯なコウモリ」
という話であり、この話は、
「イソップ寓話」
になっているもので、
この話は、以前、これも何かの小説で、引用されているような話だったのだ。
「何が卑怯なのか?」
ということが問題で、それを思い出すにも、何らかの手段がいるのではないか?
ということであった。
寓話の内容は。
「あるところで、獣と鳥が戦争をしているという。そこに通り掛かったコウモリは、鳥に向かっては自分には羽根が生えているからといって、鳥だといい、獣に向かっては、体毛が生えているから、獣だといって、どちらにもいい顔をして逃げ回っていた」
という。
「戦争が終わり、鳥の獣が和解すると、コウモリの話が話題になり、あの卑怯者ということで、コウモリを暗い洞窟から出てこれないようにしたことで、コウモリは、夜行性で、しかも、普段は暗いところで、人知れず生活をするようになった」
というのである。
「さらに、目が見えないことで、超音波による反射で、動けるように、聴覚に関しては、恐ろしいまでの能力を持っているという。これは、犬の嗅覚が鋭いのと同じで、動物というと、何か一つ、特化して発達したものを持っていないと生き残れないということになるのだろう」
そんな世の中において、
「卑怯なコウモリ」
を思い出したつかさは、自分が、その卑怯なコウモリのようなところがあることを思い出してきた。
ということは、
「私は、何か特殊な能力を持っている」
ということを考え始めた。
これは、
「卑怯なコウモリ」
ということから離れてはいるが、その発想に間違いはなかった。
そして、それを思い出すうちに、自分が風俗嬢をしていて、それも、諜報活動の一環であるということを思い出させてくれたのは、他でもない、
「三十郎」
だったのだ。
三十郎は、他の客と、明らかに違うところがあった。
紳士的なところもそうだったが、自分の中で。
「俺は他の連中とは違うんだ」
ということを、自分で感じていたようだ。
そんな三十郎を見ていて、まず三十郎のことを思い出した。そして、今度は自分の、
「仕事」
を思い出したのだ。
しかし、使命は絶対であるが、そのためには、三十郎の中から、自分を消さなければならない。
それには、自分が、
「いちか」
だということを知らせないように、姿を消すしかないということではないだろうか?
これは、まるで、子供の頃に見たアニメのような感じではないか。
「相手を助けるためには、自分が魔法使いであることをハッキリと分からせたうえで、記憶を消す」
ということしかなかった魔法使いの少女の苦悩を、つかさは感じたのだ。
「このままの記憶を消したままでは可哀そうなので、自分の記憶を、みなみさんの記憶と混乱させてあげようかしら?」
と感じた。
そういう力が備わっているわけではないが、つかさは、なぜか、三十郎だけは洗脳できる気がした。
そこで、その特化した能力を使って、三十郎を洗脳することにした。
三十郎は、洗脳され、つかさがいなくなっても、そんなにショックがあるわけではなく、むしろ、つかさが一緒にいたという記憶すら、洗脳によって、打ち消せるのであった。
ただ、つかさは、やり切れない気持ちだった。つかさは、三十郎のことを好きになっていたのだ。
だからこそ、つかさは、
「三十郎であれば、洗脳できる」
という能力を持っているのだった。
人間は、自分の能力の10%くらいしか使っていないというではないか。だから、
「誰か一人くらい、自分の思い通りになる人がいたとしても、それは不思議ではない。しかし、私は、その時、初めて自分の気持ちに気付いたのだ。このまま三十郎さんと別れてしまって、本当にいいの?」
というジレンマに襲われていた。
結果としては、最初の気持ちに従うしかなく、
「悲劇」
を迎えることになる。
あの魔法使いと同じ運命であった。
「私は、このまま、悲劇のヒロインを演じることが、どこまでできるだろうか?」
と、つかさは、永遠に悩むことになるのではないだろうか?
三十郎は、そんなつかさの気持ちを知ってか知らずか、つかさの横で、いつものように、幸せそうに眠り続けているのだった……。
( 完 )
記憶喪失の悲劇 森本 晃次 @kakku
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